直木賞受賞作家の新時代警察小説『夜の淵をひと廻り』レビュー

更新:2022.11.2

2019年に『宝島』で第160回直木賞を受賞した作家、真藤順丈。 『夜の淵をひと廻り』は、ホラー・ミステリー・ファンタジーを跨ぐ作風で支持を得る彼が送り出した、一筋ではいかない警察小説です。 今回は傑作の呼び声高い本作のあらすじや魅力を、ネタバレ考察を交え紹介していきます。

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『夜の淵をひと廻り』の簡単なあらすじと登場人物紹介

舞台となるのは西東京に位置する山王寺市。

この町の交番務めで夜回りを日課にしている巡査・シドは、警官を襲い銃を奪った不審者を逮捕し、パトカーで護送することに。

しかし帰りの車内でトラブルが発生、男の襲撃を受けた相棒が死亡。

シドは間一髪逃げ出し命拾いするものの、相棒の殉職が強烈なトラウマとして刻まれ、「山王寺の全てを知り尽くし犯罪を未然に防ぐ」欲求に取り憑かれてしまいました。

そして数年後、町の意志の代行者を自称する謎の老人が出現。

これから山王寺に降りかかる災いの数々を予言し、過去と未来が錯綜する不思議な幻をシドに見せて姿を消します。

以降シドは交番勤務の傍ら本庁のエリート刑事やお調子者の後輩と協力し、複数の事件の黒幕として浮上した老人を追跡するのですが……。

著者
真藤 順丈
出版日

主人公は超地域密着型?違法捜査も辞さないイロモノ巡査

『夜の淵をひと廻り』はシドの新人時代から退職するまでに起きた、複数の事件の顛末を数十年スパンで描いています。

本作の魅力として挙げられるのは主人公の灰汁の強さ。

新米巡査時代に体験した相棒の殉職をきっかけに、シドは「山王寺の全てを知り尽くしたい」病的な欲求に駆り立てられ、場合によっては盗聴盗撮も辞さず、町の住人のデータを枝葉末節に至るまで集めにかかります。

シドがやっていることはプライバシー侵害の越権行為にあたり、ばれたら厳しい処分を免れません。なのにやめられないあたり自他ともに認める変態、度し難い偏執狂ですね。

そんな変人代表のシドですが、根底にあるのは相棒の遺志を継ぎ、山王寺に住む普通の人々を守ろうとする想い。

実際シドが違法な手段で集めた情報が捜査に役立ち、難解で不可解な事件を解決に導くケースが少なからずあり、本庁のエリート刑事がその有能さを見込んで直々にスカウトにきたりします。

しかしシドは頑として山王寺を離れようとせず、昇進すら度外視で、超地域密着型の一巡査で居続けるのです。

警察小説の主人公の殆どが刑事なのを踏まえれば、東京の外れの交番勤務の巡査が、なかなかレアな立ち位置を占めているのがおわかりいただけるのではないでしょうか。

翻り、身近な存在として感じられる利点も挙げられます。

一人称は私、口調は基本敬語。

かと思えば妙にガラが悪く、本庁のエリートに慇懃無礼なジョークを飛ばし、事件の被害者女児を義理の娘として引き取る責任感を垣間見せる。

上記の事実から炙り出されるのは、エキセントリックな言動をブレないポリシーが支える、シドの絶妙な人間臭さでした。

『夜の淵をひと廻り』は彼の一人称視点で進行する為、最初のうちは文体の癖が強く感じるかもしれません。

ですが最初の話を読了する頃には全住民のストーカーを自認するイロモノ巡査の奇行に夢中になり、雨ニモ負ケズ風ニモ負ケズ自転車を駆るシドの応援に回っているのですから、まんまと作者の手の内にはまってしまったといえます。

シド巡査が長年書き溜めた手記の体裁をとっているのもポイントで、山王子の街並みの変遷や同僚・身内の成長ぶりにしみじみ感慨を覚えました。

余談ですが、シドの漢字表記は最後まで明かされません。シドが姓か名前かすら謎のままです。

仮に「志土」の字をあてるなら、山王子を穢土……凡夫の居る穢れの多い国土、罪深き不浄な世界に見立てた、対義語として解釈できますね。

ホラーでミステリーでファンタジー。ジャンルボーダーの魅力

『夜の淵をひと廻り』は最高にアナーキーでファンキーな警察小説ですが、同時に優れたホラー小説であり、「大いなる町の意志」が水面下で暗躍するファンタジーにも分類できます。

象徴的なのが序盤、夜回り中にシドが邂逅を果たす謎の老人。

彼は山王子を始まりから見続けてきた存在で、この町は成り立ちから呪われており、悪の温床になる運命だと予言しました。実際シドは不可思議なビジョンを見せられ、老人が超自然的存在である確信を持ちます。

予感は的中。この老人こそクレイジーでサイコな犯人たちを教唆し、彼等が内に秘めたる欲望を解き放った黒幕でした。

老人が悪の伝道者ならシドはさしずめ真理の求道者。

時系列順に配置されたエピソードに山王子を滅ぼす者と守る者、対極の使命を帯びた二人の対比が通奏低音として流れ、俯瞰的に話を盛り上げていました。

ちなみに山王子のモデルは八王子市。

固有名詞はぼかされていますが、地元民なら「あそこかな?」と思い当たる描写が多く、シドと一緒に現場を回っているような臨場感を味わえました。

ろくでもない、しかし愛すべき山王子の情景と、何世代にも亘りそこに住み続ける人々の暮らしぶりが生き生き描かれるからこそ、シドの視点に立った読者はこの醜くも美しい世界への感傷をかきたてられ、ささやかな秩序を守り抜きたくなるのです。

老人が「悪の温床」と断言するほどですから、シドが手がける事件に猟奇的な色合いが濃くなるのは必然。

お祭り会場で起きた連続通り魔殺人、過剰な世帯数が入居したロッジの酸鼻を極める実態、十数年に亘り活動を続けるシリアルキラー、母親に歯が砕けるまで虐待される幼女など、ざっと要約しただけでも陰惨なラインナップにめまいがします。

グロテスクな描写も多いので苦手な人にはおすすめできません。

特に『悪の家』の胸糞悪さはずばぬけています。北九州監禁事件がモデルだと指摘する意見が多いですが、内容的にはむしろ尼崎の連続変死事件に近く、店子の尊厳を凌辱し尽くす暴君の残虐性と、学習性無気力に陥った住人たちの末路に戦慄。

本の刊行が2016年、雑誌掲載年度はそれ以前なので、尼崎の連続変死事件を予見していたともとれます。

それ以外にも理不尽に虐げられた小さき者への優しさが沁みる『スターテイル』の余韻、シドが犯罪捜査のスペシャリストチームに招聘される『新生』の短編で終わらせるのが惜しい濃厚さなど、涙あり笑いありの収録作は実にバリエイションに富んでいます。

シドと「町の意志」の対決の行方はどうなるか、結末はぜひご自身の目で見届けてください。

著者
真藤 順丈
出版日

『夜の淵をひと廻り』を読んだ人におすすめの本

『夜の淵をひと廻り』を読んだ人には、同じ真藤順丈の『墓頭』をおすすめします。

『墓頭』は頭に異様な瘤を持って生まれ、「墓頭」と呼ばれた異形の男の暴力と愛憎にまみれた半生を、昭和・平成史を交えて描いた問題作。

『夜の淵をひと廻り』よりさらに過激なエログロバイオレンスを堪能できます。

著者
真藤 順丈
出版日
2015-10-24
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