この間現場でスタッフさんに、「岡山さんって、よく夜に〇〇の辺り、走ってませんか?」と自分が数年前まで夜にランニングをしていた具体的な地域を言い当てられてビビる。ちなみに川沿い。
そのスタッフさんは今回の現場で初めてご一緒した方で「それもっと最初に言ってくださいよ〜」とかライトに返してたら「最初触れて良いのか分からなくて。だってあの、あの走ってる時にいつも肩から下げてた『本日の主役』ってたすき?あれは何なんですか?」と返されて、あ、それは全然俺じゃないかも、と思い直した。
「それって誕生日の人とかが着けるやつですか?てか何すか?それ。そんなのランニングの時に着けて走る訳ないじゃないですか(笑)」と、相手の冗談を一蹴してやり取りを回収しようと試みたものの「え?いっつも掛けてませんでした?見間違いかな?いっつもジャージで、でもたすきはいつもおんなじ物だから。あれ、たすきも何着か着回してるんですか?」と真顔で返されてしまった。
確かに走る時はいつも日毎のジャージを着ていて、でも『本日の主役』たすきは持っていない。と言うか、あれを実際に着けている人を生活の中で見かけたことが無いし、そもそもあれの売り場を目撃した事すら無い気がする。
何よりあれを着けようという思考を、俺がこれまで蓄積してきたインプットのバリエーションでは生み出す事ができない。例え実際にその日の主役が自分であろうとも。
しかしその後のディテールに注力したお互いの意見のすり合わせの結果、その時々で俺が着ていたジャージは確かに俺の自宅の収納に今も仕舞われている物達で、ただたすきの存在だけがどこにも根拠を見いだせず、俺は足元から少しだけ宙に浮いた様な居心地の悪さの中で、その日は自分に任された仕事を済ませて帰った。
その時期もその場所もその時着ていたジャージも、まごうことなき俺を指し示す物で間違いはなかったが、その「たすき」の存在だけが圧倒的に実際の俺からはかけ離れたまま、少なくともそのスタッフさんにとっての俺は、時々夜の河川敷で主役になる人という側面を保ったまま今でも補完されてしまっている。
それから数日後、地元の友達と餃子が有名な店で餃子をつついていたら「そう言えば天音、リコーダーの音階全部口で再現するモノマネ完成した〜?」と振られ、その時も椅子に座っている自分の足元が少しふわふわと浮き上がる予感がして身構えた。
「…リコーダー…が何?えっと…?」
「え?こないだセコマで会った時言ってたじゃ〜ん。リコーダーのモノマネ。完成させる為に毎日10分でも良いから取り組む様にしてるって」
そんな英会話みたいな感覚でリコーダーの音色の再現を自らに課したおぼえはなかった。
重複になるが、自分がこれまで培ってきた人生経験からではそれに至る発想を、俺が俺に差し出せるはずがなかった。
「リコーダー…?あぁ〜…セコマの時?モノマネは好きだよ?モノマネは好きって言ったかも知れない。でもリコーダーのモノマネって…何?」
「えぇ〜?…楽しみにしてたのにぃ〜」
それは友人の、俺がモノマネ好きという言葉の捻じ曲がった拡大解釈が引き起こした食い違いなのか、それとも、実際に俺が彼にリコーダーの声帯模写を自分のものにしてみせる等の決意表明を掲げたが、その記憶が俺の頭からは完全に抹消されてしまったが故の食い違いなのか、真相は永遠に闇の中なのだが、お互いの現実は寄り添い合う事なく、それぞれの現実として二通りの現実がこの世に存在してしまっている。
それからも数度、自分と他者の間における印象の齟齬、身に覚えの無い『相手にとっての俺』を報される機会があり、やがてその機会が訪れる間隔は狭まり、先月なんかは毎日の様に『その人にとっての俺』と出くわす、ターニングポイントの月となった。
ある時は「いつからスライム集めてるの?」
またある時は「天音って窓の外ばっか見て全然会話に参加しない時あるからさ」
「ネイル辞めちゃったの?」「岡山さんって何か考える時一瞬白目になるじゃないですか」「天音くんどこ行っても誰かのインスタ用の写真撮ってあげる係頼まれてて不憫だよね」「嬉しくなると相手が怒るまでくすぐり続ける癖やめなよ」「象が踏んでも壊れない」「ストローの袋に水垂らしていもむし〜」
昨日も母親から
「最近、町中に架空の指名手配書貼ってない?知り合いに貼ってるとこ見たって言われたんだけど」
と電話越しに伝えられて俺はいよいよ人格崩壊を催しそうになったが、それを持ち堪えた先に今のこの文章がある。
ドッペルゲンガー的なそれでは無い。
でもそれをしたのは俺じゃ無い。
その時そこに居て、その場所に居たのは確かに俺自身なのだが、相手が受け止めた俺は、俺が認識している俺とは全くの別人で。
俺はそういう俺として、その人の中に印象付けられ、育まれ、その文脈の先で再会した実際の次の俺と接続され、継続して行ってしまう。
もちろん自分自身の事は自分自身が所有しているつもりで居たが、なんだかそれを勝手に分割され、別のそれぞれの他者へと配られ、俺の領域外の俺が、誰かの手元に携帯されている様な心許なさを感じる。
とあるスタッフさんの言葉を皮切りに、体が宙に浮き上がって浮き上がって返って来ない毎日を過ごす、俺の明日はどっちだ?
※この岡山天音はフィクションです。実在する岡山天音は、実在する岡山天音ですか?
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