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今月の歴史本:『歴史のダイヤグラム〈2号車〉 鉄路に刻まれた、この国のドラマ 』原武史著
- 著者
- 原 武史
- 出版日
”鉄学者”とは著者の自称である。
原武史氏は皇族・皇室から見た日本近代史の碩学(せきがく)であり、大正天皇の研究ほか、数々の著書で注目されてきた。私個人は、昭和天皇とその母である貞明(ていめい)皇太后の微妙な仲が、太平洋戦争終結に向けた国内の動きに影響を与えたとする氏の論考に、大きな衝撃を受けたものだ。
その原氏はまた、編集者の間では、完璧なる”鉄”として知られている。作家や学者には鉄道ファンが多い。私の知っている小説家の中にも、全国鉄道白地図を塗りつぶす、つまり全線踏破の野望に挑戦している人も複数、知っている。そもそもが1人で旅をするのが好きな人種なのだ。
それでも、原氏が”鉄”として特筆すべき存在であるのは、主に2つの理由がある。
ひとつは、氏が東京の中心である渋谷で生まれ、その後、鉄道が大きな役割を果たす東京近郊で少年期を送ったことである。鉄道好きの思いを充分に満たすべく、さまざまな鉄道に乗り、さまざまな車窓の風景を目に焼き付ける機会に恵まれていた。同年代であっても、私のように最寄りの駅まで(高崎線・新町駅)バスや車を使うしかなかった田舎の少年とは、スタートからして違うのだ。いや、私は、旅は好きでも、鉄道にはそれほどこだわりがあったわけでもないのだけれど。
もう一点は、氏の父上もやはり鉄道を愛する学者だったようで、その父親に連れられ、またはその理解のもと、全国各地に鉄道旅をした経験を持つことである。東京に住んでいるというだけでは駄目なのだ。氏の旅の記憶は小学校低学年から始まり、中学、高校から大学へと、延々と連なっている。また、それが単に記憶だけではなく、メモとして、或いはスナップ写真として、今に残っているのである。氏によって蒐集(しゅうしゅう)された、発行以来、途切れ目のない時刻表とともに。
つまり、原武史氏ほど日本の鉄道史を語るに相応しい人を、私は知らない。その原氏が、朝日新聞の日曜版別刷「be」で連載中のコラムをまとめたのが、本書である。タイトルの〈2号車〉から知られるようにシリーズ2冊目ということになる。また、ダイヤグラムとは時刻を横軸に、起点から終点までの駅名を縦軸に配し、それをスジと呼ばれる斜線で結んだものである。鉄道ファンにはお馴染みだ。
この書評コラムは、歴史に関する本を扱うのを旨としている。本書も当然ながら、鉄道を語ることを最終の目的とした本ではなく、鉄道という窓を通して、日本の社会のあり方、或いは、時代による変化を捉えようとするものである。しかも、鉄道という視点こそが、明治以来の日本の歴史を考える最良のキーワードであることを、筆者自身が密かに信じている。そこが、本書の最大の魅力と言っていい。ご専門の皇室への視点にも負けぬほど鋭い、そう言ったら、筆者に怒られるだろうか。
新聞連載ゆえに一遍、一遍が短い。それがちょっと残念でもあり、別刷なんだから、朝日はもっと枚数を増やしたらどうかと思うが、それを補っているのが五つに分けられた章立てである。中身に触れつつ、具体的にみて行こう。
皇族と鉄道の関わりを論じる話を集めている。本筋の研究と鉄道を合体した論考は、筆者の独壇場である。戦前も、戦後しばらくも、お召し列車と、それを沿道で見送る民衆との接触が、皇族と国民の数少ない接点だったと指摘する。そうか、まだ、テレビはないのだからな。いま、豪華なお召し列車は大宮の鉄道博物館で観ることができる。
近代以降の鉄道の発達が社会をどう変えていったか、著者が実地に見分したことをもとに論じている。したがって、東京近郊や、東京から行きやすい場所、関東や東北の鉄道をもとにした論考が中心となる。細かな指摘をいちいちは紹介しないが、これがとても面白い。
タイトルの通り、著名作家と鉄道との関わりや、作品の中で鉄道がどう描かれたかが紹介されている。作品の中では大まかにしか書かれていない鉄道での移動に関し、その細かい発車や到着の時刻、使われた車両にまで触れているのが面白い。きっと、日時を特定し、それをその時代の時刻表から割り出したんだろうなあと想像すると、微笑ましい。それこそが鉄道オタクの楽しみなのだろう。作者が大好きであろう松本清張に触れる部分が少ないのは、シリーズ一作目に書いてしまったからに違いない。
ここでは社会に大きな衝撃を与えた事件や事象、或いは、歴史的人物をめぐる鉄道との関わりをひと纏めにしている。また、二章とかぶるが、鉄道のあり方から見える日本人や日本社会の特徴を論じる。あのマッカーサーは鉄道に乗らなかったというのは衝撃だった。鉄道に乗るような遠出をすることがなく、つまり、こちらから出かける必要のある人物や用事など、マッカーサーにはなかったということだ、そう、筆者は指摘する。日々、ホテルと執務室を往復するだけだった“皇帝“は何を考えていたのだろうか。
本書を手にとった時、まっ先にこの章から読もうと思ったのは、私が駅弁の大ファンだからだ。旅の大きな楽しみは、その地の歴史に触れることと、それと駅弁だ。でも、タイトルはあくまでこの章を象徴するもので、中身は著者の個人的な体験、鉄道にまつわるかけがえのない記憶である。鉄道エッセイは通常、この章にまとめられているような話が多く、その意味ではここから読むのもありかもしれない。
歴史本としての本書を俯瞰したとき、私が何が一番面白かったかといえば、江戸の幕藩体制から、明治の中央集権国家へと日本が変貌を遂げようとするとき、その役割を一番に担ったのは鉄道だったかもしれないな、そう教えられたことだろう。東京と直接、鉄道によって結ばれることが発展の最大のキーであり、それが遅れた地域は、そのぶんだけ近代的な意味での発展から取り残されることになった。千葉は東京にこれだけ近いのに、なぜ、田舎臭いのか(失礼!)、私の年来の疑問は、両国駅をめぐる本書の指摘によって鮮やかに解かれることになった。中世から近世へ、日本を大きく作り変えたのは、各地の城下町を中心とする江戸の幕藩体制だった。いまでも日本は逃れ難くその影響下にあるが、一方で、鉄道こそが、そうした“江戸”に変化を促し続けてきたのだ。
かつて、鉄道省が官僚の中の官僚と称された時代があったという。“鉄道こそ国家なり“そう讃えられた時代が確かにあった。その鉄道がいま最後の危機を迎えている。それは日本社会が、大きな変化にさらされている象徴なのかもしれない。
「歴史本探偵見参!」は毎月更新予定です。実際に著者が足を運んで撮影した「名城ファイル」もあわせてお楽しみに!更新のお知らせはホンシェルジュTwitterにて。
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- 著者
- 羽鳥 好之
- 出版日
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