仏教は紀元前450年ごろのインドで起こり、開祖は仏陀と呼ばれています。サンスクリットで「真理に目覚めた人」「悟った者」などの意味で、その人物はゴータマ・シッダールタという名がありました。その人物と教えについて書かれた本を5冊紹介します。
ゴータマ・シッダールタは、古代インドの一部族であったシャーキャ族の王子として生まれました。その時期については諸説あり、紀元前463年とも、紀元前566年、または前624年とも言われています。「釈迦」とも呼ばれますが、「シャーキャ族の聖者」を現地の言葉で「シャーキャムニ」と言い、これを音写し漢字をあてると釈迦牟尼(しゃかむに)となります。釈迦牟尼を省略し釈迦と呼ばれるようになりました。
この王子として恵まれた生活をしていましたが、伝承によれば王宮の外で、病人・老人・死者・修行者の姿を目の当たりにし、世の無常について深く考えるようになったということです。結婚し、子供ももうけましたが、修行の道を選び29歳で出家します。王子としての地位や家族を捨て、究極の悟りを得ることに決めたのです。
言い伝えによれば、苦しい修行を重ね、35歳になったころ、ブッダガヤと呼ばれる土地で、菩提樹の下に座して瞑想をはじめた彼は真理を悟り、仏陀となったと言われています。
悟りを開いた彼は自分の悟りの内容を人々に説き始め、それは「法」というものでした。 「法」は仏教のよりどころとなり、仏教の信徒は「法」を規範として行動し、生活することになりました。ゴータマ・シッダールタが口頭で説いた内容をまとめたものが、もともとの「経」です。国の王をはじめ、有力者が続々と仏教に帰依し、他の宗教の信者も改宗するようになりました。
国王の妻であった母がお産のため、実家に里帰りする途中に産気づき、ルンビニー園というところでゴータマ・シッダールタは誕生しました。伝承では母の右脇から産まれたとされています。産まれるとすぐに立ち上がり、7歩進み、右手で天、左手で地を指してこう宣言しました。「天上天下唯我独尊」(世界にこの命は一つだけ、だからこそ全ての生命に価値があり尊い)仏教では4月8日に釈迦誕生を祝い、「花祭り」という儀式を行っています。
ゴータマ・シッダールタが悟りを得ようとしていると、悪魔がやってきてその邪魔をしました。「悟りを得ることなどできないのだから、瞑想などやめたほうが良い。それよりも皇帝になって、この世を支配するのはどうだ。この世の栄耀栄華のすべてを与える」とやってきました。他にも甘い言葉をかけてきましたが、彼は全く聞く耳をもちません。最後には「瞑想を止めなければ命を奪うぞ」と恐ろしい脅しをかけました。しかしどんな手を使っても釈迦の心を打ち負かすことはできませんでした。すべての執着心を捨て、ある悟りの境地に達することができたというのです。
ゴータマ・シッダールタには1,250人の直弟子がいたとされています。多くの弟子の中で、「十大弟子」と呼ばれている人たちがいます。豊かな才能を備え、ゴータマ・シッタルーダの信頼が特に厚かったとされています。
舎利弗(しゃりほつ)、摩訶目犍連(まかもっけんれん)、摩訶迦葉(まかかしょう)、須菩提(しゅぼだい)、富楼那弥多羅尼子(ふるなみたらにし)、摩訶迦旃延(まかかせんねん)、阿那律(あなりつ)、優波離(うぱり)、羅睺羅(らごら)、阿難陀(あなんだ)の10人です。舎利弗が最初の弟子で、その幼馴染が摩訶目犍連でした。2人は初期の教団を支えました。
ゴータマ・シッタルーダが亡くなったのは紀元前386年2月15日だったとされています。80歳になった彼は托鉢の途中で激しい腹痛に襲われました。沙羅双樹(しゃらそうじゅ)の間に頭を北に向け、右脇を下にして臥しながら、「弟子達よ、諸行は無常である。命も何もあらゆるものが滅びゆく。これを思い日々怠ることなく精進努力して、修行を完成せよ」と言い残し、亡くなりました。これを仏滅と言います。「六曜」の仏滅とは関係がありません。
古代よりインドには厳しい社会的身分制度がありました。紀元前1500年頃にアーリヤ人が先住民であるドラヴィダ人からインドを征服しました。アーリヤ人は3つの種姓を作り、先住民であるドラヴィダ人を当初の下位の種姓に置いたとしたことがきっかけです。最上位のバラモンはバラモン教の司祭階級、王族や貴族がクシャトリヤ、一般的な市民が ヴァイシャでここまでがバラモン教のヴェーダ聖典を学ぶことができました。最下位がシュードラと呼ばれる奴隷で、バラモン教を学ぶことも許されていませんでした。
ゴータマ・シッタルーダ自身はクシャトリアでしたが、出家とともに身分は捨てました。彼の教団には階級にこだわらず、様々な人がたちが所属します。「生まれによって賤しい人となるのではない、生まれによってバラモンとなるのではない。行為によって賤しい人となり、行為によってバラモンともなる。」という言葉を残し、カースト制には拘る姿勢はありません。
ゴータマ・シッタルーダの遺言というべき、最後の説法を伝える経典が「仏遺教経」です。その経典において特に有名なものは「八大人覚」でしょう。「少欲」「知足」「遠離」「精進」「不忘念」「定」「智慧」「不戯論」の八つの仏則が説かれております。小人や凡人が愚かに迷って生きてしまうことを戒め、大人としてしっかり生きる「智慧」がこの「八大人覚」なのです。
ゴータマ・シッタルーダが実在した人物なのかどうかについて、19世紀末までは論争がありました。フランスのインド研究家エミール・セナールは仏陀に関する説話は太陽神話を原型となっているもので、ゴータマ・シッタルーダは架空の人物であるという説を主張しました。ところがその説は考古学的な調査の成果によって否定されることになります。
1989年にゴータマ・シッタルーダの遺骨の一部が発掘されたからです。フランス人ペッペは『涅槃経』が伝える「舎利八分」の一つであるカピラヴァットゥ国にもたらされたものを見つけました。これにより歴史的実在性が立証されたのです。
ゴータマ・シッタルーダの像には立像・坐像・涅槃像の3種類に分けられるとされています。立像の姿は悟りを開く前の修行の姿とされ、対して坐像は修行して悟りを開かんとしている時の姿であるそうです。そして涅槃像はゴータマが亡くなる姿です。涅槃像は右手を枕、あるいは頭を支える姿で、頭は北向き、顔は西向きとされています。このような姿で生涯を閉じるその前後の話となるのが、この大パリニッバーナ経で、旅の途中で亡くなるまでの経緯が克明に記録されています。
- 著者
- 出版日
- 1980-06-16
この本はストーリーのある旅行記とも言うべきもので、ドラマチックな結末が待っています。旅の途中で死を悟ったゴータマは「愛しく気に入っているすべての人々とも、やがては、生別し、死別し、(死後には生存の場所を)異にするに至る」と弟子に語り、弟子を集めさせて最後の説法を行うのでした。
この経の変遷の歴史を丁寧に解き明かし、ゴータマの肉声に少しでも近づけるよう、訳者である中村元氏が詳細な注釈をつけている点もおすすめするポイントです。
「スッタニパータ」とは仏教においては最古のもので、ゴータマ・シッタルーダが説いたことを集めて編まれた聖典です。初期の仏教を知るうえでは貴重な聖典を、インド思想・仏教学の世界的権威である中村元氏が翻訳しました。平易な文体で、入門書としても適していると言えるでしょう。
- 著者
- 出版日
- 1958-01-01
シンプルさを紹介するために、一部抜粋します。
「何びとも他人を欺いてはならない。たといどこにあっても他人を軽んじてはならない。悩まそうとして怒りの想いをいだいて互いに他人に苦痛を与えることを望んではならない。」
「 足ることを知り、わずかの食物で暮し、雑務少く、生活もまた簡素であり、諸々の感官が静まり、聡明で、高ぶることなく、諸々の(ひとの)家で貪ることがない。」
(『ブッダのことば―スッタニパータ』より引用)
いかがでしょうか。難しい思想ではなく、現代で言えば生活者目線での教えです。仏教というと生死に関する覚悟や戒めのようなイメージが先行していましがちですが、ご覧のような心を落ち着かせるような教えばかりでした。素直に心を傾けて読むことで、癒しの効果もあるかと思います。
本書は『法句経』の名で知られる「真理のことば(ダンマパダ)」と「感興のことば(ウダーナヴァルガ)」を訳したものです。「真理のことば」(ダンマパダ)はスッタニパータとならび現存経典のうち最古の経典して伝わってきました。
「ウダーナヴァルガ」とは、ブッダが感興をおぼえた時、ふと口にした言葉集の意味だそうです。仏教の教えを短く詩句で、韻文のように口になじむようなリズムがあります。
- 著者
- 出版日
- 1978-01-16
分派した仏教の一派である上座部では「法句経」は最高の仏教聖典とされています。ビルマやスリランカでは、仏教の教えといえば、この「法句経」です。
はじめから詩句の形をとっていたため、手を入れられることなく伝わってきたと言われています。それゆえ、肉声に最も近いと考えられているのです。簡潔でシンプルな短い文で、お経ではないようにも思えてしまいます。繰り返して「物事にとらわれるな、執着を断て」ということが説かれています。
本書は武者小路実篤の手による釈迦の伝記小説です。実篤は白樺派の作家として知られています。階級闘争のない調和社会を理想として、「新しき村」の建設に力を注いだころは、農作業をしながら文筆活動をしていた時期がありました。『釈迦』を書いた時期は仕事の依頼が途絶えていた時期で、トルストイや井原西鶴、一休などの伝記も書いています。
- 著者
- 武者小路 実篤
- 出版日
- 2017-05-17
わかりやすい文章で、釈迦がどのような生涯を送ったかを知るには十分な内容です。よく知られている仏教の説話が物語として描かれており、仏教の教えを改めて知ることがでるかと思います。釈迦の生涯と仏教をざっくり知りたい人には、適している本です。
本書は、作家から出家し、天台宗の住職である瀬戸内寂聴が2002年に発表した作品です。僧侶らしからぬ自由で奔放な活躍ぶりで、衰えを知らぬ多彩な活躍ぶりをしている異色な作家が書いた釈迦はどのような内容でしょうか。
- 著者
- 瀬戸内 寂聴
- 出版日
- 2005-10-28
80歳となった釈迦が、従者のアーナンダーを伴って旅にでるところから、この小説は始まります。この度は釈迦にとって最後の旅でしたが、旅のそのものの話ではなく、生誕時から出家、彼に従って出家したり帰依したりした人々のことが回想されます。
アーナンダーや釈迦、釈迦の妻ヤソーダラーなどがそれぞれの目線から、よく知られている仏教説話が語られる形ではありますが、著者の解釈や思いによる加工がなされているところが特長であると言えるでしょう。普通の生き方をしてきた女性では持ちえないのではないかと思うような、この著者ならではセンスがひと際目立つ作品です。
素直に仏教の言葉に心を開いてみる機会はなかなかありません。あえて言えば、死者を弔うためのものになっています。しかし本当の仏教の教えは私たちの日々の暮らしのなかでこそ生かすことのできる言葉ばかりでした。猛スピードで複雑になっていった社会で、深呼吸のついでにブッダの言葉を飲み込んでみると、すっと楽くになったりするのかもしれません。一読することを願ってやみません。