三浦綾子は北海道旭川市生まれの作家です。結核闘病中の1952年に洗礼を受け、敬虔なクリスチャンとして創作活動に専念しました。人間が生きる事の意味を信仰に基づく視点で描きながらも、女性ならではの柔らかさで私達に問いかける作品が数多くあります。
三浦綾子は1922年生まれ、北海道旭川市出身の小説家です。
創作活動を開始したのは1961年で、1966年に出版した『氷点』は大ベストセラーになり映画化、ドラマ化、海外でも映像化されるなど大変な人気を博しました。
その後も『塩狩峠』などキリスト教に影響を受けた著作を数多く発表。1999年に、多臓器不全で77歳の生涯を終えました。
ガラシャには神の恵みという意味があります。細川ガラシャは、細川忠興の妻、玉子の洗礼名です。誰もが息を吞むほどの美しさを持った玉子。そんな玉子が目に見えないものに真実を見出し、救いを求めたのがキリスト教でした。
- 著者
- 三浦 綾子
- 出版日
- 1986-03-27
このストーリーの軸となっているのは、玉子の父明智光秀や玉子の嫁ぎ先の細川家の男たちが、君主信長の気まぐれに振り回されながらも、各国の武将たちと手を組んだり敵対したりして何とか「家」を守り抜こうとして生きていく姿です。この時代は、「家」を守ることが最大の使命でした。時には人の命さえも「家」の重みには叶わない時代だったのです。そんな時代であっても、何とか義理や道理を貫こうと男たちはもがき、苦しみます。
そしてもう一つの軸になるのが、玉子や玉子をめぐる登場人物たちの心の描写です。政治の犠牲になって殺されていく武将の妻や子供たちに心を痛める玉子がキリスト教に救いを求めていく心の様子。幼いころから玉子を思い続けてきた光秀の家臣の初之助の強い想い。兄嫁の玉子を想い続けた忠興の弟興元の切ない気持ちや決意。彼らの心の様子が生き生きとした会話や描写で綴られていきます。
この二つの軸が絡み合うことによって、このストーリーは深みが増していくのです。玉子が命を落とすシーンでは、「家」のために死を選ばなくてはならない玉子の静かな決意や侍女たちの悲しみ、家臣たちの無念な思いなどいろんな感情が行間から溢れてくるようです。
愛と信仰を貫いた細川ガラシャの生涯、ぜひご覧ください。
「じっちゃーん! 山津波だあ-っ! 早く山さ逃げれ-っ!」
(『泥流地帯』より引用)
1926(大正15)年5月24日、十勝岳が噴火を起こし、残雪を溶かし25分あまりで山麓の富良野原野まで泥流が到達し、多くの犠牲者を出す大災害となりました。
ところは北海道。物語は山麓に住む開拓農民たちの貧しくも力強く生きる姿を軸に描かれています。
兄、石村拓一、弟、耕作は幼い時に父を亡くし、母も遠方に出稼ぎ、祖父母や姉妹とともに貧しいながら懸命に生きています。
貧困は時に人間を卑屈にしますが、二人の人としての価値観は揺らぎません。
それは祖父市三郎の教えによるところが大きいのです。かれらは幼い時から市三郎を父親代わりとして育ってきました。祖父は常に、人間としてどう生きるかを幼い兄弟に語ってきたのです。
「いいか、人間を金のあるなしで見分けるな、情のあるなしで見分けれ」
(『泥流地帯』より引用)
「じちゃん言ってたけどなぁ、人間にはいろいろな人種がいるけど、結局は二通りしかいないんだとよ。親切な人間と、不親切な人間、人に何かしてやりたい人間と、何かしてもらいたい人間―。」
(『泥流地帯』より引用)
市三郎の言葉は三浦綾子の思いと重なり読者に語りかけます。単純で明快な価値観……。現代の雑多な日々のなかで、埋もれてしまいがちな人間性が揺り起こされ蘇えるようです。爽やかな洗われるような感覚に、おもわず目頭が熱くなります。
- 著者
- 三浦 綾子
- 出版日
変わらぬはずだった生活の中で突然起こる十勝岳の噴火。泥流はあっという間に山あいを埋め尽くします。家が、家畜が流され、人が浮き沈むのです。
「人間の一番の勉強は困難を乗り越えることだ」
(『泥流地帯』より引用)
物語の中で、彼らが幼いころ視学(戦前の地方教育行政官)が言っていた言葉が思い起こされます。はたして彼等はこの大きな試練をどのように乗り越えて行くのでしょうかー。
日々の出来事の中の困難、人間関係を、正常に変えていく価値観を明快な語りで綴っています。
三浦綾子の本作は1832年、江戸時代後期に現在の愛知県美浜町に生まれた音吉らが米などを積んだ千石船で難破し、漂流した史実がベースになっています。
船乗りの話ということで、特筆すべきは海の描写です。時に自分も大海原に出ているかのような雄大な景色が眼前に広がったり、身体を船底に打ち付けられるような嵐の黒い海を思い、恐怖を感じたり。彼らの運命の行く末にハラハラしながらページをめくる手が止まらない、そんな三浦綾子の小説です。
- 著者
- 三浦 綾子
- 出版日
- 2012-08-25
乗組員14人のうち、生き残ったのは、心優しく誠実な音吉、明るく快活な久吉、頼りがいのある海の男岩松。1年以上の漂流の後、現在のアメリカ西海岸に漂着し、そこからの道のりがまた途方もなく長いのです。
自分がどこにいるかわからない、周りの人が誰なのかもわからない。日本に帰れるのかもわからない。見たことのない衣服をまとい、聞いたことがない言葉を話す人々。生活習慣や文化も初めて触れるものばかり。
そんな中で人はどう希望を持っていけるのか。何を心の支えに生きていけばいいのか。そもそも人は何のために生きているのか。逞しく生きていく彼らの姿に自分自身の生き方も否応なしに考えさせられます。
時代小説ともいえるし、冒険ものともいえるかもしれません。しかし、ジャンルを超えて読む人の心に刻まれる、人間の力強さを感じられる三浦綾子の作品です。
この作品は三浦綾子が夫である光世氏に「蟹工船」の作者、小林多喜二の母について書いてほしいと頼まれ執筆したそうです。多喜二の母の小林セキは、晩年教会に通い、讃美歌を歌っていました。セキがキリスト教と深い関わりがあると知り、同じ信仰をもつものとして何か共通が見いだせると思い執筆を決意したそうです。
三浦綾子の他作品とは違い、最初から最後までセキの秋田弁の口述形式で記されています。
資料を取材で書き上げた小説とはいえ、とてもリアルです。旅先の宿で偶然ご一緒になったおばあちゃんの身の上話を聞いているかのようです。
「服で思い出したけど、あれは多喜二がなんぼの時だったかね。小学校に入った年か、入る前かね。」(『母』から引用)
「ねえ、あんたさん、わだしの願いは、欲張りな夢だったんだべか、無理な夢だったべか。そんなつもりはなかったども、あんな小っちゃな夢でもかなえられんかった。」(『母』から引用)
- 著者
- 三浦 綾子
- 出版日
読んだらすぐに伝わるセキの素朴さ。その心の素直さがとても魅力的でじっくり耳を傾けようと、いや、読み進めようという気持ちになります。
貧しいながらも多喜二の家は底抜けに明るかったそうです。三男三女を育てたセキがそれぞれの子供を語るときはどこまでも信頼し、愛していることが伝わります。たくさんの苦しみを経験してきたのに、セキをはじめとした、登場人物は強く、優しい。人生の大先輩セキに出会い、生きる勇気をもらったような気持ちになります。
小学校時代に出会った教師に影響を受け、自身も師範学校を卒業後、北海道の小さな炭鉱町で教師となった北森竜太。かつて自分を教えてくれた先生のようにと信念を持った、勤勉で心優しい主人公です。子供たちにも慕われ、教育に熱心に取り組む最中、迫りくる戦争に巻き込まれていきます。
大正時代終わりに生まれ、昭和天皇大喪まで描かれた三浦綾子の作品で、昭和の激動の流れを感じます。
軍国主義による思想の統制、戦地での過酷な体験。戦争を取り扱った作品はどれを読んでも、人権が踏みにじられるような描写に憤り、その気持ちの矛先をどこにやっていいかわからなくなります。
- 著者
- 三浦 綾子
- 出版日
- 2009-08-25
しかし、三浦綾子作品にはどんな状況下でも救いになるような、きれいな心持ちの登場人物が多数出てきます。『銃口』では竜太の父親、妻で幼馴染の芳子、命を助けてくれた金俊明など。戦争が常に背景にあった昭和をテーマにしたからこそ浮彫になる、人間らしく生きるということ。それは今に続く永遠のテーマとして生き続けています。
タイトルにあるように、何度かテレビドラマ化された三浦綾子の代表作のうちの一つです。まず、この作品のテーマである原罪とは何か。旧約聖書によると、アダムとイブがエデンの園で蛇にそそのかされて、禁断の実を食べたという罪。キリスト教において、全ての人類の祖がアダムとイブです。ですから、それ以降、人間は生まれながらにして原罪、つまり罪を犯すかもしれないという傾向性をもっているというものです。
辻口病院の3歳の娘ルリ子が殺されるという事件が起きます。『氷点』の主人公で辻口病院院長、啓造は腕のいい医師として病院を経営しています。妻の夏枝は周りの目を引くほどの美しさ。徹とルリ子、二人の子供にも恵まれ、周りから見れば非の打ち所がない幸せな家族です。
ルリ子の死後、赤ん坊の陽子を家族に向かい入れます。実は陽子はルリ子を殺害した犯人佐石の娘であるということを啓造は夏枝に隠しているのです。
- 著者
- 三浦 綾子
- 出版日
- 2012-06-22
なんておそろしい設定なのでしょう。純粋無垢な陽子が健気に夏枝のいじめを乗り越えようとすればするほどなんとも言えない気持ちになるものです。嫉妬、迷い、思い込み、臆病さ。誰の心にも大なり小なりある、弱さ。それぞれの自己中心的な言動が、少しずつ、そして確実に素直でまっさらな陽子を追い詰めていきます。
登場人物のいろいろな側面や気持ちの揺れの描写がすばらしいのです。それによって、この環境でこの立場なら自分にもこういう気持ちが生まれるかもしれないと考えさせられます。こんな設定、どこにもないかもしれないけれど、どこにでもあるかもしれない。それに気づいた時、この原罪というテーマがより身近になってきます。
ともあれ、陽子は困難な環境の中でも光を見つける天才です。相手からひどい仕打ちをうけても、きっと何か事情があるに違いないと、気持ちを切り替えて、逆に相手を信じ、労わることができます。そこから学ぶもたくさんあり、何度も読み返したい三浦綾子の作品の一つです。
鉄道職員の永野信夫が逆走した汽車を止めるため自らの命を犠牲にして全ての乗客を救ったというセンセーショナルな内容です。しかも、この話は長野政雄という一人の鉄道職員がモデルであり、実話に基づいた創作ということなのです。1909年当時、この事故は人々に多大な影響を与えました。
物語は、主人公の永野信夫の幼少期から始まります。子供の時、祖母トセと父親の永野貞行と暮らす生活しています。そんな信夫の生活が大きく変わったのは、トセの死後です。なんと死んだと聞かされていた母が生きていたのでした。実はヤソ、つまりキリスト教徒ということで母の菊はトセに家を追い出されていたのです。キリスト教徒の菊と、妹の待子が生活に入ってくることで、ゆっくりと信夫の心に信仰の基盤が作られていきます。
信夫がもともとキリスト教とは無縁の生活をしていたところが重要なポイントの一つです。異なる文化や習慣、思想に触れる事で何が正しいのか、本当にそれは幸せなのか、生活のなかで考えるきっかけがあったということです。自ら感じて、悩んで、考えて、出会ってきた信夫はクリスチャンとしての信仰を貫こうと強い信念を持った大人になります。
- 著者
- 三浦 綾子
- 出版日
- 1973-05-29
こういう信仰を描いた作品は小難しいイメージがありますが、『塩狩峠』は読み終えるまであくまで一人の人間が日常の中で気づき、戸惑い、幸せを感じ、思案する姿が時にみずみずしく感じられるほどです。
三浦綾子の作品はどれもその根底に人への優しい眼差しがあります。それは悩める自分をも包み込んでくれるような母のような愛です。だからこそ幅広い読者に訴えかけるものがあるのでしょう。いろいろな作品の中から、今を生きる自分なりの芯が見つけられるかもしれません。