お笑いタレントでありながら、今や芥川賞作家としても有名な又吉直樹が、デビュー作『火花』より前に書き始めていたという『劇場』。本作は、読んでいると切なくて胸が苦しくなる恋愛小説です。夢と現実の狭間でうまくいかない男女は、幸せになれるのでしょうか。 この記事では、2020年に映画の公開も予定されている本作のあらすじや魅力をご紹介します。
まずはあらすじを紹介しましょう。
『劇場』は、大阪から上京し「おろか」という劇団を主宰している若者・永田を主人公とする青春恋愛小説です。「おろか」は、公演を重ねるたびに酷評の嵐という体たらく。あげく仲間割れを起こし、団員は主人公と、中学・高校時代の同級生のふたりきりに。
悲観的で皮肉屋と、いいとこなしの永田。ある日、画廊を覗いていた健康的で明るい表情をした若い女性に声をかけます。自分のことをわかってくれそうだというだけの理由で。その相手が沙希でした。
「その上唇の形状を元に、
その人が幼かった頃から今日までに、
どのような生活を送り、
どのように容姿を変貌させてきたのかがわかった」
(『劇場』より引用)
こんな考えでいる永田のアプローチは、やはり奇行めいていて……。
すべてのものを傷つけてしまう主人公と、すべてのものを受け入れてしまう沙希。ふたりはやがて、互いにかけがえのない存在となっていきます。しかし不器用で演劇のことしか考えられない永田の性格が邪魔して、なかなかハッピーな展開とはいきません。それが何とももどかしく、切なく、「甘くない」恋愛小説になっています。
有名作家の関心も高く、直木賞作家の西加奈子は『波』2017年6月号の読書情報誌「波」で、本作の書評としてこう語ります。
「主人公は悲しいほど純粋で欠点だらけだが、器用に社会に迎合してきた大人たちが、彼を笑うことはできない」と述べるほど不器用な主人公。一気に読み進めたいが、苦しくて、どうしても一度伏せてしまう作品であると述べるほどの強烈さを持ちます。
芥川賞作家・町田康も、愛情などふだん直視していないもののカバーが外され、「ときに読むのが苦しかった」と同雑誌で語ります。有名作家たちをしても、読後「引きずる」作品になったようです。
作者がお笑い芸人の又吉直樹だということで注目を浴びやすい本作ですが、ぞの実力は折り紙付きなのです。
そんな本作は、2020年に映画化も決定。公開日は4月17日です。監督は映画『世界の中心で、愛をさけぶ』の行定勲。主人公の永田を山崎賢人、沙希を松岡茉優が演じます。気になる方は公式サイトや予告動画を見てみてはいかがでしょうか。
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作者の又吉直樹は、吉本興業所属のお笑いタレントです。お笑いコンビ・ピースではボケ担当。デビュー作『火花』が芥川賞を受賞し、大きなニュースとなりました。2015年にオリコンが発表した情報では、『火花』が200万部を超えたと発表され、2作目が待たれていました。
2017年5月号の「波」でのインタビューによれば、作者は冒頭の60枚くらいまで書いたところで本作の原稿をいったんおき、そこから『火花』を書き上げたあと、また取りかかったのだそうです。本作は、『火花』より前に書き始めていた小説なのです。
演劇とお笑いの違いこそあれ、どちらも舞台に立ち、それを収める器はともに「劇場」と呼ばれます。インタビューでは、演劇に向き合っている人は、お金儲けをしたくて演劇を始めるのではない。その純粋さに惹かれるとも、答えています。前作『火花』のように、又吉直樹だからこそ書けた理由があるとしたら何でしょう。
- 著者
- 又吉 直樹
- 出版日
- 2017-02-10
たとえば、作者は「誰も悪くないが、なんとなくみんな苦しんでる」というテーマが昔から好きだったと語っています。人を理解できず、人から理解されない、堕落と破滅の物語の代表ともいえる、太宰治の『人間失格』を、作者は100回以上読んだといわれます。作者は、ダメ人間を描かせたら当代随一かもしれません。
関西弁の小さな声でよくわからないことを話し、腹では別のことを考えていそうな主人公には、作者の顔が重なります。ただ、作者はそういった身勝手な人をほっておけないのだそうです。みなを受け入れるヒロインの沙希は、もしかしたら作者自身なのかもしれません。
本作では、公演がうまくいかなかったり、劇団員とけんかになったりといった場面でも、これはお笑い芸人の性というべきなのでしょうか、乾いた短い笑いが挿入されます。それに救われて、辛い内容でも読み進められるということもあります。
本作は又吉直樹だから書けた作品といえそうです。
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お笑い芸人でありながら、小説『火花』で芥川賞を受賞し、作家としても活動している又吉直樹。1度彼の作品を読んだことがある人は、圧倒的な情景描写と、どこか物悲しくも笑えてしまうその文章力に驚いたのではないでしょうか。この記事では、そんな彼の著作のなかから小説、エッセイ、共著などジャンル別に紹介していきます。又吉直樹がおすすめする本も紹介しますよ!
本作の魅力は何といっても、主人公・永田の強烈なキャラクターにあります。周囲とうまく協調できない不器用な主人公。演劇と向き合えば向き合うほど、気持ちが尖って、その尖った先でまわりを傷つけてしまいますが、弱い面のほうが多いくらいです。
自分の劇団がネットでこきおろされているのを読むと落ち込みます。
「人から生まれた人間がここまで馬鹿にされていいものかと半泣きになったほど」
(『劇場』より引用)
ゲームの世界に逃げ込んでしまったりもします。恋人・沙希の部屋に転がりこんで、電気代くらい出してもらいたいと言われると、人の家の電気代をなんで払わないといけないのかと、言い逃れします。ヒモのようにも見えますが、彼に言わせると「完全に負けきれない醜さ」(『劇場』より引用)がある自分はヒモではないのだそうです。
本作は、全体を通して彼の視点で描かれています。話すときは関西弁ですが、地の文は標準語。主人公の言動はときにわけのわからないもので周囲に理解されません。やましいことがあるたびに、沙希の部屋にコンクリートのブロックをひとつずつ持って帰ったり……。ただ、地の文で語られる本人の分析には鋭さがあります。
次にまた何かやらかしそう、何か変なことを言い出しそう、けれど論理が破綻しているわけでもない。その読めなさ、危うさ、屁理屈にいつしか引き込まれ、ページをめくってしまいたくなります。
- 著者
- 又吉 直樹
- 出版日
- 2017-05-11
本作の魅力のひとつに、彼が人生を賭けている演劇の世界の描かれ方もあります。永田に限らず、そこの住人たちはみな、根拠のない自信、うまくいかないことへの焦燥、被害妄想、成功者への妬み、それを認めてしまうことへの恐れなどを多かれ少なかれもっています。いったんぶつかると始末に負えません。
「おろか」の元メンバーで唯一の女性団員だった青山とのののしり合いは、本作の白眉ともいえます。ふたりがあまりに激しく感情をさらけ出してぶつかり合うので、恋愛に発展する予感さえするほどです。
劇団「おろか」では、永田が脚本・演出を担当しています。真剣になればなるほど、空回り。劇団の作品は作中ではぱっとしないのですが、作者の説明が鮮やかなため作品の構成はわかりやすく、そのアイデアも楽しいものです。
本作執筆にあたって、作者は劇団関係者などへの取材を繰り返したそうです。演劇はもちろん、ものづくりの世界に身をおく人、目指す人にとって「あるある」「わかる」エピソードもいっぱいでしょう。
永田と恋人・沙希とのつながりは、本作の大きな柱です。彼と出会ったときの沙希は、北海道から上京した、服飾系の学生でした。だれにも優しくて、笑いにも柔軟で、何でも受け入れてしまう彼女は、奇人に近い彼のことさえも受け入れてしまいます。
演劇に対する永田の純粋な思い。どこまでも純粋に彼を想う沙希の健気さ。異なるふたつの純粋さは、いつまでもどこかかみ合わず、恋愛小説らしいもどかしさが味わえます。
- 著者
- 又吉 直樹
- 出版日
- 2017-05-11
永田は、沙希が自分の才能を認めていること、彼女の笑顔や明るさに、自分が守られていることを感じていながら、自分の本心や才能を芯から理解してくれていないのではと苦しみ、結局彼女を傷つけてしまいます。
唯一の理解者ともいえる沙希がいることで、宙ぶらりんな状態が続き、さらに追い込まれて苦しくなります。そんな永田は、こう考えるのでした。
「世界のすべてに否定されるなら、すべてを憎むことができる」
(『劇場』より引用)
ダメな男と、つくす女。自分を理解してくれる彼女にだけ、強く振る舞う永田。主人公のダメさに、本作のストーリーにはいつも不幸の影がつきまといます。いつか悪いことが起こりそうな気がしてしまうのです。
永田の言動にどきどきさせられ、また沙希のようないい子がひどい目に遭いませんようにというこの思いが、杞憂に終わってほしいとページをめくる手を進めます。
大学生だった彼女も、物語の終盤では27歳に。永田の毒気を吸い続けた彼女に待っていたのは何でしょう。不器用で純粋な永田は、そのときどう行動に出るのか。
普段、彼氏や彼女、家族にあまえてばかりで、ときにきつくあたってもしまう人は多いはず。そんな人たちにとって、切ない結末に心のうちからこみ上げてくるものがあるのではないでしょうか。もちろん、何かに打ち込む人の理不尽さ、純粋さ、苦悩を楽しみたいという人にもおすすめの一冊です。
本作はついに映画化が決定。監督を行定勲がつとめ、2020年4月17日より公開予定となっています。永田を山崎賢人、沙希を松岡茉優が演じることでも話題です。
監督の行定勲は、原作を「あまりにも身に覚えがある場面ばかりで胸をかきむしるような思いで読んだ」そう。同監督によるお馴染みの作品「世界の中心で愛を叫ぶ」や「ナラタージュ」が好きな方はもちろん、原作に共感した方ももう一度作品を楽しめる映画となりそうです。
言わずと知れた山崎賢人も、これまでに見せたことのない表情を見せます。協調性がなく不器用な永田を演ずるため人生で初めてひげを生やすなど、爽やかなイメージとはガラッと違う印象に。
映画『劇場』オフィシャルサイト では特報映像が公開されています。この機会にぜひ原作とあわせて作品に触れてみるのはいかがでしょうか。
今回は、又吉直樹のベストセラー『劇場』を紹介しました。著者によれば、永田が演劇をやっていくうえで、自分は「こんな瞬間に立ち会うために生きているのかもしれない」と感じる高円寺の駅前の場面が好きなのだそうです。ぜひ、その「瞬間」に触れてみてください。