不謹慎と悪趣味を煮詰めてヘドをぶっかけたようなエログロゴアな作風で支持されるミステリー作家、白井智之。 アントニー・バークリー『毒入りチョコレート事件』を祖とする多重解決ミステリーを偏愛し、ほぼ全作に亘って複数の解決を用意してきた彼の最高傑作が『名探偵のはらわた』。 昭和犯罪史を騒がせた凶悪事件の犯人が地獄から蘇り、令和の日本を恐怖と混乱のどん底に突き落とす本作は、白井智之版『魔界転生』とも言える奇想天外な設定で読者の心を掴んで離しません。
浦野探偵事務所で助手として働く青年・原田亘は、所長に当たる名探偵・浦野灸を敬愛していました。恋人のみよ子との関係も良好で、近々父親に紹介したいと言われました。
ですが衝撃の事実が明らかになります。なんとみよ子の父は極道の大物、指定暴力松功会の二次団体である松脂組の組長だったのです。
みよ子の帰省に付き合い岡山県津ヶ山市の鄙びた集落を訪れた亘は、別件で大阪に出張していた浦野から、そこで発生した放火殺人の調査を命じられます。その村では嘗て兵役調査に弾かれた青年が村人三十人を惨殺する、凄惨な事件が起きていました。人呼んで津ヶ山三十人殺しです。
新たに津ヶ山市で起きた事件では、地元の寺・神咒寺に集った青年会の男女が不可解な状況で焼き殺されていました。ただ一人の生存者も瀕死の重体で予断を許さぬ状態。
亘は足を使って関係者の証言を集め、大阪に滞在している浦野の助言を請い、着々と真実に近付いていきます。
結果、神咒寺放火殺人事件の犯人は入院中の錫村愛志と判明。彼が青年団のメンバーを殺した動機は、日本犯罪史上に残る凶悪犯7人を地獄から甦らせる、召儺の儀式の為でした。
間一髪駆け付けた浦野の活躍によって亘は救われるものの、錫村の命と引き換えに儀式は成就し、凶悪犯7人の魂が現世に解き放たれました。
自分の腕の中で師が息絶えた現実に絶句する亘。
直後死体の目が開き、浦野の体を借りて昭和の名探偵・古城倫道が復活。閻魔の任を帯びた倫道の目的は、日本中で暴れ回る悪鬼7人をブチ殺し、再び地獄に連れ戻すことでした。
ーー登場人物ーー
原田亘(はらだ わたる) 名探偵・浦野灸の弟子で浦野探偵事務所の助手。師の遺志を継いで地獄から放たれた凶悪犯7人の捕縛に熱意を燃やす。東大生のみよ子と交際中。通称はらわた。
古城倫道(こじょう りんどう)亘とバディを組む昭和の名探偵。この世に放たれた悪鬼7人を捕まえるべく亡き浦野の体を借りて復活した。野卑で下劣な皮肉屋。頭の中身が昭和で止まっている為現代社会の知識に疎く、しばしばホログラムをナンパするなどの奇行に走る。探偵小説の主人公にもなっている。シベリア出征中に頭に狙撃を受け脳を欠損したことから「半脳の天才」の異名を轟かせていた。
浦野灸(うらの きゅう) 幼少期の亘を冤罪から救った恩人にして20年以上警察と協力関係を築いてきた名探偵。眼鏡をかけた聡明で紳士的な中年男性。神咒寺事件にて命を落とし亘に後を託す。
松脂みよ子 (まつやに みよこ) 亘の彼女で東大生。ヤクザの父を嫌っている。気が強く男を尻に敷くタイプ。
錫村愛志(すずむら あいじ) 神咒寺事件の真犯人。津ヶ山三十人殺しの犯人・向井鴇雄を信奉し、昭和犯罪史に名を残す最凶殺人鬼7人を召還する「召儺の儀式」を行った。
『名探偵のはらわた』の見所は現代版『魔界転生』とも言える禍々しい設定。山田風太郎の『魔界転生』で甦るのは現世に恨みを遺す亡者7人。その内訳は島原の乱を興した天草四郎時貞、伝説の剣豪・宮本武蔵、柳生流の開祖・柳生利巌など錚々たる顔ぶれ。
一方『名探偵のはらわた』で解き放たれたのは実際の事件がモデルの凶悪犯7人。全員もれなく日本の犯罪史に名を刻む極悪人で、口にするのもおぞましい、吐き気を催す鬼畜な所業で知られています。以下、『名探偵のはらわた』で取り上げられる事件とモチーフになった事件一覧です。
玉ノ池バラバラ殺人事件
昭和7年3月7日、南葛飾の赤線地帯の下水溝に男性の胸部・腰部・首などが遺棄された事件。同年10月に浜川竜太郎とその弟妹が逮捕された。→玉の井バラバラ殺人事件
八重定事件
昭和11年5月18日、荒川区小原町の待合旅館で仲居の八重定が以前から不倫関係にあった情夫・石本吉蔵を絞殺後、男性器を切り取り持ち去った猟奇事件。2日後に逮捕された。→阿部定事件
津ヶ山事件
昭和13年5月21日、岡山県苫田郡木慈谷村にて向井鴇雄が集落の民家に押し入り、持参した猟銃と日本刀でもって村人三十人を血祭りに上げた事件。日本犯罪史上稀に見る大量殺人として国民を震撼させた。向井鴇雄は犯行後に自害。→津山三十人殺し
青銀堂事件
昭和23年1月27日、東京都豊島区の宝石店・青銀堂に厚生省の役人を名乗る男が現れて赤痢の予防薬の服用を従業員に命令。薬を飲んだ従業員16人のうち12人が死亡した。犯人は現金と宝石を奪い逃走するも逮捕され、死ぬまで無罪を訴え続けた。→帝銀事件
椿産院事件
昭和19年から昭和23年にかけ、新宿区柳町にて椿産院を経営する大久保院長夫妻が、預かっていた100人以上の嬰児に食事を与えず死なせた事件。夫妻は多額の養育費を横領していた。→寿産院事件
四葉銀行人質事件
昭和54年1月26日、大阪市住吉区の四葉銀行に松野俊之が猟銃を持って籠城。警察官と銀行員4人を射殺し、42時間後に突入した機動隊によって撃ち殺された。→三菱銀行人質事件
農薬コーラ事件
昭和60年4月から11月にかけ有機リン系殺虫剤のチェシアホスが混入されたコーラ瓶が自動販売機に置かれ、それを飲んだ大学生が死亡。東京都・千葉・埼玉で合わせて12人が死亡したが犯人は見付からず、平成12年に時効が成立した。→青酸コーラ事件
これらいずれ劣らぬ凶悪事件の犯人がこぞって甦り、生きてる人間に憑依して好き勝手おっぱじめたものだからさあ大変。しかも彼らは人から人へ乗り移れる為、ひとたび世間に紛れてしまえば捕まえるのは容易ではありません。
7人の所在特定・捕縛は急務……ですが浦野の体に宿った倫道はまるでやる気がなく、戦後すぐにはなかったパチンコ店や風俗に入り浸り、自堕落に日々を過ごしています。亘は憧れの名探偵の本性に幻滅しながらも不真面目な倫道の尻を叩いて事件を解決していくのですが、敵は神出鬼没な上なかなか手強く……。
昭和の名探偵×元名探偵の助手、異色コンビの痛快極まる活躍から目が離せません。
白井智之は多重解決ミステリーの旗手。本作も例にもれず、事件の真相ならびに真犯人が二転三転するどんでん返しを仕掛けています。
ちなみに多重ミステリーとは一個の事件に対し複数の解決が提示される様式の推理小説のこと。このスタイルの小説では登場人物が持ち回りで探偵役を務め、各自異なる真相を推理で手繰り寄せます。
最後の最後まで犯人がわからないのと同様に真の正解に辿り着く探偵が誰かもわからないトリッキーなストーリーテリングこそ、多重解決ミステリーを読む醍醐味!
終盤で起きた酸鼻な事件の犯人として倫道が名指ししたのは、亘はもとより我々読者の予想にすら衝撃を与える人物でした。
凶悪犯の精神は人間の体に出たり入ったりが可能。
ならば「彼女」が犯人であっても何の不思議もないばかりか、そう仮定すればすべての謎に合理的な説明が付いてしまいます。さらにまずいことに、悪鬼を地獄に送り返すには彼らが入ってる人間ごと殺さねばなりません。
絶体絶命のピンチに立たされた亘は頭脳をフル回転させ、偉大なる師に憑いた憧れの名探偵・倫道を論破すべく推理を働かせます。
この代理師弟対決がめちゃくちゃ熱い!
はたして亘は倫道の推理を撃破し、愛する人を救い出せるのか?
名探偵のはらわたの正念場を目に焼き付けてください。
余談ながら『名探偵のはらわた』で倫道&亘が仕留めた悪鬼は八重定事件・青銀堂事件・津ヶ山三十人殺しの3人のみ。
ラストに車の事故が起き棚ボタの形で農薬コーラ事件の犯人が死にますが、これを入れても4人しか退治できておらず、玉ノ池バラバラ殺人事件・椿産院嬰児殺人事件・四葉銀行人質籠城事件の3人は野放しのまま……。
残りの犯人たちも日本中で生前の事件を模倣した惨劇を起こしまくっているので、もし続編が出るなら全員捕まえてほしいです。
白井智之『名探偵のはらわた』を読んだ人には山田風太郎『魔界転生』をおすすめします。
『名探偵のはらわた』は一部で『魔界転生』のオマージュと言われています。幕府転覆を図る異能の魔人7人VS柳生十兵衛率いる柳生衆の壮絶な死闘を描いた本作は、忍法帖シリーズのテンションなら必ずハマる伝奇アクションに仕上がっており、山田風太郎が後世に与えた影響の大きさを痛感しました。
- 著者
- 山田 風太郎
- 出版日
- 著者
- 山田 風太郎
- 出版日
続いておすすめするのは平山夢明『独白するユニバーサル横メルカトル』。白井智之と平山夢明の作風は似通っており、両方とも特殊設定を好み、過激なエログロ描写をウリにしています。
本作は連続殺人鬼のタクシー運転手を描いた表題作他、映画化もされ賛否両論物議を醸した『無垢の祈り』など、性善説を真っ向から否定する胸糞悪い話を詰め合わせた短編集。
白井智之が紡ぐビザールな世界観が好きならきっと波長が合います。
- 著者
- 平山 夢明
- 出版日
- 2009-01-08