皆に慕われていた高校教師の飛び降り自殺から幕を開ける桜井美奈『私が先生を殺した』。彼が担任を務めていた3年生の教室の黒板には、「私が先生を殺した」とチョークで書き殴られていました。本作はその教師・奥澤潤の教え子たちの視点から事件の経緯を綴り、誤解と行き違いが生んだ、切ない真相を炙り出していきます。 今回は桜井美奈の傑作青春ミステリー、『私が先生を殺した』のあらすじと魅力をネタバレ込みでご紹介します。
ある日の昼休み、避難訓練の真っ最中の高校。校長のスピーチに退屈した生徒たちは各々欠伸をしたり友達と喋ったり、退屈な時間をやり過ごしていました。その矢先、偶然屋上を仰いだ女生徒が素っ頓狂な声を上げます。
「ねえ……あそこに誰かいない?」
女生徒の叫びに応じて一斉に顔を上げた生徒たちが見たのは、立ち入り禁止の屋上の縁にたたずむ教師・奥澤潤の姿でした。教職員や生徒たちが血相変えて制止するも時既に遅く、屋上から身を投げた奥澤は校庭に墜落しました。
奥澤の飛び降りを目撃しパニックに陥る一同。
その後集会はお開きとなり生徒たちは教室にて待機を命じられますが、奥澤が担任として預かっていた3年生の動揺は一際激しく、泣き崩れる者が続出しました。
実は奥澤は放課後の教室で女生徒と抱き合ってる現場を盗撮され、少し前に担任を外されていたのです。彼の飛び降りはSNSに動画を拡散されたのを苦にした自殺と思われました。
意気阻喪して教室の敷居を跨いだ教え子たちは、奥澤の死がれっきとした他殺であり、これが殺人事件であると見解を改めます。
なぜなら……『私が先生を殺した』と、犯行を自供するメッセージが黒板に残されていたのです。
奥澤を殺した犯人がこの中にいる……?
生徒たちの間に渦巻く疑心暗鬼。次々と浮上する容疑者。
砥部律は受験を控えたクラスの問題児で迷惑行為の常習犯。暇さえあればスマホをいじりSNSのチェックを行い、奥澤の盗撮動画を一番初めに拡散し、炎上を企てた張本人でもありました。
黒田花音は成績優秀な優等生。家庭の事情で指定校推薦を狙い、奥澤にもお墨付きを貰っていたものの、突如としてその決定を取り消され沈んでいます。思い余って準備室に乗り込み、奥澤に直談判するのですが……。
百瀬奈緒は二年の頃から奥澤に片想いし何かと付き纏っていました。他教科の成績がパッとしないのに英語だけよくできるのは、奥澤に褒めてもらいたくて頑張ったから。
ですが奥澤は花音の気持ちに応えてくれず、その他大勢と同じ節度をもって接します。花音は次第に彼への気持ちを拗らせ、奥澤が気に掛ける一部の生徒に嫉妬を燃やし……。
小湊悠斗は裕福な医者夫妻の次男。両親は医学部への進学を希望していますが、本人は努力を嫌い、そこそこの大学で妥協することを望んでいます。にもかかわらず夏休み明けのある日、ベテラン教師の永束晃治から志望してない指定校の推薦枠に入ったと告げられ、戸惑いを禁じえません。
錯綜する人間模様の果てに浮かび上がる驚愕の真実。奥澤を殺した犯人は誰で、何を意図してメッセージを残したのでしょうか?
ーー登場人物紹介ーー
桜井美奈『私が先生を殺した』はミステリー仕立ての青春小説。本作には物語の核心部分に直結する、ある叙述トリックが仕掛けられています。即ちタイトルからしてミスリード、一種の信用ならざる語り手ものとして解釈できます。
本作の憎い所は奥澤の教え子から教え子へ、語り手がリレーしていく構成の巧みさ。砥部→花音→奈緒→小湊と視点が移り変わるうちに、読者は次々と意外な真相に突き当たり、点と点が結ばれ線になる快感を味わえます。
奥澤は誠実な教師でした。生徒に手を出すことなど断じてありえません。そんな彼が何故放課後の教室で教え子と抱き合っていたのか?相手の女生徒は一体誰で、その光景を盗撮しネットに拡散したのは何者なのか?
さらに奇妙なのは生徒や同僚に問い詰められた奥澤が、一貫して黙秘を続けていること。黙っていても自分の立場が悪くなるだけなのに一切釈明せず、担任を外されてからも学校に出勤し続ける態度は矛盾していました。
作中に散りばめられた謎がフックとなるのは勿論ですが、特筆すべきは語り手となる高校生たちの等身大のリアルさ。
受験生なのに毎日スマホばかり見ている砥部、奥澤の一番になることしか考えていない恋愛脳の奈緒、指定校推薦がとれるかどうかで常に頭が一杯の花音、そこそこの大学に進んでそこそこの人生を送りたい小湊……。
全員が「いたなこんなヤツ」と思わせる造形をし、「ていうか俺(私)じゃん」と読者を我に返すリアリティーを持っています。
あなたが高校に通っている、もしくは嘗て通っていたなら、必ず四人のうち誰かに感情移入してしまうはず。さらに妄想を逞しくすれば、社会に出てないからこそ許される甘い考えや青臭い言動に直面し共感性羞恥に駆られるかもしれません。
本作は承認欲求や誤解をもとに彼等が犯した過ちすらもボタンの掛け違いが生んだ悲劇として軟着陸させ、エピローグの卒業式の余韻で中和する、ヘイトコントロールの上手さが群を抜いています。
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- 著者
- 桜井 美奈
- 出版日
前段で本作に仕掛けられた叙述トリックに言及しました。それは「私」の一人称に纏わるトリック。結論から延べると、「私」の正体は奥澤潤だったのです。
砥部→花音→奈緒→小湊と交代してきた物語の最後の語り手は、他ならぬ奥澤本人でした。わかりやすく並べると砥部→花音→奈緒→小湊→奥澤(十年前)→奥澤(現在)となり、解答編の前に過去の話が挟まれます。
当時の奥澤の担任は永束。
高校生の頃の彼は砥部と小湊を足して割ったような不真面目な生徒で、適当な大学に行く以外、卒業後の進路さえ明確に決まっていませんでした。しかし「未来の生徒の為に」と準備室を整理する永束を手伝ったことで、教師に対するイメージを改めます。
そして十年後……懐かしの母校に赴任した奥澤を待ち受けていたのは、校長と永束が手を組んで保護者から賄賂を受け取り、指定校推薦の枠を斡旋している事実でした。素行と成績にまるで問題のなかった花音が指定校推薦を取り消されたのは、小湊の母が永束と校長に金を渡し、指定校推薦の枠に息子を押し込んだからだったのです。
黒幕の横暴はまだ尽きず、不正を告発すると申し立てた奥澤を隠しカメラで盗撮。不祥事を捏造したのち、「解雇されたくなければ大人しく従え」と脅します。奥澤と抱き合っているように見えた女生徒は、勉強を教えてほしいと偽って彼を呼び出し、一方的に縋り付いた奈緒にほかなりません。
尊敬していた恩師の裏切りと堕落、教え子の策略と不純異性交遊の冤罪……ここまでされてもなお不正の証拠集めをやめず、反撃の機を窺っていた奥澤にとどめを刺したのは、完全に開き直った永束の一言でした。
「お前だってそうじゃないか」
奥澤は人一倍責任感と正義感が強い人間。プライベートでは「僕」、教師の時は「私」と一人称を使い分けるこだわりからもそのポリシーが伝わってきます。
だからこそ十年前、当時は存命だった父が多額の賄賂を貢ぎ、息子の為に指定校推薦の枠を「買った」罪の意識に耐え切れませんでした。
花音の頑張りを間近で見て境遇を理解していればなおのこと、彼女と同じ立場の生徒を無自覚に蹴落とし教壇に立ち続けた卑劣さや教え子に道徳を説き続けた罪深さ、教師失格と同義のアイデンティティークライシスに打ちのめされます。
奥澤の死は他殺にあらず自殺、黒板のメッセージは殺人犯の自供にあらず遺書でした。
自ら知らずして不正に与した「奥澤潤」と断じて不正に肯わない「奥澤先生」……。
最後の最後に「私」の一人称を選び取ったのは、「教師」として幕引きを望む精一杯の抵抗にして、教え子たちに身を賭して示した生き方の「お手本」だったのではないでしょうか。
- 著者
- 桜井 美奈
- 出版日
桜井美奈『私が先生を殺した』を読んだ人には朝井リョウ『桐島、部活やめるってよ。』をおすすめします。
本作は第22回小説すばる新人賞を受賞した朝井リョウのデビュー作。
男子バレーボール部のキャプテン・桐島の突然の退部を巡り、接点のない同級生5人の日常にささやかな変化が起こる模様を描くオムニバスで、瑞々しい心理描写が秀逸な青春小説の金字塔です。
- 著者
- 朝井 リョウ
- 出版日
- 2012-04-20
- 著者
- ["桃森 ミヨシ", "佐藤 ざくり", "斎藤 ジュリア", "やまもり 三香", "姉森 カナ", "朝井 リョウ"]
- 出版日
続いておすすめするのは初野晴『退出ゲーム』。吹奏楽部所属の幼馴染同士で、共に顧問の先生に恋するハル&チカのコンビが、学園の内外で巻き起こるさまざまな事件を解決していく日常ミステリーです。
社会に抑圧される子供の悩みと世間に揉まれた大人の悩み、双方をバランスよく取り上げるフェア精神が好印象。やるべきことの軸がブレない、ハル&チカのポジティブさも素敵です。
- 著者
- 初野 晴
- 出版日
- 2010-07-24
- 著者
- 初野 晴
- 出版日