国語の教科書で御馴染みのヘルマン・ヘッセ『少年の日の思い出』。 優等生のエーミールが良心の呵責に苦しむ「僕」に向けて放った、「そうか、そうか、つまり君はそんなやつなんだな。」は、心抉る名台詞としてあまりにも有名ですね。 今回は『デミアン』『車輪の下』などで有名なヘルマン・ヘッセの名作短編、『少年の日の思い出』の魅力やエーミールの真意を、ネタバレ含めて考察していきます。
好奇心旺盛な子供たちが寝静まった夜更け、「私」は自邸に招待した客人に乞われ、趣味で制作したワモンキシタバの標本を見せていました。
「私」が手掛けた標本に客人は甚く感心し、自分も嘗て標本作りに熱中していたと明かしますが、突如として苦い顔で黙り込み、「思い出を穢してしまった」と独白。
少年時代の客人=「僕」は標本作りに熱中しており、飽くなき情熱と尽きせぬ探求心で、昆虫採集にのめりこんでいました。
貧しい生まれの「僕」は既製品の標本箱を工面できなかった為、「僕」はボール紙の箱に昆虫を昆虫を保管しており、それを遊び仲間に見せるのに躊躇しています。
片や「僕」の隣に住む教師の息子のエーミールは、品行方正な模範少年として知られ、高価な標本箱に美しい蝶を飾っていました。
そんなエーミールを敬遠していた「僕」ですが、偶然捕らえたコムラサキを自慢したい衝動に駆られ、彼の家を訪ねます。
するとエーミールは展翅技術の未熟さや脚の欠損を論い、「僕」が苦労して捕らえたコムラサキを、「せいぜい20ペニヒ程度」と酷評するではありませんか。
エーミールにこき下ろされた「僕」は、二度と作品を見せるものかと憤慨し踵を返します。
それから2年後……今だ標本作りに夢中な「僕」は、エーミールが大変珍しいクジャクヤママユの繭を手に入れ、羽化を成功させたと聞いて心を乱しました。
本の挿絵でしか見たことないクジャクヤママユは、「僕」が長年探し求めていた憧れの獲物だったのです。
「僕」は再びエーミールを訪ね、彼が留守なのを幸いと部屋に忍び込み、未完成のクジャクヤママユの標本を鑑賞。
うっかり魔が差し持ち帰りを企てるも、たまたま通りがかったメイドの足音に驚き、手の中のクジャクヤママユを握り潰してしまいました。
その後母に秘密を打ち明けたところ、謝罪と弁償を勧められます。
「僕」は気乗りしない様子でエーミールに会いにいき、復元作業に苦心する彼に懺悔し、変わり果てたクジャクヤママユを返却。
するとエーミールは舌打ちし、「そうか、そうか、つまり君はそんなやつなんだな。」と「僕」を辱めました。お詫びのしるしに全てのおもちゃと標本を譲るという申し出も断られ、「僕」は呆然と立ち尽くすしかありません。
この事件がきっかけで「僕」は全ての標本を破棄し、標本作りを一切やめてしまったのです。
- 著者
- ヘルマン ヘッセ
- 出版日
- 2016-02-02
作者のヘルマン・ヘッセはドイツ出身のスイス人作家。
本名はヘルマン・カール・ヘッセで、数々の小説と詩を物し、20世紀のドイツ文学を代表する文学者として知られています。1946年には『ガラス玉演戯』でノーベル文学賞を受賞し、世界的な名声を獲得します。
代表作はギムナジウムを舞台に思春期の少年の苦悩や葛藤、同性愛的な友情を描いた『車輪の下』および『デミアン』。
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ノーベル文学賞を受賞したドイツの小説家・詩人のヘルマン・ヘッセ。そんな彼の代表作が本作です。とても有名な作品ですが、内容を知らないという方も多いのではないでしょうか。 今回の記事では、そんな本作のあらすじ、名言などを紹介します。これを読んで、ヘッセの代表作に触れてみてください!
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『少年の日の思い出』は1911年に発表された短編、原題は『蝶』。20年後の1931年に加筆修正を加え、『少年の日の思い出』に改題し出版に至ります。なおドイツでは蝶と蛾を区別する習慣がない為、両者を呼び分けていません。
中学の国語の教科書で本作に触れた方も多いのではないでしょうか?
『少年の日の思い出』は少々変則的な構成になっており、冒頭は客をもてなす「私」視点で幕を開け、何やら標本にトラウマがあるらしい、客人の「僕」の回想へと移っていきます。
『車輪の下』『デミアン』同様、多感な時期の少年たちのすれ違いが描かれているのに注目。「僕」の家計は苦しく、既製品の標本箱すら買ってもらえません。故に「僕」は家柄の優れた友をねたみ、エーミールが手塩にかけて羽化させたクジャクヤママユを、衝動的に盗んでしまいました。
泥棒を働いた事実は先々まで「僕」の良心を苛み、数十年後も苦しめ続けています。
本作の大半は「僕」の視点で進行し、読者の自然な感情移入を促します。
読者は貧しさ故にボール紙で標本箱を自作する「僕」に胸を痛め、それを内輪の品評会に持参するのを躊躇する、いじらしい恥じらいに共感せざるを得ません。「僕」と似た環境で生まれ育った者、自分の作品が他と比べ見劣りすると卑下しがちな人は、「僕」の心に植え付けられた根深い劣等感に痛みすら覚えるはず。
だからこそ後半、「僕」が過ちを犯すシーンの切なさと、謝罪を撥ね付けられる場面のやるせなさが生きてくるのです。
前半でどっぷり感情移入していた分、憧れの蝶を目にして自制できず手を出してしまった「僕」の後悔は、普遍的な共感の獲得に成功しました。
片やエーミールは本作の悪役、「僕」とは正反対の恵まれた模範少年として描かれています。「僕」が苦労して捕まえたコムラサキを「せいぜい20ペニヒ程度」と値踏みして蔑むなど、その言動は傲慢そのもので、好感を抱くのは難しいです。
ならば『少年の日の思い出』は、生まれながらに特権に浴す恵まれた人間の、無知なる傲慢を描いた作品なのでしょうか?そうとも言い切れないのが、『少年の日の思い出』の深い所です。
- 著者
- ["ヘルマン ヘッセ", "ミヒェルス,フォルカー", "Hesse,Hermann", "Michels,Volker", "朝雄, 岡田"]
- 出版日
『少年の日の思い出』を一読忘れ難い名作足らしめているのは、エーミールが「僕」に向けて放った、「そうか、そうか、つまり君はそんなやつなんだな。」の破壊力。
大方の予想通り、エーミールは「僕」の謝罪を受け入れません。恥を忍んで謝りに来た「僕」を面と向かって軽蔑し、おもちゃと標本を全部譲る申し出を拒み、見限っているのです。
模範少年のエーミールが「僕」を辱めるシーンは、直視が憚られるいたたまれなさでした。
ここで思い出してほしいのが、そもそもの始まりから「僕」はエーミールが苦手だったこと。エーミールは何から何まで正しすぎたのです。
時として正義は暴力となり、恵まれた人間の無理解は悪徳に裏返ります。
「僕」の背景を知る我々は、動機と機会が揃ってしまったが故の行いに情状酌量の余地を認め、ともすればエーミールは厳しすぎると批判したくなります。一方エーミールから見た「僕」は、自分の留守中に忍び込み、大事な蝶を盗んだ卑劣極まる泥棒に過ぎず、許す理由がないというのが全き正論。
ここでも両者はすれ違っており、「僕」が謝罪に赴く前から「エーミールに話が通じるわけない」と、絶望していた理由に納得がいきます。いっそのこと口汚く罵ってくれれば救われたでしょうが、エーミールはその労力すら惜しみ、自分とは根本的に相容れぬ下等な人種として「僕」を突き放したのでした。
本作が生まれた時代背景と関連付け、ナチスドイツが主導した、人種差別政策と重ねずにはいられません。
エーミールの潔癖さを特権階級の人間特有の傲慢さ・狭量さと見なすか、弁償の辞退を同情心の発露と見るかで、「少年の日の思い出」が与える印象は随分違ってきます。
前者の場合のエーミールは、弱い立場の人間への思いやりや想像力を欠いた、精神的に幼い人間だと言わざるを得ません。
しかし後者の場合、あれだけ賢く聡明なエーミールが隣に住む「僕」の経済状況を把握していなかったとは思えず、自ら憎まれ役を演じて弁償の義務を免除したとも解釈できるのです。
クジャクヤママユに魅入られた「僕」は、同情と憐憫のどちらをエーミールから受け取ったんでしょうか?
- 著者
- ヘルマン ヘッセ
- 出版日
- 2016-02-02
ヘルマン・ヘッセ『少年の日の思い出』の余韻に浸りたい方には、同じドイツ出身の作家、エーリヒ・ケストナー『飛ぶ教室』をおすすめします。
本作はギムナジウムの寮で暮らす仲良し四人組の少年たちと、彼等を見守り育む青年教師たちの友情を軸にした語。
『車輪の下』で描かれた厳格な規律を重んじる学園生活とは違い、のびのび遊んで学ぶ男の子たちの逞しい成長ぶりが、爽やかな感動を与えてくれます。
児童文学『飛ぶ教室』のあらすじや名言、当時の時代背景をわかりやすく解説!
児童文学小説の『飛ぶ教室』。30ヶ国以上で翻訳されていて、世界的に有名な作品です。この記事では、登場人物やあらすじ、執筆当時の時代背景、名言などを解説していきます。ぜひチェックしてみてください。
- 著者
- ["エーリッヒ ケストナー", "滝平 加根", "山口 四郎"]
- 出版日
- 著者
- ["エーリヒ ケストナー", "K¨astner,Erich", "紀, 池内"]
- 出版日