ある精神科病棟の人々を描いた本作。家族から、そして世間から疎まれる患者達は、それでも明るく生きていこうと日々生活を送っていました。しかし、そんななか、ある殺人事件が発生して……。 閉鎖病棟で時を過ごす患者達を描いた『閉鎖病棟』。精神科医でもある小説家・帚木蓬生の描くリアリティあふれる描写は人気を呼び、2019年に再映画化されることも決まりました。山本周五郎賞受賞作でもある本作のあらすじ、魅力をご紹介しましょう。
ある精神科病棟。そこでは患者達が、日々淡々と生活を送っていました。
中学2年生で妊娠、中絶をして精神病院に通うようになった少女や、覚せい剤中毒になったヤクザ、耳が聞こえずに話すことができない男性など、さまざまな患者が登場。彼らは家族や世間から疎まれながらも、懸命に明るく生きようとしていました。
しかし、そんななかで起こる殺人事件。
果たして、この事件の真相とは?そして、そこに隠された、犯人のある想いを知った患者達の行動とは?
- 著者
- 帚木 蓬生
- 出版日
- 1997-04-25
事件を解決するということで、ジャンルとしては、ミステリー、サスペンスにあたる本作。しかし本作の魅力は、そういった要素よりも、繊細な心理描写にあるのではないでしょうか。登場する患者達の性格や背負っている過去、それぞれの事情などが丁寧に描かれていきます。
1999年に1度映画化されており、2019年11月に再映画化が決定。2019年版では、死刑執行が失敗したために生きながらえた男・梶木秀丸を笑福亭鶴瓶が、普通のサラリーマンとして生活していたものの幻聴をきっかけに家族から疎まれる男を綾野剛が演じることが発表されています。
実際の精神病院でロケをおこなったことも公表されており、さらにその出来に期待が高まります。
本作を描いた帚木蓬生(ははきぎ ほうせい)は小説家の他にもう1つ、精神科医としての顔も持つ小説家。
東京大学文学部仏文科を卒業後はTBSに勤めますが、2年で退職します。その後は九州大学医学部を経て、精神科医と小説家としての活動を並行しました。
その後は開業医として働きながら、小説家としてコンスタントに作品を発表し、まさに異色の作家となりました。
そんな作者はデビュー以降、数々の作品を発表。自らの経歴を生かした病院ものやサスペンスが多く、本作『閉鎖病棟』では1995年に山本周五郎賞を受賞、さらに2012年には『蠅の帝国』『蛍の航跡』で日本医療小説大賞を受賞しました。
- 著者
- 帚木 蓬生
- 出版日
- 2013-12-24
他にも、時代小説や児童書なども手掛けており、作家として幅広く活動しています。
本作は精神科病棟の話ですが、暴力性の強い人間が暴れたり、人々が半狂乱していたりというような大げさな表現はありません。淡々と患者達の日常が描かれています。
そこに描かれているのは、実際に精神科医として働く作者が知る、精神病患者のリアル。作者の経歴があるからこそ、説得力の増す作品なのです。
本作には、さまざまな事情で閉鎖病棟に入院している患者達が登場します。
まず、島崎由紀という中学2年生。彼女は入院ではなく通院している患者ですが、不登校になって精神病院に通うようになります。
彼女が不登校になった理由の1つは、妊娠中絶をおこなったこと。まだ成長しきっていない体も心も傷ついてしまい、通院をくり返していたのです。
梶木秀丸は車いすに乗って生活しており、病院生活がすでに15年超えという人物です。実は彼には、ある壮絶な過去がありました。
戦争から帰ってきた父親の自殺、その後、彼自身が引き起こした母親の殺害……。彼は逮捕され、死刑判決となるのですが、刑は失敗。生きながらえ、ここにたどり着いたのです。彼が殺人を犯してしまった理由とは……。
塚本チュウは普通のサラリーマンだったのですが、ある時から精神を病み、幻聴を聞くようになって入院します。彼は、親族がらみの厄介ごとを抱えていて……。
他にも登場する患者はたくさんいますが、それぞれの背景が綿密に練られています。どのキャラクターにも、つい感情移入をしてしまうでしょう。じっくりと読んで、それぞれの心の内に考えを巡らせてみてください。
本作に登場する患者達は、設定だけでなく、その描写もリアリティーに溢れています。
たとえば、妊娠中絶をした島崎由紀。彼女が妊娠した経緯は母親の再婚相手、つまり彼女にとって義理の父親に性的虐待を受けたことでした。心が痛むと同時に、その胸が痛くなるような描写の見事さに思わず引き込まれてしまうでしょう。
精神を病んでしまうこと、不登校になってしまうことには相応の理由があり、その結果問題行動に表れるのだと分かる内容です。そういった精神病患者の実体について腹落ちして分かるのも、本作ならでは見所です。
また、それぞれのキャラクターにスポットが当てられる群像劇のスタイルをとっていますが、だからといって話が独立しているわけではありません。それぞれのキャラクターが互いに影響し合っています。
彼らの交流、そして心の変化にも注目してみてください。
精神病院の閉鎖病棟と聞くと、どこか冷たく、殺伐とした雰囲気をイメージする方も多いかもしれません。しかし、本作で描かれる閉鎖病棟は、患者同士が交流しながら、助け合って生きている様子が見られます。
すでにご紹介したように、本作では患者達がさまざまな形で影響し合って生活しています。由紀と秀丸をはじめ、チュウや、麻薬中毒のヤクザ・重宗、耳の聞こえない昭八なども関わってくるのです。
なかでも秀丸、チュウ、由紀の関わりは要注目。しだいに前向きになっていくそれぞれの姿に、温かい気持ちになるでしょう。
病院は、医師と患者が一対一で関わるわけではありません。患者同士の関わりも多くあります。彼らは、同じように過酷な運命を背負った者同士だからこそ、優しくなれるのです。人の本当の優しさについて考えさせられるのも、本作の魅力の1つです。
助け合い、過酷な運命のなかでも前向きに生きていこうする患者達。そんな彼らそれぞれの様子を描かれます。
しかし、そんな時に殺人事件が発生。
緊迫する展開ですが、それは患者同士の深い絆が生んだ犯行でした。その犯人の想いは、ここまで読み続けてきた読者の胸を打つものでしょう。
果たして犯人の正体、そして、動機とは……。
- 著者
- 帚木 蓬生
- 出版日
- 1997-04-25
本作は精神病院を舞台にしているため、読んでいてどうしても辛いこと、しんどいこともあります。しかし、ラストは悪いことばかりではありません。むしろ前向きになれる明るいエピソードが描かれています。
義父から性的虐待を受けた由紀は、秀丸やチュウ達に助けられたり助けたりするなかで中学を卒業し、看護学校へ進学。いずれは自分の通っていた精神病院で働きたいと語るところは、彼女の辛い過去を知っている読者にとって、感動できるエピソードの1つです。
他にも、昭八を冷遇していた親族の、心境の変化も描かれていきます。それは人の親となった立場の読者には、特に身に沁みる出来事です。昭八自身が直接救われるわけではありませんが、読者の気持ちが少し軽くなる展開といえるでしょう。
読んでいて辛くなるようなエピソードも多い本作ですが、それは、それだけ人間の姿がリアリティーに描かれているということ。作者が精神科医だからこそのリアルな描写を、ぜひ堪能してみてください。