芸能プロデューサー×イーロン・マスク“現代非喜劇ノンフィクションの極致”|ダメ業界人の戯れ言#16

更新:2024.1.11

ドラマや映画などの制作に長年携わってきた読書家プロデューサー・藤原 努による、本を主軸としたカルチャーコラム。幅広い読書遍歴を樹形図のように辿って本を紹介しながら、自身の思うところを綴ります。 今回は“柄にもなく”手に取ったという、起業家イーロン・マスクの伝記をご紹介します。

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現代非喜劇ノンフィクションの極致

そもそもこういう今の人のサクセスストーリーとか、僕は正直そんなに興味を持ったことがありませんでした。この『イーロン・マスク』だって、まああれだけいろいろ言われた世界一の大富豪の話だし、きっと面白おかしく書いた一つのビジネス本だろうぐらいの感覚で。

しかしなぜ今回はこの上下巻にわたる大冊を読んでしまおうと思ったかと言うと、大きく次の二点の理由がありました。

一点は筆者のウォルター・アイザックソンと言う人が以前『スティーブ・ジョブズ』を書いていて、似たような別の本とは全く別の高い評価を受けている。そして彼が『イーロン・マスク』を書くに当たって、本人から全幅の信頼を得たのか、その友人、仕事仲間、家族、敵、元妻への取材を勧められたこと、さらにこれが一番大きなことだけれども、マスク本人がこの上下巻にわたる本に一切目を通していないらしい、と言うこと。

そしてもう一点は、去年、イーロン・マスクがツイッターを買収した際、このコロナ禍を経て一般的にはオンライン仕事で出社に及ばず、という趨勢の中、社員には週40時間きちんとオフィスに出社して欲しいと言ったらしいこと。

この取材する側の事情と、される側がどうも一般的ではない人物像であるせいで、何だか読まないと損するような気になってしまったのです。

著者
["ウォルター・アイザックソン", "井口 耕二"]
出版日

 

で、全部読んでのまず最初の感想としては、イーロン・マスクの辞書には、パワハラとかそう言う概念は一切存在しないのであろうということ。いい意味でも悪い意味でもギリギリ頭おかしいです、この人たぶん。アスペルガー症候群があるせいなのか、他人が自分に対して抱く感情にほとんど無頓着である一方、恨み憎しみが生まれたら後先考えずに口に出さずにはいられない。

彼のことをぶっ殺してやりたいと思っている人の数もきっと相当なものでしょう。

しかしこんなに頭おかしい人がいないと、ほんとうの意味でのイノベーションとか発明とかも生まれないのかもしれません。

彼の頭の中には、既成の常識、などほとんど存在しないのです。

30歳ぐらいの時に、冗談抜きで、俺は火星に住む人生を掴み取るんだ、なんてこと99.9%以上の人は思わないでしょう。

しかし、マスクは破産しそうになりながら、何度もロケット打ち上げに失敗しながら何とか首の皮一枚つながって次のステップへと進んでいくのです。

そうなんです。全然めげないのです。

日本語に「嘘から出たまこと」と言う慣用句がありますが、言い続けているうちに周囲の人間たちの一部も、こいつならほんとうにやっちまうかも、と思い始めるのかもしれません。

マスクの立ち上げた「スペースX」にしろ「テスラ」にしろ、昨年苦難の末に乗っ取った「ツイッター」にしろ、考えて実行に移す時の時間とお金の区切りようもしかしこれまた一言で言ってえげつないです。

この本の中で何度も繰り返し出てくる話として、部下にある仕事の達成を命じて、それをやるにはどう考えても時間は半年でこれぐらいお金がかかると言われたマスクは、その仕事を一ヶ月でお金もその十分の一でやれと言い、それはできませんと答えた時点で、その人は即刻クビになります。

先ほどパワハラ、と言う言葉が存在しない、と言ったのは概ねこのパターンですね。雇っているのは俺なんだからやれないと言う奴には去ってもらう、彼からすれば至極真っ当な論理なのかもしれません。

僕がもし彼の部下だったら、秒でクビですね。

しかしその一方、これぐらい途轍もない独裁者がいないと、物凄い結果も生むこともまたないのではないかとだんだん思えてきます。日本はたとえばスタートアップ企業などでももう少し合議制が機能していそうだし、イーロン・マスクが日本にいてもたぶん成功しないんだろうと思います。その意味で、乱暴に言えば、アメリカで見られる、たとえば政治にまで影響を及ぼすような企業というのは日本ではなかなか生まれてこないし、GDPがドイツに抜かれて世界4位に落ちたのもまあわかります。でも僕はそんな日本が一番いいです。かつての蓮舫の言い草じゃないけど一番じゃなくてもいいじゃないですか。

 

話がそれました。

読み物としてのこの『イーロン・マスク』ですが、全編そんなハラハラに満ちていますが、とりわけ下巻の後半、ツイッターの買収あたりから面白さがさらに倍増していきます。もうここまで来ると去年のことだし、筆者のウォルター・アイザックソン自体が、その会議などに参加を許されたりする経緯もあってより生々しくなっていくのです。

著者
["ウォルター・アイザックソン", "井口 耕二"]
出版日

ツイッター買収にあたり、イーロン・マスクが最も信頼する女性社員がいました。彼女もまたマスクを企業人、経営者として尊敬し、なかなかに難しい仕事もこなしていくのですが、買収騒ぎの中、ツイッターに広告を出す企業がどんどん離れていきます。要因として“ツイッターから広告を引き上げろ”という扇動的なツイートが増えているのも考えられました。マスクは、トランプをはじめ危険なツイートをする人たちのアカウント停止を解除して言論の自由を取り戻すほうにシフトするのが基本的な立場にあるにも関わらず、この女性社員に、“広告を引き上げろ”ツイートをする人間のアカウントを停止しろと命じます。女性は「それはできません。本来あなたがやろうとしている主旨に反します。」とキッパリ断わり、彼女は辞職するのです。ここは切なかったです。

しかしその一方で、イーロン・マスクという人は、人間と直接触れ合う、あるいは人間らしさ、みたいなものをとても大切にしているらしい顔も存在します。これがこの本を僕が読む要因の一つになった、オンライン就業がかなり幅を利かす中で、社員に毎日オフィスに出社することを求める、という姿勢です。

ツイッター買収に乗り出す時、本社に行って社員がほとんどおらず閑散としているオフィスを見て憤り、「ツイッターのオフィスをホームレスの人たちのシェルターに開放すべきだ」と冗談ではなくツイートしてしまうような人なのです。この本を読んでいて感じるのは、イーロン・マスクと言う人は他人の感情とかにとても無頓着なようなのに、なぜだか人間一般のことは好き、と言うかそのようにも感じられるのです。

『AI』についての考え方にもそれは現れ、Googleのラリー・ペイジと一緒に進めようとするも決裂、その後、オープンAIを一緒に作ってChat GPTの開発に乗り出したサム・アルトマンとも結局決裂します。人間を超えるシンギュラリティのような事態をイーロン・マスクは心から恐れているようなのです。サム・アルトマンはそんなマスクを評して「お山の大将になりたい人だ」と言ったらしいのですが。

それにしても凄かった。イーロン・マスク自身は、出来上がったこの本を一体いつ読むのか、あるいはもう読んでいるのか。

ドキュメンタリー番組を作ることを仕事の一つにしている者としては、そこがめちゃ気になります。僕がたとえばもし『情熱大陸』をこのウォルター・アイザックソンのようなやり方で作ったら、僕はきっとこの業界から追放されてしまうことになるでしょう。もしかしたらそれもまた日本とアメリカの違いなのか。自分のようなダメ人間は、日本的平和の中に浸かっているのがちょうどいいのだと、改めて思わないではいられないのでした。


 

info:ホンシェルジュTwitter

comment:#ダメ業界人の戯れ言

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