柔らかで心に沁みる文章を書き、「花に眩む」で2010年「女による女のためのR-18文学賞・読者賞」を受賞した彩瀬まる。女の人にはもちろん、男の人にもぜひ読んでほしいおすすめ作品を紹介します。
彩瀬まるは1986年、千葉県で生まれました。小さい頃から小説好きで、物語を味わう喜びや他の人の思想に触れた瞬間の幸せを教えてくれたという、その幼少期の読書体験をとても大切にしているそう。楽しい時も辛い時も宝物のような本が寄り添ってくれたと語ります。
5歳のときにアフリカのスーダンで2年間、その後アメリカのサンフランシスコで9歳まで過ごします。そして日本に帰国後、中学2年生の頃から小説を書き、友達や部活の先輩などから面白がられ読者を獲得していました。大学は上智大学文学部を卒業しています。
独特の世界観のある客観的な描写で、人の心の動きをていねいに書き綴られた彩瀬まるの小説。読み終わると、しっとりとした心情から伝わる思いが、心をまっすぐな気持ちにしてくれます。
- 著者
- 彩瀬 まる
- 出版日
28歳のドラッグストアの店長の梨枝は、母親と2人暮らし。バイトの大学生8つ年下の三葉くんを好きになって、梨枝と母親、雪ちゃん、兄、バァファリン女と、とりまく人々との日々が綴られています。
過干渉なまでに面倒を見てくれる母親に息苦しさを覚え、幼馴染の雪ちゃんと結婚した兄家族が実家に戻るのをきっかけに一人暮らしを始めます。そんな梨枝と、その周りの人に対する心の揺れを、ていねいに伝えている作品です。
普段、人に相談するほどの出来事ではないけれど、居心地の悪い思い。うっとうしさや寂しさなど、そんな言葉にできない感情は誰しも身に覚えがあるはず。共感しつつ、梨枝とともに悩んで苦しみ、変わっていける感覚にとらわれます。
そんな言葉にならない思いを表現した言葉の世界があります。最後のページを閉じると、じんわりと晴れやかな気持ちが心に響いてくるような作品です。
- 著者
- 彩瀬 まる
- 出版日
- 2013-11-27
携帯で写真を撮ることが、妻との関係をつないでいた津村成久。妻が「これいいね」と一言返してくれるだけで、改めてその風景が「いい」ものとして自分の手に戻ってくるという。妻を亡くしたという過去に囚われ、ぽっかり空いた心の穴。
しかし亡くした妻を思いながらも、徐々に彼女のことを忘れていることに気づいていきます。「そういうものなのよ」との言葉を感じながら、高校生になる娘の小春と暮らし、父親から引き継いだ不動産事務所を続ける日々……。
「指のたより」の津村成久から始まり、不安や喪失感を抱えるそれぞれの主人公が語る喪失をテーマにした5つの連作短編集です。
表紙にもあるイチョウの木が黄金色に輝く風景と、この世を祝福するシーンが、心に沁みる感情を呼び起こしてくれます。人との関わりがあるから自分の気持ちにたどり着く、そんなことが感じられる作品です。彩瀬まるの人に寄り添いあたたかな希望につながる言葉に、ぜひ触れてみてくださいね。
- 著者
- 彩瀬 まる
- 出版日
- 2014-02-19
美しいタイトルの5作品が心にふれる連作短編集。一階にはドラッグストア、二階にカフェなどのテナントが入っている雑居ビルに通う人々の物語です。
最初に収められている「泥雪」は、二階のテナントの手揉みマッサージ店のシングルマザーが、自分の見たいものばかりを見て、見たくないものは見てこなかった日々を語ります。
お店にある遠い雪原への窓と呼んでいる絵。その絵を描いたウツミマコトは、今や巷で話題作「深海魚」の映画監督になってしまいました。その絵に対する自分の解釈を迷いながらも、好きの感情や今までの日々を受け止めて、彼女は自分の気持ちを見つめていきます。
やさしく甘く柔らかく、生々しい感情が綴られる物語は、苦しくなったとき、心がとけていく温かさで心を包んでくれます。これからも、頑張ってもうまくいかないものを抱えながら、精一杯に前を向いていくのでしょう。
好きと嫌いの感情が薄れ、慣れきった日常を過ごしていませんか。物語の人物たちは理想にがんじがらめになりながらも、その目標を思うことをやめられません。この本のページを閉じると、新しい一歩を踏み出すきっかけを忘れていたことに気づかされるはずです。
- 著者
- 彩瀬 まる
- 出版日
- 2015-03-12
桜の花が咲き始める4月に、東北新幹線に乗った5人。それぞれの彼らの「ふるさと」にまつわる5話の連作短編集です。
本作品は新幹線の自由席に乗り込んだ都会育ちの大学生・智也が、宇都宮の郊外に暮らす祖母を訪ねるストーリーから始まります。智也の祖母は10年前、旅行に行った栃木のツアーで知り合った堀川雄太郎と一緒に暮らすことを子ども達に告げ、見知らぬ土地に移り住みました。
千葉の裕福な家に生まれ、裕福な家に嫁ぎ、三十代後半に伴侶を亡くし、4人の子供を女手一つで育ててきた祖母。何不自由のない暮らしから一歩を踏み出そうとしたきっかけは、タイトルにもなっている「モッコウバラのワンピース」でした。
さりげない会話のなかで、智也に話す祖母の言葉は、大切な人の感情と踏み出す勇気を語りかけてきます。花の香りを漂わせる作品の主人公たちは、それぞれのふるさとで家族に会い、また自分を見つめ直し道筋を見つけていきます。
過去の自分、自分を作ってきたものを感じられると、人は安心して前に進むことができるのかもしれません。自分はどこから来たのだろうと思ったことのある人に、ぜひ読んでほしい本です!
- 著者
- 彩瀬 まる
- 出版日
- 2016-09-21
口には載せない忌み言葉「死」を取り巻く感情を描くホラー作品6編。これまでの作品にはない死に対峙したテーマが共通しています。「こちら側」と「あちら側」のお話を幻想的な雰囲気で伝えてくる作品です。
「君の心臓をいだくまで」と題されたひとつめの作品。主人公の日菜子は、妊娠したのに下腹部の塊に心音がないことを告げられます。仕方ないことですが、なかなか現実が受け止められません。
その真っ暗な日々から、すべての感情を飲み込んだとき、忘れるよりも、悲しむよりも、恨むよりも、「褒めてあげたい」という感情が浮かび上がってきて……。怖さを感じさせながら、辛く悲しいホラーな物語が綴られています。
人は人の死に直面したとき、何を思うのでしょう。人は生まれて死ぬ、当たり前のことですが、死を想像することはとても難しいことです。ホラー作品はそのスリルとともに、死について考えることを教えてくれているのかもしれません。
- 著者
- 彩瀬 まる
- 出版日
- 2017-10-26
7つの短編で構成されていて、全て女性が主人公です。日常の現代小説のようなのに幻想的な話もあり驚きますが、読み進めていくと引き込まれます。独特で不思議な世界観の中で、愛や人間の本質が描かれている珠玉の短編集です。その中で特に印象深い3つの作品を紹介します。
表題作「くちなし」は主人公の女性ユマが不倫相手のアツタに別れを告げられる場面から始まります。その時にユマはアツタから彼の左腕をもらいます。この話の世界では体は簡単に取り外せて、親しい人にパーツを贈り合うことは一般的なのです。ユマはしばらくアツタの左腕と暮らしますが、アツタの妻が左腕を取り戻しにやってきます。
ユマはアツタの左腕を返す代わりに妻の腕をもらい、妻の腕と生活を共にするのです。物悲しく不思議で美しい世界観に引き込まれます。自分自身をバラバラに分けられることと1人の人をまるごと愛することが対比的に表現されていて、愛することとはなにかを考えさせられる作品です。読み終わったあとに余韻が残ります。
「愛のスカート」では美容師の女性、ミネオカがお客さんの仕事の依頼で学生時代の片思いの相手トキワに再会します。昔からミネオカに振り向いてくれないトキワは人妻に片思いをしていました。ミネオカはトキワに想いを寄せつつもトキワの恋が上手くいくように手助けをしてしまうというストーリーです。
それぞれの片思いがほろ苦いのですが、そんな中でトキワが語るセリフが心に響きます。
「遠くのきれいな花畑みたいな、触れないものしか好きになんないから、俺は一生こうなんだって思ってた、でも、好きなものに、触らないまま関わる方法は、きっとたくさんあるんだな」(『くちなし』より引用)
切ない関係の中にも光が差す、凪のような穏やかな気持ちになれる作品です。
「山の同窓会」では女は卵を宿し産卵します。女は産卵を経験する事に老けていき、3回の産卵を果たすと大抵死んでしまうのです。主人公のニウラは周りが産卵を経験していく中で1度も卵を作っていない珍しい女性で、彼女が自分の存在に悩みながらも周囲や社会常識に流されずに歩んでいきます。
幻想的で絵本のような設定ですが、ニウラの感じている悩み、周囲と違うことや種族内での自分の役割などは現代の私たちにも通じるものではないでしょうか。物語内でのニウラの人生へのスタンスに生きる勇気がもらえる作品です。
ファンタジーやSFのような幻想的な話が多く、丁寧な文章で情景や色彩が鮮やかに目に浮かび不思議で美しい世界観に引き込まれます。不思議な世界観だからこそ、主人公の女性たちが悩む社会常識とのズレやギャップ、本人も気付いていない自分の生態などがいっそうと際立ち胸に迫ってくるのです。物語の中で女性たちが悩みながらも自分の中にそれぞれの愛の形、生き方を見つけて歩んでいく姿に励まされ、読後に温かい余韻が残ります。愛や生き方について考えるきっかけになる1冊です。
以上、単行本デビューから、順にご紹介いたしました。心に響く美しい言葉で描かれ、重苦しさのないていねいで柔らかい文章は、物事に対する心のあり方を感じさせます。彩瀬まるの世界をこの機会に、ゆっくり楽しんでみてください。