2024年本屋大賞に『水車小屋のネネ』がノミネートされた作家、津村記久子の『つまらない住宅地のすべての家』。 NHKでドラマ化もされた本作は、ある住宅地の通りに住んでいる中流家庭の人々を巻き込んだ、ささやかな事件を切り取った群像劇です。 今回はそんな『つまらない住宅地のすべての家』のあらすじや魅力を紹介していきます。
本作の舞台はある平凡な住宅地の閑静な通り。そこには十軒の一戸建てが並んでおり、それぞれ家族構成や生活環境の異なる十世帯が暮らしています。
会社員の丸川明は妻と別居しており、現在は中学生の息子・亮太と二人暮らし。
老母を看取ったのち生まれ育った一戸建てで暮らす山崎正美は、郊外のスーパーマーケットにパートタイマーとして勤務。恋人や子供はおらず、広い家を持て余して引っ越しを考えていました。
三橋夫妻は中学一年生の息子・博喜の問題行動に悩み、彼を隔離する庭の物置を普請中。たびたび遠出しては警察の厄介になる博喜の行く末を案じての行動ですが、自分たちの判断が本当に正しいのか、子供の将来にプラスになるのか悩んでいます。
笠原家は体力の衰えた老夫婦の二人暮らし故、庭の植木の剪定など雑用に手が回りません。
矢島家は祖母とシングルマザーの母親、小学生の姉妹の女所帯ですが、生活能力の欠けた母親は娘たちをネグレクトし、彼氏のもとに通い詰めています。
大柳家の長男・望はパワハラ上司が与えるストレスの捌け口として、矢島家の下の娘・ゆかりの誘拐を企て、着々と準備を整えていました。
夫婦別姓の相原(小山)家は、大学講師の妻・篤子が、目を掛けていた教え子の裏切りに落胆。
住宅地のどん詰まりには不動産業を営む長谷川家が豪邸を建てたものの、人付き合いが悪いせいで一家の評判は芳しくありません。祖母の小夜はとりわけケチで気難しく、些細なことで癇癪を起こし、ご近所の悪口を言いふらしていました。
長谷川家の次女の千里は俗物揃いの家族を嫌い、趣味のピアノ演奏で現実逃避しています。
長い間同じ場所に住んでいるにもかかわらず、住民たちにはゴミ出しの時やすれ違いざま挨拶を交わす程度の付き合いしかなく、お互いの家の事情に深入りするのを避けてきました。
ある時地元の刑務所から女性受刑者が脱走、住宅地付近で目撃された情報が入ります。脱獄犯の名前は日置昭子といい、自分が経理を担当する旅行サークルにて、横領を働いた罪で収監されていたそうです。
昭子の動向を警戒した自治会長の明は、没交渉だったご近所に呼びかけ、笠原家の二階を借りて通りの監視を始めるのですが……。
- 著者
- 津村 記久子
- 出版日
津村記久子は1978年生まれ、大阪出身の女性作家。上司のパワハラが原因で退職したのち小説家に転身、2005年に『マンイーター』でデビューし、2023年刊行の『水車小屋のネネ』で第59回谷崎潤一郎賞を受賞。
18歳の姉と8歳の妹が田舎の蕎麦屋で働きながら鮮やかに成長していく『水車小屋のネネ』は、2023年度本屋大賞にノミネートされ、ランキング第二位の好成績を収めました。
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津村記久子の作品には、風変わりな人物がよく登場します。はじめはその変わりっぷりに驚かされますが、読み進めるうちになんとなく彼女たちを応援したくなってしまうのです。
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- 著者
- 津村 記久子
- 出版日
『つまらない住宅地のすべての家』は2021年に単行本発売、2021年にNHKでドラマ化。いまいち頼りない主人公の丸川明を、元V6の俳優・井ノ原快彦が公演しました。
本作の見所はありきたりな住宅地を舞台に選び、少子高齢化により核家族が主流となった、現代の中流家庭の問題点を炙り出すストーリー。
「幸福な家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである」
上はトルストイ『アンナ・カレーニナ』の一文。
本作は視点交代を可能とする群像劇の強みを最大限に生かし、一見問題なさそうでも内側にさまざまな軋轢を抱え、日常の営みが立ち往かなくなっていく家族の試行錯誤を描きだしました。
丸川明は突然妻に出ていかれて狼狽し、思春期の亮太ともすれ違い気味。
笠原夫妻はお互いの健康を案じ、近い将来介護が必要になるかもしれないと憂えています。
三橋夫妻は中学生の一人息子・博喜の度重なる奇行に苦悩中。具体的な診断名こそ伏せられていますが、ADHD(注意欠如多動症)ないしASD(自閉スペクトラム症)の疑いが濃厚。
最も問題が顕在化しているのが矢島家で、彼氏のもとに入り浸る母親に代わり、まだ小学生の長女が妹の世話や家事全般を担っています。大柳家の望はロリコンの傾向があり、女子小学生の誘拐・監禁計画を練っていました。
日置昭子の脱獄がニュースになるまで、同じ場所で接触を持たず暮らしてきた彼等。せいぜいすれ違えば会釈する程度の間柄で、お互いの家族構成はおろか名前すらうろ覚えときて、心理学用語のファミリア・ストレンジャーと関連付けずにはいられません。
ファミリア・ストレンジャーは「近しい他人」と訳され、顔はよく知っている一方、挨拶や会話をしたことがない他人をさします。たとえば通勤通学電車で毎朝同じ車両になる人などがこれに当たります。
現代はご近所さんのファミリア・ストレンジャー化が進み、地域の繋がりが薄れてきました。それは年々核家族化が加速し、夫婦や単身者のみ、あるいは片親と子供のみの世帯が増えた現実とリンクしています。
防犯上の理由から、あるいはプライバシー保護の観点から表札を出さず、煩わしいご近所付き合いなど最初から望まない家庭が増えていけば、共同体のネットワークが機能不全に陥って各世帯が切り離されるのは否めません。
念頭においてほしいのは、地域の情報網がセーフティーネットとして機能する場合もあること。
他者への無関心に起因するディスコミュニケーションは、個と社会を切り離す諸刃の剣です。
故にセルフネグレクトによる孤独死、終わりない介護や貧困を苦にした無理心中、社会的に失うものが何もないために加害に躊躇のない人……いわゆる「無敵の人」が起こす犯罪が、その延長線上にほのめかされます。
本作のストーリーの縦軸は日置昭子脱獄事件の顛末ですが、横軸として織り成されるのは住民たちの関係性の変化。「近しい他人」が「親しい隣人」に昇格するまでの心の機微が、各エピソードを通じて描かれていきます。
あんなアニメやゲームに縁遠そうなばあさんでも感心するぐらい、彼女には価値があるのか、と望はじっと布宮エリザのポスターを眺めた後、ゆっくり納戸の扉を閉じる。
ならば自分は、彼女に恥じない人間になるべきなんじゃないだろうか。自分が罪を犯すようなことを、彼女に共有させてはいけないのではないか。
オタク青年・望は、サブカルに無知な笠原夫人に推しのポスターを褒められ、「好きな子に恥じない自分でありたい」と誘拐計画を取り止めます。
「何をしてたんだろう、私たち」
あの子にはちゃんと友達がいたし、問題もわかっていた。博子はかすれた声で続けた。
「帰ろう」
三橋夫妻は博喜のゲーム友達の言葉で考え直し、家に帰っていきました。
ジオラマのような住宅地には日本人の不幸の平均値が詰まっています。我々読者は本作に登場する家族の状況、あるいは誰かの境遇に否応なく共感し、世間的には凡庸な悩みや挫折を、個人が避けて通れない切実な問題として捉え直すのでした。
- 著者
- 津村 記久子
- 出版日
津村記久子『つまらない住宅地のすべての家』を読んだ人には、2023年本屋大賞にノミネートされた『水車小屋のネネ』をおすすめします。
本作は18歳と8歳の姉妹が水車小屋で飼われてるヨウムの世話をしながら、様々な出会いと別れを繰り返し成長していく感動作。長生きなヨウムの目を通し主人公姉妹の40年を追っている為、厳しくも優しい田舎町の人情や、逆境で鍛えられた絆の尊さが身に沁みました。
- 著者
- 津村 記久子
- 出版日
続いておすすめするのは今村夏子『こちらあみ子』。本作の主人公・あみ子は博喜と同じ問題児ですが、あみ子の両親は三橋夫妻と異なる決断を下します。
既に結論の出された話に「もしも」の仮定は無意味かもしれませんが、博喜を助ける為に駆け付けた恵一のような友達があみ子にもいたら、違った結末もあったのではないかと想像せずにはいられません。
「普通」の枠組みから意図せず外れてしまった人々の生き辛さ、ままならぬ世間の息苦しさを語る上で、ぜひ読んでほしい小説です。
発達障害の娘とカサンドラ症候群の継母の確執 今村夏子「こちらあみ子」ネタバレあらすじレビュー
今村夏子
- 著者
- 今村 夏子
- 出版日
- 2014-06-10