幕末の京都守護を目的に作られた新撰組の中でも一、二の腕前と称された天才剣士、沖田総司。若くしてこの世を去り、圧倒的な強さと短命の儚さをもって、伝説のように後世まで語り続けられている、幕末のアイドルの魅力に迫る5冊を紹介します。
沖田総司は、混迷する幕末の京都を守るために組織された剣客集団・新撰組の一番隊隊長です。1842年(1844年とする説もある)に生まれ、1868年、若くしてこの世を去りました。その剣の腕前は隊内随一と言われ、池田屋事件、禁門の変、油小路の変など、新撰組の活躍する事件の最前線で常に奮闘します。
わずか9歳で大人にも勝ったと伝わる剣術の才を江戸の試衛館道場で磨いた後、師匠である近藤勇に随行し京都へ入ります。近藤以下試衛館メンバーの活躍が認められ、当時京都守護職にあった会津藩より、新撰組として、京都警護の任にあたることになります。
新撰組一番隊組長として主に討幕派の暗殺などを行ううち、恐れあがられる存在となりますが、普段の沖田総司は明るく、子ども好きな好青年だったようです。
主戦力として活躍していた最中に結核を発病。当時は不治の病だったため、惜しまれつつも前線から退くことになります。薩長の明治政府軍との最後の戦いである鳥羽伏見の戦いにも参戦できず、そのまま大阪から東京へと病床を移し、幕医松本良順に匿われながら、千駄ヶ谷の療養先で最期を迎えました。
沖田総司が新撰組として京都で活躍したのは、わずか4、5年ほど。短い間にも関わらず、現代にこれほどまで語り続けられる強烈な印象を残した人物です。その一瞬とも思える輝きと儚さ。彼は、動乱の時代だからこそ生まれた英雄なのかもしれません。
新撰組最強と言われる沖田総司は試衛館で学んだ天然理心流のほかに北信一刀流の免許皆伝も得ていたそうです。新撰組二番隊隊長永倉新八は、本気でやり合えば師匠の近藤勇よりも強いと語ったと言われています。
また、「三段突き」(目にも止まらぬ速さで三発突く)という剣技が有名ですが、史実であるかは不明です。
愛刀については諸説あり、「菊一文字細身のつくり」とする説が有力ですが、信憑性の高い史料は2017年現在見つかっていません。
沖田総司は強い政治思想を持たず、師匠である近藤勇のために剣を振るったと言われています。暗殺などの任務を淡々とこなし、隊士の稽古も厳しく行っていたようです。
一方、仕事を離れれば、陽気な人物であったとも言われており、新撰組時代も子供達とよく遊んでいたと伝えられています。作家の司馬遼太郎は、沖田総司と実際に遊んだ女性に取材したようです。
沖田総司は剣の強さなどで語られることが多く、恋人など女性関係について語られることはあまり多くありません。おそらく硬派であったであろう沖田ですが、こと女性関係に関しては、思春期のトラウマが関係している可能性が高いです。
まだ沖田総司が江戸の試衛館で修行をしていたころ、ある女性から求婚をされますが、「修行中の身」という理由で断ってしまいます。すると女性は懐剣で喉を突き、自殺未遂をはかりました。この経験が沖田総司を女性から遠ざけたことは想像にかたくありません。
そんな硬派な沖田ですが、生涯に3人。恋人であったかもしれないと囁かれる存在がいました。
1:医者の娘
名前も年齢も定かではありませんが、沖田総司ファンの間でよく知られている話として「医者の娘」というものがあります。子供ができたという説もありますが、最終的には悲恋に終わったようです。最大の原因は近藤勇による反対。近藤は沖田の相手には武家の娘がいいと考えていたとも言われています。
2:沖田氏縁者
新撰組隊士が多く埋葬された光縁寺の過去帳に「沖田氏縁者」と書かれた記録があり、これが沖田総司の恋人なのではないかと言われています。石井秩という未亡人ではないかとも言われていますが定かではありません。また、「沖田氏」というのは同じく新撰組の「沖田承之進」ではないかという説もありますが、承之進は2ヶ月程度で脱退しているため、「沖田氏縁者」の「沖田氏」は沖田総司である可能性が極めて高いと言えるでしょう。
3:旅館里茂の娘・キン
七条油小路の旅館の娘・キンとは馴染みであったと言われています。ただこちらは、単に仲が良かっただけで、恋人ではなかった可能性が高いです。
沖田総司の死因は労咳(肺結核)です。池田屋事件の際に喀血(かっけつ)して倒れ、以後戦線から離脱した、という説が有名ですが、池田屋では喀血していなかったとする説もあります。
というのも、沖田総司は池田屋以後も活動している記録があり、戦線から離脱したのは1867年の秋から冬のどこかだと考えられるからです。もしこれが史実であるなら、池田屋事件は1864年なので、およそ3年ほど病状悪化時期に差が見られます。
そもそも池田屋事件の喀血は子母澤寛が『新選組始末記』に書いたため有力になった説であり、事実であったかどうかははっきりしていません。
いずれにせよ、沖田総司の死因が労咳、今でいう肺結核であったことは間違いないようです。
『総司 炎の如く』は、脚本家でもあり歴史小説家でもある秋山香乃が描く新撰組3部作の1作。『歳三 往きてまた』、『新選組藤堂平助』に次ぐ、最後の作品であり、沖田総司に焦点を当てた小説です。現代語の読みやすい文体は、女性作家ならではの表現で読むものを惹きつけます。
本作は、主人公・沖田総司が17歳である江戸試衛館での修行時代から、病に侵され早世するまでを描いています。彼を中心としつつ、まわりを取り巻く人物との掛け合いや関係性を、軽快な文体で読ませる小説です。なかでも師匠の近藤勇との絆や新撰組副長・土方歳三との兄弟のような間柄は、ファンならずとも楽しませてくれます。
- 著者
- 秋山 香乃
- 出版日
- 2008-08-05
試衛館からの付き合いの中でも年の近い藤堂平助とは、現代の若者同士の関係にも通じるような友情を育みます。その姿はほほえましいものですが、ゆえにその後、思想の違いにより敵味方に分かれる運命はひときわ悲しいものです。
新撰組参謀・山南敬助の脱走事件では、剣のみならず人生の先輩として敬服していた山南を、沖田自らが捕縛し切腹させることになります。この時代の、死と隣り合わせの生き方が沖田の若い心を壊していくことが、丁寧な描写で切々と伝わるため、読者の心を揺さぶります。
本作の魅力のひとつは、他の作品ではあまり見られない、人切りとしての沖田の暴力性も描かれている点です。新撰組の中でも一番多く人を切ったとされる沖田総司の、狂気と、若さゆえの一途な心の共存を描く筆致は、本作の見どころのひとつでしょう。
若き天才剣士にして新撰組一番隊隊長の沖田総司を描いた古典的な名作といえば、大内美予子の本作です。短命がゆえに史実がわかる資料も少ない沖田ですが、この作品は、彼を描いた作品の中では初期に書かれたものであり、その後の沖田像の指針になったとも言える作品です。
江戸試衛館の道場にて、若干19歳にして天然理心流の免許皆伝となった沖田総司は、師匠・近藤勇らとともに京へ上がります。その上京の姿から物語は始まるわけですが、全編にわたり読みやすく軽快な文体で、沖田の心情や性格が表されている小説です。
- 著者
- 大内 美予子
- 出版日
- 2009-08-07
「いつものように総司が出稽古に廻って行くと、門弟は誰一人来ない。皆なにがしかの理由で来られぬと言う。だが本当は彼等にとって見ると、まだ多分に子供くさい総司からびしびししごかれることがいささか業腹で、しめし合わせてこの挙に及んだらしい」(『沖田総司』より引用)
このような道場での修行時代のエピソードでは、沖田の若さ故のふるまいが覗けます。
「やたら芹沢が、「総司、総司」と呼びつけにする。「返事をするな」と言ったが、総司自身は、ほらまた土方さんのつむじ曲りがはじまった、という顔で、「いいじゃないですか、減るものじゃなし」といっこう気にしている様子もない。」(『沖田総司』より引用)
沖田の誰にでも好かれる性格と飄々とした姿が微笑ましく映る箇所ですが、この後芹沢暗殺に向かう運命の妙を感じる描写でもあります。
このように沖田総司の魅力が詰まった本作品は、幕末を生きた若者の青春物語として、読み応えのある一冊です。
新撰組の中でも鬼と恐れられた剣の達人・沖田総司の、純粋な人間味溢れる面を描いたのが本作です。他の作品とは、少し切り口の違う沖田像を読むことができます。
新撰組が取りしまっていた勤王の志士にはもちろんのこと、隊内からも、その激しさと剣の鋭さで恐れられていた沖田総司。副長助勤、一番隊隊長として常に死線の最前線に立ち、京の町で活躍する彼はしかし、本作では子ども好きの純粋な若者として描かれています。
- 著者
- 広瀬 仁紀
- 出版日
新撰組局長・近藤勇、副長・土方歳三、探索方・山崎烝などからも深く愛され、明るく天真爛漫な振る舞いの沖田総司は、血生臭い殺戮に明け暮れた新撰組において異彩を放つ存在として描かれます。その明るさが、労咳を患う悲劇を際立たせ、物語全体を切ない雰囲気にさせているのです。
物語には二人の女性が登場します。一人は沖田と同じく労咳を患い同じ医師にかかる10歳の少女。彼女は沖田を兄のように慕い、大人になったらお嫁さんになりたいと告げるのですが、病状が悪化して沖田より先に逝くことになります。もう一人は医師の娘。互いに惹かれ合いますが、沖田はその娘の幸せを思い、自分の死期が迫っていることを理由に別れを告げるのです。どちらの女性との物語も、沖田総司のやさしさと運命の辛さが胸を打つストーリーです。
『新装版 近藤勇白書』は時代小説家の巨匠、池波正太郎による作品。氏は『幕末新選組』、『幕末遊撃隊』など幕末を題材にした作品をいくつも記していますが、なかでも本作は、局長・近藤勇を主人公にした時代小説です。
新撰組の主要メンバーといえば、沖田総司、土方歳三、永倉新八、原田左之助など。近藤勇が江戸で塾頭を務めていた剣術道場、試衛館出身の面々が挙げられるでしょう。本作は、近藤勇を中心にしつつ、それぞれの隊士がどのように近藤を慕っていたのか、近藤の人間性から新撰組を掘り下げた作品です。
- 著者
- 池波 正太郎
- 出版日
- 2003-12-12
近藤勇の生涯を通じて新撰組誕生の時代背景やその活躍と滅亡を知ることができる本作。もちろん、主要隊士である沖田総司の立場や心情も描かれています。彼が(彼らが)、この時代にどのような正義を持って使命をまっとうしたのかを知ることは、幕末の時代背景をより身近に感じさせてくれるでしょう。
「文久元年(西暦1861)で十八歳になった沖田総司だが、剣は天才的なもので、このごろ稽古のときには師匠の勇も三本に一つはとられる。沖田は奥州・白河藩の浪人の子で、いまは道場に住み込んでい、勇をはじめ先輩の剣士たちから、「総司、総司」と可愛がられていた」(『新装版 近藤勇白書』より引用)
冒頭から最期に至るまで、近藤が沖田を弟のように可愛がる記述が続いており、沖田総司がいかに皆に愛されるキャラクターだったのかが垣間見られます。それぞれの人物間での心情を解く作風の一冊です。
『総司の夢』は新鋭女流作家の小松エメルが描く、新撰組・沖田総司の生涯の物語です。剣豪揃う新撰組の中でも群を抜いた腕前だった沖田。若き天才は何を思い、何を求め、動乱の幕末を生き、散ったのか。その青春の儚さを描きます。
物語は江戸試衛館での仲間たちの出会いから始まります。近藤勇、土方歳三、永倉新八、原田左之助ら、後の新撰組中枢メンバーとの出会いと沖田宗次郎(総司の幼名)から見た人柄が綴られていくストーリー。それは、混沌とする時代に力を持て余し、未来を模索する若者たちの姿を生き生きと描き、青春の輝きと危うさはいつの時代も同じなのだと思わせてくれます。
- 著者
- 小松 エメル
- 出版日
- 2016-09-28
物語のキーになる言葉の一つ、「鬼」。
鬼の副長として恐れられた土方歳三、まさしく鬼のような振る舞いで京の町を恐れさせた芹沢鴨、そして人切りとして隊内外に鬼と言わしめた沖田総司。それぞれの鬼がなぜ生まれたのか、何を考え、何を目指していたのか。沖田から見た、同じ時代を生きた鬼たちを綴る物語は、切なく悲しく、時には強く輝かしいものです。
沖田総司は、天才がゆえにどこか計り知れない、欠落した感情を持っているように描かれます。その後新撰組で粛清、暗殺を繰り広げ、人切りとして名を上げていく頃には、いっそう特異な感性を持つようになりますが、反面、普段の屈託のない笑顔が似合う姿との二面性が、物悲しさを呼ぶのです。
新撰組といえば代表的な存在である沖田総司。昨今ではアニメやゲームなど様々なキャラクターで描かれています。彼については写真や史料が乏しいため、断片的な史実をもとに、多種多様な人格が想像され描かれてきました。様々な作家の物語を読み、自分好みの沖田総司像を思い描くのも、歴史物を読む面白さではないでしょうか。
新選組をテーマにした作品を紹介した<新選組についての文庫小説おすすめランキングベスト6!彼らの生き様を知る。>の記事もぜひご覧ください。