信じるものが揺らぐ瞬間を描いた大傑作|村田沙耶香『信仰』

更新:2022.8.30

地元の同級生にカルト商法に誘われたことで自分が信じる「現実」が崩れ始める表題作『信仰』。「生存率」に支配された世界で恋人と別れる決意をした男女の苦しい恋模様を描いた『生存』。 自分だけの心の拠り所について語ったエッセイ『彼らの惑星に帰っていくこと』。村田沙耶香の痛烈な思いがギュッと詰まった短編集です。

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著者
村田 沙耶香
出版日

村田沙耶香の略歴、作品の特徴、作家性について

村田沙耶香は1979年生まれの、千葉県出身です。

10歳のころから小説を書き始め、小説を執筆しているときだけが自分自身を表現し、解放することができていると感じていたと語っています。

大学を卒業後、2003年に『授乳』で群像新人賞優秀賞を受賞しデビュー。

2010年に『しろいろの街の、その骨の体温の』で三島由紀夫賞を、2016年には芥川賞を『コンビニ人間』で受賞をしています。

彼女の作風は常識を疑い、ありのままの姿を肯定すると同時に独特の世界観を築いていると言われています。その世界は固定観念や凝り固まった価値観を壊す物語が多く、作家仲間から「クレージー沙耶香」と呼ばれる所以も、描かれる世界観から言われているのではないでしょうか。

村田沙耶香がどんな思いで『信仰』を書いたか

著者はよく喫茶店で執筆をしており、隣のテーブルでは様々な「勧誘」が行われているといいます。「あ、勧誘だ」と思うと、「がんばれ」「騙されないで」と応援するそうです。しかしそれはあくまでも「自分の安全で正しい世界の押し付け」。その思いを著者は「傲慢」とも表現しています。

その「傲慢さ」と自分たちが安全で正しいと思っている「こっち側への勧誘」が、この『信仰』という小説を書くキッカケになったそうです。

それと同時に、「自分にとって都合の悪い小説が書きたい」という強い思いがあり、「この小説が存在していることが恐ろしかったり、のんきに生きている自分が気持ち悪いと感じるもの」を著者は小説に書こうとしているようです。それは「村田沙耶香」という人間が決して特別な人間というわけではありません。自分自身にも愚かな部分があり、そういった部分を愚かな人間が冷静に見つめて書くことで「信仰」という物語が出来上がっているのではないでしょうか。

読者も著者の思いを受け取っているようで、「言葉を噛み締め読みたい」や「今作も地平から常識を問い直す刺激的な作品だ」などといった声が上がっています。

『信仰』:揺るぎない「現実」への信仰を疑え!

超現実主義者の永岡は、地元の同「級生の石毛にカルト商法をやらないかと誘われます。そこに石毛の元彼女で永岡とも中学の同級生だった斉川も加わり、カルト商法の話はどんどん進められていくのです。

その現実的ではない商売と、永岡自身が信仰する「現実」とが激しくぶつかり合う物語になっています。

主人公・永岡の口癖は「原価いくら?」。

幼いころから町内会のお祭りなどで「氷を削ったものにシロップのかけただけなのに500円はおかしいよ!」と声を上げ、ディズニーランドでは朝から晩までカチューシャやポップコーンの値段にヒステリーを起こす始末。

最初こそ周りも「かしこい子だね」「堅実でエライね」と言ってくれていたものの、次第にあまりにも度の過ぎた現実主義っぷりに疎まれていくのです。

 

一読してみると永岡の信仰している「現実」は決してまちがっているわけではないのです。

自分が、周りが、いかに損をせず、騙されずに生きていけるかを示してくれるとも言えます。

確かにディズニーランドのポップコーンは高いし、お祭りのかき氷はぼったくりかもしれしれません。

しかし、人生というのは多少の「夢」と「幻想」というものが必要です。

ディズニーランドのポップコーンは、ポップコーンそのものの値段に加えてディズニーランドという場所とその夢のような空間や雰囲気にも同時にお金を払っているのです。

永岡にはそこが理解できないところです。

空間や雰囲気は目に見えず、手にも手取れず、お金を払っても手に入れたという実感がおそらくないからでしょう。

永岡にとっての「現実」は、目に見えるだけではなく実感や実体を伴うものだと読んでいくと分かります。

「私は子供のころから、「現実」こそが自分たちを幸せにする真実の世界だと思っていた」(「信仰」より引用)

はたして夢も幻想もない、「現実」だけにフォーカスをあてた人生は楽しいのでしょうか?

やがて、石毛と斉川が始めたカルト商法に巻き込まれることで永岡の「現実」への信仰が揺らぎ始めるのです。

 

周りの幸せのため、親しい友人が損をして泣かないため、親を安心させるため。

「だれかのため」と言いつつ、永岡はそうやって自分の「現実」への信仰が揺ぎなく、まちがっていないものだと確かめようとしていました。

しかし、あるとき永岡に衝撃の出来事が起きます。

妹がカルト商法にハマるのです。親に妹の目を覚まさせるように頼まれた永岡は嬉々として妹にいかにそのカルト商法が怪しいか、騙されているかを騒ぎ立てるのですが、効果がありません。

やがて妹はそんな姉に言い放つのです。

「お姉ちゃんの『現実』って、ほとんどカルトだよね」(「信仰」より引用)

カルト商法をしようとしている友人を止める一方、自分の考え方が「カルト」だと言われることへの不信感。

そして、同時に自らが信仰する「現実」がはたして正解なのか?と疑問に思うようになるのです。

「私はいつも、会う人会う人を「現実」へ「勧誘」していた。それが全ての人の幸福だと信じて疑っていなかった。」(「信仰」より引用)

だれしもが信じて疑わない「何か」を持っています。例えば「目玉焼きにはソースが合う」と信じて疑わない人。例えば「この作家さんが書く本は絶対におもしろい」と信じて疑わない人。

しかし、生きていれば永岡のようにそれが揺らぐ瞬間や、壊される瞬間があると思うのです。

「信仰」という物語に託された、自分が信頼するものの本当の姿について考えさせられることと思います。

『生存』:村田沙耶香が描く反理想世界

全国民の「生存率」が「%」と「A」や「C―」などの英語で評価されるようになった世界。

「C―」のクミと「A」のハヤトは恋人同士だが、将来できるであろう子供の生存率を考えて、クミは自分の評価を「D」まで下げ、ハヤトと別れることを決意します。

「生存率」とは「65歳のときに生きている可能性がどのくらいかを数値で予測して表したもの」のこと。お金さえ払えばたいていの病気が子供のときに治ってしまう時代のため、本人が得るであろう収入を予測して決まってくるそうです。

そんな、すべてが「生存率」というものに支配された世界で、「C―」のクミと生存率が最高値の「A」であるハヤトでは、当然ながらつり合いません。別れようと言うクミにハヤトは別れるつもりはないと言うのですが、生存率が自由に恋愛することすら拒むのでした。

 

クミの親友のメグミは必死で勉強をし「生存率」を「B」まで上げました。クミも同じように努力をしていたのですが、あるときふっとその努力が無意味に思えてしまうのです。

「生存率に支配されながら生きるより、生まれたままの生存率で生きて、ほどよいタイミングで死ぬほうがずっと健全な気がした。」(「信仰」より引用)

私たちの人生は数字で左右されるものではありません。まして「生」や「死」を人の手で決められるなど論外です。

 

一種のディストピア小説として読めるこの物語は、管理社会が生み出した結果でもあると言えます。国が国民を管理することで生まれる閉塞感、そして自由に恋愛や働くことができない拘束感。今生きる現代社会がいかに自由を享受している生活だと感じることができるのではないでしょうか。

ディストピア小説は遠い未来に起こりうるであろう出来事を体験できるとともに、手元にある幸せを噛み締めることができると思います。

あなたは好きな人と自由に恋愛ができていますか?

仕事はできていますか?生活は普通に送れていますか?

それがどれだけ幸せなことかを、この小説を読んでぜひ実感してほしいと思います。

『彼らの惑星へと帰っていくこと』:だれもが心の中に持っている穏やかな場所

著者が大切にしている「イマジナリーフレンド」ならぬ「イマジナリー宇宙人」について語ったエッセイです。

「イマジナリーフレンド」とは、「想像上の仲間」や「空想の遊び友達」とも訳される、心理学、精神医学における現象名の1つです。

子どもの頃にイマジナリーフレンドを持つ要因は、「自分を認めてほしい」という欲求や、「劣等感とコンプレックス」からくるようです。

 

著者の場合、8歳の頃に自分が地球人であるということに違和感を覚え、「イマジナリー宇宙人」と出会ったといいます。

昼間に地球人として生活している間、著者の心は「普通の地球人でいよう」とするあまり内側までズタボロに傷つられていたそうです。

学校で「異物」になってしまうとすぐに摘発され、迫害され、嘲りの対象になってしまうからです。「異物」にならないように必死になって「普通っぽく」「地球人っぽく」振舞っていたというから、心が痛くなります。

 

著者はイマジナリー宇宙人のAさんとベッドの宇宙船で彼の惑星へ行き、恋をし、デートをし、キスをしました。それは42歳になった今も変わらないそうです。

彼女は「イマジナリー宇宙人」について、

「イマジナリー宇宙人たちを失ってしまったら、私は死ぬのだった。心を回復する唯一の場所を破壊されたら、人間は死ぬ」(「信仰」より引用)

と語っており、その存在がいかに大切かを感じていると言います。

著者のようなイマジナリー宇宙人ではなくとも、人間には心の拠り所が必要です。だれにも言えなくていい、だれにも言わなくてもいい、心の拠り所が。

そんな居場所や空間を大切にしようと思えるエッセイです。

 

まとめ

『信仰』は価値観を壊すための物語であるとも言えます。読むと信じてやまいもの、人、すべてが揺らぐかもしれません。しかし、その壊された先にあるのは新たな、価値観との出会い。それをこの本は作ってくれるのではないでしょうか。まったく新しい、村田沙耶香のある種のカルト的な小説『信仰』を、ぜひ自分の中の揺るぎないものを疑うつもりで読んでください

著者
村田 沙耶香
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