最近は山で撮影をしている。
今日は夜通し掛けての撮影で、そして夜の山は本当に暗い。
待機場所から山を道なりに登った所に撮影現場そのものは在って、そこからしばらく降りた真っ暗闇の待機場所で俺は椅子に座って出番を待っている。
俺の居る場所からだと撮影そのものの様子は見えない。助監督さんのスタートとカットの声、たまに誰かの大声の台詞が微かに聞こえてくるくらいで、とにかくここは静か。そして何より暗い。
四方八方が暗すぎて四方八方すらもあやふやになってきてて、まだ夜空の方が濃紺で明るい気がしてくる。
待ち時間が長くて長くて、だけど山では携帯の電波も通じない。
俺のいる真っ暗闇の周辺にも、待機しているスタッフさんやら同じく出番を待つ共演者がぽつぽつと点在しているはずなんだけど、微かな人影がそこにある気がするという程度で、それぞれが距離を置いたそれぞれの場所で、俺と同じように本当の夜の暗さというものに打ちのめされていたんだと思う。誰もが誰かと喋ろうという気概すら取り上げられ、されるがまま純度の高い夜に魂をちゅーちゅーちゅーちゅー吸われているようだった。
少し前に考え事をする気力すらも暗闇の内側に隠されてしまったようで、何をする気もこれっぽっちも起こらない。別に寝不足でもないのに眠い。暗い。眠い。
しかし座っている椅子が折り畳み式の背もたれ無しでうたた寝する事も難しく、とにかくむくんだ脳で自分と夜の区切りを見失って夜に溶けていく体をどうしようも出来ずに居た。
「だいじょうぶですか?」
気づくと自分の隣に、夜の黒とは少し異なる黒がゆらゆらと揺れながら立っていた。
「べ?」
俺はその誰かもわからぬ人影の、おそらく自分に投げかけられた問いに対して数時間ぶりに声を発した。出し抜けに出た自分の声は言葉の体をまともに成していなかった。
「いや〜ずっと待たされてますよね、、(笑)」
ああ、なんだ。
きっとこの感じは同じく出番を待っている誰かのマネージャーさんだな、と俺は勝手に合点した。
夜の陰に塗りつぶされ、顔すらまともに見えなかったが、声から察する自分への距離の取り方やらで何となくそう思い至った。
こちらに届く手前で墜落して行くような、心許ない声の男性だった。今みたいな静かな状況じゃなければ、声が通らない場面も多々ありそうだ。
真っ暗闇で放っとかれて、久しぶりに他者と言葉を交わしたことで、自分の人間としての姿形を徐々に取り戻していくような心地になった。やり場のない眠気と醜く揉み合うのもいい加減しんどかったので、内心助かったと思いながらそのマネージャーさんとそのまま会話を重ねていった。
会話の内容は今回の映画についてだったり、それ以外の映画についてだったり、取り止めのないものではあったが俺は構わず言葉を連ねる。
徐々に意識を取り戻し始めた頃、それまで穏やかに相槌を打っていただけのマネージャーさんが、唐突に俺に一歩近付いた。
既に近い距離で会話をしていたので俺は思わず椅子に座ったまま上半身をのけぞらせる。
真っ暗だから相手が何を思って動いたのかよくわからない。それをその人影から読み取ろうとしている間にも相手の体はまた一歩こちらに近付いて来る。
妙な動きに違和感を覚える手前で相手はまたこちらに寄る。やがて黒い顔が俺の視界の全部になった。その顔は夜の暗さで陰になっていたのではなく、そもそも顔が黒そのものだった。
俺は夜の黒なんてまだ本当の黒じゃなかったんだという事を知る。黒。
その時になってようやくそれの正体が誰かのマネージャーなんかじゃないということを俺は俺の中心で察した。
というかこの世のものじゃない。
その黒はそのまま俺の体に重なり、混ざり合って一つになる。
その黒が俺の身体の内側に完全に収まり切ったところで気付くと俺は椅子から転げ落ちて尻餅をついていた。
辺りに目をやると真っ暗な夜に山の輪郭が見えた。さっきまで会話をしていた黒はやはりどこにも居ない。
考えたくはないが、「そいつは今俺の中に居る」?。身体や思考に別の何かが混ざっている感じはしないが、多分俺は今「そいつに入られたはずだ」。
何が起きたのかわからない俺は唐突に崖から突き落とされたように愕然としていた。
『岡山さんお願いします!!』
反対側から威勢の良い声が鳴り響いた。遠くから若いスタッフさんが俺を呼んでいた。
ハッとした俺はよろよろと立ち上がり、声のした現場の方に向かう。
数時間ぶりの出番だった。
撮影は朝まで続き、なんとかその日のノルマ分を撮り終えて帰宅。
あの真っ暗闇の中での出来事がなんだったのか。というか実際に起こった出来事だったのか。
そもそも全部の輪郭があやふやな状態だったから、もしかしたら俺の脳が何かの拍子に引き起こした錯覚だったのかも知れない……。
追記:
自分の中で上記の出来事をどこにも仕舞い込めない気持ち悪さを抱えたまま、それからも撮影の日々は続いていき、押し流され、そのうちにその薄気味悪さは俺の中で小さく折り畳まれていった。
それからしばらくの間、何をしても上手くいかない日々が続いた。
今、思えば上記の日を境にその不調は始まっていた気がする。
仕事でもプライベートでも、何でもない道で躓くような日々だった。触れられない場所からの見えざる力に、足を引っ掛けられるような感覚があった。
自分は元々、日々の中の「からまり」をノートに書き出す習性があるが、その時期はその量も大幅に増えた。書いても書いても「からまり」が「からまり」を生み「こんがらがった」。
山での撮影が終わって、久しぶりに会った友達と、某ハンバーグチェーン店の前で期間限定のジョッキパフェ(マロン)の写真を見ていたら自分の体の穴という穴から黒い煙がモクモクと上がり、すぐに空中に溶けて見えなくなった。友達は気付かずに自分の食べたいメニューを思案していた。
その日からは自分の中の「こんがらがり」もほどけ、いつもの良かったり悪かったりする日々に戻った。
ジョッキパフェ(マロン)は美味しかったけど寒かった。
※この岡山天音はフィクションです。実在する岡山天音は怪奇現象に見舞われる事なく、良かったり悪かったりする日々を過ごしています。
ジョッキパフェ(マロン)が美味しかったのはノンフィクションです。
【#5】※この岡山天音はフィクションです。/「寝て見る夢」
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【#3】※この岡山天音はフィクションです。/「タイトルなし」
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【#2】※この岡山天音はフィクションです。/「SI 俺たちはいつでも」
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※この岡山天音はフィクションです。
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