虚構に挑め。フィリップ・K・ディックのおすすめ小説5選!

更新:2021.11.24

フィリップ・K・ディックはアメリカSFの巨匠として名高い作家です。彼の小説は数多く映画化されています。映画でも十分面白いですが、原作でしか味わうことのできない要素がたくさんあります。今回はそんなディックのおすすめ小説をご紹介します。

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哲学する作家、フィリップ・K・ディック

アメリカSFの巨匠として知られるフィリップ・K・ディックは、数々の長編、短編を当時のSF雑誌に発表し名を馳せました。

『ブレードランナー』『トータルリコール』『スキャナー・ダークリー』『マイノリティ・リポート』など、著名なSF映画の原作となった彼著作の小説はたくさんあります。

フィリップ・K・ディックはシカゴ生まれです。小学生の頃より物語作りに傾倒する節があったようで、当時の小学校教師は「物語の才能がある」と彼を評します。それからバークリーの高校に進学し、大学ではドイツ語を専攻。しかし中退すると詩人や言語学者と交流し、独自の言語感覚を磨きます。

その後1953年に手掛けた小説が雑誌に初掲載され、それ以降専業作家として活動を開始。当初彼は純文学を志していたようですが、そのジャンルで売れることに苦労し、生活は常に貧困状態だったといいます。

1963年に『高い城の男』でSF小説の国際賞最高峰といわれるヒューゴー賞を受賞し、生活が好転するかと思われましたが……相変わらず貧困生活は続いてしまいます。そんな苦しい生活から紡ぎ出された彼の小説群はSFでありながらもSFの枠を越えた小説として、今なお親しまれています。

フィリップ・K・ディックの著作は数多く、手始めにどれを読めばいいのかよくわからない作家です。今回はそんなディックの中でも「とっつきやすく、有名な小説」をピックアップしました。ディック入門でありながらディックの神髄が現れた小説ですので、読み初めにはピッタリです。

その質問は誰へ向けた?

1969年に発表されたこの小説は、あまりにも秀でたタイトルを持っています。小説を読んだことがない方でも、聞き覚えがある方が多いかもしれません。

『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』は第3次世界大戦後の近未来を描いた小説です。戦争の影響で地球の自然は崩壊寸前となり、自然生物(犬とか猫などの動物)がとても貴重となり、それらの動物をペットとして飼うことがステータスとなっているなど、ありえそうな時代描写がとても面白い。

主人公に据えられたリック・デッカードも妻と暮らす高層住宅で羊を飼っていました。しかし実のところそれは機械仕掛けの「電気羊」。依然飼っていた本物の羊は事故で死んでしまっており……「ちくしょう、おれは生きた動物を飼いたい」とつぶやくほどに、デッカードは生き物に執着中です。

そんな彼のもとに、月から地球へ逃亡してきた最新型アンドロイドの情報が入ります。バウンティ・ハンター(賞金稼ぎ)として活動するリック・デッカードは、生きる動物の購入資金を得るべく、アンドロイド狩りに臨みます。しかし……。

著者
フィリップ・K・ディック
出版日
1977-03-01


「アンドロイド対人間」という構図が強く打ち出された本作は、ただのエンタメ小説ではなく「考えさせてくれる」作品です。

作中でアンドロイドは人間味のない存在だと強調して描かれます。しかし、リック・デッカードの前に登場するアンドロイドたちはどれも人間味豊かです。互いを愛し合い、生きるために果敢に行動していく姿はアンドロイドとは思えません。むしろ、彼らの方が人間で、デッカードたち人間の方が機械じみていると感じさせる描写が重ねられていきます。人間とアンドロイドの境が曖昧になり、足元がぐらつく感覚を覚えてしまいます。

そこでふと思い浮かぶのが、タイトルにもなった「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」という質問です。

前提として、人間は電気羊の夢を見ます。生物にこだわるデッカードや、思いやりを忘れないようにする人間たちの姿を見れば、そのことがはっきりとわかります。「電気羊の夢を見る」ということは、それすなわち人間であることの証明に他なりません。

ではその逆「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」はどうでしょう?人工物は生き物を夢見るのでしょうか?アンドロイドと人間の立場は同じなのか、それとも彼らは機械でしかないのか……現代にも通じる疑問です。

小説を読み、リック・デッカードと共にアンドロイドを追い、あなただけの答えをぜひとも見つけていただきたいです。

万能すぎる特効薬

フィリップ・K・ディック作品ではたびたび超能力者が登場し、ストーリーに大きく絡んできます。『ユービック』ではその超能力者たちが主役となり、物語が展開されます。

この物語の中心となるのが不活性者です。この不活性者というのは「超能力者を無効化する者」です。今作はそんな不活性者であるジョー・チップを主人公にしてストーリーは進みます。

ジョー・チップの所属する会社は超能力者による産業スパイ対策を事業としています。そんな会社に大物から依頼が転げ込み、会社所属の11人の不活性者は超能力者と戦うべく月に向かうことに。しかし現場には超能力者の痕跡はなく、その代わりにヒューマノイド型の爆弾がさく裂、不活性者たちの半数が死亡し生き残ったジョーたちは命からがら地球へ逃げ帰ります。

この1件がすべての始まりでした。

著者
フィリップ・K・ディック
出版日


ジョー・チップを含む生き残った不活性者たちの身の回りで不可解な現象が起きます。それは「時間の後退」です。持っていたお金が古くなる、飲もうとした飲み物が腐る……などなど、最初は些細なものでしたが、徐々にその変化のスケールは大きくなり、ジョーの知り合いがコインに刻まれるなど、歴史すらも変化し始めます。

そんな「時間後退」を阻止できる唯一の存在がタイトルにもなった“ユービック”です。ジョーはユービックを手に入れるため、逆行する時間の中で行動をとっていきます。

この物語の推進力となっているのは「時間後退」のミステリーです。しかし、それ以上にユービックの存在がユーモラスで、「ユービックってなんやねん!」と思わせる面白さが随所にちりばめられています。

物語の章境がくるたびに、ユービックのコマーシャル文が挿入されており、その文言がとても面白くユービックの謎を深めるばかりです。その宣伝文句によると「ユービックは車でコーヒーとして飲め、フレンチ・イタリアンとはまた違ったサラダドレッシングでもあり、胃薬や頭痛薬にもなって現在在庫一掃大セール中」とのことです。

タイトルで示されるユービックと、乱れ飛ぶ広告、そして時間が逆行する異常事態……混沌としたサスペンスフルな状態でもユーモアを忘れぬディックの遊び心、そして物語をシャープに表現する彼の無駄のない文章など、フィリップ・K・ディック長編を代表する1作となっています。

もしも、第2次世界大戦が……

SFと一口に言っても様々なジャンルがあります。この『高い城の男』はそのジャンルのひとつ「歴史改変SF」に該当する名作です。

歴史改変SFは文字通り歴史を変更し「if」(もしも)の世界で物語を作るところに特徴があります。そして『高い城の男』の舞台となった世界は「第2次世界大戦で枢軸国が勝利した」ものとなっています。

枢軸国……すなわち「ドイツ・イタリア・日本」です。実際の歴史では、第2次世界大戦はその国々が敗北しました。しかしこの『高い城の男』は枢軸国が勝利した世界が事細かに描写され、その中で物語が作られています。

物語が展開されるのは旧アメリカ合衆国です。大日本帝国とナチスによって分割されたその国では、「もしも連合国が第2次世界大戦で勝っていたら」という「もしも」の小説が流行中でした。その小説を書いた男というのがタイトルにもなった「高い城の男」です。

物語はこの「高い城の男」を中心とする群像劇として進められていきます。

著者
フィリップ・K・ディック
出版日
1984-07-31


歴史改変SFとして優れた今作は、冒頭から読者を引き込んでくれます。最初のシーン、あるアメリカ人が経営する商店に日本人がやってくるのですが……その日本人の態度というのが、まさに「大日本帝国」的なものです。傲慢でありつつ、静かに侮辱を織り交ぜるその態度はリアリティに溢れています。日本人から見て「こういう帝国軍人いるよね」と思わせるフィリップ・K・ディックのセンスには脱帽する他ありません。

実際の歴史とは正反対のシーンに思わず興味をそそられ、ページをめくる手が止まらなくなってしまうでしょう。またアメリカ人の吸うタバコのパッケージが日本語であるなど、細かな描写もふんだんに盛り込まれています。

枢軸国が勝利した世界大戦……そのもしもの世界で、もしもの物語を描く「高い城の男」。群青劇の行き着く先を、ぜひともその目で確かめてみてください。

世界から消えた男

もしも、あなたという存在が世界から抹消されたら……どうしますか?あなたの免許証に記されたデータは無意味なものとなり、住人台帳からもその名が消えてしまいます。あなたに関するすべてのデータが消滅し、あなたは完全なる「ナナシ」となって……。そんな不条理な展開が『流れよわが涙、と警官は言った』で繰り広げられます。

超人気テレビ番組の司会者であるジェイソン・タヴァー。彼は俗にいう「イケてる」人物で、タヴァーは全世界3000万人のファンから愛される超売れっ子のマルチタレントです。富、名声すべてを手に入れ悠々自適の生活をすごすジェイソン・タヴァーでしたが、彼はある日見たことも聞いたこともないボロホテルで目覚めます。

彼の懐からは身分証明書がなくなっており、超人気者でみんなに知られているはずなのに、彼の存在はすべての人から忘れ去られていました。ファンから忘却されるだけでなく、知人ですらも、ジェイソン・タヴァーが誰なのかわからない……そんな不条理に直面した彼は、自分の存在を取り戻すために行動を開始します。

著者
フィリップ・K・ディック
出版日


突然、自分が世界から消える。その不条理の描写がとにかく怖い。ホテルで目覚めたジェイソン・タヴァーは、所属するタレント事務所に電話を掛けるも、「いったいどなたでしょうか?」と聞き返されてしまいます。

またなじみの弁護士事務所に連絡し、

「わたしの名前を聞いたことがないのかね? ミスター・タヴァー・ショー、火曜の夜の九時からだがね」

と訴えるも「申し訳ございません」と一蹴されるタヴァーの姿は小説ながらに背筋をゾクリとさせてくれます。

この1連のシーンは物語の冒頭ながら、ポッカリと口を開けた不条理の深淵の恐ろしさを読者に知らしめてくれます。ジェイソン・タヴァーに起きる不条理はこれだけでは終わりません。そして、物語ラストでは衝撃的な事実が明らかとなります。

おれを監視するのはおれだ

フィリップ・K・ディック後期の代表作といわれるのが『スキャナー・ダークリー』です。恐ろしく危険なドラッグ「物質D」、それを追う捜査官フレッドを中心としたストーリーが構築されていきます。

世界は近未来で、この捜査官フレッドは身元を隠すため、自分の外見をカモフラージュする特製スーツを常に着用しています。このスーツは捜査員全員が着用しています。もちろん、フレッドというのも偽名です。捜査員たちはお互いの素顔、本名を一切知らない状態で同じ仕事に臨んでいるのです。

さて、このフレッドですがおとり捜査官として「物質D」を製造している組織へ潜入捜査を行っています。その際はスーツを脱ぎ「ボブ・アークター」として本名と素顔をさらし、活動しています。

著者
フィリップ・K. ディック
出版日


そんな折、フレッドにある任務が任されます。それは「物質D」製造の重要人物を監視すること。それで、フレッドが監視することになった人物というのが……「ボブ・アークター」です。おとり捜査事態は極秘の任務。スーツのせいでお互いの素顔がわからないため、任務と任務が交錯してしまったのです。

自分で自分を監視する……そんな状態に陥ったフレッドは、徐々に自分自身を見失っていきます。

悪夢的なストーリーを飾る登場人物たちは殆どがドラック・ジャンキーです。小説の始まりでは、あるジャンキーが自らの体に沸く虫(幻覚)について真面目に考察します。そのジャンキーの思考だったり、考えの展開の仕方というのが妙にリアルで、小説世界にぐんぐんと引き込んでいく魅力があります。

実はフィリップ・K・ディックは薬物乱用者で、この『スキャナー・ダークリー』は彼の人生初「ノー薬物」で書き上げた長編小説になります。薬物の影響を受けた登場人物たちの妙なリアリティはそこからきているのではないか、と推測できます。

自分が何者なのかわからなくなる。アイデンティティの崩壊、足元が危うくなるような酔いを感じることができるこの1冊は、フィリップ・K・ディックを語る上では外せない1作です。

フィリップ・K・ディックのおすすめ5冊でした。ディックは生涯で数多くの小説を執筆しています。今回ご紹介したのはすべてが長編でなおかつ代表作と呼べるものです。ひとまずこの5冊を読み、気に入ったようであれば他の小説に手を出していくのがおすすめです。

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