本記事では、『会社売却とバイアウト実務のすべて』より、第2部「物語で学ぶあるオーナー経営者の会社売却」の一部を引用して掲載します。 VCから突然持ちかけられたM&A提案を前に、IPOか売却かで揺れる経営者の葛藤を、会話形式で描くパートです。事業承継やM&Aを“自分ごと”として考えたい経営者・起業家、意思決定のリアルを知りたいビジネスパーソンにおすすめです。

- 著者
- 宮崎 淳平
- 出版日
平井健治は2004年に28歳で起業して以降、様々な事業を社長として運営してきたこの話の主人公である。2007年よりまったく新しいFTアナライザー事業を開始、2008年の冬頃になると新商品の売れ行きも加速度的に上がっていった。平井は開発人員を強化したいと考え、VCに対して第三者割当増資を行うことで投資資金を獲得しようとした。複数のVCとの交渉を経て、ホライズンキャピタル(以下、「ホライズン」という)というVCから2回に分けて1億円の資金を調達し資本金を1.1億円とした。2017年3月期にはようやく売上高が30億円程度まで増加したが、翌期以降は市場ニーズの低迷によりあまり新商品売上が成長しない見通しとなった。FT社の事業モデルは、いわゆるストック型のビジネスモデル(※1)であることから、ある程度安定的な営業利益やEBITDA(※2)を確保することができたが、平井としては今後どうするべきかを悩むことが多くなった。
このような状況からこの物語はスタートする。FT社では投資家向けに毎月報告会を開催していた。2018年1月にも平素どおり前年12月分の報告会を終えたが、この報告会があった翌日、株主のVC、ホライズン代表取締役の渋谷が突然再度のアポイントメントを申し込んできた。スケジュール調整の結果、2月26日に面談日が決まった。
面談日が決定してから、平井自身はもしかしたらホライズンの持株売却の話ではないかと感じていた。なぜなら、ホライズンのファンドが2020年6月頃に満期を迎えるからだ。VCは持分比率が低く単独では売却しにくい場合が多いため、保有株をスムーズに売却するために一定の場合にオーナー経営者に対して同時売却を迫ることがある。これにより過半数を取得できる売却案件として有力な買収者候補を見つけやすくなるからだ。
2月26日午前10時、約束どおり渋谷が来社した。平井の挨拶からミーティングが始まった。ひと通りの世間話を終えたところで、本題に入るために渋谷が口を開いた。
渋谷 「平井さん、急なミーティング依頼で申し訳ない。単刀直入に申し上げますけれど、私の知人の会社が御社を買収したいようなのです。と同時に、弊社もファンド持分を売却しなければいけない時期にあるという事情もあり、もしかしたらいい話になるのではないかと考えていて、それについてお話したく時間をいただきました」
平井が一瞬怪訝な顔をしたので、渋谷は説明を続けた。
渋谷 「実は買収したいといっているのは株式会社ブルーです。ご存知ですよね?」
株式会社ブルーといえば、特殊な広告ビジネスで数年前に上場し、FT社と若干競合するところもある現在急成長中の会社だ。社長の岡野は業界では有名だ。渋谷は、ブルーの情報をまとめた概要書を平井の前に差し出しながら説明を続けた。
渋谷 「急なお話ですが、弊社も投資事業組合の満期が2020年6月に到来するので、そろそろ売却準備をしたいという事情もあります。我々も色々と考えたうえで、この話をお持ちしているのですが、平井さんは今後この会社をどうしたいと思っていますか? 唐突な質問で答えにくいとは思いますが…」
平井としては、このまま上場できるのであればしたい気持ちが強かったが、その一方で市場ニーズの変化等もあって、今後上場しても成長を継続する姿を描き切れ得るかについて少し懸念を抱いていた。また、平井は従来から様々な事業を手掛けてきたことから、現在の事業に対する面白味が減ってきたとも感じていた。さらに、昨今の社会保障費の増大化等のニュースをみるたびに、医療分野や未病対策といった領域に対する興味が非常に強くなっていた。平井は自分の気持ちを丁寧に説明した。すると渋谷がこう切り出した。
渋谷 「平井さんは、このFT社を売却して得た資金で医療ビジネスを始める気はありませんか? たとえば、平井さんの持分と弊社持分で議決権の3分の2を超える株式を譲渡し、平井さんに一部の株を残す。そして買い手主導でFT社の企業価値(※3)を上げていって、適切なタイミングで平井さんの残りの株式をより高い株価で買い手に買い取ってもらう。こうすれば、いますぐにでも一定の資金量を元に医療ビジネスをスタートでき、さらにFT社が買い手とのシナジーで成長すれば追加的な対価も得られる可能性もあると思うんです。これはあくまでもジャストアイデアなんですけどね。買い手が平井さんが経営陣として残ることを強く希望する場合には実現できませんけどね」
平井にとってFT社は10年以上も経営してきた大事な会社である。当然、渋谷が買収者を紹介したいと言った瞬間は「失礼だな」と感じたが、先に記したような平井自身の考えもあることから、今後のことを真剣に考えるよい機会だと思うようにした。
平井 「渋谷さんのおっしゃることはわかりました。少し考えてみてもいいですか。即答できる内容でもないですからね。ただ、従業員が十分に納得するような形でないと何事も進めたくはないですね」
渋谷 「もちろんです。いますぐにという話ではありません。弊社の株式は近い将来どこかに譲渡しなければなりませんが、会社の売却がそもそも平井さんにとってメリットがあるかないかという点をよく考えていただきたいと思っています。また、従業員さんをしっかりケアできないと買い手さんも困ってしまうので、そのあたりは十分にサポートします」
平井の検討後、3月15日に再度会うことを決めて、この日の面談は終了した。
面談終了後、平井は社内で上がってきた予算表のExcel等を眺めながら、来期、再来期にどのくらいの売上、営業利益が達成できるのか。現状の事業をどのように展開していけば急成長が望めるのかといったことを考えた。しかし、平井の考えは堂々めぐりするだ
けだった。そこで、平井が尊敬する先輩経営者である三村に相談しようと考え、電話でアポイントメントを設定した。三村は平井のメンター的な存在だ。彼は人材紹介事業で大成功し、いまでは時価総額が1,000億円を超える上場会社のオーナーで名誉会長職についている。
平井は新宿の新築高層ビルにある三村のオフィスにいた。三村は会長室のソファーに腰かけて、事前に送付されていたFT社の財務資料と平井が送ったメールをプリントして眺めていた。
三村 「おお、たしか今年会うの初めてだよな! 久しぶりじゃないか。元気してたか? 会社は順調?」
平井 「三村さん、お久しぶりです。経営状態はそんなに悪くはないのですが、最近は急成長というほどではないですね」
三村 「なるほどね。それで今回はVC経由で買収提案がきたということだよね?」
平井 「そうなんです。VCはそもそもうちの株をファンドの満期を理由に売りたがっていたんで、水面下でブルーとは話をしていたんだと思いますけどね」
平井は渋谷からの提案と自分の考えを詳しく三村へ話した。
三村 「なるほど。VCは基本的には満期が来たら売却しなきゃだめだからね。君の会社の場合、コストもそんなに重くないから、関連する新サービス開発等に成功すれば単独でも既存の営業網を使って企業価値を伸ばしていくことはできるよね。ふつうEBITDAで2〜3億超えて成長もして、かつ新規性ある事業が作れれば十分、上場できる範囲だし、あとは継続的に成長してそれが今後も続くという根拠を示すのみじゃないか。そう考えると、もう少し成長性を高められて新規性ある事業を作れればIPOをあきらめる段階ではないとは思うけど。それこそ君はどうしたいの?」
平井 「難しいところですよね。上場するとなると長期的な成長展望が必要でもありますからね」
三村は親指を額につけながら再度資料をペラペラとめくり厳しい顔をしている。
三村 「まぁ、たしかに君の会社の場合、現状は事業の新規性もあまりないし、仮にこのままで上場できたとしてもこのままではそれほど高い株価はつかないかもしれないな。既存事業の成長もイマイチだからね」
三村は一呼吸おいてこう言った。
三村 「既存事業の評価や想定株価はたしかに気になる要素だけど、もっと大事なのは結局、君自身がこれから何をしたいかってことだね。自分のキャリアというか人生設計をどうしたいかっていう視点も入れて考えたほうがいいよ。このままある程度のリスクを取り続けていまの仲間と長期的に事業拡大をしたい気持ちがあって、かつ相当の事業規模が期待できると思うならIPOはよいかもしれないね。既存事業の隣接領域を攻める選択肢もあるしね。一方、若いうちに会社を売却して資産をつくり、十分な時間とお金をもとに、新しいことをはじめるという選択肢もある。この場合、M&Aイグジットの実績、あとは個人資産をテコに、次の事業で巨大ファイナンスを引っぱってこれる可能性も高い。ビジネスを10年以上経験した君なら、次の再スタートはブレにくくなっていると思うし、長期的視点から次のビジネスと人生を設計できると考えれば価格次第では売却も悪くない。
まぁ長くなっちゃったけど、簡単に言うと、いまの延長線上に大型資金調達をして世の中に大きなインパクトを与える見込みのある事業を描くことができて、そのうえでいまのまま会社を長く続けていきたいならIPOを目指せばいいんじゃないかな。そうでなければ今回の話もいいかもしれない。俺はM&Aイグジットするなら少なくとも10億以上で売却できないとメリットが少ないと思ってるけど、それも超えてきそうだからな。これはあくまで1つの考え方に過ぎないけどね。ところで、ドラッグアロング条項(※4)とかはあるの?」
平井 「それはないみたいなんですよ。なので僕が決定できる状況には一応あるんです。三村さんがおっしゃった観点でいうと、いまの組織や事業を主軸に上場するというのはまずないとは思います。僕自身は今後、医療系のビジネスをやりたいんです。ただこの方向性は他の役員や社員の考えとはまったく違うし、たとえ上場しても既存ビジネスとの整合性や上場時の市場へのメッセージ等を考えると説明しにくいんです。あとは三村さんがおっしゃるように、一度たくさんの時間を作って、海外市場をみてみたり、40〜70歳までのビジネスマン人生をどうするかっていうことをもう一度考えてみたいですよね。ビジネスマン以外の道で生きるということもあるかもしれないですしね。
あと最近アメリカで起業家が売却して成功している事例をよく聞くんですけど、こういう話は刺激的ですよね。なんか会社を売却したあとで色々な生き方をしている人がいますからね。私の知り合いは、アメリカで会社を売却した資金をもって世界中バックパッカーとして旅行して、それから東南アジアでVCを立ち上げました。
あ、あと三村さんがおっしゃった10億以上なら意味があるというのはどういうことなんですか?」
三村 「これは僕の持論だけど、株を100%もっていて10億円で売れて、税金約20%、仮にシンプルに譲渡所得10億円だとすれば、手残りが8億円じゃん。8億のうちの6億を株式、上場株の配当または割引債などで4%くらいで運用できるとすると毎年2.400万円、他に収入がなくて所得税・住民税率を併せて20%くらいになるとすれば、残高は1,920万円となって毎年手取りとして受け取れることになるでしょ? これで生活資金はある程度賄えるとなると、残りの2億で新規ビジネスとかを考えることもできる。だから、10億円以上を狙えるようになると、その後の生活を考えたときにある程度安定的といえるレベルの資産形成になると思うんだよ(※5)。ただ、お金があると安心感が生まれて事業成功率が低くなる場合もある点には注意しなければいけないけどね」
平井 「なるほど。売却対価の絶対額でM&Aイグジットの意味合いも変わってくるっていうことですね」
三村 「あとは、もしIPOするならマーケットがよくて、その会社の長期的な成長が見込めるタイミングがよいというのが俺の意見。長期的に成功している会社の多くが、IPO時点またはその直後に2桁後半〜3桁億円を調達してる。10年〜20年前くらいにIPOして現在は巨大企業になっているような企業を調べてみてごらん? けっこうIPO時やその直後に巨大な額の資金調達をしてるから。上場会社オーナーとしては言いにくいけど、巨額の調達をしてしまえばかなり幅広な成長戦略が描ける。実際に上場してから大きな事業転換をしている会社もたくさんあるからな。だから、IPOするならタイミングも見極めたほうがいいと思うよ」
平井 「なるほど。たしかにそうかもしれませんね。ただ、いまの事業を考えると、IPOを選んだ場合は時価総額(※5)があまりつかないかなぁとも思うんですよね。市場はいい感じだと思うんですが、市場と事業成長の両方がそろってはじめて時価総額はつくみたいですからね。高い時価総額がつかなければ巨大な額の調達もできませんからね」
三村 「まぁ、色々と考えるといいよ。そういえば、俺もよくオーストラリアに行くけど、会社売却した資産家とはよく会うなぁ。まぁ、10年後と20年後の自分を想像してみることだね。君みたいに若いと5年後くらいまでしか考えにくいもんだが、先は長いからね。それを見据えて考えて結論を出せばいんじゃない? IPOもM&Aも結局は手段だからな。あっ、あとIPOを目指すのであればVCの株式の買い取り先は君がちゃんと探すといい。こういうことをしっかりできる経営者は信用を得られるし、長期的にそういう動きは君のためになるよ」
こう言ったあと、三村は、「次のお客さんがそろそろ来る」といいながら立ち上がった。
三村は、売却をするべきか否かという視点を考える際に、平井自身のビジネス上のキャリアと人生設計をどうしたいのかが重要だということを示唆したのだ。
※1 ストック型のビジネスモデルとは、フロー型のビジネスモデルの対義語。ここでは、何らかの経営管理指標が積み上がることで段階的に売上が形成され、その分、急激な売上減少リスクが低いビジネスモデルを意味しています。CFの安定性が高く企業価値を比較的高く評価してもらいやすいビジネスモデルといえます。
※2 EBITDAとは、企業の本業による稼ぐ力を示す指標で、営業利益に、利息・税金・減価償却費を加えて算出されます。設備投資の有無や会計処理の違いに左右されにくいため、M&Aや企業価値評価の場面で、企業同士を比較する際によく用いられます。(本書61ページ参照)
※3 買い手主導で上げられる企業価値とは、買収後に、買い手の経営資源を活用することで向上させられる価値を指します。たとえば、販売網の共有、ブランド力の付与、管理体制の高度化、資金力を活かした投資などにより、単独では難しかった成長や収益改善を実現できる点が評価対象となります。(本書211ページ参照)
※4 ドラッグアロング条項(売渡請求条項)とは、外部投資家が投資する場合等の投資契約または株主間契約に規定されることがある条項で、投資後に一定の要件を満たした場合に、外部投資家等がオーナー経営者等の他の株主に対して株式を売却することを請求できる権利をいいます。この条項が発動すれば、オーナー経営者は保有株式の売却を強制されることとなるため、その設定には慎重になる必要があります。
※5 時価総額とは、株式市場が評価する会社の規模・成長期待を表す数値。市場環境と事業成長の両方がそろわなければ大きくなりにくく、調達できる資金額にも直結する。(本書211ページ参照)
本記事で紹介したやり取りは、『会社売却とバイアウト実務のすべて 実際のプロセスからスキームの特徴、企業価値評価まで』第2部「物語で学ぶあるオーナー経営者の会社売却」の一部を抜粋したものです。
M&AやIPOというと、専門用語や数式が並ぶ“難解な世界”を想像しがちですが、本書の特長は経営者の感情・迷い・人生設計まで含めて描いている点にあります。
数字の話だけではなく、「なぜその選択をするのか」「何を手放し、何を得ようとしているのか」が物語として理解できます。
こうした方には、実務書でありながら“自分ごと”として読める一冊になるはずです。
続きでは、より具体的なスキームや評価の考え方が丁寧に解説されています。ぜひ本書を手に取り、物語のその先を追体験してみてください。
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- 宮崎 淳平
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