「結婚」というもの。それは世界中のどの文化圏においても多少の差はあれど「おめでたいもの」としてとらえられています。ただし「結婚によって生活が一気に変わる」のは一般的に男性よりも女性です。だからこそ結婚というものに憧れる女性が多い一方で、その結婚が思い描いていたものとは違う場合の失望も大きいというもの。夢から覚めたような感覚に陥る女性も少なくありません。今回はそんな夢から覚めていく有様、つまりは結婚の「現実」を描いた3冊ご紹介したいと思います。
- 著者
- 冬川 智子
- 出版日
- 2015-07-08
本書はコミックです。結婚に「なんとなく」憧れていたサトコがめでたく旦那さんとなるヨーちゃんとゴールイン後、新婚生活をおくる中で徐々に現実に引き戻されていく様子が、あくまでもゆるい感じで描かれています。サトコは夫婦一緒のダブルベッドに憧れていました。そしておそろいのスリッパにも憧れていました。ちょっとオシャレな感じの主婦ブログを開設することも夢見ていました。そんなサトコの夢が……ひとつひとつはささいなものではあるのですが……ゆっくりと、でも確実に打ち壊されていくのが読んでいてちょっと切ないです。結婚を機に仕事を辞めたサトコは、ヨーちゃんの故郷で新婚生活を始めますが、よく考えてみればここは旦那さんにとっては故郷であっても、サトコにとっては見知らぬ土地。そしてその事実が夫婦関係に落とす影にサトコは結婚後に気付きます。
筆者(サンドラ)が本書で一番印象に残っているフレーズ、それはサトコの「『結婚』に浮かれて、いろんなものを一気に簡単に捨ててしまった」(108p)というつぶやき。たしかに結婚によって住む場所が変わるのも、仕事が変わる(または仕事を辞める)のも、苗字が変わるのも、多くは女性だという現実。もちろん結婚によってこれらの変化を望んでいる女性も多くいるわけですが……ではそういった変化を望む女性とそうでない女性の違いはどこにあるのか……その違いを理解するためには次にご紹介する本「結婚の条件」を読んでみるといいでしょう。
- 著者
- 小倉 千加子
- 出版日
心理学者・小倉千加子さんの本です。「結婚」というものに対する社会の期待、そして女達が自身の結婚に求めるものが事細やかに書かれています。興味深いのは、女性の最終学歴によって結婚に求めるものが違ってくる、という分析です。タイトルである「結婚の条件」が、女性の最終学歴によって違ってくるというわけです。
インタビューの結果、「女が望む結婚の条件は女性の学歴に応じて「生存」⇒「依存」⇒「保存」と変化していた」と小倉さんは書いています。「高卒者の女性」の結婚意識は「生きるための結婚」であるため、結婚相手となる男性に経済的なバックアップをかなり求めがちだということ(生存)、「短大卒女性」に関しては専業主婦願望が強烈だということ(依存)、そして「四大卒の女性」は自身が独身時代にしていた仕事を結婚後もそのまま続けることを最も望む(保存)……そんな傾向について書かれています(33p~42p)。
「結婚の条件」は2003年に朝日新聞社より刊行されたものが2007年に文庫化されたものですので、本書は今より約10年前に書かれています。そのため今は当時と状況が多少変わってきていることを考慮しながら読み進める必要はあるかとは思いますが、現在2016年においても、女性のライフスタイルによって結婚というものに対して求める部分が違うことは否定できません。
この「結婚の条件」の中で特に筆者(サンドラ)の印象に残っているのは本の中盤の部分に書かれている「結婚というビジネス」の章(106p~111p)です。ここで小倉さんは「結婚とは男のカネと女のカオの交換である」と言い切っています。さらに、男女が若くして結婚した場合、20年後、30年後、つまりは夫婦が40代や50代に差し掛かるころには、男性の「カネ」という資源が(結婚当初よりも)増えているケースが多いが、女性の「カオ」に関しては年齢とともに落下の一筋をたどるため両者の「資源」はそもそも平等ではないとしています。
このことに対する女性側の対処法や解決案に関しては本書をお読みいただくとして、現在2016年、日本で問題視されている「晩婚化」の背景や理由もこの本を読むとよく理解できます。
- 著者
- 本谷 有希子
- 出版日
- 2016-01-21
言わずと知れた本谷有希子さんの小説で芥川賞受賞作です。夫婦が連れ添っていると互いに似てくるとはよくいわれていますが、本はまさにそこから始まっています。「ある日、自分の顔が旦那の顔とそっくりになっていることに気が付いた。」という出だしです。作品では「同化への恐れ」が女性の視点で描かれています。結婚というものを通して旦那と同化してしまうことへの不安、自分というものを完全に見失っていくことへの恐怖感。
さらには女性だけでなく「お互いに」同化し、自分が自分でなくなっていく二人の有様を蛇に譬え、「相手のしっぽをお互い、共食いしていくんです。どんどんどんどん、同じだけ食べていって、最後、頭と頭だけのボールみたいになって、そのあと、どっちも食べられてきれいにいなくなるんです。(中略)今の自分も、相手も、気付いた時にはいなくなってるっていうか。」と書いています(51p~52p)。譬えだとはいえ想像すると不気味であるとともに的を射ていることにドキッとさせられます。オチがファンタジーであるため不思議な余韻を残すこの作品、自分以外の生き物への距離感、そして人間の心の不安定さというものについて考えさせられます。
最後に。結婚生活とは自分が無意識的に持っている「感情」と向き合う作業なのだと思いました。そして相手がいながらも結婚生活は自分との向き合いなのかもしれません。