「永井荷風を読んでいる」などと言うと、堅苦しい文学作品を読んでいるような印象を受けますが、実はそんなことはないのです。荷風の文体はやんちゃで軽やかで、同時に少しばかり毒を持っている、そんなしゃれた作家を紹介します。 言わずと知れた名作から隠れた名作まで、9作品をご紹介します!
明治後期に谷崎潤一郎とともに耽美派としてその名を知られました。白樺派に反して、道徳よりも美的感覚を重視する小説・戯曲・詩を多く残しました。個人主義という言葉がもてはやされた時代。ヒューマニズムは拡大解釈され、個の欲望、個のエゴイズムが文学のスポットライトを浴び始めます。
そんな時代において荷風が荷風たる所以のひとつとして、彼のある種のエゴイズムに満ちた女性遍歴があります。娼婦、芸者、売春婦。荷風の小説にはそんな多くの商売女たちが登場します。そんな女性たちの日常生活をみつめる作家が、永井荷風です。
荷風にとっての恋愛が、身近な女性とではなく、商売女たちとの恋愛であったこと。それは彼の小説の特色として見逃せないことのひとつなのです。
そして、夏目漱石ら、純文学の先輩の多くが留学先としてイギリスやフランスをまず選んだのとは違い、荷風が最初の一歩を踏み出したのは、新大陸アメリカ。荷風は青年時代からフランス文学にあこがれを持っていましたが、最初に経験したのはアメリカだったのです。
しかし、1900年代初頭のこととはいえ、アメリカのニューヨークといえば、人種のるつぼ、最先端の流行、世界における目まぐるしい変化を作り出す中心地。そこで見た時代の流れは、凄まじかったはずです。荷風の文体がどこかしら現代的でクールなのは、そんなアメリカでの留学時代の経験が影響しているのでしょう。
永井荷風の作品で最も有名な作品のひとつがこの『摘録 断腸亭日乗』です。落語好きが高じて、若き日に実際に落語家に弟子入りまでしてしまったという荷風。
この「断腸亭」という名前は、まさに落語家の屋号のようなものにあたる荷風独自の洒落の利いたもので、そして「日乗」とは、日記という意味があります。この作品は彼が多く残した日記文学の中の、代表作です。
- 著者
- 永井 荷風
- 出版日
- 1987-07-16
内容は、1917年から1959年まで、40年間にわたって書かれた膨大な日記です。音楽界へ足を運び、友人と会食をする。そんな日常の中に、ふと脳裏に浮かんだ俳句を書き記す。そんな文章を読めば、まるで永井荷風の脳内を覗き見るかのような背徳感を覚えます。
これらの日常の記録の中から、どのように荷風文学が生まれる下地が作られたのか。そんな風に思いを巡らせながら読んでいくのも一興ではないでしょうか。
特に印象深い時期は、昭和20年、荷風六十七歳の頃。老齢に達した荷風が、戦時下の東京で毎日の日記を微細にわたって記録しています。その日食べた魚、心に浮かんだ短歌。空襲のサイレンが鳴り、荷風は被災状況についても克明に残し、文中に現れる土地は、神谷町、浅草、小石川といった私たちにも馴染み深い東京ばかりです。
この時期の文章は、当時を生きた人は出来事を思い出し、知らない人は追体験をすることができます。多くの小説家たちが、それぞれに名高い日記文学を残しましたが、こと荷風においては、戦時下の東京のリアルな状況に触れるという意味でも、一読の価値があるのです。
映画にもなった『濹東綺譚』。先に述べた荷風作品の特色のひとつである「娼婦との恋愛」がテーマの長編作品です。小説家である自身の分身のような主人公大江匡と、娼婦であるお雪との身分違いの切ない恋となっています。
赤線地帯の売春婦の女性が登場するとなると、退廃的で荒んだイメージを持たれるかもしれません。しかし、文学において「売春婦」との恋愛というのは古今東西受け継がれてきた一種の伝統のようなもの。ロシア文学にも、フランス文学にも、売春婦との恋愛に命を捧げるような純愛を描いた作品が本当にたくさんあります。
- 著者
- 永井 荷風
- 出版日
社会の底辺で生きる女性たちの状況と、相反した、無垢で清らかな心根。繊細で感受性の強い文学者には、そんな売春婦たちに見え隠れする聖者のような一面に惹かれてしまうものがあるのでしょう。
そしてアウトロー文学者としての永井荷風の作品がこの『濹東綺譚』の特徴でもあります。普段はどちらかといえば、淡々と第三者的な覚めた視点でつづるのが荷風の作品です。
しかし、何かの拍子に熱狂的に独白をする瞬間、般若のように猛り狂った荷風節が読者の頭上を駆け巡ります。アウトロー精神は時を経ても焦ることはありません。日常を逸脱したくてもできない読者は、逸脱者である荷風の軌跡を追いかけることで、気分がすっきりするはずです。
この『腕くらべ』は『濹東綺譚』における荷風文学の手前に置かれた、前哨戦のような印象のある小説です。芸者の世界に生きる女性たちの赤裸々な実態を描いた、作風でいえばいかにも「荷風らしい」作品となっています。
読み物としても秀逸ですが、日本の裏社会の文化史的研究材料としても有益な作品でしょう。しかし、題材が題材のため、発表当時は厳しい検閲の犠牲となり、発禁処分になります。そうして、しばらくは私家版として友人・知人のみに配っていたという幻の作品であった訳です。
- 著者
- 永井 荷風
- 出版日
- 1987-02-16
特筆すべきは「はしがき」です。この部分は私家版として配布された大正六年に書き添えられた荷風による前書きなのですが、この「はしがき」の文章としての美しさには惚れ惚れとします。
「おのれ志いまだ定まらざりし二十の頃よりふと戯れに小説といふもの書きはじめいつか身のたつきとなして数ればここに十八の歳月をすごしけり」(永井荷風『腕くらべ』より引用)
という一文で始まりますが、何度でも繰り返して読みたくなるような美しい文章です。
この作品には、荷風の作家としての本領発揮、自由を謳歌する人間性が詰まっています。ふとした時にもらす、こんな荷風の洒落た大人としての江戸っ子気質が、多くの人を魅了する理由の一つでもあるのでしょう。
これは荷風が最初に踏み出した新世界、アメリカ、ニューヨークにおいての小説群、『あめりか物語』です。マンハッタン、ブルックリンブリッジ、自由の女神。当時はまだ江戸情緒残る東京の、そんな下町に生まれ育った荷風は一挙に別世界へと突入していきました。
そして、「自由の女神にひれ伏したい」というほどに、ニューヨークに圧倒され、その都会的な洗練された文化に感化された彼は多くの新しい出来事と対峙していくことになります。
- 著者
- 永井 荷風
- 出版日
- 2002-11-15
若き日の荷風の切実な心情をつづりながら、ブルックリン橋付近の猥雑な喧騒を綿密に描写しています。永井荷風という文学精神あふれるひとりの若者の、紐育の街を闊歩する情景が目に浮かんでくるようではありませんか。
売春婦との出逢い、オペラ、音楽との出会い、汽船、鉄道、建築物。現代に読んでみても、荷風inニューヨークというシチュエーションには、なぜか親近感を感じてしまう、色褪せない何かがあるのです。
「文学」としての荷風よりも「人物」としての荷風を味わってみたいという人には、是非この作品からお読みになることをオススメいたします。
『あめりか物語』の続編となるのが、この『ふらんす物語』です。荷風は、フランスのロマン文学にあこがれを抱いていました。翻訳者としてエミール・ゾラの『女優ナナ』を出版したりもしているのです。
しかし、父親から商売を勉強するために留学先として指定されたのは、アメリカ。荷風はその後、しっかりあこがれの文学の都ヨーロッパをも経験します。生まれ持った西洋的な独自の感覚で、アメリカを体験し、ヨーロッパへ向かう。帰国後の荷風の世界観を固める、決定的な経験です。
- 著者
- 永井 荷風
- 出版日
- 1951-07-09
彼はフランス語についても堪能で、ゾラやモーパッサン、ルイ・アラゴンなどの文学を愛したといいます。憧れのカルチェラタンを荷風はその足で踏み、その町々がまさに文学によって培われた「息づく文学」であるヨーロッパをその目で見たのです。
アメリカでの衝撃と、ヨーロッパでの経験の蓄積。荷風の人となりを知る上でも、『あめりか物語』と『ふらんす物語』を対にして読み解くことには多くのヒントがあるでしょう。多くの文学人たちは留学を経験し、新しい世界に触れることで、その後の自らの哲学を新たにしてきました。
明治の封建的な社会に断固として反抗した、荷風が、その時代に経験したアメリカ、フランス、そして日本。そこに現代の私たちは何を見るでしょうか。
永井荷風の時代とは、私たちにとって実はそんなに遠い昔の話ではないのです。彼はほんの100年ばかり前に生まれた身近な世代。もしかしたら私のおじいちゃんだったのかもしれない。そんなアウトローで洒脱な小粋なおじいちゃんが、「ちょっと危なくて面白い話」を聴かせてくれる。永井荷風文学体験とは、ドキドキ楽しみにするような秘密を孕んだものなのではないでしょうか。