真昼に叔父からいきなり着信。なんか不穏。
ロケの合間に控室として使わせてもらっている古い民宿の一室で、天井全体に広がる禍々しいシミをボーッと眺めていた。その大きなシミが、どうやってその場所に浮き上がるに至ったのか、天井の歴史を想像で巻き戻しながら検証している最中だったのに。
数年ぶりに叔父の存在が俺の日常に割り込んできて、シミの検証はぷっつり途切れる。
スマホ画面の「叔父」の表示の下方を指で撫でて、通話を始めた。
数年ぶりに聞く叔父の声は当時のまま、柔らかで軽やかで、ただその声の主がどこにいるのか、どこかわからない暗がりからそれが発せられているような、奇妙な違和感があった。
叔父は電話口とは言えど数年ぶりの邂逅にも関わらず、挨拶もそこそこに、最近の自分の近況について話し出した。
失恋。
叔父には付き合って3年ほどになる恋人が居た。叔父はずっと独身。でも最近、その恋人と別れてしまった。フラれたらしい。
叔父が恋人に話を聞いていく内、そこにその別れの発端を作った第三者の存在が浮上してきた。らしいんだけど、それが誰だったか、恋人の友達か上司か、はたまた路上で商売をする占い師だったか。
途中から部屋のテレビを点けて話を聞いてしまっていたため、その辺りを失念した。
でもとにかく叔父はその第三者と実際に対面した事はなくて、だけどその第三者が叔父の恋人の前で、会ったこともない叔父のことを『燃えかす』と呼んだのが二人が別れるきっかけに繋がったらしい。
詳細は省くが、叔父の魂はとっくに燃え尽きて、現在の叔父の体の中にその魂は不在。いま叔父が生きながらえているのは魂が燃え尽きる際に出た『燃えかす』がかろうじて体内に残留しているだけで、その余韻で今も日常を漕ぎ続けているに過ぎない、みたいな事を、その第三者が叔父の恋人の前で滔々と言い放ったらしい。
その第三者に会ったことも無い叔父がなぜそこまで言われるに至ったのか、状況が想像できない上に、今一要領を得ない物言いに感じるが、叔父の恋人はあろうことかその言葉たちに打たれ、その第三者と別れて家に着く頃には恋人にとっても、叔父という存在が『燃えかす』としか思えなくなってしまっていた。
恋人の現実がその第三者の持つ現実にコピペされて書き換えられてしまった、と叔父は言った。
言葉は呪いだと、誰かが語っているのを耳にした事があるけれど、そんなんじゃ足りないくらいに、言葉は人にとって、強い。言葉の作用はその言葉が持ち得る意味をどこかに伝達するだけでは無く、誰かが持つ現実そのものを書き換えてしまう事すらできる。言葉は呪い、そんなフレーズでは言葉の効力を奪えていない、と叔父は話した。
それはさておき通話の最中、ふと叔父が今どんな顔でこの話をしているのか、上手く脳内でイメージ出来ない事に気がついた。叔父の表情の作り方を子供のころから俺は知っていて、それをいくつかはめ込んでみたけれど、どれもが上手く重ならない。
途中からその事に意識がいって、また叔父の話が疎かになりかける。
言葉はそこにある物の『本質』を創り替える事が出来て、言葉はそこにある物の『本質』を奪い去る事ができる。
恋人にそんな前兆はなかった。と叔父は語る。
恋人にとって『燃えかす』と化す以前の叔父は、明らかに『別の何か』であったはずだ、と。
言葉によって、元より在ったその物の『本質』は、この世界から消え失せる。音もなく。最初からそんなもの無かったみたいに。静かなまま。
言葉を侮らないで欲しい。言葉を使うには、そこにはその時の、俺らの意志がなければならない。叔父はそう言った。そう言って、しばらく黙った。
向こうが静まり返ったままなので、俺は通話が切れたのでは無いかと、一瞬スマホ画面を確認してしまった。
もしもし叔父さん?今どこにいる?と声を掛けたくなったけど、電話の向こうの沈黙そのものが、それを拒む意志をこちらに向けている様な気がして、なんとなくそのままでいた。
叔父が次に声を発した時、さっきまでより少し声が遠のいている気がした。スマホから離れた所で話しているのか気になったけど、叔父は構わず言葉を繋いでいく。
『燃えかす』を発端として起きた今回の騒動の渦中で、叔父にとっての自己への認識も、実は『燃えかす』になり始めている、と叔父は言った。
俺は実際、『燃えかす』に他ならないんじゃないだろうか?
叔父にとっての自分も、グラデーションでそこにスライドしようとしている、そう話した。
それから、俺は自分の身をもって、これから人体実験を始める。そう続けた。
叔父が今どんな表情でスマホの向こう側に居るのか、いよいよわからなくなる。というかその声すらも、聞き馴染みのある叔父の声ではない気がしてきた。
叔父は一度、自分の『実名』からも抜け出して、自分の『本質』を探る。要するに『改名』する、と言った。
今俺が話しているのは誰?
その結果、自分がどうなるのかを確かめるよ。
自分の本当の本質の芯に触れて、その手触りを確かめて来る。
俺は今から俺を漂白する。
一方的にそう言い残すと、叔父との通話はそこで途切れてしまった。
部屋にはテレビから流れる昼の情報番組の音声だけがただ流れていた。
テレビの中で話すタレント達のテンポの早い会話の声が、この畳の部屋にはやけに場違いに感じられた。
だからテレビを消して、俺はまた天井を見つめる。
これなん?
天井のシミを、ただボーッと眺める。
音は無い。
そういえば、俺はいつになったら現場に呼ばれるのだろうか。
というより今この部屋の外では、俺不在のシーンの撮影が、今も実際に続いているんだろうか?
あまりにも静かだ。
ていうか今日、そもそも撮影なんてしてたんだっけ?
ここ、どこだ?
あ、このシミ、あれだ。
俺は天井に浮かぶ歪なシミの輪郭を、畳に寝そべったまま、天井に向けた人差し指でなぞってみる。
『燃えかす』の言葉に焼き払われた、叔父の恋人の、元々そこに在った『本質』が、蒸発して出来たシミだ。
多分そのはず。
きっとそうだ。
そうか。これが。
叔父さん、ここにあった。
もうシミだけど。
※この岡山天音はフィクションです。
ない。
【#25】※この岡山天音はフィクションです。/雨宿り。後から軒下に入ってきたお婆さん。
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【#24】※この岡山天音はフィクションです。/せっかく諦めたばかりだったのに。
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【#23】※この岡山天音はフィクションです。/夏と教習所
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※この岡山天音はフィクションです。
俳優・岡山天音、架空の自分を主人公にした「いびつ」なエッセイ×小説連載を開始!