吾輩は猫になりたかった。名前なんかいらない。
私がこれまで見知ってきた猫たちは「解放」そのもので、私たち人間が守らなくちゃいけない「規範」、ぐちゃぐちゃに絡まって重くなってダマみたいになってゆくそれを横目に、どうでもいいあくびで日向の中の暖かな時間を居眠りに費やした。
でもどんなに猫に憧れて外側から眺めてみても、私が猫に成り代われる奇跡なんて永遠に訪れない訳だし辛い。それで私には猫以外に何か、目を逸らせる別の対象を探す必要があった。
私は生活の中で壁につき当たった時、その壁の前でだらだらと悩みを延長するのではなく、だったらば次に自分は何をすべきなのか、そこに考えをスイッチできる高次の知性を備えていた。周囲にはあまり知られていないが実は私は賢いのだ。昔から色々な本を読んでいて、だから実際的に、賢かった。
あと、みんなうるさい。
同級生達はなにかにつけ、男子、とか、あの子たち、とか、とにかく他者を属性ごとに括って考えたがるけど、私からすればそんなんどうでもよくて、一人一人が異質な「その人なりの面倒くささ」を体のうちにパンパンに内包しているに過ぎなくて、そのパンパンの体で狭い校舎内を行ったり来たり、自分に接近したり遠ざかったりされるもんだからうざったくてうるさくて、気持ち悪い。
全員どっか行けって。
でも私の世界からみんなが消え去る、なんて事は実際的には起きない訳だし。
じゃあ私がどっかに行くしかない訳だよな。
皮膚にチクチク刺さる日常の日差しから逃げ込む庇(ひさし)として、あの近所の教習所を選ぶとしたら、それは、なんか良い気がした。
学校から遠回りして帰る道中に時折出くわしては、立ち止まってフェンス越しに所内のコースを眺める。
実際の街なかの道路を模倣して作られたはずのそれらは、でも実際のそれと比べるとどこか間が抜けていて滑稽で、なぜか素通りできない存在感に袖を引かれては、私はそこに毎回少しだけとどまった。
反射して見えづらい車窓の奥でハンドルを握る人たちの表情もウケる。
良い大人が、海の真ん中で自前の浮き輪だけが頼り、みたいな感じでハンドルにしがみ付いている。
それでこのフェンスの向こうには非日常がある事を、私はどこかで感じ取っていた。
角ばかりが立つ私の日常を、この場所なら少しは小馬鹿にしてくれそうな気がして、ぼーっとしながら入所手続きを済ませた。
取得する免許は車でも良かったんだけど、値段が全然違ったからバイクの免許にした。別に何か選びたい乗り物がある訳じゃなかったし、とにかくこの教習所の中に紛れ込んで、自分の沈んだ気分を少しでもマシにさせれたらみたいな理由で通い始めたから、それにした。
あとは家に父のバイクがあった。
車もあるけど、あれは大きくて四角くて、免許を取ったとして仮に乗ってみたくなった時、あの四角に勝手に一人で乗り込むのは、なんだか億劫で嫌だった。
夏手前の閑散期で、教習はいつでも、向こうの都合に振り回されずに予約が取れて、これから混み始める前に免許を取り切れちゃったら良いなとか一瞬思ったけど、思ってから、取れたとして、それが何なの?とも思ったから、全然だらだらやっていた。
放課後や予定のない休日の宙ぶらりんな体は、教習所に向かって山なりに投げ込まれる日々に変わった。
一日のうちに入れた教習と教習の間にぽっかりと時間が空くことがたまにあって、そういう時は二輪免許の受付の椅子に座って本を読むか、教習所のコースをぼんやり眺めて過ごす。
コース内はそれぞれの場所に丁目が振り分けられていて、S字クランクのある辺りには一丁目の標識、踏み切りの場所には二丁目、信号は一丁目と三丁目の標識のそばにそれぞれあって、教習生はその場所ごとの交通ルールに沿って運転をこなし、課題の区切りごとにコースをぐるり囲む外周に出ては、それを一回りしてから次の課題に取り組むなどした。
フェンスを跨いで見る教習所もやっぱり、私たちが暮らす本物の街のそっくりさんでシュールだった。
あと外から眺めてるだけの時は知り得なかったけれど、教習所の地下にはゲーセンにありそうなバイクの筐体が置かれた部屋があって、シミュレーターと称する授業になるとそのバイクに跨って昔のパソコンゲームみたいな画面の世界を偽物のバイクで走らされる授業があった。
マジで嘘みたいな孤島の海沿いを周回させられたり、表情のない人々が行き交う街を走らされたり、偽物の街の地下では更なる虚構が待ち構えていて、何層ものコピーが折り重なった場所に、私たちは連れ込まれる。
三度目のシミュレーターの時に担当についた教官は前髪が長過ぎて表情がよく見えなかった。
他の教官はみな清潔感のある髪型ばかりだったので、運転には明らかに不向きであろうその前髪の長さがどうにも気になって、他の人がバイクに跨り感情の無い世界での運転に四苦八苦している最中、私は対岸のデスクに座る彼を密かに盗み見ていた。
教官はデスクに前傾になり、長い前髪を垂らしながらデスクに広げられたノートパソコンの方へと目を落とす。みなが画面に注目してると踏んでいるのだろう、しかし私はその教官からこそ目を離さなかった。前髪はノートパソコンを確認している体で、実は手元のスマホをいじっていた。パソコンの陰からスマホが覗いた瞬間を、私は見逃さなかった。
病院の先生とか、接客の態度を差し引いてもこちらが赴かざるを得ない場所に居る人って不遜な人が多くね?
バイクの操縦者が画面の中の駐車場へバイクを入れ終わり、その人の番が終了すると、その都度教官が今回の運転の振り返りを行う。
操縦者のおじさんは「うわちゃ〜…てんてこまいだな…」などと自分の運転の至らなさを茶化すように呟いていた。
前髪はおじさんが画面上の駐車場へバイクを入れる少し前にしれっと自分のスマホをデスクに伏せ、運転が終わると「そうですね〜こういった細かい不注意でおっきな事故に繋がっちゃうので〜」などとつらつら喋り出す。
ノートパソコンには、操縦者がその回のコース上のどこでミスをしたかの記録が残っているみたいで、前髪はそれを見ながら澱みなく喋った。スマホを見ていた癖に。前髪はもう何百回と、このミスに対する文言を繰り返し話してきたのであろう。その喋りはまさに脳を通さず自動運転で発せられる機械音みたいで、私の耳元を滑り、そのまま教室の外へと通り抜けて消えた。
「あとここですね〜、ここ死角になってるんですね。こういう思いも寄らない所からふと「呪い」が飛び出して来たりする時がありますんで〜」
のろい
今、呪いっつった?
「呪い」と聞こえたその言葉を分解して、「のろい」にしてバイクの運転にまつわる言葉の中に、その音と重なる言葉を探した。運転がのろいって事?とか一瞬思ってみたりしたけど、やっぱりそれは多分、「呪い」
「こういう死角があるバスの後ろだったり〜、はかなり注意が必要ですね〜」
前髪は別のことでも考えながら話しているのか、自分自身のミスには気づいてない様子で、で、教習を受けている私を含めた他数人も、バスの死角から唐突に飛び出してきた「呪い」に一様に足止めをくらいながらも、それを指摘できる関係性もモチベーションも、この教室には持ち込んでいなかった。
その後も教習の予約を入れていた私は、実際のバイクに跨ってコースを周回しながら、あの前髪の口から唐突に発せられた「呪い」という言葉の強さについて考えていた。
あの時、前髪が密かにスマホで読んでいた漫画が呪いに関する場面に突入していたのか、或いはあの時バスの死角から飛び出して来たのは人間では無く、あの感情の無い街の中では「呪い」が人の姿に化けて出てきた姿だったとでも言うのか。
帰りに受付のそばに張り出された教官の写真付きの名簿を眺めてみると、あの前髪の名前の欄には「岡山天音」と書かれていた。
写真は昔のものなのか、まだ前髪が短くて、今の姿と結びつけるのに手こずった。
写真に写る表情は、どこか陰を感じさせる今の印象とは異なっていて、この教習所に勤める中で、何かから光を奪われてしまった彼のことを思った。
あの教習所の中で時折、死角から飛び出してくる、人ではない「呪い」の存在に気付いた彼は、その「呪い」と目を合わせないが為に、シミュレーターの画面から目を伏せ、震える手で握ったスマホの画面に自分の視線を釘付けにさせていたのかも知れない。
前髪を伸ばし始めたのも、きっとそんな感じ。
結局、教習所が混みだす夏休みに少しはみ出しながらも、私は私に課せられた教習を淡々とこなし続け、夏のさなかにバイクの免許を取得した。
途中、何度かあの岡山と所内ですれ違ったが、あいつの陰鬱な教習を受ける機会は、あのシミュレーターの日以来なかった。
他の教官は、担当に就かれた後からは所内での出会い頭、「こんにちは」ぐらいの挨拶を交わすか、お互いに頭をペコっと下げたりしながらすれ違ったが、岡山だけがぬぼーっと私の横をただ通り過ぎて行った。
私はその都度、あいつにかけられた呪いが解かれ、また前髪を介さずに世界を眺められる日が来ることを、心の隅で祈った。
秋頃の土曜日に初めて自分でバイクに乗ったけど、流石に怖いが溢れてとめどなかったから、もういいや。
教習所の外に出て、どこまで進んでも引き返さない限り、見慣れた風景に戻らない事が新鮮だった。
教習所の外へと解き放たれても結局私は、次に紛れ込める「どこか」を探した。
岡山はまだ、縮こまった自分の魂をバイクに乗せては、後ろについて来る生徒たちにバイクの事を何度も何度も教えているのだろうか。
現実を模した模造品の町、その中をぐるぐる回り続ける。目的のないレプリカの交通ルールを遵守しながら。
客はバイクの乗り方を自分のものにすると、早々に教習所を飛び出す。
やがてまたバイクに触れたことの無い誰かが同じ数だけやってきては、まだ知らない事を教わっていく。そうやって教習所の内部は循環し、新陳代謝してゆく。
教官だけが同じ場所を、ぐるぐる回り続ける。
※この岡山天音はフィクションです。実在する人物・団体とは一切関係ありません。
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