日露戦争が日本の勝利に終わったのは1905年、明治38年のことでした。明治維新からわずか38年で、巨大な軍事力をもつロシアに対し日本はどのようにして勝利したのでしょう。日露戦争の概略を紹介し、より理解が深まる4冊の本を紹介します。
日露戦争とは、朝鮮・満州の支配権をめぐり日本とロシアの間でおこなわれた帝国主義的戦争です。1904年に日本の旅順攻撃で開始し、翌年に日本は奉天を占領、日本海海戦の勝利によって軍事上の勝敗はほぼ決定しました。
1905年9月にアメリカのポーツマスで講和条約が結ばれ、日本の勝利で幕を閉じます。その結果、日本は韓国の保護権が承認され、ロシアからは南樺太、南満州鉄道の利権、旅順・大連の租借権を得ることになりました。
1895年4月、日本と清国の間で、日清戦争の講和条約である下関条約が結ばれました。その内容のひとつに、遼東半島を日本に割譲するというものがありました。
しかしこの遼東半島の割譲は南下政策をとるロシアを刺激し、ロシアがフランスとドイツをさそって、同半島の返還を日本に要求してきます。この三国干渉に対し、国力に劣る日本政府は返還に応じるほかありませんでした。
その後日本は、朝鮮半島問題についての譲歩を期待して、ロシアへの協調に腐心します。しかし、清で起きた「義和団事件」の混乱を鎮圧するためにロシアが軍隊を派遣し、そのまま満州を占領する事態になりました。
ロシアが満州を支配することは日本の朝鮮半島における権益を脅かします。日本は、同じく自国のアジア政策に不利となるイギリスと同盟を締結し、開戦準備を進めました。
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開戦からおよそ1年が経った1905年1月、ロシアの重要拠点であった旅順要塞が陥落します。これによって、日本海側の制海権は日本のものになりました。
冬季には膠着していた戦線が3月になると再び動きだし、奉天で両軍あわせて約60万が動員された大規模な会戦がはじまりました。18日間の激闘のすえロシア軍が撤退し、日本の勝利で終わります。
5月、日本海海戦で、ヨーロッパから遠征してきたロシア海軍のバルチック艦隊を日本の連合艦隊が全滅させました。
日本は連勝していましたが戦力はほぼ枯渇しており、またロシア国内でも革命が起きたため、両国はアメリカの仲介で、講和条約を結びます。
1905年8月10日にアメリカのポーツマスで講和会議が開かれ、日本の小村寿太郎と、ロシアのウィッテが、ポーツマス条約に調印しました。
その条約の内容は、日本が朝鮮半島の保護権を持つこと、ロシアから南樺太、南満州鉄道の利権、旅順・大連の租借権を得ることなどでした。
しかし賠償金の支払いについては実現しなかったため、日本国内では戦争のための増税に耐えた国民が政府を糾弾して暴動となり、日比谷焼き打ち事件などが起きます。
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なぜ日本は戦争を有利に進め、勝利をおさめることができたのでしょう。大きく2つの勝因があります。
まず日本軍の士気が、ロシア軍を大きく上回っていました。当時の日本軍の幹部は、幕末から明治にかけて近代国家誕生のためいくつも戦火をくぐってきた経験をもっており、またロシアに勝たないと国が滅びるという危機感もあったため、優れた作戦を生み出したのです。
一方のロシア軍は、皇帝をはじめ将軍たちが日本の軍事力をかなり低く見ていたため、軍内部の統率が緩んでいました。また国内の政情不安から兵士たちには厭戦ムードが蔓延し、日本軍の必死な攻撃を前にすると崩壊してしまうような状態だったので、長期に戦線を維持することができませんでした。
限られた国力を冷静に計算し、開戦前から戦争終了のタイミングを考えつついかにして勝つかを緻密に準備していた日本軍に対し、ロシア軍は勝利への意欲が低く、兵力を十分に使えない状態だったのです。
また2つ目の理由として、日本はイギリスを味方につけたことで、軍事面と財政面ともに支援を受けることができたという点があります。軍艦を動かすための石炭の調達に関して、イギリスはロシアに対して妨害工作をおこない、日本に優先して調達できるようにしました。
さらに、膨大な戦費を賄うため日本政府は公債を発行しますが、その引き受けに関してもイギリスが便宜を図り、日本を助けました。講和条約の仲介にアメリカが登場することも、イギリスとの同盟が大きく作用しています。
アジアの小国と思われていた日本が、大国ロシアとの戦争に勝利したことは、当時の世界情勢では考えることができないことでした。この勝利は、日本の歴史はもちろん、世界の歴史にも大きな影響をもたらしたのです。
まず対外的には、日本が世界の列強と肩を並べることができたということです。アジアの国が西洋の列強のひとつに戦争で勝利したことは、植民地支配に抵抗していたアジア諸民族を刺激し、彼らの民族意識を高めました。各国の近代化への動きを加速させたのです。
次に、日本の大陸進出が大きく前進しました。1910年には韓国を併合。さらに満州でも鉄道経営を本格化させ、鉄道沿線の炭鉱の開発に乗りだしました。
そして、日本がアジアにおいて確固たる地位を占めるようになると、アジアの門戸開放を求めていたアメリカの孤立を招きます。アメリカの日本に対する友好感情が薄れ、アメリカへ移民した日本人の排斥問題が起こるようになりました。
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ここまで日露戦争の概要について簡単に解説しましたが、20世紀の初頭の国内外の情勢はその後の歴史を考えるうえで大変重要です。
ここからは、この戦争をとおしてその後の歴史を考えるための本を4冊紹介していきます。
本書では、日露戦争に至るまでの日本とロシアの歩みを、詳細に分析しています。三国干渉の裏側で起こっていたことの記述から始まるのですが、この時点で日本とロシアの認識が異なっていたことがわかります。
日本は、ロシアに譲歩すれば、その引き換えに韓国での活動を黙認してくれるのではないかと考えますが、ロシアはそのようには考えません。ここに清が自国の被害について国際社会に訴える動きが加わり、両国の溝を埋める機会は無くなったのです。
ロシアと日本の対立が深まる背景に、いくつかの誤解と第三国の存在があったことは興味深い事実です。
- 著者
- 横手 慎二
- 出版日
- 2005-04-25
日英同盟についても再検証されており、イギリスがこの同盟をどのように捉えていたかを浮きあがらせています。イギリスはあくまで自国のために、日本と同盟を結びました。
条約では日英のどちらかがロシアとの交戦状態になった場合、同盟国がただちに援軍を出すのではなく、第三国がロシアと共にその攻撃に参加した場合に軍を派遣する、ということになっていたのです。
当時は露仏が同盟を結んでいましたが、イギリスは日英同盟対露仏同盟となるような戦争を望んでおらず、イギリスの代理として日本が単独でロシアと戦争をすることが可能になる、という条文を差し込んで同盟を結びました。
詳細な資料からの検証により、認識が改まる事実がいくつもでてきます。日露戦争を例にして、国際関係を見る目を養うことができる本だといえるでしょう。
当初、ロシアと戦争をするための国力に不安があった日本は、その財政的な課題をどのように解決できたのでしょうか。本書では具体的に数字でその困難な状況を解説し、公債の発行が成功していく過程を描いています。
戦争に必要な費用を、外国に公債を引き受けてもらうことで賄うと日本政府は決定し、日銀副総裁の高橋是清をロンドンに派遣します。当初、日本という小国がロシアに勝てるはずがないと、銀行家たちとの交渉ははかどりませんでした。
- 著者
- 板谷 敏彦
- 出版日
- 2012-02-01
しかしそのような困難な状況のなか、是清は、日本がイギリスに代わってロシアと戦争すること、日本は利払いを遅延したことがないことなどを主張して交渉を続けます。ロシアでのユダヤ人問題も、日本には有利に働きました。
国際舞台に現れてから間もない日本が、ヨーロッパ社会の複雑な事情を味方につけて公債を発行できたのは、彼の世界情勢の分析能力と、巧みな交渉術が奏功したからだったのです。
また戦後のポーツマス条約の裏にはアメリカのアジア進出の狙いがあり、その後の日米関係に影響していくことも記載されています。日露戦争の意味を大きな視点で見直すきっかけを与えてくれる本です。
本書はタイトルどおり、日本陸軍の司令官であった乃木希典の真実の姿を伝え、名誉を回復することを目的としています。
司馬遼太郎が日露戦争について書いた長編小説『坂の上の雲』は、旅順攻略に苦戦したのは乃木とその参謀たちの愚挙迷妄が原因である、と断罪しています。この作品があまりにも有名になったため、乃木に愚将という評価が定着しました。
本書では『坂の上の雲』の記述を検証し、それが間違っていることを丁寧に指摘、真実を提示していこうとしています。元軍人である筆者の舌鋒はするどく、反論の余地はありません。
- 著者
- 桑原 嶽
- 出版日
- 2016-06-16
本書のなかに、乃木の失敗も認めつつ、それが必ずしも彼の能力に由来するものではなく、参謀本部から下された無理のある作戦変更が事態を悪化させたと分析している箇所があります。そして、司馬遼太郎の研究は甘く、偏った評価に読者をリードしていると批判しているのです。
歴史を学ぼうとする時に、予断を捨てて真実を求めることであるとの著者の主張に沿うのであれば、乃木の評価も本書だけに従うのではなく、読者が知識を深めて判断するべきでしょう。
客観的な歴史の真実を知ることは大変に難しく、通説に頼るだけでなく多方面の読書が必要であることを教えてくれます。俗論にまみれ、自分で判断できないことの恐ろしさを示唆しており、一読をおすすめします。
著者の半藤一利は、かつて司馬遼太郎を担当した編集者であり、自らも幕末から昭和の歴史に関して多くの本を出版しています。本書では、日露戦争が開始されるまでの状況を、膨大な資料を自在に操りながら巧みな筆さばきで解説してくれます。
主要な政治家や軍人たちの発言が多数引用されていて、当時の日本の雰囲気や、人々の戦争に対する考えなどについてわかりやすいでしょう。歴史に疎くても、日露戦争の概観を理解することができます。
- 著者
- 半藤 一利
- 出版日
- 2016-04-11
著者は明治の日本のことを、辛うじて帝国主義の列強から独立を守り、近代国家として憲法をもち、国会が開設されるなどの発展途中であったと解説しています。
そこに持ちあがってきたロシアとの対立。弱小国の日本が大国ロシアに戦争を仕掛けてくるがはすがない、とロシアの態度は傲慢でした。
一方で日本は大国と戦争ができる国力はなく、しかしロシアに屈することは朝鮮半島を失うことになり悲壮感が漂います。そして出した答えは、戦争の初期に大勝し、早期に講和する、というものでした。
そのためにすべての資源を戦争に集中し、あらゆる外交努力を惜しまなかった明治政府は、生真面目さとぶれずに進む胆力がありました。民族存亡の戦に挑んだ先人たちの生きざまに、今の時代にも活かせる教訓を発見できるはずです。
今回ご紹介した他にも、日露戦争に関する本は出版されており、そのテーマや問題意識は多様な分野に広がっています。世界史的な視点や、当時の国際情勢の研究からの考察、または活躍した人々の人物伝や、軍事的な視点ものまで実にさまざまです。現代でも通用する教訓を見つけ出し、活かしていくことが戦死された人たちへの供養になることを忘れずにいたいと思います。