漫画『ダーウィン事変』は人間とチンパンジーのハーフである主人公の視点から、差別や偏見といった現代社会の問題を浮き彫りにするサスペンスアクション漫画です。 本作は先鋭的な内容でありながら、連載開始時点から意外なほど支持を集め、2024年5月にアニメ化が発表されました。そんな漫画『ダーウィン事変』の作品としての概要、魅力についてご紹介していきます。
漫画『ダーウィン事変』はうめざわしゅんの社会派サスペンス漫画です。2020年6月から「月刊アフタヌーン」で連載中。既刊7巻で、累計発行部数は160万部を突破しています。
現代アメリカを舞台に、人間とチンパンジーの間に生まれた交雑種「ヒューマンジー」の少年を主人公として、一見して平穏な社会が潜在的に抱える問題を浮き彫りにする意欲作です。
ヒューマンジーの設定こそ突飛ですが、現代社会において避けて通れない差別やテロリズムをストレートに扱うストーリーは非常に骨太。連載開始とともに多大なインパクトで注目を集め、「マンガ大賞2022」では大賞を受賞し、第25回「文化庁メディア芸術祭」マンガ部門でも優秀賞に輝きました。
「異物」としての主人公を巡る先進的な物語には、「令和の『寄生獣』」との呼び声が少なくありません。
かなりセンシティブな内容なのでメディアミックス化は困難かと思われていましたが、2024年5月22日にまさかのテレビアニメ化が発表。詳しいスケジュール等は不明ですが、世界的人気を誇る『呪術廻戦』、『葬送のフリーレン』のTOHO animationが担当するということで高いクオリティが期待できます。
アニメ化に当たってさらなる注目を集める『ダーウィン事変』。本作がどんな話で、どういったところが魅力的なのか、ここからわかりやすくご紹介していきます。ネタバレは最小限にとどめますが、記事後半の具体的なエピソードでは多少踏み込むのでご容赦ください。
ある生物科学研究所を標的とした事件が発生。首謀者は動物解放の理念を掲げる過激なテロ組織「ALA」でした。その研究所では人間とチンパンジーの交配実験が行われており、「エヴァ」という名前のメスのチンパンジーが、なんと子供を身ごもっていたのです。
エヴァはALAに一時保護されたあとに出産……生まれた子は交雑種(ハイブリッド)「ヒューマンジー」で、「チャーリー」と名付けられました。
そして15年後。チャーリーは生物学者ギルバート・スタインのもとで育ち、外見にチンパンジーらしい特徴があるものの、人間と大差ない知能を獲得して学校へ通うことになります。
初めこそぎこちなかっらチャーリーの学校生活ですが、風変わりな少女「ルーシー」との交流で少しずつ馴染んでいきました。ところがそんな彼の前に、再びALAが現れたことで日常が大きく変わっていきます。
本作を理解する上で、物語に関わる重要なキャラクターを何人かご紹介しましょう。
まず主人公のチャーリー。人間と同様の背の高さで二足歩行する一方、顔かたちや手足の作りはチンパンジーに似ており、非常に優れた身体能力を有しています。愛嬌のある外見とは裏腹に、何事にも動じない冷淡な物言いをするのが特徴。高い知能の持ち主でもあり、偏見や先入観がないためか物事の本質を突く発言が多いです。
チャーリーの良き理解者であり、友人でもあるのがヒロインのルーシーです。成績優秀な才女ですが、いわゆるコミュ障の陰キャなため、周囲からは変人と見られています。偏見を嫌う性格で、チャーリーの行動を素直に受け止めて仲良くなっていきました。
そんな2人を暖かく見守るのが、チャーリーの保護者で養父母のスタイン夫妻。夫ギルバートはエヴァの帝王切開を担当した生物学者で、生まれた時からチャーリーを知っています。
妻ハンナは本当の息子のようにチャーリーを可愛がっている弁護士。彼女は現行法におけるチャーリーの人権があやふやなため、人間と同等の正当な権利を獲得できるよう尽力しています。
そしてALAの主導者と目されるマックス。当局には「リヴェラ」の名で知られています。動物の権利向上に盲目的に取り組んでおり、そのために手段を選ばない危険人物。ALAの理念を体現する者として、チャーリーを組織に引き込もうと企んでいます。
チャーリーとルーシーは、主人公格にしては地味な名前です。作者は海外ドラマ、洋画好きということで、もしかすると有名作品にちなんでいるのかもしれません。
ぱっと思いつくところだと、例えば『アルジャーノンに花束を』のチャーリイ・ゴードンは、独善的な科学に振り回される者という立場がチャーリーと共通しています。
ルーシーは『アイ・アム・サム』に登場する、知的障害者の父を持つ少女ルーシー・ダイアモンド・ドーソンではないでしょうか。幼いながらも利発で、無理解や偏見に立ち向かうところが似ている気がします。
名前の元ネタは個人的な想像……というより妄想に近いので、あくまで「そういうものかもしれない」くらいに捉えてください。ただ、少なくともルーシーの方は、『アイ・アム・サム』の名付けの由来と同じ、ビートルズの楽曲「Lucy in the Sky with Diamonds」が関係していることは間違いありません。
『ダーウィン事変』は人間とチンパンジーの混血(ヒューマンジー)が登場するという、かなりパンチの効いた設定が目を引きます。しかし実は、差別のはびこる社会やテロの脅威といった、現実的なテーマをメインとした骨太なストーリーが魅力。創作物としての嘘以外を可能な限りリアルにすることで、作品全体に説得力を与えているのです。
例えば「命はみんな平等」、「差別はよくない」とよく言われます。確かに大事なことですが、語られすぎて普通の人が口にしても何も響きません。ところが人間社会において極めて異質で、異分子であるヒューマンジーのチャーリーが言うと、まったく別の意味を持ちます。
人間に近いのに、人間ではない第三者の視点。チャーリーは生い立ちの特異さゆえに、人種差別をしません。それどころか人間と動物を区別せず、平等に「個別の命」として認識しています。
ただ、平等に大事で尊重されるべきであると同時に、自分との関係性によって何かあった時に優先順位がつく……という感じですね。この優先順位によって、自分や友人を「平等な命」であるはずの見知らぬ他人より優先することの理由付けがなされています。
またこういった差別と偏見の延長線として、物語を大きく動かすテロ組織が密接に絡んできます。動物解放をうたうALAは、「命は平等」というのが本来の行動動機のはずですが、実際には社会や命を脅かす危険な存在です。
現実にも関係する強いメッセージ性を下敷きにしつつ、アクションとサスペンスで盛り上がるストーリーから目が離せません。
スタイン夫妻の計らいで学校に通うことになったチャーリーですが、当然好奇の目に晒されます。冷静沈着で周りを気にしない彼は、ほとんどそれらの目を無視する形で過ごしていました。
そんなある日、木に登ったまま降りられなかった猫を助けたことで、彼は秀才少女のルーシーと知り合いました。普通の人々と違って、彼女はチャーリーを異質なヒューマンジーではなく、1人の友人としてありのまま受け入れてくれました。
そうしてチャーリーが周囲と関わっていくのとほぼ同時に、興味本位で話しかける者がちらほら現れます。偏見を持つ彼らは肉食をしない完全菜食主義のチャーリーに対して、もしも致死性の病原菌持ちのネズミのせいで命の危機に瀕したらどうするのか、と問いかけました。
- 著者
- うめざわ しゅん
- 出版日
「ボクなら――ネズミを撃ち殺すと思うな(中略)
病原菌に感染してるのがたとえ君でも撃ち殺すけど」(『ダーウィン事変』第1巻より引用)
完全菜食主義、ヴィーガンとは動物の殺生を好まない人々のこと。そんなヴィーガンでも命惜しさに動物を殺す。問いかけた人物は矛盾を突いたと喜びますが、チャーリーはそんな彼に相手が誰だろうと同じことをすると言い放ちました。
人間は人間、動物は動物で、あいつと自分は違う……そんな無意識に思うある種の傲慢な考えに、冷や水を浴びせられた気分になります。物語の最序盤にして、チャーリーの考え方や作品のテーマが垣間見える場面です。
ALAに触発された少年の起こした銃乱射事件を機に、世論はヴィーガンを危険視するようになりました。そして、厄介ごとの渦中にいるチャーリーへの風当たりも悪くなる一方。チャーリー本人は事態を収束するため、ALAを壊滅させると言い出すのですが……。
そんな中、先手を打ったのはALAでした。彼らはチャーリーが好意的に接するルーシーをさらってしまったのです。
銃乱射事件を起こしたのはALAの思想に傾倒した学生で、チャーリーやルーシーとは知り合いでした。ルーシーは誘拐の首謀者――「リヴェラ」ことマックスに抗議し、真意を探ります。
- 著者
- うめざわ しゅん
- 出版日
ALAは動物虐待をなくし、動物の権利を獲得するための団体のはずでした。事実ほぼすべての構成員はそう思っていますし、乱射事件の少年もそうでした。ところが、マックスの本当の狙いはチャーリーを表舞台に立たせることで、社会の価値観の変化を早める……つまり人類の進化の促進が目的だったのです。
あまりにも独善的で傲慢な思想に驚かされます。マックスは目的のために手段を選ばず、自分の正しさを疑わない確信犯です。言葉は通じるはずなのに決してわかり合えない、サスペンス的な恐ろしさがあります。
終盤ではルーシー誘拐の裏で悲劇が起きており、第3巻は色々な意味でストーリー全体の転換点と言えるでしょう。
チャーリーの母、エヴァの容態急変と死。その事実が実感になるより前に、エヴァの残した奇妙な行動に焦点が当たります。「私は2児の母」と読み取れるメッセージカードの組み合わせ。チャーリーの他にもう1人……。
ルーシーは野生らしい死生観で拒否したチャーリーを尻目に、エヴァの墓参りに行きました。お墓の前にはスーツ姿の謎の先客がおり、ルーシーに気づいた彼はエヴァが幸福だったかどうか語りかけます。
実験動物だった彼女が幸せだったはずがない。そう断言する謎の人物は、チャーリーよりは人間的な面影があるヒューマンジー――チャーリーの弟「オメラス」でした。
- 著者
- うめざわ しゅん
- 出版日
オメラスはとある事情から長年潜んでいましたが、今や表立って活動できるようになったALAの真のリーダーです。動物の代弁者たるヒューマンジーはオメラスだけいれば充分。ALAは一転して、チャーリー排除に向けて動き始めます。
衝撃的な展開の連続。超人的身体能力を持つヒューマンジー同士の文字通りの激突が描かれて、アクションとサスペンスが加速する巻となっています。エヴァを評したオメラスの発言には一定の説得力があるものの、毅然としてそれを否定するルーシーの言葉が印象的。立場が変われば見方も変わり、何が正しいかは当人にしかわかりません。
ちなみにオメラスとは、『ゲド戦記』で知られるアーシュラ・K・ル=グウィンの造語で、「理想郷」を意味する言葉です。
『ダーウィン事変』は2024年5月22日、突如としてアニメ化が発表されました。
アニメ版は現在のところTOHO animationが担当することと、黄色と水色のカラーリング(色相環で正反対に位置する色の組み合わせ)が特徴的な告知画像のみが公開されています。
キャスティングもわかっていませんが、第5巻発売時のPVのナレーションもろもろを梶裕貴が担当したので、なんらかの形で関わってくる可能性はあるでしょう。
詳細が不明なので想像するしかありませんが、アニメ版で注目なのはチャーリーの動きですね。人間ではないヒューマンジーの二足歩行、超人的な身のこなしをいかにして映像化するかが気になります。動きと関連してアクションシーンにも期待。
気がかりなのは、物議を醸しそうな本編のストーリーです。メディアミックスなので可能な限り原作漫画に沿って制作されるとは思いますが、世界展開が当たり前に行われる昨今において、海外――特にアメリカでは差別と偏見はセンシティブすぎるので、マイルドに変更されるかもしれません。
とはいえ、挑戦的な作品をあえてアニメの題材に選ぶくらいですから、逆により突っ込んで掘り下げるくらいの気概を見せて欲しい気持ちがあります。
うめざわしゅんは千葉県出身の漫画家です。本名や詳しい経歴は不明ですが、1978年12月13日生まれの45歳なのは明かされています。漫画家の福星英春(ふくぼしえいしゅん)は実弟。
大学在学中にアルバイト感覚で4コマギャグ漫画を投稿し、賞金を得ていたのが漫画家を目指したきっかけ。
デビューしたのは1998年。「ヤングサンデー増刊」に読み切り短編漫画『ジェラシー』が掲載され、商業作家となりました。『ダーウィン事変』を除くと長編漫画で有名なものはありませんが、短編漫画の評価は非常に高いです。
2006年発売の短編集『ユートピアズ』は収録作2本がドラマ『世にも奇妙な物語』の原作になっており、2015年の『うめざわしゅん作品集成 パンティストッキングのような空の下』は「このマンガがすごい!2017」オトコ編第4位に選ばれました。
うめざわしゅんはインタビューで新井英樹や山本直樹の作品が好きと語っていて、どことなく写実的で線の少ないシンプルな画風に両者の影響が見て取れます。
もっとも多く描いているのは、ショートショート形式の1話で完結する小粒な短編漫画。SFだったりホラーテイストだったり、青春モノだったり……やや内容はサブカル寄りですが、ジャンルが多彩でちょっと掴み所がありません。刺さる人には刺さるタイプの作家です。
SFベースの短編作品は、『ダーウィン事変』が好きな人ならすんなり受け入れられるのではないでしょうか。
漫画『ダーウィン事変』は現在も「月刊アフタヌーン」で連載中。「令和の『寄生獣」の評価は伊達ではなく、現代の問題とアクションが並列して描かれる非常に面白い作品です。既刊7巻と手を出しやすいので、気になったらぜひ読んでみてください。