島崎藤村の代表作おすすめ5選!『破戒』だけじゃない古くならない名作

更新:2020.12.15

明治から昭和にかけて活動した島崎藤村。自然主義文学の先駆けである『破戒』は、誰もが耳にしたことのある代表作だと思います。しかし藤村の名作は『破戒』だけではありません。今回はぜひ1度読んでいただきたい島崎藤村の5作品をご紹介します。

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「親譲りの憂鬱」を描く自然主義文学の代表作家!島崎藤村

島崎藤村は1872年、日本が幕末から維新への転換を遂げて間もないころ、筑摩県馬籠村(現在の岐阜県中津川市)で生まれました。本名は島崎春樹(はるき)。7人兄弟の四男として育てられます。

明治学院に在学中にキリスト教の洗礼を受け、西洋文学への関心も強めていきます。卒業後は明治女学校で英語教師として勤務し、1893に北村透谷らと「文学界」を創刊。1896年には『若菜集』を発表し近代日本浪漫派詩人として文壇に登場しました。

後に長野県にある小諸義塾に赴任し、英語と国語の教鞭をとるようになります。この頃から小説の創作に転じはじめ、1906年に『破戒』を発表しました。それからは最晩年の『夜明け前』まで次々と作品を発表していきます。

島崎藤村は自作で「親譲りの憂鬱」を深刻に表現したといわれています。これは父と姉が狂死したことや、自身や家族に不倫や近親姦が多かったことによるそうです。そんな環境で生きてきた藤村は自らとその周囲の人々の人生をモデルにして、自分が見てきた人間や社会の醜い面をありのままに描きました。これが藤村が自然主義文学の代表的存在と言われる所以となっています。

1943年に脳溢血で倒れ、最後は大磯の自宅で「涼しい風だね」という言葉を残して亡くなりました。「亡き父母の側を自分の永眠の地としたい」という希望によって、藤村の遺髪と遺爪が馬籠の永昌寺に分葬されています。

画期的リアリズム小説『破戒』

1906年3月に自費出版された『破戒』は、島崎藤村の作家的地位を確立し、日露戦争後の日本の文壇をリードすることになった作品です。

主人公の青年教師、瀬川丑松は被差別部落出身ですが、その身分を隠して成長し今日にいたります。故郷を出るときに父から、世の中に出て身を立てるために「隠せ」「うちあけるな」という戒めを受けたのです。

丑松は同じく部落民である社会運動家の猪子蓮太郎に出会い、不当に差別される部落民の現状に憤りを感じつつも、露見への恐怖と不安でいっぱいの日々を過ごします。しかし蓮太郎の死に直面した時、丑松にある決意が沸き起こりました。

著者
島崎 藤村
出版日


全編を通して「差別」に苦しむ主人公の姿を描いています。取り扱うテーマゆえに改訂、絶版などを繰り返し、今となってようやく初版本を底本にしたものを手に取ることができるようになりました。

年月が経ち「差別」を身近に感じることは少なくなりましたが、人間の心の底にある「差別」という意識は現代でも問題にあがります。そしてこれからも無くなることのないテーマでしょう。

主人公のとった行動に賛否両論ありますが、その行動に至るまでの心の葛藤。日本の歴史から消えることのない被差別部落の存在。目に見えない人間の愚かさをリアリティをもって描いた、藤村の本格自然主義文学として知られる作品です。

明治維新を下から見上げた物語『夜明け前』

『夜明け前』は島崎藤村が晩年に書いた2部構成の長編小説です。庄屋の当主であり国学者であった父の島崎正樹をモデルにした歴史小説の大作と言われています。

1853年に黒船来航の騒ぎが伝えられた時、中仙道馬籠宿の人々は日照りのための雨乞いの祈祷の最中でした。黒船という発展した西洋の文明と、昔からの因習に依存している馬籠の人々との対比が描かれるところから物語は始まります。

著者
島崎 藤村
出版日
1954-12-28


幕末の動乱、明治維新と日本が近代国家として生まれ変わる様子が、様々な歴史上の出来事と交えて、青山半蔵が悲劇的な死を迎えるまでの30年間とともに語られていきます。

当時の日本が変わる様子が一個人の目線で見据えられていて、大きな流れの中にもそれぞれを生きた人がいることを改めて感じさせられる作品です。

抗えない時代の変化に翻弄される人の思いが、青山半蔵を通して痛切に伝わってきます。いったい何が正しいのか、そして正しいことがいつも真実としてあるわけではないと藤村に訴えかけられているような作品です。

甘く寂しい日本近代詩の精華『若菜集』

『若菜集』は1896年から1897年にかけて『文学界』で発表された詩を中心に52編から成る島崎藤村の第一詩集です。

「おえふ」から「おきく」に至る6人の処女集からはじまり、新しい朝の到来を賛美する「明星」、厳しい冬を越えて訪れた春を歌った自伝的な詩「草枕」などが収められています。

著者
島崎 藤村
出版日
2002-12-25


中でも「まだあげ初めし前髪の」からはじまる「初恋」は、教科書にも載っているので耳にしたことがある方も多いのではないでしょうか。林檎の木の下で会っていたふたりの初恋を歌った詩で、どんな時代でも変わらない、恋に落ちていく過程が綴られています。『若菜集』は他にも思わず口ずさみたくなる恋の詩が多く収められた詩集です。

明治女学校で教師をしていた時に教え子を愛し苦しんだ島崎藤村は、1986年に仙台の東北学院に作文教師として赴任します。仙台で自然に触れ、今までの恋愛や友人北村透谷の自殺などの重苦しい生活から解放された彼は、自己を解放するかのように詩を続々と生み出していきました。

学生時代にキリスト教の洗礼を受け、また松尾芭蕉や西行などに親しんだ島崎藤村。日本の伝統的な語感と西洋文学の斬新な詩情が融合した新しい形の詩は、それまでに見られなかった浪漫主義詩人として彼の名を広めました。

移り変わる自然の美しさや、淡い青春、日本語の奥深さを感じられる詩集です。

自身の苦悩を描いた「破滅的な禁断の愛」『春』

『破戒』に続き1908年に自費出版された『春』は、島崎藤村の最初の自伝小説です。

登場する岸本、青木、市川、菅、足立らは皆20代の青年です。キリスト教に触れ和洋の学芸に関心のある新時代の若者であり、共同で文芸誌を出しています。

岸本は女学校の教師となりますが、教え子で許婚のいる安井勝子への激しい恋情に苦しみ学校を辞めることになります。岸本のモデルは藤村自身ですね。一方青木は先鋭な思想を持ち、自由恋愛、結婚をしましたが、生活は苦しく心身ともに疲労が募っていきます。交流の深かった北村透谷をモデルにしたのが青木です。

著者
島崎 藤村
出版日
1950-11-30


青木の自殺、勝子の病死、離れていく仲間たち。岸本がすべてを放棄しようとしたときに、東北の学校教師の誘いがきました。最後の「ああ、自分のようなものでも、どうかして生きていたい」という言葉に、当時の藤村の想いが集約されているように感じます。

人生の青春時代で悩み思索し、生きるべき道を求める若者の姿が、藤村自身の自伝ということもあり、リアリティをもって描かれています。

36歳の藤村が自身の20代を振り返って書いた『春』は、「文学界」創刊ごろの藤村の交流関係など、文学史における貴重な場面も見ることができます。

平和な家庭の崩壊を記した悲劇の自伝!『家』

1911年に自費出版された『家』は、日本の近代化とともに滅びゆく中仙道馬籠にある小泉家と木曾福島の橋本家の2大旧家を描いた作品です。小泉家は藤村の生まれた島崎家、橋本家は藤村の姉が嫁いだ高瀬家をモデルにしており、『春』に続き自伝的小説となっています。

藤村自身がモデルの小泉家の末弟三吉が、ひと夏を橋本家で過ごすところから、以後12年間にわたる両家の人々の歩みが物語られます。

著者
島崎 藤村
出版日


文学に携わる小泉三吉は兄たちのあり方に批判を抱き、自身は貧しくとも堅実な生活を築こうと決意します。しかし夫婦それぞれの異性問題や、家長である兄からの送金依頼、子供たちの病死など運命は彼を放っておきません。「家」につながれた人々の関係性への問題を抱え込んでいくのです。

藤村の作品には、進んでいく時代と伝統的な習わしの間でもがく人間たちの様子がこれでもかと描かれています。「家」という切っても切ることのできない因縁は、今では想像できないほど当時の人々に重くまとわりついていたのです。

その中でも懸命に自分の人生を歩こうとする主人公の姿を藤村に重ね、当時の日本を思うことのできる物語です。自身や家族の姿をありのままに描いた『家』は自然主義文学の到達点と評されています。

浪漫主義詩人であり自然主義小説家であった島崎藤村は、自身の人生をもとに文学における新しい時代を切り開いていきました。両親兄弟、妻子に訪れた悲劇。藤村の人生は1つの物語では描き切れないほどの葛藤であふれています。身を削って作られた藤村の作品は、現代でも私たちの心に響きます。

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