絵本や国語の教科書でおなじみの新美南吉の童話「ごんぎつね」。原題は「ごん狐」といい、悪戯好きな子狐・ごんが、兵十のうなぎを盗んだ良心の呵責に駆られ、毎日差し入れをする話です。 ごんの健気さに涙を誘われた読者も多い本作ですが、原作のごんは意外と自分勝手で、ギブアンドテイクな思考の持ち主なのをご存知ですか? 今回は新美南吉の不朽の童話、「ごんぎつね」のあらすじや魅力をネタバレレビューしていきます。
物語は語り手の回想シーンから幕を開けます。
語り手は幼い頃、村の長老の茂平じいさんから、昔話を聞かされました。昔々、語り手が住んでいる村の近くには中山があり、そこにお城が建っていました。その中山から少し離れた藪の中にひとりぼっちの子狐・ごんがいました。
ごんはとんでもない悪戯っ子で、毎日村人に悪さをしていました。畑の芋を掘り散らかしたり、菜種がらに火を放ったり、百姓の家の軒下に吊るしてある唐辛子を毟り取るのは日常茶飯事。村人たちはほとほと困り果てていました。
ある時のこと、二・三日雨が降り続き、ごんは穴に引きこもらざる得なくなります。雨上がりを待って外に出てみれば、空はからっと晴れ、木漏れ日が注ぐ森の中に百舌鳥の声がキンキン響いています。
川の堤まで散歩に出かけたごんは、村の若者・兵十が、川に網を張って魚をとっている光景を目撃します。兵十の表情は至って真剣で、何度も繰り返し網を投げ込んでは、ごみを引き上げてため息を吐いていました。
やがて兵十は大きなうなぎを捕まえます。
兵十が何かを探しに川上に去っていくのと入れ違いに、草むらからひょっこり顔を出したごんは、すかさず網にかかった魚を逃がし、うなぎを咥えて逃げ出します。
すると「うわアぬすと狐め!」と怒号が響き、仰天したごんはうなぎを盗んで逃走。巣穴の近くで頭を噛み砕き、脂の乗った身を美味しくたいらげます。
十日後、村の百姓・弥助の家の裏を通りかかったごんは、いちじくの木の影で弥助の家内が、鉄漿を付けている現場を目撃します。少し先の鍛冶屋の新兵衛の家内も、いそいそ髪を梳いていました。
兵十の家にさしかかると、庭に大勢人が集まり、鍋で煮炊きをしていました。「兵十の家の誰かが死んだに違いない」と直感するごん。
昼下がり、墓地でかくれんぼしている最中、兵十を先頭に立てた葬列が現れました。兵十はすっかり打ち萎れ、普段の溌剌とした面影はかけらもありません。
夜……巣穴で寝ていたごんは、アレは兵十の母親の葬式で、今際の際の母親に頼まれて、うなぎをとっていたのだろうと推理。悪戯を後悔しました。
以来ごんは兵十に付き纏い、影ながら暮らし向きを見守ります。兵十は老いた母親と二人暮らしだった為、母と死別後はひとりぼっちになってしまいました。そんな兵十に対し、罪悪感と親近感を抱いたごんは、弥助の家内と雑談中のいわし売りの籠から活きのいいいわしを数匹盗み、兵十の家の勝手口に投げ込みました。
いわしを差し入れすることが、その時ごんにできた精一杯の罪滅ぼしだったのです。
翌日は山に落ちていた栗をどっさり拾い、兵十の家に置きにいきます。しかし兵十は元気がなく、顔に怪我までしていました。いわし売りに泥棒と間違われ、殴られていたのです。
兵十の独り言を聞いたごんは反省し、山の栗や松茸を持ってこようと決めます。
ある月夜の晩、兵十と友人・加助が連れ立って歩いているのを見かけたごん。咄嗟に隠れた所、兵十は母が亡くなって以来、誰かが木の実やきのこを差し入れしてくれるのだが、一体誰だろうと呟きます。
加助は「独り身になったお前を哀れんで、神様が食べ物を施してくださってるんだ」と答え、兵十はこれに納得。友人の助言に従い、毎日神様にお礼を述べることにします。
二人の会話を盗み聞きしたごんは、「おれが栗や松たけを持っていってやるのに、そのおれにはお礼をいわないで、神さまにお礼をいうんじゃア、おれは引き合わないなあ」と舌打ちしました。
翌日もごんは栗を持ち、兵十の家を訪れます。
ごんが勝手口でうろうろしてるのを目撃した兵十は、母の仇が性懲りなく泥棒にきたとカッとし、火縄銃で撃ち殺してしまいました。
ばったり倒れ込んだごんのもとに駆け付けると、土間にはたくさんの栗が転がっていました。
「ごん、お前だったのか。俺に栗をくれたのは」
煙を噴く火縄銃を取り落とし、呆然と立ち尽くす兵十の言葉に辛うじて頷いて、ごんは息を引き取ります。
- 著者
- 新美 南吉
- 出版日
- 1986-10-01
- 著者
- ["新美 南吉", "ようこ, いもと"]
- 出版日
「ごんぎつね」は新美南吉作の児童文学。初出は雑誌「赤い鳥」で、弱冠18歳の時の作品です。青空文庫では「ごん狐」と表記されていました。現在一般に広まっているのは鈴木三重吉のアレンジバージョンで、新美の草稿には彼の故郷に実在の地名が登場します。
このことから舞台は愛知県知多郡半田町、ごんが住む山は権現山と推測されます。「ごんぎつね」の「ごん」を「権現山」の「権」とする説です。新美が参考にした昔話のタイトルが「権狐」であることを踏まえれば、説得力がありますね。
葬式に出席する女性が鉄漿を付ける習慣は、幕末~明治にかけてよく見られたもので、時代背景もその頃でしょうね。
「ごんぎつね」は泣ける童話として知られています。
兵十の母が食べるはずだったうなぎを盗んだ罪の意識に駆られ、罪滅ぼしに栗を差し入れするごんの行動を、「健気」「いじらしい」「献身的」と評すのも間違いではないかもしれません。
しかし実際はどうでしょうか。ごんは誤解で殺された、可哀想な被害者なのでしょうか?
新美南吉の「ごんぎつね」で注目してほしいのは、ごんのずる賢さとしたたかさ。ごんは村人への悪戯を日課とし、百姓たちが大騒ぎする様子を物陰から眺めては、意地悪くほくそ笑んでいます。
天涯孤独の子狐というのを差し引いても、とても感心できる行いではありません。
村人たちへの度を越した悪戯は、自分を見てほしい、構ってほしい本音の裏返しだったのでしょうか。ごんの境遇には同情しないでもありませんが、菜種がらに火を放った件に関しては、一歩間違えば大惨事になりかねません。
「生きる為に仕方なく畑の野菜や漁師の魚を盗んでいた」のならまだ情状酌量の余地がありますが、事実は大きく異なり、網にかかった魚を全部逃がしたのち、自分が食べるうなぎをちゃっかり確保しています。
ごんの前科や余罪の数々を鑑みれば、あの結末は因果応報、自業自得と言わざる得ません。格別理不尽な悲劇でないばかりか、最後に帳尻が合ったといえるのです。
作中、ごんは兵十の母のうなぎを盗んだ所業こそ反省するものの、その後もいわし売りのいわしを盗むなど、まるで行いを改めていません。極論兵十以外はどうでもいいのです。
人の物を盗んで持ってくるのをやめ、山の幸を運んでくるようになったのは、兵十が疑われるのを避ける為ー……大事な人に迷惑をかけまいとする、損得勘定が働いたのです。
対して、兵十の立場ではどうでしょうか?
ごんは母の仇、厄介者の狐。ごんが網にかかった魚を一匹でも残してくれていたら、気の毒な母は最期にごちそうを口にできたかもしれない。恨みに思いこそすれ、許す理由はありません。
してみると本作は、ごんと兵十のすれ違いが切なさを引き立てる童話であると同時に、因果応報の末路を描き、謙虚の美徳を説いた寓話ではないでしょうか。
新美南吉のおすすめ本5選!『ごんぎつね』が代表作の児童文学作家
幼いころに母と死別して寂しい子供時代を過ごし、童話の世界に才能を認められた矢先に病のため29歳で永眠した新美南吉。人間の内面を深く見つめ、孤独と病気の苦しみの中から生まれた作品は、心の通い合いと信頼や良心について考えさせられる名作ばかりです。
『ごんぎつね』悲しいラストをどう解釈する?作者が伝えたいこと、テーマは?
日本人の多くが知っている人気の文学作品。小学生時代に習った方も多いのではないでしょうか?悲しいラストだったことはインパクトにあっても、そのテーマはどこにあったかというところまで理解している方は少ないかもしれません。今回はそんな本作についてご紹介します。
物語後半、加助と兵十の会話を聞いたごんは、「毎日食べ物を届けにきてるのは俺なのに、神様の行いにされたんじゃ引き合わない」と愚痴を零しています。
ごんは、へえ、こいつはつまらないなと思いました。おれが、栗や松たけを持っていってやるのに、そのおれにはお礼をいわないで、神さまにお礼をいうんじゃア、おれは、引き合わないなあ。
ここで読者は「ん?」と思います。
待て待て、兵十のおっかあのうなぎを横取りしたのは誰だ?
お前はその償いをしてるんじゃないのか?
ごんの仕打ちを振り返れば、上記の独白は暴言というほかありません。兵十が真実を知ったところで、感謝の心は吹き飛ぶのではないでしょうか。
兵十が川でうなぎをとった日から母が死ぬまで、十日ほど猶予があります。故に「ごんの悪戯が母の死に直結した」というのは短絡的発想ですが、「好物のうなぎを食べられず、気落ちした母がみるみる衰弱していった」可能性は十分あります。
「病は気から」の諺はネガティブな側面も持ちます。危篤に陥った人間が些細なきっかけで持ち直しもすれば、ごくツマらない理由で生きる意欲を手放してしまうことを、皆さんよくご存じのはず。
なればこそ兵十の母の死に関与しておきながら、「自分が報われないのは理不尽で不公平だ」と文句をたれる、盗っ人猛々しさにはモヤモヤします。
「ごんぎつね」が国語の教科書に採用されているのは、因果応報の教訓を子供たちに与える為かもしれません。
これは仮定の話に過ぎませんが、もしごんが自らの過ちを反省し、見返りや感謝を求めず兵十に尽くしていたら、ラストで撃ち殺されずにすんだのではないでしょうか。
ごんの場合、推し=兵十に認知を求める、承認欲求が自滅の布石になりました。そもそも兵十に肩入れしてるのはごん側の勝手な事情に過ぎず、兵十側から見れば、「ひとりになりたくてなったんじゃない」「俺をひとりにしたのはお前だろ」に尽きます。
加害者を許すかどうか決めるのは被害者とその遺族であって、加害者自身が許しや見返り、贖罪の認知を求めるのは本末転倒。
ごんが本当に罪の意識を感じていたのなら、「報われたい」と願ってしまったのがそもそもの間違いで、ラストシーンで頷くべきではありませんでした。あそこで頷いてしまったせいで、兵十は今後恩人を殺した罪の意識を背負い、生きていかざる得なくなります。
どこまでも自分勝手だったごんの最期を、あなたは受け入れられますか?
- 著者
- ["新美南吉", "いとう瞳"]
- 出版日
- 著者
- 新美 南吉
- 出版日
新美南吉「ごんぎつね」を読んだ人には、同時代の童話作家・小川未明の「小川未明童話集」をおすすめします。
牧歌的な世界観にアイロニーを織り込み、切ない余韻を残す短編が多く収録されており、読後は人の弱さや人生の儚さに想いを馳せてしまいました。
「赤いろうそくと人魚」「野ばら」が特におすすめです。
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- 著者
- 小川 未明
- 出版日
- 1961-11-13
- 著者
- 小川 未明
- 出版日
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- 著者
- ["釣巻 和", "小川 未明"]
- 出版日
- 2009-06-09
- 著者
- ["釣巻 和", "小川 未明"]
- 出版日
- 2009-06-09