井伊直弼のおすすめ本5選!一期一会、黒船来航、桜田門外の変など

更新:2021.12.8

井伊直弼(なおすけ)については、安政の大獄を行った幕末の権力者というイメージが強いですが、実は、茶の湯に精通し一期一会という言葉を生んでいたことは、あまり知られていません。暴君か。名君か。桜田門外の変で暗殺された井伊直弼の生涯に迫ります。

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井伊直弼はどんな人?桜田門外の変で散った開国主義者

井伊直弼は、彦根藩藩主で徳川幕府末期に大老として国政を担った政治家です。直弼は開国主義者で、反対勢力を厳しく粛清した安政の大獄は諸藩に恨みを買い、江戸城桜田門外で暗殺されてしまいます。幕府の力が衰退した象徴的な出来事として、この後歴史が討幕へと動いていくのです。

井伊直弼は彦根城(現在の滋賀県彦根市)で生まれ、幼名鉄之助、後に鉄三郎を名乗ります。側室の子どもであったことと、すでに兄が藩主になっていたこともあり、32歳まで彦根藩内で部屋住みとして不遇の毎日を送る直弼。この時期直弼は、武芸はもちろんのこと、学問や芸術などを学び、特に茶の湯においては大成し「一期一会」という言葉を生んだ書も残しています。

藩主であった兄の急死により、37歳で彦根藩藩主となった直弼は藩政改革を行い、名君と言われるようになります。また、井伊家は徳川幕府代々政治の中心にいた家系でもあり、直弼も幕府内での重役、老中となり政治の表舞台へと一気に駆け上がっていくのでした。

時代は黒船来航の時。最高権力者、大老に就任した直弼は、攘夷を主張する朝廷の反対を黙殺して開港を決意し、日米修好通商条約を結びます。このことに反発した攘夷派の藩や人物を厳しく断罪したのが、世に言う安政の大獄です。

攘夷派の急先鋒だった水戸藩藩主徳川斉昭に対しては、特に厳しく、それが水戸藩の恨みを買い、遂には江戸城桜田門にて登城するところを襲撃され暗殺されてしまいます。時の幕府最高権力者の暗殺は、徳川幕府衰退を強烈に印象付け、幕府の滅亡へと時代は進んでいくのです。


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井伊直弼にまつわる8つの逸話

1:若いころのあだ名は「チャカポン」

井伊直弼は藩主井伊直中の14男として生まれました。17歳から15年間、藩の後継ぎになることが出来ず、兄に庇護されながら生活する「部屋住み」として過ごしています。 与えられた北の屋敷を「埋木舎」と名付け、その頃に打ち込んだ茶道・和歌・鼓に才能を発揮し、風流に生きる姿から「チャカポン」とあだ名されました。

2:後に激しく争うことになる徳川斉昭にも贈りものをしたことがある

彦根藩では牛肉の味噌漬けを将軍家や諸大名への贈り物とする習慣があり、井伊直弼も徳川斉昭などに送っており、徳川斉昭から井伊直弼に当てた感謝を記した手紙が残っています。後に直弼が牛の殺生を禁止したことにより贈呈しなくなったときには、度々水戸藩から彦根藩に催促の手紙が送られました。

3:井伊直弼は日米修好通商条約の調印に際し勅許を待っていた

大老となった彼は、駐日総領事のハリスとの交渉に井上清直と岩瀬忠震を当たらせました。その際「勅許が下りるまで調印を引き延ばす」ように指示を出しています。

ただ、やむを得ない場合に限り調印を許可する旨の言質も与えていました。 交渉の場に臨み、幕府から言質と臨時裁量権を与えられていた井上・岩瀬両名は「ハリスの説く英仏恐怖論と、アメリカの対日友好の献策に逡巡する時間はない」と朝廷からの勅許を待たず直ちに調印したことを記者会見で述べています。井伊は大老として調印を追認する形となり、不快感を示しました。

4:井伊直弼は6人目の井伊家出身の大老

徳川幕府の大老職には過去、酒井家が4人、土井・保科・堀田・柳沢家が1人勤めていました。彦根藩主の井伊家からは6人目の就任であり、井伊直弼の出身母体である彦根藩井伊家は、大老の就任回数が他家に比べて非常に多い名家でもあります。

5:別れた女性にラブレターを送っていた

直弼には若いころ交際したものの藩に反対されて別れた「村上たか」という女性がいました。直弼が部屋住みであった1842年頃に、村山たかに宛てて書かれた手紙が最近発見されました。 内容はたかのためにお金を工面して送りたいが「当節は甚工面悪しく」すぐに送れないことや、会えないつらさ、毎日つづく頭痛についてなどが書かれています。 彼女は、その後安政の大獄の時に井伊直弼のスパイとして活動しました。

6:井伊直弼の遺骨が墓に埋葬されていない

通説では、暗殺後に直弼の首は遠藤家に預けられ、井伊家家臣が引き取り江戸藩邸で首と胴体が縫い合わせられた後、現在の東京都世田谷区にある豪徳寺に埋葬された、とされていました。 平成21年の墓石改修工事のときにレーダー調査などを行った結果、地下3メートル以内に石室を発見することが出来ず、現在も所在は不明のままです。

7:直弼暗殺後、井伊家に「病気静養」扱いで将軍から見舞いが訪れた

藩主の暗殺によりお家断絶の危機にあった井伊家ですが、幕府から「急病」として取り扱う方針が出されます。その方針を取り繕う関係から何度か将軍からの見舞いが訪れましたが、暗殺現場を目撃した人も多く、当時の状況などの噂なども広まりました。 そのため「人参で首を継げとの御使」(病気回復のため、滋養に良い朝鮮人参を送ったから)等、この時の対応を揶揄するような川柳がたくさん作られました。

8:井伊直弼の死因は銃撃で致命傷を負ったから

定説では、銃の合図で襲撃が始まり、直弼はかごの外から突き刺され、引きずり出されて首を落とされたとあります。 しかし直弼の遺骸を診た彦根藩医は「太腿から腰にかけて銃弾が抜けたあとがあった」と伝えており、直弼の死因は銃弾による傷が致命傷になった可能性が高いとされています。

時代に翻弄された愛憎劇

『花の生涯』は、幕末の政治家、井伊直弼を主人公にした時代小説。直弼の稀有な人生に寄り添った女密偵との愛憎劇を中心に描かれています。恋愛小説のような文化的作品で官能的な描写も多く、大人向けの作品です。

井伊直弼が登場する歴史小説の多くは、強引な手腕で、安政の大獄の主犯者として否定的に描かれます。明治維新後、新政府にとっては多くの同士や師を抹殺した人物ですから、敵役としてのイメージが強いのでしょう。

しかし、この小説に登場する井伊直弼は、才能があるにも関わらず、若い頃に不遇の時代を過ごした好人物として描かれています。小説の主題も、直弼の功績や政治的出来事ではなく、それを背景に、廻りの人たちとの人間関係や心情の移り変わりを主にしている作品です。固定概念に捕らわれない、新たな井伊直弼像に出会います。

著者
舟橋 聖一
出版日

物語は、直弼が彦根藩で部屋住みとしてくすぶっている頃、直弼の屋敷、埋木舎へ長野主馬なる人物が訪ねていくところから始まり、長野は向かう途中で、妖艶な、たか女という三味線の師匠と出会っていきます。後に間者として直弼の力になる、たか女と、学問の師となる長野。3人の出会いから、それぞれの最期までを描いた作品です。

「御身や私のような青年で、政治ぎらいだの、命が惜しいだのと云っている者は、恐らく天下に、数える程もないだろう。然し、たまには、これもいい。たまには、われわれの様な、無為を願う者の居ることも必要だと思う」(『花の生涯』より引用)

直弼が初めて会った長野と交わした言葉の一部です。後に安政の大獄で反対勢力を大粛清する人物になるとは、この時点では本人も予測すらしていなかったのでしょう。平和主義の直弼がどのように時代と立ち向かっていったのか、その移り変わっていく心情に引き込まれていく小説です。

大老井伊直弼暗殺の時代背景を探る

『逆説の日本史 19 幕末年代史編2 井伊直弼と尊王攘夷の謎』は、桜田門外の変はなぜ起きたのか、それまでの政治的経緯から原因を探る歴史書です。

黒船来航以来、徳川幕府は鎖国を続けるか、開国するか、次期将軍の世継問題も絡まり、紛糾極まっていました。老中首座堀田正睦の失策から、井伊直弼の台頭、そして安政の大獄という嵐が吹き荒れる時代考証は、当時の緊迫感が伝わります。

著者
井沢 元彦
出版日
2016-04-06

井伊直弼が開国論に反対する敵対勢力を厳しく断罪した安政の大獄。吉田松陰、橋本左内などの才能ある人材が失われていった背景と、その結果、討幕派、攘夷派に与えた影響は、明治維新に向かうエネルギーとなり、時代の流れを早めたことになった方程式的な解釈は、納得させられる筋道です。

本作は討幕思想の原点が水戸学にあったとして、水戸徳川藩二代藩主徳川光圀から確立されていった水戸学を紹介しています。徳川幕府を支えた思想、朱子学とそれを基にして水戸藩で受け継がれてきた水戸学は朝廷を主家とした尊王思想で、それが幕末の討幕思想、桜田門外の変へと繋がっていったのです。

歴史的背景と思想学から読み解く桜田門外の変の真実を知ることで、井伊直弼という人物像にも触れることが出来る作品となっています。 

茶の湯の道を極めた文化人、井伊直弼

『茶湯一会集・閑夜茶話』は、幕末の大老井伊直弼が、彦根藩での部屋住み時代に傾倒した茶の湯の作法、思想をまとめた本です。文化人としての井伊直弼を知る貴重な資料でもあります。

「一期一会」の言葉は、茶道に由来するものとして、広く世の中に知れ渡っていますが、その始まりは、井伊直弼が書いた『茶湯一会集・閑夜茶話』に由来することは、あまり知られていないでしょう。本作の冒頭にある、この言葉をはじめとして、直弼が茶道の心得を書き残した文章と、過去の茶道書から直弼が感銘を受けた言葉がまとめられています。

著者
井伊 直弼
出版日
2010-10-28

「此書は、茶湯一会之始終、主客の心得を委敷あらはす也、故に題号を一会集といふ、猶、一会ニ深き主意あり、抑、茶湯の交会は、一期一会といひ て、たとへハ幾度おなじ主客交会するとも、今日の会にふたゝひかへらさる事を思へハ、実に我一世一度の会也、去るニより、主人ハ万事ニ心を配り、聊も麁末 のなきよう深切実意を尽くし、客ニも此会ニまた逢ひかたき事を弁へ、亭主の趣向、何壱つもおろかならぬを感心し、実意を以て交るへき也、是を一期一会とい ふ・・・」(『茶湯一会集・閑夜茶話』より引用)

茶道に臨む時は、その機会は一生に一度しかないものと心得て、主人も客も互いに趣向を何ひとつおろそかにせず、誠意をもって交わるべきと説く「一期一会」の精神は今も日本人の心に浸透しています。

直弼は彦根藩時代、不遇の時代を埋木舎(うもれぎのや)と自虐的な名称を付けた家で過ごします。その32歳までの部屋住みの頃に、茶の湯をはじめとした文化人として名を残している姿には、後の安政の大獄で見る悪者のイメージは全くなく、思いがけない別の顔を見ることができる作品です。

事件、事象からみた安政年間

『井伊直弼の首―幕末バトル・ロワイヤル』は、幕末、安政年間に起きた事件などをまとめたコラムで、井伊直弼をキーパーソンに動乱の時代を様々な角度で読み取ることができます。

本作は43編のコラムをまとめていて、黒船来航や安政の大獄といった歴史的事件のほか、コレラの流行や大地震など、その時代に起きた災害などから、当時の生活や思想もわかる読み物です。また井伊直弼の出生から彦根藩での下積み時代。大老として政治の頂点を極め、後に桜田門外の変で暗殺されるまでの、背景や直弼の出世欲などの考え方をも記述され、史料価値としても高い作品となっています。

著者
野口 武彦
出版日

「ペリー艦隊の乗組員が大挙上陸して、住民と接触していた。勝手に歩き回るし、自由に買物もするので、しょっちゅうトラブルが発生する。物の値段が高い安いで揉める。規定を無視して外泊する。酔っぱらいがごねる。盗難が発生する。」(『井伊直弼の首―幕末バトル・ロワイヤル』より引用)

下田港が開港されたときの記述ですが、確かに実際外国人が来るようになった町では騒然だったのだろうと推測されます。歴史書には書かれない日常を垣間見られる本作は、混沌とした時代でも庶民のたくましさがあったことが見えてくるでしょう。 

井伊直弼暗殺の全貌を描く

『桜田門外ノ変』は、幕末、時の幕府大老井伊直弼を暗殺した桜田門外の変を題材に、その全貌を詳細に書き綴った名作です。これを読めば、この歴史の分岐点とも言える事変のすべてがわかります。

井伊直弼を討った水戸藩らの脱藩浪士。その中心人物だった関鉄之介を主人公にした作品です。安政の大獄で直弼は反対勢力を厳しく断罪しますが、その恨みがもたらした暗殺劇が桜田門外の変とされています。しかし本作では、政治的背景や歴史的思想など、一言ではすまない動機や要因があったことが描かれているのです。

著者
吉村 昭
出版日
1995-03-29

物語の主人公、関鉄之介を通じて、凶行の主役になる水戸藩の思想や、井伊直弼暗殺の準備などが克明に描かれていて、単純なテロリズムではなかったことが伺える作品です。本作では桜田門外の変が起きる経緯や時代背景、水戸藩特有の水戸学と尊王攘夷の思想などから、事変前の模写に重きをおいて書かれていて、これほど詳細に動機づけた作品は珍しく、後の桜田門外の変を題材にした作品の資料ともされています。

上下巻に及ぶ長編大作ですが、スリル溢れる臨場感のある小説でもあり、一気に読める作品です。 

歴史上その評価が分かれる井伊直弼ですが、稀代の政治家であり、文化人でもあった幕末の傑物であることは間違いありません。様々な顔を見せる井伊直弼を知ることで、動乱の幕末の歴史を知ることにもつながるはずです。

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