2020年に第40回横溝正史ミステリ&ホラー大賞を受賞した原浩『火喰い鳥を、喰う』。2025年10月に水上恒司×山下美月×宮舘涼太共演による映画公開が決定した本作は、SFとホラーを掛け合わせた怪作として、出版以降話題を呼んでいます。 今回は横溝正史ミステリ&ホラー大賞最大の問題作として名高い、原浩『火喰い鳥を、喰う』のあらすじと魅力をネタバレありで解説していきます。最後までお付き合いください。

舞台は信州の旧家。主人公の久喜雄司は17年前に父の雅司を亡くし、現在は新妻の夕里子と母の伸子、高齢の祖父・保と三人で暮らしています。雄司と夕里子は高校時代から付き合っていましたが、彼女の他県進学をきっかけに一時期疎遠になり、そこから再会して復縁した経緯があります。
ある夏の日、久喜家の墓参りに向かった雄司たちは思いがけぬ光景を目撃します。棹石に刻まれた大伯父・貞市の名前と生没年が、何者かの手によって削り取られてしまっていたのです。
没年月日:昭和二十年六月九日享年二十二歳……棹石には本来そう書かれているはずでした。
犯人の正体はおろか動機さえ思い浮かばず、蝉時雨が降り注ぐ墓の前で困惑する一同。行きに見かけた小さい女の子が関係あるとも思えません。
貞市は保の年の離れた兄に当たる人物で、太平洋戦争中にニューギニアで戦死しており、雄司自身は会ったことすらないと夕里子に話します。
数日後、地元紙「信州タイムス」の記者である玄田と与沢が家を訪問。彼等の目的は終戦記念の特集記事の取材で、パプアニューギニアで発見された、亡き貞市の従軍日記を持参します。
夏季休暇中に遊びに来ていた夕里子の弟・瀧田亮も興味を示した為、皆で居間に集い日記を読んでいくと、6/9で記録は途切れていました。すると亮が突然の放心状態に陥り、日付のみが記された最後のページに、謎めいた文章を書き込み始めます。
「火喰鳥ヲ喰ウ。美味ナリ。」
その後雄司の周辺では不可解な事件が相次ぎ、夕里子の様子がおかしくなり始めます。夕里子は人の思念を感じ取る能力を持ち、貞市の形見の手帳に染み付いた、禍々しい怨念を幻視していたのでした。
取材から3日後、保が突然失踪。さらにはマラリアに罹患した玄田が手首を切り、事態の深刻さを痛感した雄司は夕里子と相談の上、彼女の学生時代の友人・北斗総一郎に連絡を取るのですが……。
登場人物紹介
- 著者
- 原 浩
- 出版日
原浩『火喰い鳥を、喰う』は2020年第40回横溝正史ミステリ&ホラー大賞受賞作。
審査員のミステリー作家・辻村美月が「謎への引き込み方が見事。読了後は心地よい酩酊感に襲われました」、同じく審査員の有栖川有栖が「恐怖と謎がしっかり絡んでいる。これこそミステリ&ホラー大賞にふさわしい」と絶賛し世に出ました。
2025年10月に水上恒司×山下美月×宮舘涼太共演による映画が公開決定。カドコミでは倉一ひや作画担当のコミカライズが連載中です。
作者の原浩は現在ホラーミステリージャンルで活躍中。他の著作は『やまのめの六人』『蜘蛛の牢より落つるもの』『身から出た闇』など。
- 著者
- 原 浩
- 出版日
- 著者
- 原 浩
- 出版日
- 著者
- 原 浩
- 出版日
本作『火喰い鳥を、喰う』は信州の田舎を舞台にしたホラー小説。物語の導入で久喜家の墓が壊されたのち、地元紙の記者によって届けられた大伯父の日記が、雄司たちの日常に波紋を広げていきます。
注目してほしいのはSFとホラーを掛け合わせた設定と、冒頭から巧みに仕込まれたミスリード。
最初にある悪夢の光景が描写されるのですが、「この夢を見ているのは誰なのか?」が、物語全体の謎を解き明かす重要な鍵となります。
全ての真相を知ってから読み返すと、不条理な悪夢が孕むメタファーの答え合わせが出来て、伏線が回収される快感を覚えました。
ニューギニアで戦死した大叔父(祖父の兄)の従軍日記が、キーアイテムとなっているのも面白い点。
熱帯の密林で遭難した貞市たちが食糧難から飢餓に苦しみ、熱病と幻覚に苛まれながら行軍を続ける様子は悲惨の一言。
その最中に唐突に出てくる一文、「火喰イ鳥ヲ喰ウ 美味ナリ。」はシンプルでありながらインパクト絶大で、皆まで語り尽くさぬ余白に漠然とした不安が拭えません。
ヒクイドリの和名は「火喰鳥」、喉の赤い肉垂が火を食べているかのように見えるのが命名の由来です。
人気イラストレーター・もの久保の描き下ろし表紙では、ぎょろっと目を剥いた顔がいかにも恐ろしげ。
インドネシアにも生息しているのは確かなものの、貞市の日記には譫言と幻覚が入り混じり、本当に火喰い鳥を捕まえて食べたかは疑わしいです。
ならば彼は何を食べたのでしょうか?
勘の良い方なら既にお察しでしょうが、本作は南方戦線にて日本兵の一部が犯した、人肉食(カニバリズム)の罪に言及しています。
火喰い鳥は人肉の隠喩に他ならず、貞市の思念が憑依した亮は、「死んだ仲間の肉を喰った。美味かった。」と告白しているのです。
生き延びたい一心で下した究極の決断とはいえ、仲間の肉の味を『美味ナリ。』と結ぶ所に、飢餓の苦しみが高じた狂気を感じます。当時の日本兵の様子を詳しく知りたい方は、大岡昇平『野火』をぜひ読んでください。
夕里子は貞市の手帳を指し、「凄まじい生への執着が染み付いている」と怯えました。作中でストレートに「怨念」と表現されるそれは、久喜一家を惨劇の渦中に陥れ、雄司の運命を決定的に歪めてしまうのでした。
- 著者
- 原 浩
- 出版日
本作の見所はSFホラーミステリーである点。キーパーソンは久喜貞市と謎の少女、そして北斗総一郎です。
太平洋戦争で死んだ貞市の名前は何故墓から削り取られていたのか?
雄司が繰り返し目撃する謎の少女は誰なのか?
以上の真相に辿り着いた読者は、作中にちりばめられた伏線の周到さに、必ずや驚愕すると断言します。
雄司・夕里子・総一郎のドロドロ三角関係の行方も見逃せない点。
総一郎は夕里子を運命の人と信じていますが、夕里子自身に全くその気はなく、ストーカー紛いの執着を疎んじて避けています。雄司も総一郎を警戒しているものの、オカルトに詳しく頼れる当てが他にないので、夫婦ともども助けを求めました。
結論から述べれば、本作は「想いの強さが分岐を剪定する話」。もしくは「想いの強さが未来を選定する話」と言い換えられるかもしれません。
ネタバレしてしまうと本作は貞市の生存ルートと死亡ルートで分岐した平行世界の話で、死亡ルートの視点人物が雄司、生存ルートの視点人物が謎の少女(=チヤコ)。
その双方の世界に関わっているのが最強のヤンデレ、北斗総一郎……。
彼は運命の人・夕里子を手に入れる為、貞市死亡ルートの世界で暗躍し、チヤコと組んで雄司の存在抹消を図ります。雄司を消して夕里子と結ばれるのが総一郎の最終目的でした。
チヤコにも雄司を消したい理由があります。それは何物にも代え難いお腹の子の存在。
貞市の生死を起点に分岐した世界は互いに共鳴し合って歪みを生じ、雄司とチヤコのどちらかが消えざるを得なくなります。
しかしお腹の子をどうしても守りたいチヤコは、平行世界の総一郎を介してこちらの世界の総一郎に接触し、亮を操ることで6/9以降の記述を手帳に書き加えさせたのです。
すると6/9以降も貞市が生きていたことになり、現実が書き換えられてしまいました。
これ以降雄司の周りでは次々と不可思議な現象が起き、遂には「17年前の自動車事故で父と自分が死んだチヤコの世界」に迷い込んでしまいます。
平行世界の分岐点は貞市の選択、死んだ仲間の肉を食べるか否か。
雄司世界の貞市が人肉食を拒んで餓死したのに対し、チヤコ世界の貞市は人肉を食べて生き延び、復員後に地元で結婚して子供を作りました。
チヤコは貞市の直系の孫に当たり、「なんとしても生き延びたい、生き延びて家族(我が子)に会いたい」と足掻く、狂おしい願いが祖父と共通しています。
翻り、それは「人の道を外れても叶えたい願いや成し遂げたい望みがあるか」に尽きるのではないでしょうか?
雄司は何も悪いことをしていません。
したがって彼が消える展開を理不尽に感じる読者もいるでしょうが、人や物に対する執着が薄く、人生のあらゆる局面において能動的に働きかけてこなかった主体性のなさこそが、最後の最後で明暗を分けたとも言えます。
実際に夕里子の他県進学をきっかけに自然消滅寸前まで行き、その現実を一度は「仕方ない」と受け入れたことを思い出してください。
雄司と結婚後も夕里子を諦め切れず、平行世界の自分と共謀までして手に入れようとした総一郎の執念深さ……ヤンデレの極みの愛情とは対照的ですね。
タイトルの「火喰い鳥」は人肉の隠喩から転じ、自分の幸せの為に犠牲にせねばならない、誰かや何かを指しているのかもしれません。
- 著者
- 原 浩
- 出版日
- 著者
- 原 浩
- 出版日
原浩『火喰い鳥を、喰う』を読んだ人には武田泰淳『ひかりごけ』をおすすめします。
本作は氷雪に閉ざされた北海で遭難した日本陸軍徴用船メンバー達が、知床岬の洞窟内で共食いに至るまでの過程を克明に描いたサバイバル小説。
昭和19年に北海道で起きた死体損壊事件をモデルにしており、史実だけが持ち得る透徹した迫真性と、極限状況下における倫理の是非を問い直す、深遠なテーマに絶句しました。
- 著者
- 武田 泰淳
- 出版日
- 1964-01-28
続いておすすめするのは大岡昇平『野火』。
敗色濃厚となったフィリッピン戦線で結核を患い、数本の芋と共に本隊を追放された田村一等兵。飢えと渇きに抗い野火の燃える原野を歩く彼の目に映ったのは、密林を埋め尽くす友軍の死体でした……。
田村一等兵は人肉食の禁忌を犯さず、最期の瞬間まで人間の尊厳を守り抜けるのでしょうか?
一人の平凡な男性の葛藤が胸を衝く、戦争文学の金字塔です。
- 著者
- 大岡 昇平
- 出版日
- 1954-05-12