定年後も読書熱冷めやらぬ元TVプロデューサー・藤原 努によるブックレビュー連載、第12回。AIとの対話に刺激され再読した村田沙耶香『コンビニ人間』、旧貴族の逸話から読み返す太宰治『斜陽』、紅白をきっかけに辿り着く松本清張『天城越え』。年末年始の偶然が導いた再読体験から、文学と人生が交差する瞬間をすくい上げます。

2025年は、僕にとってのAI元年と言っていい年になりました。
こんな仕事をしてきた人間なのに、遅ればせも甚だしく恥ずかしい限りです。
言い訳をしておくと数年前、ChatGPTが登場した頃、やってみて何だこんなものかと一旦思ってしまったのがいけなかった。時代はクソみたいなスピードで進んでいるのは何となく知ってはいながら、実感として自分に迫ってこなかったと言うか、いや何を言っても言い訳になりますね。
こんなこと書いてるうちにも、昨日までできないはずだと思っていたことが今日はできるようになっている可能性さえある。
だから、作家の村田沙耶香さんが、昨年の『文學界』11月号でAIの専門家・栗原聡氏と対談しているのを読んだ時の衝撃も、そこまで自分にも幾分できあがりつつあったAI耐性みたいなもののおかげである程度冷静ではいられました。ですがそれにしても村田さんのAIへの接し方は度が過ぎてて面白過ぎる。
この対談の中で、村田さんは、AIに対してクオリアについて何度も尋ねて、それは答えられないって言ってんだろ、と返されたと言っています。クオリア、つまり、痛み、とか、甘い辛い、とか、匂い、とか人間なら個人個人が自然に感じるものですね。確かにそれはAIには無理だろうとその時は僕も思ったのですが、そこから何ヶ月か経つと、いやクオリアもひょっとするとひょっとするかもなと思えてくるから不思議です。
この書評でも去年の第4回で村田さんの『世界99』についてその異常なまでの面白さについて書きましたが、その後この対談を読み、先月、自分が会員になっている読書会で、彼女の『消滅世界』という長編を読み、さらにそれが映画化されたものについても語り合うと言うのを経験しました。
- 著者
- 村田 沙耶香
- 出版日
- 2015-12-16
『消滅世界』も大変面白い小説だったのですが、それを映画化したものは、割と原作通り忠実に作られているように見えるにも関わらず、僕にとってはなぜかどうにもつまらない出来でした。
原作と映画の違いが何だったのか、僕なりに考えました。
原作は、この小説を書いている人(村田さん)がそこはかとない面白さを感じながら書いているような気がするのに、映画はただただその筋をシリアスに描くだけで、その世界観を作っている人が面白そうに感じていない、なんかそのように感じたことが理由ではないかと思いました。
そうこうしているうちに、年末になって新聞広告で、村田さんの芥川賞作『コンビニ人間』が、海外に翻訳されてすごく売れていると言うのを見て、あ、今こそ僕は『コンビニ人間』を再読すべきなのではないかと言う思いになりました。芥川賞受賞の時は全く知らない作家の作品として読みましたが、今では僕は村田沙耶香という小説家の何となくの性格とか文体とかを知って、いい意味での色眼鏡で彼女の作品を読める体勢になっていると思ったのです。
そして再読した『コンビニ人間』。
いやこれ、今さらですが面白過ぎる小説でしたね。
主人公・恵子の子どもの頃の記憶で、公園で死んでいる小鳥を拾って母親に向かって「今日、これを焼いて食べよう」と言うところからもうエンジン全開で、面白さ爆発なのです。この恵子さんの言動には、この人だけが持つであろう確固たる合理性みたいな原理があり、しかしそれは周囲の同調圧力からは到底認められることもなく、だけど彼女は持ち前の真摯な態度で淡々と生き抜いていこうとするのです。
こう言う小説を書く人だから、AIとのつき合い方もあんな風に大ブレイクするのか。村田さんは、きっとその持ち前の極端なまでの真摯さで、AIに何ができるのか、その限界を越える何かを見たくてたまらないのでしょう。先述の対談で専門家の栗原氏は、村田さんのような形でのAIへのアプローチを、<プロンプトインジェクション>と言うのだと説明していました。初めて聞く言葉でしたが、AIとの接し方について、これは自分的にも意識しておいたほうが良さそうに思えました。
村田沙耶香、これからも全く目が離せません。
- 著者
- 村田 沙耶香
- 出版日
- 2018-09-04
先月のクリスマスイブ。ここ数年いつも通りではあるのですが、僕は家の近くのバーの奥さんの焼くローストチキンを一人いただきながら聖夜を楽しんでいました。そこへ偶然、これまでも何度となく店で相席になり、なぜか割と芯を食った話をする仲になっている青年客がやってきて、どうやら最近彼女が出来たらしくその話をし始めました。
彼は僕と同じ誕生日で28歳年下の34歳。高校で音楽の先生をしている人なのですが、生徒からの受けなどもすこぶるよく多忙かつ順調な仕事をしている様子。でも偉そうにする、とか、知ったかぶりをする、とかそう言う俗物さもないので僕は若い男性に対しては珍しく好感を抱いております。
けれども一年ほど前に別の店でたまたま彼と会った時に、彼の生い立ちみたいなものを聞いて僕的にはなかなかの衝撃を受けたのもあって、彼女ができたと言う話に一抹の心配を覚えました。
と言うのも、彼は、旧貴族の伯爵家の出で、以前ウィーンに留学していた時に知り合った日本人女性と同棲までしていたのに、古い身分の違いを乗り越えられず別れた、と言う話を聞いていたからです。
その時の彼女は、そこそこの企業の社長さんの娘で当初は家柄も申し分なさそうに思えたのに、結局旧貴族に嫁ぐ人としてはステータスが足りなかった、と言うことらしいのですが、僕は正直、現代の日本でそんな事態が存在することに心底驚きました。
先ほど書いたように彼はちゃんとした常識もある青年で、そんなにお互い好き合っていたのなら、親の反対に合おうが何しようが自らの思いを貫けばいいと思いそうな人であるのに、旧伯爵家の現実の前にスッパリその愛を諦めたようなのです。
だからこのイブの夜、「藤原さんに、僕の彼女を紹介したいのでもう一軒行きませんか」と誘われた時、好奇心もいっぱいだったので近くの別の店に行きました。そちらも僕の行きつけの店で、従業員のバイトをしていたのが新しい彼女で僕も何となく顔を知っている人だったのですが、僕は心配になって、彼に小声で「ところで…」と尋ねようとしました。
すかさず彼は「今度はもう確認済みなんです。彼女は慶應幼稚舎から云々で問題ありませんでした!」と軽やかに答えたのです。
すごい!やんごとなき人たちとはこんな感じなのか!と素直に思いました。
そして同時に旧貴族の没落話というのが、何かあったなとふと思い始め、太宰治の『斜陽』にたどり着いたのです。
折しも数日前に、新潮社のホームページから『斜陽』の生原稿をプリントしたスウェットを何となく購入したタイミングでもありました。
ちなみに昨年の2025年が三島由紀夫の生誕100年で、三島を読もう空気が自分の中で少しブームになりつつあったのですが、その中で三島が、太宰の文学が大嫌いで、特に『斜陽』のことを無茶苦茶に批判していたという事実を知り、そんなに言うならやっぱり読み直さないとなあと思っていたのもあります。
再読してまず思ったのは、太宰という作家は、今の時代こういう形容詞を使うのは御法度であるのは知りつつ、でも他に浮かばないので言うと、<女々しい>と言うことでした。
物語としては、旧貴族の娘と母と弟の<ダメ>の魅力が横溢していて、このテのお話が大好きな僕には、三島を読むよりずっと楽しい時間であったことも合わせて告白しておかなくてはなりません。
ふと秋に買ったスウェットを見ると、そこにプリントされているのは、この物語の第七章の冒頭なので、もし『斜陽』を今読んでる最中の人が僕が着ているのを見たらネタバレになってしまう危険性もありますが、心が弱い甘ちゃん男子は、この作家自身と同じように安易に死を選んでしまうのですね。
でもこの小説の主人公であるかず子が好きになってしまう作家もまるで太宰自身であるようにも思え、それに惚れるこの主人公女性も、きっとこんな感じだったんだろうといいように推理して作ったようにも読めてしまいます。そういう作家の姿勢について考えを巡らせば巡らすほど、なんて<女々しい>、でも同時に三島由紀夫の天才的小説群の平均から見ても結局太宰のほうが面白いと思ってしまう僕は一体何なのか、とずっと考え込んでしまう年末になりました。
- 著者
- 太宰 治
- 出版日
『斜陽』を再読し終えた大晦日の夜、僕は京都市内のホテルの部屋で一人『紅白歌合戦』を見ていました。一年前までは宇治市にあった実家で妹と年越しをしていたのですが、その実家を去年売りに出したのもあって、妹とは元旦に京都市内の親の墓で落ち合うことになって久々に一人の年越しだったのです。
気づくと、石川さゆりが今年は『天城越え』を歌っていました。僕の記憶では彼女は毎年『津軽海峡冬景色』と交互に歌っているイメージなのですが、今年は『天城越え』だったかと聴き入ってるうちに、急に伊豆の旧天城隧道のあの長い暗くまっすぐなトンネルが思い浮かび、同時に松本清張の短編『天城越え』を読み直さずにはいられない気持ちになったのです。
太宰治からの連想で、同じ1909年生まれの松本清張のことをあの二人って同い年だったんだなあ、なんか意外、などとぼーっと思っていたこともその気持ちに拍車をかけました。
太宰も清張も今の日本での作家としての知名度はほぼ同等、でも受け止められ方は180度違うと言っても過言ではないと思います。
津軽の素封家に生まれた太宰は、経済的には恵まれた中で、ある意味高等遊民的に女性などともいろいろありつつ独自の文学世界を作り、38歳で女性と心中してしまいました。それに対して小倉のかなり貧乏な家に生まれた清張は、高等教育を受けることもなく労働を続け、作家としてデビューするのは、太宰が死んだ後の1951年。生まれた町を舞台に書いた『或る小倉日記伝』は、その2年後に芥川賞を受賞します。
- 著者
- 松本 清張
- 出版日
- 1965-06-30
太宰が生前、芥川賞が欲しくて欲しくて、川端康成に泣きついた話は有名ですが、それでも取れなかった賞を、清張が後年、割と難なく取ったのも僕には運命のいたずらじゃないかとさえ思えました。
で久々に読んだ『天城越え』。僕はもともと松本清張の短編のかなりのファンではあるのですが、この話も改めて秀逸だなと思わずにはいられませんでした。清張の小説は、基本的に一般社会からある意味落伍して拒絶されてしまったような人を軸に置くことが多いのですが、この話もそうで天城山に漂う感傷的な空気感も相俟って胸に迫ってきます。
調べたら、清張がこの作品を発表したのは1959年で、その2年前には愛新覚羅慧生(“ラストエンペラー”溥儀の姪)とその恋人の学習院学生との天城山心中事件が起きていました。
短銃でお互いの頭を撃ち抜くと言う凄惨さもあって当時メディアでもすごい報道がなされたようですが、その舞台として選ばれた天城山と言う場所に清張はきっと感傷的にも引っ張られたのではないか、そのように想像します。
小説『天城越え』の冒頭にもあるのですが、主人公は下田から天城山を越えて修善寺へと抜ける、南から北へ抜けるルートなのですが、これは川端康成の『伊豆の踊子』の主人公が北から南へ抜けるのと逆コースを強く意識したようです。あちらはある意味ほろ苦い若者の悲恋話ですが、こちらは恵まれぬ人間の救いのない後悔のような話。作家・清張が恵まれぬ人へ共感を覚えつつ、そう生きるしかその人にはなかった、みたいな思いを込めて書いたのが短い話の中に自分の琴線にも触れるように伝わってきました。
石川さゆりの歌にも出てくる天城隧道。数年前、初めてこのトンネルを歩いた時、えもいわれぬ感傷を揺さぶられた記憶が僕にもあります。
『天城越え』の少年は、あのトンネルを北へ向かって歩きながら、日常生活からささやかな脱却を図ろうと考えた。だからトンネルの丸い出口が近くなればなるほどそこには新しい世界があるような錯覚さえ覚えただろうと思うのです。
決めた。
春になったら僕も旧天城隧道を歩いて、60代のこれからの歩みについて感傷に浸ってみたいと思います。
- 著者
- 松本 清張
- 出版日
- 1971-10-02
※『天城越え』を含む短編7作を収録。
小川哲と東畑開人と岸政彦|辞職プロデューサー、渾身のブックレビュー#11
ジャンルも立場も異なる三人の書き手──小川哲、東畑開人、岸政彦。小説/カウンセリング/生活史という全く別の現場で語られる仕事論を読み比べるうちに浮かび上がるのは、「どうすればうまくやれるか」ではなく、ある共通の問いでした。元TVプロデューサー・藤原 努によるブックレビュー連載、第11回も、読後に残る知的疲労と静かな高揚をそのまま言葉にしてお届けします。
info:ホンシェルジュX(Twitter)
未来の「仕掛け人」のヒントになるコラム
華やかな芸能界には、必ず「裏方」と呼ばれる人々の試行錯誤の跡がある。その「裏方」=「仕掛け人」が、どんなインスピレーションからヒットを生み出しているのかを探っていく特集です。