2025年度本屋大賞で4位に輝いた山口未桜『禁忌の子』。第三十四回鮎川哲也賞を受賞後は「週刊文春」ミステリーベスト10の3位にランクインするなど、新人作家の小説としては異例の快進撃を続けています。今回は生殖医療の功罪を掘り下げ、人間の尊厳を問い直す『禁忌の子』のあらすじや魅力を、ネタバレありでご紹介していきたいと思います。

主人公の武田渡は兵庫市民病院に勤務する救急医。日々の仕事に忙殺されなら妊娠中の愛妻・絵里花と仲良く暮らしています。
ある日の深夜、武田の勤務先に身元不明の男性が搬送されてきました。名前がわからない為、その男性には便宜的に『キュウキュウ十二』の番号が付けられます。
当直の武田や看護師は懸命に蘇生措置に当たるものの、『キュウキュウ十二』は結局息を吹き返さず、数分後に死亡が確認されました。
奇妙なことに遺体の顔は武田と生き写しでした。
武田は一人っ子で兄弟なんていません。赤の他人のはずの遺体『キュウキュウ十二』が何故自分と酷似しているのか……得体の知れぬ胸騒ぎに駆られた彼は、同じ病院に勤めている中学の元同級生・城崎響介に相談を持ちかけました。
城崎は眉目秀麗の優秀な医師ですが、生来他者の感情や痛みがよくわからず、極端な合理的思考を以てしか物事に取り組めない欠点を持っていました。そんな城崎だからこそ武田は信用し、逐次情報を共有しながら事件を追いかけ始めます。
その過程で徐々に明らかになっていくのは武田自身の出生に纏わる衝撃的な秘密でした。
調査の途中、事件と関係あると睨んだ不妊治療クリニックを訪ねた二人。しかし面会の予定を組んでいたベテラン産婦人科医が密室で殺され、事件は混迷の様相を呈していきます。
はたして武田と城崎は密室殺人の謎を解き、『キュウキュウ十二』の正体に辿り着けるのでしょうか?
登場人物紹介
- 著者
- 山口 未桜
- 出版日
作者の山口未桜は1987年生まれの43歳、現在未就学児を育てながら病院で働く女性勤務医。有栖川有栖創作塾出身で、『禁忌の子』は商業デビュー一作目となります。
デビューに至る詳細な経緯はWeb東京創元社マガジンのnoteに掲載されているので、興味がある方はご覧ください。
本作は『謎解きはディナーのあとで』の東川篤哉、『アンデッドガール・マーダーファルス』の青崎有吾、『メルカトル 翼ある闇』の麻耶雄嵩ら、錚々たる顔ぶれの審査員に満場一致の絶賛を受け第34回鮎川哲也賞を獲得。
2025年本屋大賞では第4位にランクインし、SNSで活動中のブックレビュアーけんごや、女優の宮崎美子もYouTubeの動画で宣伝しています。
YouTubeにはけんごとの対談動画もアップされています。
本作の見所は頭脳明晰&冷静沈着な天才医師・城崎響也と、熱血一途な救急医・武田渡の凸凹コンビが、謎の遺体『キュウキュウ十二』の真相に迫っていくバディミステリーであること。
武田は気難しくて敬遠されがちな城崎の唯一にして最大の理解者であり、城崎も愚直なまでにひたむきな武田に協力を惜しみません。クールビューティーな知性派とアクティブな人情派……対照的な二人を結び付けるブロマンスな絆が、ストーリーへの没入感を高めてくれます。
……が、城崎は決して冷たい人間ではありません。クライマックスで彼が下すある決断は、司法的正義より人道を重んじる医者としても、人の可能性や善性を信じる一個人としても大変納得が行くもの。
医者や患者のエゴが悲劇を招く生殖医療のタブーにメスを入れる本作は、ともすればシリアスで重苦しい雰囲気が続き心が鬱々としますが、登場人物に備わった清濁併せ呑む人間的魅力が、社会派エンタメとしての強度を上げているのは間違いありません。
- 著者
- 山口 未桜
- 出版日
本作の結末は賛否両論、amazonレビューからしてきっぱり肯定派と否定派に分かれています。何せ真犯人が裁かれません。これにはちゃんとした理由があります。中川信也の死は実質自業自得であり、真犯人は彼に逆恨みされた絵里花だったのです。
実は武田と絵里花、中川信也は三ツ子でした。
彼等は不妊治療の実験で生まれ、お互いの存在を知らないまま、それぞれ別の家庭に引き取られたきょうだい。
真っ当な両親に愛され幸せな幼少期を送った武田や絵里花に反し、養父母に理不尽に憎まれて激しい虐待を受けた信也の内面は歪んでしまいます。これが悲劇の根源でした。
まず挙げたい注意点として、妊娠中の方や小さいお子さんがいる方には刺激が強すぎるかもしれません。まだ3歳の信也が父親に暴行されるシーンは胸が痛く、絵里花が大人になった信也に脅され、妊婦の身で性的暴行を受けるくだりは正視に堪えかねます。
それ以上に物議を醸すのが、武田と絵里花が実の兄妹だったということ。
禁忌の子とは絵里花のお腹の子、兄と妹の近親相姦で出来た子供に他なりません。お互いの存在を知らず結ばれたといえど、倫理的には許されない存在……。
禁忌の子=武田自身と刷り込まれていた読者は、華麗なるミスリードに見事だまされた驚きと共に、タイトルに込められた戦慄の真意、皮肉なダブルミーニングに打ちのめされます。
されど城崎は名探偵である前に一人の医者、他者の尊厳を重んじる一人の人間でした。
「真犯人が罰されないなんて納得いかない」「近親相姦で生まれた子なんて不幸になるだけ」と一部の読者がモヤモヤするのは事実。
生理的に無理、受け入れられないと断じる方もいます。
本当にそうでしょうか?
大前提として生まれてくる子供には何の罪もありません。親の事情など全く預かり知らぬこと。同様に親になる資格など誰にも存在せず、産んだ責任を果たす覚悟だけが求められます。
世間的にタブー視される出自であれ、親や親に準じる人々がきちんと愛情を与え、その子の誕生を祝福できるなら未来は明るいはず。
武田と絵里花なら我が子が障害や病気を持って生まれようと全力で守り育てるでしょうし、仮に家が裕福でも、親の虐待が原因で屈折してしまった信也の救い難い末路は反面教師になります。
城崎は名探偵であって刑事ではありません。彼のモチベーションは真実を知りたい欲求と、自分には理解不能な人の心の機微を解き明かす営為に尽きます。
故に真犯人を裁いて罰する意図は非ず、最初から最後まで行動方針がブレない一貫性が際立っていました。
美しすぎる結びの一文を読んだ人は、必ずや感動すると断言します。
- 著者
- 山口 未桜
- 出版日
山口未桜『禁忌の子』を読んだ人には秋谷りんこ『ナースの卯月に視えるもの』をおすすめします。
本作は病院勤務のナース・卯月が、死を前にした患者が視る「思い残し」の足跡を辿っていく、ハートフル医療ミステリー。シリーズ累計10万部を突破した人気作でです。
長所はするする読みやすい文章と丁寧な心理描写。『禁忌の子』ほどシリアスに寄ってないので、ライト文芸を中心に読んでいる方には特におすすめ。仕事に悩む卯月と患者の関わり方、将来的な成長にはじんわりしました。
- 著者
- 秋谷 りんこ
- 出版日
続いておすすめするのはドラマ化・映画化もした医療ミステリーの金字塔、海堂尊『チーム・バチスタの栄光』。第4回『このミステリーがすごい!』大賞を受賞した作者のデビュー作です。
愁訴外来担当の冴えない中年医師・田口と傍若無人なロジカルモンスター・白鳥コンビの活躍は痛快の一言。他にもエキセントリックなキャラクターが多数登場し、ページをめくる手が止まらないノンストップエンタメ小説。
読み終わる頃には貧乏くじを引きまくる田口と、ゴキブリのようにしぶとく図太い白鳥が好きになっているはずです。
- 著者
- 海堂 尊
- 出版日