健康への関心が高まる昨今。みなさん、日常的に長い距離を走っていますか?実は日本人は、かなり昔からマラソンをしていたんです!それがいつごろから始まったのかといえば、遠く幕末まで遡ります。今回は、そんなマラソンの起源を取り扱った小説をご紹介。 日本で初めておこなわれたマラソン・遠足(とおあし)を描いた本作、それが『幕末まらそん侍』です。佐藤健主演で映画化されたこの話題作を、ここで解説していきましょう!ネタバレ注意です。
2014年に発売された歴史小説である本作。
作者は、土橋章宏(どばし あきひろ)。大阪府出身で、脚本家、放送作家としても活躍しています。2013年に、参勤交代を題材にした『超高速!参勤交代』を発表。続編にあたる『超高速!参勤交代 老中の逆襲』(文庫化に伴い『超高速!参勤交代リターンズ』に改題)を2015年に発表しました。
『超高速!参勤交代』シリーズは、2014年と2016年に実写映画化。著者自身が脚本も務めました。また2019年8月に公開予定の映画『引っ越し大名!』でも、原作と脚本を務めています。
- 著者
- 土橋 章宏
- 出版日
- 2015-06-13
舞台は幕末。黒船が来航し、国が荒れ始めた頃です。安政2年、安中藩(現在の群馬県)の藩主・板倉勝明は、藩士たちの心身の鍛錬を目的とした遠足(とおあし)を開催しました。
遠足は、現在でいうところのマラソンのこと。安中城から碓氷峠にある熊野神社まで、七里余り(約30キロ)を藩士たちが走り抜けます。
実際に記録として残っている安政の遠足を題材とした本作は、連作短編集。章ごとに主人公が異なっており、それぞれの人間ドラマを見せてくれます。話が進むごとに散りばめられた伏線が回収されるため、長編小説を読み終わったような読後感を味わうことができるでしょう。
本作は『サムライマラソン』とタイトルを変え、2019年2月22日に映画も公開されました。監督のバーナード・ローズは、ハリウッドを拠点に活躍するイギリス人。キャストは主演の佐藤健のほか、小松菜奈、森山未來、染谷将太、豊川悦司、竹中直人らが出演しています。
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安中藩の藩主・板倉勝明の、動乱期に備えて体力を向上させようという思いつきにより、遠足が開催されることになりました。なんと、50歳までの藩士は強制参加。そのなかで、姫を巡って争う若者2人を描くのが第1章です。
登場するのは、律義者の黒木と、お調子者の片桐。遠足に勝った方が褒美として、藩主に美しい姫を貰えるよう競争を始めるのでした。飛脚が使用する特殊な走法、左右の手足を同時に出すという南蛮走りを習得して真っ向勝負を挑む黒木に対し、片桐は駕籠や馬を使用するという小ずるいところを見せます。
正攻法で攻める男と、反則を駆使する男。果たして勝つのはどちらなのか、という勝負が見所の章。物語の最初を飾る章という事もあり、遠足が何のために開催されるのか、作品に共通する情報が数多く登場します。
約30キロという文字通り、山あり谷ありの道程に何が起こるのかという期待感も高まりますが、ひとまずは黒木と片桐の勝負の行方が気になるところ。真面目な黒木と、反則ばかりするものの明るくて憎めない片桐の、コミカルなやりとりにクスリと笑ってしまいます。
2章は打って変わって、男と女の道ならぬ恋の物語。
主人公は遠足にかこつけて、恋する女性と駆け落ちするために脱藩を企てるのです。彼は、料理がとても下手な妻・香代を持つ石井。江戸での剣の修行中、茶屋の娘・美鈴と恋に落ちます。妻を捨てたいが、なかなかそうもいかない……そんな時、遠足が開催される事になったのでした。
一緒に暮らしたい、と江戸から安中に美鈴がやってきたことにより、彼はついに決意。遠足をうまく利用し、姿を消そうとするのです。しかし、そんな彼に予想もしていなかった事態が起こり……。
青春コメディといった1章とは雰囲気が変わり、サスペンス調の雰囲気。女性陣の強かさに驚かされることでしょう。やはり妻は旦那より、何枚も上手なのかも……?
3章は、隠密の唐沢を主人公とした物語。彼は安中藩の隠密ではなく、幕府が放った隠密です。
事件のきっかけはちょっとした出来心から、というようなものですが、その後の事態は想定をはるかに超えるものでした。何をしたのかといえば、報告する文書の話を少々盛ってしまったのです。
唐沢が過去報告をした際、幕府からの反応はとても薄いものでした。そこで遠足をすることを報告する際、藩主の勝明が乱心したと記載してみたところ、幕府からの刺客がやってきてしまうのです。
ちょっとした出来心の誤情報が大変な事態になるというのは、どこかSNS社会の現代人にも通じるところがあり、共感できるポイントではないでしょうか。
隠密としての自分の存在意義を考える唐沢の姿は、社会の荒波のなかでもがき続ける現代人の姿と重なってしまうはずです。
名誉をとるか、金をとるか。人によってスタンスは違うとは思いますが、生活がかかっている状況で悩んでしまうのは致し方のないことでしょう。4章では名誉やプライドと、お金の間で揺れ動く人間心理が描かれています。
足軽の上杉は武士のなかでも身分が低く、日々倹約な生活を送っていました。足軽という事もあり、走ることには自信があった彼。しかし、とある男から、10両払うから遠足に負けてくれないかと持ち掛けられるのです。
人間の生活にはお金を欠かすことができず、名誉で腹は膨れません。しかし、自分が得意としている事柄を曲げてまでお金を稼ぐことに抵抗があることも、また理解できるものでしょう。
家族との生活か、プライドか。台所事情がわかるだけに、上杉の葛藤が胸に迫ります。
遠足は、50歳までの藩士は強制参加させられるという回避不可能の行事です。5章で登場するのは、その参加者のなかでは最高齢となる、又兵衛。彼は、亡くなった友人でありライバルでもある勘兵衛の息子・伊助と一緒に走ることになりました。
伊助は少々頼りない男ですが、又兵衛の助言もあり、徐々に成長していく姿を見せてくれます。対する又兵衛は、実は並々ならぬ覚悟で遠足に挑んでいるようで……。
頑なな部分もありましたが、伊助と関わることにより、徐々にその態度を軟化させていきます。亡き友の息子と、父の友人との交流。過酷な状況だからこそ、通い合う心があるのです。
物語は最終章へ。多くの人がそれぞれの事情と思惑を抱え、約1カ月という長い時間をかけた過酷なレースが終わろうとしています。
各章は独立しているように見えますが、同じ「遠足」というイベントで起こっている出来事。誰かの行動が、別の章の登場人物に影響をおよぼしていないわけではありません。
- 著者
- 土橋 章宏
- 出版日
- 2015-06-13
舞台は、幕末なのに走ることが主体という風変わりな本作。歴史小説という枠組みのなかに、青春群像や国家の命運をかけた戦い、そしてロードノベルというさまざまな要素が詰め込まれています。
目の前の人間とのやり取りがあるせいか1対1での戦いと錯覚しがちですが、構図としては自分対参加者全員です。目の前の敵と戦いながらも、実質的には別の参加者と戦っているということに、後半章になるにつれてじわじわと実感することができるのではないでしょうか。
誰が勝つか予想しながらも、自分の気に入った登場人物を応援したくなるはずです。
歴史のなかで実際にあった行事として聞くよりも、物語として受け取る方が当時の人々の心理を想像しやすく、存在が身近に迫ってきます。お金や不倫、仕事のことなど、現代人も共感できるポイントが数多くあるというところも見所の1つでしょう。
いったい、誰が最初に目的地にたどり着くのでしょうか。登場人物達を応援しながら、物語の最後を見届けてみてください。
小説版はほのぼのとしたテイストですが、実写映画版は歴史ヒューマン大河といったスケールの大きさ。話の流れに大きな変更はないようですが、雰囲気の違いに驚く読者もいるかもしれません。
現代では「遠足」という文字を見れば、多くの人が「えんそく」と読むでしょう。そんな「えんそく」とはまったくの別物、過酷な大人たちの「遠足(とおあし)」をとおして、悲喜こもごもの人間ドラマをお楽しみください。