分かりやすく軽快ながらも、その中身は人間愛と優しさに満たされている-そんな重松清の作品。幅広い年代の人から支持され、同年代の作品を多く扱っていることから小中学生からも強い支持を集めています。今回は中学生にぜひ読んでほしい15冊をランキング形式でご紹介いたします。
重松清は1963年、岡山県生まれの小説家です。大学卒業後出版社勤務を経て、執筆活動に専念するように。1991年『ビフォア・ラン』でデビューしました。1999年『ナイフ』で坪田譲治文学賞、同年『エイジ 』で山本周五郎賞を受賞、2001年『ビタミンF』で直木賞、2010年『十字架』で吉川英治文学賞、2014年『ゼツメツ少年』で毎日出版文化賞と、作品の数多くが文学賞を受賞している、代表的な作家の一人です。重松清は、現代の家族を描くことを大きなテーマとしていて、ほろ苦く切ない、でもあたたかみのある家族の物語を数多く発表しています。
自分や、家族の問題を多くの人たちは抱えながら生きています。これらの問題は、明確な答えが出てこないものです。「子どもの成長は、〇〇のようにやれば、うまくいく。」というように、一概には表すことはできません。様々な家族の形があり、環境によってもその答えは変化してきます。そのような、答えを出すことの難しい家族の問題に対して、重松清は小説を通して上手く表現しています。
ただ具体化すれば表現できるというのではありません。効果をあげようと誇張することなく、現実の家庭そのままの等身大の現実を物語の中で再現していくので、読者である私たちも、その場に居るような臨場感があり、すぐ近くで主人公と一緒に考えることができるようになっているのです。重松清の作品が、多くの読者の共感を呼び、感動させ、涙を流させる所以は、ここにもあるのだと思います。
重松の小説の表現では、人間描写に惹かれます。完璧でないが故の登場人物のその人らしさが、浮かび上がってきます。このような、読む者が感じるリアルな人物描写に引き込まれるのです。登場人物に投げかけられる重松清の眼差しのような温もりのある文章で、人のちょっとした動作、繊細な心の吐露を表す言葉が、読者に迫ってくるのです。物語の場面が映像として頭に浮かび、温かい気持ちになっていきます。
タイムカプセル。未来へのメッセージを込めて、子どもの頃埋めた経験のある人もいるでしょう。しかし、カプセルを埋めた時は希望にあふれていますが、カプセルを開ける時は、生きるのにもがいている自分を目のあたりにしているのかもしれません。
夢は夢となり、現実にとっぷりと浸かっている主人公達にとって、タイムカプセルによる夢と希望に満ちていたあの頃の記憶が蘇り、かえって現在の厳しさが強調されることになるのです。これは、辛いものがあります。
- 著者
- 重松 清
- 出版日
子どもの頃、よく夢みたものです。「大人になったら……」と。このように、子どもの頃ほとんどの人が先々の自分に期待を弾ませていたことでしょう。しかし、大人になると「現実は違うさ」と、無理矢理納得して生きています。
すでに40歳。夢を見ることのできる年代ではなく、かといって、人生を総括するような年代でもありません。そんな主人公たちは、どのように自分の未来を描き信じて生きていくのでしょうか。現実を知った以上、甘い夢は持てません。でも、希望は捨てたくない。そんなほろ苦い気持ちになる小説です。
重松清の心情表現は巧みです。主人公達の何気ない動作や、友達の僅かな表情の変化。周りの風景に、主人公達の心情を盛り込んで書いていく情景描写は素晴らしいです。そして、繊細な心の吐露を表す言葉に切なくなります。
いつの時代でもいじめはよくないです。しかし、いじめのない時代はないですし、いじめに対する特効薬もありません。それでも重松清は静かに熱い想いを小説に込めています。
いじめがあると、被害者の家族はいてもたってもいられないでしょう。先生や学校に相談したところで解決することは少ないです。重松清も短編集『ナイフ』にその答えを記しているわけではありません。本書のどの短編も、いじめがなくなったといった展開ではないのです。どの作品においても、子どもやその親それぞれが苦しんだ末に、いじめを乗り越えようとしていることを感じます。
- 著者
- 重松 清
- 出版日
- 2000-06-28
表題作「ナイフ」では、父も自身がびくびくしていた中学生の頃を思い出します。しかしある時、露店で酔って折りたたみ式サバイバルナイフを購入したのです。ナイフを持ち歩くことで、いつでも人を殺せるという自信が芽生えます。
父は息子のいじめに向かい合い、正直な気持ちを親子で交わすことができたのです。父は息子にそのナイフを託そうとしました。しかし、息子は断ったのです。父はそこに、この状況を乗り越えようという息子の決意があることを知ります。
このお話もその後どのような展開になったかはわかりません。でも、きっと父も子も顔をあげて、胸を張って生きていくんだろう、と想像ができるのです。
表題作「ナイフ」や、本書に収録されているその他の短編を読むと、どの作品にも共通して言えることがあります。世の中にはいろいろな形のいじめがあるが、いじめられた子どもたち、あるいは大人を支えるのも、結局は家族なんだということです。本書は家族がお互いを認め合い、支え合うあう物語なのです。そんな重松清の、人生に対する静かな応援歌をぜひ読んでみてください。
子供たちの成長とともに起こる問題や夫婦の問題、どこの家庭にもありそうな問題をとりあげた7つの短編集です。主人公は、家庭をもつ37歳の男性。 それぞれの家庭が抱える問題と、どのように立ち向かっていったのかが素朴な文体で綴られています。
ハッピーエンドとは言えないかもしれないけど、逃げずに格闘できたのです。彼らはなぜ格闘できたのでしょうか?
元気になることができる、「ビタミンF」を見つけたからです。希望をもち、前向きに生きて行けそうな兆しといってもいいかもしれません。読後、なぜかこちらが「ビタミンF」を得て、元気が湧いてくる気がしてきます。
- 著者
- 重松 清
- 出版日
この小説を読んでいる読者に迫るリアル感。これは、どこから来るのでしょうか。主人公の抱える問題と、読者が抱えている問題が、ほぼ同じという共有感。これが大きな要素だと思いますが、さらに、重松清の表現方法の効果にあると言えます。
現実感を醸し出すためとは思いますが、目に浮かぶようなリアル感があるのです。ここまでリアルに表現されると、小説に出てくる家庭と同じような状況にいる読者は、読み進めるのが辛くなるかもしれないほどです。
それぞれの家庭の問題。問題の核心は、主人公にも起因しているのです。そのことに主人公は気づいていきます。自分が家族のことを理解していなかったと気づいた時、現実の厳しさを突きつけられ、落胆します。でも次第に、日常生活の中に小さな幸せが存在していることに気づいていくのです。このように、この小説には、そのヒントがちりばめられているのです。
日曜日の夕方。日中忙しい家族にとって、もっとも家族らしく感じられる団欒の時間です。みんなゆったりと過ごし、互いの眼差しも柔らかいです。それまでは、当たり前に思えていた、ある町の日常の些細な出来事を描いた12の短編小説集です。当たり前に思えていた場面に、ある日突然起こる事件を通して、忘れかけていた感情が蘇ります。今日は昨日の続きの筈なのに、ちょっと違う気がする。そんな小説になっています。
- 著者
- 重松 清
- 出版日
- 2002-06-28
この小説に描かれていることは、どの家庭にも言えるかもしれません。同じようなできごとなのですが、重松清が描くと、一味違います。一つの言葉に感動したり、主人公の表情がほんわかと沁みてきたり、夕暮れの景色が、こんなにも優しかったのかと気づいたり、そんな心温まる気持ちにさせてくれる作品集です。
親子のことを描いた話が多いのですが、お互いを思いやりながらも、照れから日頃の感謝を表せない親子。現代の人間関係の中で、距離を縮めるのがむずかしいものです。そんな、相手に気持ちを伝えるのが難しい関係を、重松清が抜群の表現力で、表しています。
普通のサラリーマン家族にとって、一戸建ての家を持つということは、成し遂げるべき夢でした。ニュータウンにはそんな家族の物語がつまっています。
山崎さんはくぬぎ台ニュータウンに住んでいます。都心から私鉄で2時間。都心への通勤は往復2時間です。そんな山崎さんも長年勤めあげてきた銀行を定年退職になり、もう通勤の必要はありません。定年になって改めて街を見回すと、なんと暇な街なのか。住むところしかないニュータウンは定年の身にとっては暇の極地でした。
- 著者
- 重松 清
- 出版日
- 2001-02-15
暇を持て余している山崎さんは毎日日課の朝の散歩に出かけます。朝の散歩には似たような境遇の仲間といつも出会うんですね。特に待ち合わせしているわけではありませんが、いつも一緒になります。同じ時期に家を購入した似たようなサラリーマン家庭がいるわけですね。
こんな、何の変哲もない定年後のニュータウン生活であっても、やっぱり人生には多事あります。嫁姑問題や、夫婦の離婚、居場所のない父親などです。ニュータウンで生まれるその話題にもその人の人生やドラマがあります。他人にとっては噂話でも本人たちにとっては人生そのものです。そして、ニュータウンを離れる人がいたり、新たなメンバーが加わったりして、ニュータウンもまた変わっていきます。
重松清は多くの家族の物語が詰まったニュータウンや、ニュータウンに住まう定年を迎えた元サラリーマン家族達の日常を描くことで、実は定年後の人生を応援しているのではないでしょうか。定年を迎えたら終わりではない。そこからまた始まるのです。そんな人々が住まうニュータウンそのものもまた新たにかわっていくのだと思います。
新たな変化を応援する『定年ゴジラ』は、定年だけではない、様々な人々の人生の区切りが、新たな始まりなんだ、といった前向きな気持ちにしてくれる人生応援物語です。
子どもでも大人でもない14歳・中学2年生の気持ちをエイジ、ツカちゃん、タモツの3人の中学生を中心に展開するストーリーです。
東京郊外の桜ヶ丘ニュータウンで生活するエイジは中学2年生でまもなく14歳になります。両親と高校生の姉とともに毎日「普通」に過ごしているんですね。そんななかニュータウンで通り魔事件が連続発生します。
ツカちゃんはエイジの同級生でちょっと不良っぽく、いつもふざけているのですが、通り魔事件の卑劣さには強い憤りを感じています。タモツは中学入試のときインフルエンザを発症し、希望校に受からなかった「悲運の秀才」です。いつもクールに過ごしていて、通り魔事件は女性しか狙われないから自分には関係ないと思っています。
妊娠中の女性が通り魔に襲われて流産するという痛ましい事件を最後に、連続通り魔事件は収束したかと思われました。そんなとき、とうとう犯人が見つかり、しかもその犯人はエイジ達の同級生だったのです。その同級生はいわゆるクラスの「マイナー組」のおとなしい子であると判明します。彼がどんな気持ちで犯行を重ねたのか、エイジは心の中でその気持ちを辿ろうとするのです。
- 著者
- 重松 清
- 出版日
- 2004-06-27
14歳の中学生は子どもの終わりでもあるし、大人の始まりでもあります。それは、子どもでも大人でもないとも言えるわけです。子どもの時のようにはしゃぐこともできず、大人として割り切ることもできません。そのもんもんとした複雑な気持ちが「キレる」という行為に結びつく年頃なのです。
そんな複雑な気持ちを抱えた少年少女の気持ちを、重松清は『エイジ』で様々に表現しています。膝の痛みで「休部」することになった部活動やそのメンバーに対する気持ち。ある娘が好きなのに素直に表現できない気持ち。「シカト」されている友達に真正面から向き合うことはできないもどかしさ。様々な場面設定とその少年少女達の心情表現が、重松清のこの年頃に対する理解の深さを表しているわけです。
世間では、中学生の事件が起こるたびに「近頃の中学生は」といったワイドショー的な取り扱いに留まっていると『エイジ』では表現されています。「中学生」時代をきちんと取り扱うには個々の家庭環境やちょっとした気持ちの変化に寄り添うことが必要なんですね。
そういった気持ちの寄り添いが、重松清の『エイジ』では丁寧に描かれており、ある意味「中学生らしい」若々しい気持ちが描かれていると思います。
物書きであるわたしが、小学4年生のときのマコトとの思い出を『くちぶえ番長』として書くことで、4年生を終えるときに再び転校してしまったマコトの消息を探しだそうとする物語です。忘れられない友情と淡い恋心を感じた少年時代として、マコトを中心とした小学4年生の思い出を爽やかに描いています。
ツヨシが小学4年生のとき、クラスに転校生がやってきます。マコトという女の子でした。マコトはツヨシのお父さんの小学校時代の親友の娘だったのです。しかし、お父さんの親友だったマコトのお父さんは病気で亡くなっていました。
マコトは一輪車をはじめ、スポーツが得意な女の子で、熊野神社の下から8つ目の枝までだって上ることができます。転校してきたときの挨拶がまたかっこいいのです。「私の夢は、この学校の番長になることです」と宣言します。番長を目指しているだけあって、マコトは誰にでも優しくて、いじめっ子には誰よりも強い女の子でした。それはお父さんとの「泣きたいときにはくちぶえを吹け」という約束があったからかもしれません。くちぶえを吹けば涙が収まるのです。
- 著者
- 重松 清
- 出版日
- 2007-06-28
マコトと出会ったばかりのツヨシは、低学年の子が上級生にイジメられていても、見て見ぬふりして逃げ出そうとしちゃうやつでした。けれどもマコトのおかげで勇気や友達としての思いやりを身につけ大きく成長するのです。
子供向けに書かれた物語ではありますが、小学4年生を子どもに持つような世代が読んでも、しんみりとする、でも爽やかな気持ちにもなる物語だと思います。
あなたの小学4年生時代を改めて思い出し、あのころの友情や淡い恋心も思い出してみてください。
人の死は、生きている人が受け止めるものですよね。重松清の『卒業』は、残された者たちの身近な人の死の受け止め方を短編にまとめています。
人の死が、残された家族に大きな寂しさを与えるというのとは少し異なります。残された人は、亡くなった人の生きざまを受け止め、そしてそれぞれの人生を過ごしていくのです。そういったことを重松清は『卒業』で静かに熱く語っていきます。
- 著者
- 重松 清
- 出版日
- 2006-11-28
課長代理である渡辺の会社に、突然、「亜弥」が訪ねてきます。亜弥は「学生時代」の親友だった伊藤の娘さんだったのです。でも、亜弥が母親のお腹の中にいるときに伊藤は自らの命を絶っていました。
母親はお腹の中の娘と自分を遺して逝ってしまった伊藤のことを娘に語っていませんでした。亜弥はもっと話が聞きたいと思い訪ねてきたわけです。渡辺は思い出を振り返りますが、社会へ出てからそれぞれの世界へ進み、付き合いも疎遠になっていった伊藤との思い出は、ネタがつきています。
一方、亜弥の現在のパパは亜弥との思い出を辛抱強く語りかけていくのです。
「死」そのものや、逝ってしまった人の思い出よりも、生きている人の想いのほうが大きいんだということを渡辺や亜弥のパパ、ママが亜弥に伝えていくのです。
自分の親や親しかった者の死をどのようにとらえたらよいかわからない。けれども元気だったころにはわからなかった、あるいは知らなかったことに出会えた時、亡くなった人の想いが伝わってきて、心が晴れ晴れとする物語が集められています。
「死」をとりあげながら、生きていたころのわだかまりを取り除き、遺された家族も少しだけ前向きになっていきます。それを読んだ私たちも涙の中に笑顔になれる、そんな物語が『卒業』には揃っているのです。
どこを読んでも涙が止まらないとても悲しい物語なのに、読み終わった後はどこまでもやさしい気持ちになれる、そんな物語です。
北海道の北都市で幼馴染だった四人の小学生、シュン、トシ、ミッチョ、ユウちゃんは、それぞれの人生を重ねて39歳で再会します。小学生の時に出会った『カシオペアの丘で』。小学生時代の振る舞い、自分の親の態度、学生時代に発してしまった言葉に、四人は心のなかでそれぞれ誰かに謝り続けてきたんですね。
北都市はもともとは炭鉱の町でした。そして炭鉱を経営する倉田鉱業のおひざ元でもあったのです。ある時炭鉱で坑内火災事故が発生します。火災は5日も続き、「倉田」の社長は引水を決断します。それは中に残されたまま助け出されていない被災者を諦めることを意味するのです。
シュンは倉田の孫であり、トシは現場に突入したまま戻らない消防士の息子でした。二人は仲のよい幼馴染でしたが、それぞれの関係性に気づいたときギクシャクしてしまいます。
大学時代から東京で生活していたシュンは40歳を目前にして肺がんであることを医者から告げられます。しかも余命はあまり長くありません。そんなとき、ある事件をきっかけにカシオペアの丘がテレビに写ります。これをきっかけにシュンは小学生時代の出来事や学生時代の出来事について、差出人名を記載せずにトシとミッチョに謝りのメールを出します。そこから東京のユウちゃんへ連絡がまわり、少しずつ四人は再会していくことになるのです。
- 著者
- 重松 清
- 出版日
- 2010-04-15
それぞれの再会を経て、四人は再び北都の『カシオペアの丘で』再会するんですね。トシとミッチョは夫婦になっており、シュンは家族を連れていきます。シュンは北都で一気に病状が悪化してしまい、入院することになるんですね。再会した四人とその家族はそれぞれの関係や過去の出来事を振り返ります。「あやまることなんて何もない、あたなが、あなたをゆるせばいんですよ」という優しい言葉を受け入れながら、それまでわだかまっていた相手への気持ちを少しずつときほぐしていくのです。
自分のせいでこんなことになってしまったのだ、自分の係累がこんなことをしたためにみんなに迷惑をかけているのだ。そういった悩みや苦しみを、相手はそうじゃない、あなたが悪いんじゃない、といってゆるしていくのです。そうやってゆるされた人たちは今まで以上に人々にやさしくなっていきます。おとなになって「過去とまっすぐに向き合う勇気」を得て、がんにかかりながらこれまで避けてきた自分の人生を改めて見つめなおすわけです。
車いすの生活になったり、末期がんになったり家族の死に向き合わなくてはいけなくなったり、重いストーリーが続きます。これだけでも涙が止まらなくなるのですが、そこに向かい合う登場人物の前向きな気持ちや優しい気持ちが引き出されることで、さらに涙はとまりません。でも、本書を読み終わった後にはもっとみんなをうけいれたい、そんな気持ちにさせてくれるのです。しっかり涙をながし、気持ちを切り替えたい方はぜひ読んでみてください。
主人公は、瀬戸内海の小さな町の運送会社に勤めるヤスとその息子のアキラです。不器用で口が悪く人一倍照れ屋のヤスに、息子のアキラが生まれるところから小説は始まります。しかし、家族に恵まれた幸せの絶頂から、奈落の底に突き落とされる事件が起きます。ヤスと一人息子のアキラ、父と子の感涙の物語です。
- 著者
- 重松 清
- 出版日
- 2011-10-25
不器用でも、息子のことを第一に考えているヤス。しかし、父と息子というのは、なかなか難しいもの。仲の良い母と娘のように、友達感覚にはなれず、それでもつかず離れずの微妙な関係なのです。ちょっとした時に、思わず出てしまった言葉で後悔する日々が続きます。
それを埋めてくれたのが、幼なじみのたえ子を始めとする周囲の人々の温かさ。片親の家庭では、どうしてもお互いの関係がぎこちなくなりがちです。でも、この小説のように、父親と息子の間に、他者が関わってくれることで、互いの関係が滑らかになれることもあるのではないでしょうか。
この小説を、単なる「お涙頂戴物語」でなく、ジーンと深みを感じる小説になっているのは、登場人物の話す言葉にあると思います。一つ一つの言葉に実感があり、読者に迫ってきます。たえ子やヤスの言葉。珠玉の言葉の数々が、読者の心に深く、染み込んでくるのです。息子をもつ父親に、一度は読んで欲しい重松清の小説です。
突然ですが、みなさん言いたい事言えてますか?仕事であったり、家族であったり、友達であったり色々な場面が考えられますが、心の中では溢れんばかりに思っているのに、いざ口に出すとなるとなかなか言えないようなこと、ありますよね。時と場合もありますが、自分の気持ちを相手に余すことなく伝えるにはどうしたらよいのでしょうか。
この本の主人公、きよしもそうした悩みを持つ少年です。ただ、きよしの場合は事情が少し違って、うまく喋ることができない吃音者なのです。友達と好きなだけ好きなことを話すことができない・・・そして、話したいことを話せる友達を求めていました。
- 著者
- 重松 清
- 出版日
- 2005-06-26
ある聖夜、きよしは「きよしこ」という不思議な存在に出会います。「きよしこ」と話せた時間は短いものでしたが、きよしは大切なことを教えてもらいました。そして、この出会いをきっかけにきよしは少しずつ変わっていくことになります。
実は作者の重松清も吃音者なので、この物語を作る時には自身の経験や思いも盛り込まれています。それだけに文章のひとつひとつが心に響きます。伝えたいことが伝えられない、そんな多くの人の持つ悩みにそっと寄り添ってくれるような一冊です。
またまた突然ですが、「あの頃に戻りたい……」と思ったことはあるでしょうか。おそらく、ほとんどの方が同じように考えた事が一度はあると思います。
この本の主人公である永田一雄は、その想いが実現してしまいます。会社にリストラされ、求職活動を続けるもなかなか思うようにならない自分。妻の美代子は、ふとしたことで知り合った男たちと関係を持つようになり、離婚を言い出す始末。息子の広樹は中学受験に失敗し不登校児となってしまい、朗らかで優しかったあの頃の息子の姿はもうどこにもない。さらに実の父親が病に伏し、余命数ヶ月というタタミカケ具合。
何もかもがうまくいかなくなってしまい、もう自分はどうなってもいい、とにかくこの辛い現実を消してしまいたい、そう考え半ば自暴自棄になった一雄は、ある時古ぼけたオデッセイを見つけます。助手席には不思議な少年が乗っていて、「遅かったね、早く乗ってよ、ずっと待ってたんだから」と一雄を急き立て、一雄は言われるがままに乗り込むことに。そして、辿り着いた場所は過去の「ある時」でした。
しかし、一雄は考えさせられます。時を戻したからといって、それは自分にとっていいことなのでしょうか。
- 著者
- 重松 清
- 出版日
- 2005-02-15
家族をテーマにした物語のように思えますが、母親はある理由から家族からは離脱していくような形になります。そして残されたのは父親と息子であり、この2人にテーマがあると感じられます。案外、この父親と息子という人間関係に焦点を当てた作品は珍しいのではないでしょうか。子供でも、大人でも共感できるポイントがある作品です。
「その日」とは、どんな日なのでしょうか。誕生日?記念日?それとも、別れの日でしょうか。いくつも想像が広がりますが、その一日にありったけの想いが込められているのは、なんとなく感じられますね。
主人公の「僕」には最愛の妻・和美がいて、共に44歳。2人は22歳で結婚し、中学3年の健哉と小学6年の大輔という子供もいます。家族4人で穏やかに過ごすその日々は、まさに幸せそのものでした。
しかし、運命とは残酷なものです。僕の妻・和美は末期のガンを患っていたことが判明するのです。「なぜこれほどに多い人の中で、和美が・・・」と言いようのないものへの絶望をかみしめる僕と残された子供達。そして、「その日」がやってきました。
- 著者
- 重松 清
- 出版日
- 2008-09-03
誰にもいつかは訪れる「死」という、現世との別れ。それを意識して生きる人はそう多くありませんが、その日のために私たち人間ができることはあるのでしょうか。
この話は「その日」「その日のあとに」と続いていきます。3編を通して描かれる家族の愛は、あなたを温かな気持ちで包み込むでしょう。
10編の短編からなる本作は、「友達ってなんだろう」と考えさせられる感動の物語となっています。
- 著者
- 重松 清
- 出版日
- 2008-06-30
SNSで簡単に「友達」を作ることはできますが、そのつながりは本当に「友達」といえるものでしょうか。いや、現実の世界でも付き合っている人がいるけれど、その人たちも本当の意味で「友達」といえるのでしょうか。そもそも、「友達」って何なのでしょうか。考えれば考えるほど分からなくなりますね。
この本に出てくる登場人物たちも同じような悩みや葛藤を抱えています。お互いに「友達」として付き合い、昨日まで仲良くしていたのに、ふとしたことで疎遠になってしまう。そこには人間の悲しい一面や社会の残酷さなどがあるのかもしれません。そんな苦境に立たされた時でも、なぜかそばにいてくれる人がいます。その人は全然「友達」なんかじゃなかったのに……と主人公たちは人間関係についての汚い部分ときれいな部分に考えをめぐらすのです。
物語の舞台は学校なので、小中学生にはとっても共感できることがあるはずです。そして、その時を過ぎてしまった大人でも当時を回想して新たな発見をすることがあるでしょう。
この本には5位の『きよしこ』に通ずるものがあります。それは、主人公が吃音者であるということ。主人公は小学校の国語教師・ムラウチ先生。確かに喋っていることは伝わりにくいことが多いのですが、その分その内容は他のどんな教師よりも中身があり、人間の血が通っているのです。そして、それが生徒たちの心に響いていくのです。
構成としては8編の短編を連作したものになっており、ひとつのお話につき、ひとりの生徒とムラウチ先生のやり取りに焦点が当てられます。
- 著者
- 重松 清
- 出版日
- 2010-06-29
表題の「青い鳥」は4話目、いじめに関するお話です。人間が生物であり、生物が競争によって生存してきたことによるのでしょうか。いじめというのは時と場所を選ばずに発生します。「誰かを嫌うのもいじめになるんですか?それとも、好き嫌いは個人の自由だからOKですか?」この問いかけに答えられる先生が何人いるでしょうか。そして、ムラウチ先生はどう答えるのでしょうか・・・。
『きよしこ』でご紹介したように、作者の重松清も吃音者でした。自分自身の経験も相まって、このような主人公を創り上げたのでしょう。そしてムラウチ先生と同じ悩みを抱えてきたからこそ、このキャラクターには作者の心が詰まっているのかもしれません。
以上、重松清のおすすめ作品を15点紹介しました。あらゆるテーマを取り扱っている作家ですが、すべての作品に共通するのは、どんな話であれ最終的には何かしらの「救い・希望」があるという事です。また、ご自身の経験から生み出される物語・人物像は重松清にしか描けない世界観です。この機会にぜひ一冊手に取ってみてください。