5分でわかる征夷大将軍!主な将軍一覧、源氏しかなれない説などを簡単に紹介

更新:2021.12.10

「鎌倉、室町、江戸幕府の将軍の正式名称は何?」というクイズを出したら、ほとんどの人が「征夷大将軍」と答えられるはずです。でも、「征夷大将軍の本来の意味は?」という問いに対し、「幕府の長」や「武家の棟梁」では正解になりません。なぜなら彼らの役割は、時代のニーズに合わせる形で変わっていったからです。この記事では、征夷大将軍という役職ができた由来や役割の変遷、歴代将軍などの基本的な知識や、源氏しかなれないという通説の真偽などについてわかりやすく解説していきます。またあわせておすすめの関連本もご紹介するので、ぜひご覧ください。

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征夷大将軍とは何か?簡単に解説

朝廷の令外官のひとつで、朝廷に従わずに対立していた東北地方の部族「蝦夷」を「征討」するために、天皇の軍事代行者として任命された役職です。

といっても、最初から征夷大将軍と呼ばれていたわけではありません。古くは飛鳥時代末の709年に巨勢麻呂(こせのまろ)が「陸奥鎮東将軍」に任命され、その後も「征夷将軍」「征東将軍」「征東大使」など時期によって呼称もまちまちでした。

また当時は太平洋側を進む軍を率いる者を「征夷将軍」、日本海側を進む軍を率いる者を「征狄(鎮狄)将軍」、九州へ向かう軍を率いる者を「征西(鎮西)将軍」と呼び分けていました。

陸奥国の蝦夷を征討する軍を率いる将軍が「征夷大将軍」と呼ばれるようになったのは、奈良時代末期以降です。

征夷大将軍、初代は誰?主な人物一覧も

日本で最初の征夷大将軍として、歴史の授業で坂上田村麻呂と習った人も多いかもしれません。ただ実は初代は大伴弟麻呂(おおとものおとまろ)で、田村麻呂は2代目になります。

790年に征東大使になった弟麻呂は、794年の正月、節刀を賜与されました。これが征夷大将軍という呼称の初見です。この時、弟麻呂の副使として蝦夷征討の中心的役割を担っていた田村麻呂は、鎮守将軍を経て、平安時代初期の797年に桓武天皇から征夷大将軍に任じられます。

弟麻呂は呼称としての初代、田村麻呂は実務としての初代と解釈すれば、わかりやすいかもしれません。

その後、1192年に源頼朝が征夷大将軍となり、日本で初めての本格的武家政権・鎌倉幕府の長になります。しかし源氏の血筋が3代で途絶えると、九条家出身の藤原頼経が4代を継承し、6代は宮将軍の宗尊親王(むねたかしんのう)といった具合に、摂家将軍や宮将軍で代をつないでいきます。

鎌倉幕府滅亡後、後醍醐天皇の建武の新政を経て、足利尊氏が開いた室町幕府では、「日本国王」を称した3代義満、後継者問題から応仁の乱を引き起こした8代義政、「陰謀将軍」の異名をとった15代義昭といった個性派将軍を輩出しています。

また徳川家康が開いた江戸幕府では、「生類憐みの令」を発布した5代綱吉、ドラマ「暴れん坊将軍」シリーズのモデルになった8代吉宗、50人以上の子供をつくった11代家斉、最後の将軍である15代慶喜がよく知られています。


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征夷大将軍の役割の変遷は?変わったことと、変わらなかったこと。

当初は蝦夷征討を目的としていた征夷大将軍も、1192年に源頼朝が就任すると、役割が変わっていきます。

東国における武家政権の鎌倉幕府は、全国に守護・地頭を置いて、日本における軍事・警察権を掌握していました。この軍事政権のトップに君臨した頼朝は、自身の地位にふさわしい称号を欲し、東北平定後はほとんど有名無実化していた征夷大将軍を再活用したというわけです。

もともと頼朝は奥州藤原氏を討伐するために「征夷」の名目が必要だったというのが通説でしたが、1192年の時点で、奥州藤原氏はすでに頼朝に征討されていました。

このことから、頼朝が望んだのは「征夷」ではなく、「大将軍」のほうであったとし、朝廷が4つの候補の中からもっとも吉例とされる征夷大将軍を選んだとする説も有力です。以後は幕府の長、武家の棟梁として、その役割を変えていきます。

それでは、変わらなかった点とは何でしょうか。幕末の1867年に徳川15代将軍の慶喜がおこなった「大政奉還」がヒントになります。

大政奉還とは、朝廷から委任されてきた統治権を返還すること。草創期の征夷大将軍が天皇の軍事代行者として任命された事実を考えると、幕府も朝廷の代行者という点においては、変わらなかったといえるのではないでしょうか。


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征夷大将軍は源氏しかなれないって本当?

鎌倉幕府の創始者は清和源氏の源頼朝、室町幕府を開いた足利尊氏も、頼朝と同じ源義家の血を引く源氏の名門。そして江戸幕府を開いた徳川家康も、「自称源氏」といわれますが足利氏支流・新田氏の末裔を称していました。

その一方で、豊臣秀吉は征夷大将軍になりたかったのに、足利15代将軍の義昭に養子縁組を断られたため、近衛前久の猶子として関白になったという話も伝わっています。

これらのことから、「征夷大将軍には源氏しかなれない」というイメージが定着していますが、実は源氏でなくてもなれるのです。

先述したとおり、鎌倉幕府では源氏の血統が途絶えた後、摂家将軍や宮将軍が誕生していますし(ただし摂家将軍は母方が源氏の血統)、戦国時代には平氏の子孫を称していた織田信長に対して、朝廷が征夷大将軍を打診しています。

また秀吉についても、江戸時代初期の1642年に林羅山が編纂した『豊臣秀吉譜』に記載されているのが初出で、徳川の天下になってから唱えられた説であることを考えると、あまり信憑性はありません。彼はなろうと思えば将軍になれたのに、よりメリットのある関白を選んだともいえるでしょう。

しかし朝廷から官職を得るには、何事も先例が重んじられたので、当時「武家の棟梁である征夷大将軍は、源氏がふさわしい」という考えが根強かったのも事実。家康もこの先例にならい、源氏であることをアピールして将軍になったのです。

室町幕府の征夷大将軍から考える、リーダー像

著者は「室町幕府の将軍はだれも幸せになっていないし、現代を生きるハウツー本として重宝されるような立派な生き方をした将軍も皆無」と主張。

同じようなタイプのリーダーを輩出している、日本の現代社会との共通性を指摘しています。

著者
石原比伊呂
出版日
2017-12-20

「力で支配する」武士のあるべき姿を見せることができなかった室町幕府は、「出来損ない」と低く評価されがちです。しかし実は、鎌倉幕府や建武の新政の失敗例を踏まえたうえで、北朝天皇家を執事の立場で支えながら、「担がれることに特化したリーダー」に徹するという省エネ的な形態で、200年以上にわたって政権を維持していました。

こうした視点であらためて考察すると、「王権簒奪を企てた」と言われる3代将軍の義満も、現天皇家の治世が続くよう尽力していたと正反対の見方ができますし、良好な公武関係を構築した尊氏の弟の直義や2代将軍の義詮(よしあきら)の存在感の大きさも見逃せません。

歴代徳川将軍の健康状態は?

著者は、直木賞候補に何度もノミネートされている一方で、整形外科医でもある篠田達明。初代家康から15代慶喜まで、徳川将軍15人の死因や養生法を最新医学の立場で診断しています。

彼らがどのような健康状態にあり、病気になったときに江戸城の医師団がどのような治療を施したかを、面白エピソードを交えながら年代順に紹介しています。

著者
篠田 達明
出版日
2005-05-01

70歳を超える長寿を誇った初代・家康は、鯛の天ぷらによる食中毒で死んだというのが通説ですが、実は胃癌を患っていたようで、腹中のしこりをサナダ虫と誤診して強力な薬を飲みすぎたことが、死を早めたのではないかと診断しています。

また推定身長が子供並みの124センチしかなかった5代・綱吉を特発性、あるいは生長ホルモン分泌異常による低身長症と推定。彼が200回に及ぶ儒学の講義をおこなったのは、このコンプレックスを払拭するためだったと精神医学の視点でも分析しています。

さらに徳川家の将軍のなかでも最長寿の77歳まで生きた15代・慶喜が、外出の際にも必ず自家製の弁当を持参するなど食生活に気を配り、日々の運動も欠かさなかったというエピソードにも注目。健康長寿を目指す現代人にとっても参考になるでしょう。

征夷大将軍を学ぶ入門編として最適の一冊!

初代の大伴弟麻呂から、徳川15代将軍の慶喜まで総計48人の征夷大将軍の経歴や人となり、在職中に起きた大きな事件などを年代順に紹介しています。

「征夷大将軍とは何か?」を知りたい人にとって、入門編としておすすめできる一冊です。

著者
榎本 秋
出版日
2011-07-28

坂上田村麻呂は、降伏してきた蝦夷の族長・アテルイの助命を嘆願したという美談で知られますが、「単純な英雄ではなかった」として、田村麻呂側と朝廷側それぞれの複雑な事情を紹介しています。

鎌倉幕府でナンバー2に相当する執権の座についた北条氏が、頼朝以来の源氏の血筋が3代で絶えた後、なろうと思えば将軍になれたのにならなかったのはなぜかという素朴な疑問についても、わかりやすく解説しています。

また、南北朝の動乱さえ起きなければ、天皇と将軍の両方を経験するという日本史上に例を見ない存在になっていたかもしれない成良親王や、候補者4人の中からくじ引きで将軍に選ばれた足利義教など、異色の将軍たちのエピソードも興味深く読むことができるでしょう。

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