エピソードの集まりが文学作品を構成する。全体を積み上げる煉瓦として地味に力強い話もあれば、一気に作品全体を切り裂き破壊してしまう話もある。ここに示すのは後者である。あなたに読む力があるならば、エピソード一つで作品、いや世界全体を捕まえることも可能だろう。
- 著者
- ハメット
- 出版日
- 1961-08-25
小説の中に本筋と関係ないエピソードが唐突に入る。
登場人物すら、そのエピソードには無関心なままストーリーが進む。
ただ、完全に無視するには、この話、妙な重さと深さを持っている。
それが有名な「フリットクラフトパラブル(フリットクラフト氏の逸話)」だ。
主人公の探偵サム・スペードが唐突に話し始める。
「ある日、タコマでフリットクラフトという男が、昼食をとりに自分のやっている不動産屋のオフィスを出たまま、それっきり帰らなかった。」「夫婦仲はかなりうまくいってたらしい。二人の子供はどちらも男の子で、五歳と三歳だった。」
- 著者
- ["松尾 芭蕉", "中村 俊定"]
- 出版日
- 1971-11-16
「野ざらしを心に風のしむ身かな」
自らの骸が野風に晒される姿を思い浮かべつつ、芭蕉は秋の江戸を出発、故郷伊賀への旅に出る。
途上、「富士川のほとりを行くに、三つばかりなる捨て子の哀しげに泣く」のに出会う。
「袂より食物なげて」、後ろ髪を引かれつつも子どもを見捨てて通り過ぎてゆく。
恐らくこの子は飢え死にしてゆくのであろう。だが、この時代、それ以上の情けを掛ける余裕は誰にもない。
「猿を聞く人、捨て子に秋の風いかに」
芭蕉が出会ったのは、都会では表に出ることの無い絶対的な「生」の真実。
- 著者
- ドストエフスキー
- 出版日
- 2006-11-09
悪魔に魅入られたカラマーゾフ家の次男のイワンは弟のアリョーシャに「大審問官」と呼ばれる不思議な物語を語る。一つのエピソードにしては、これも重過ぎるだろう。イワンが「否」を突きつける相手は「神」なのだから。
「その男」は帰ってくる約束をした日から十五世紀も過ぎたある日、異端審問の炎が燃えるスペインに現れて奇跡を顕わす。見とがめた高齢の「大審問官」は怒りをぶつける。「怒れるものなら怒ってみろ。わたしは、お前の愛などほしくない。」「自由な知恵と、科学と、人肉食という暴虐の時代がこれから続く」「明日、わたしはおまえを火焙りにする。」「その男」は何も言わないまま、大審問官にキスをして去る。
- 著者
- 三輪 太郎
- 出版日
- 2015-11-11
旅の途上、行き暮れた道で一人の僧侶が野宿をする。夜中に咽喉の渇きを覚えた彼が手探りすると、水の入った器に触れる。手に結んで飲んだ水は天井の甘露のごときうまさだった。翌朝、目覚めた彼が見たのは、行き倒れの髑髏に溜まる腐った水だった。
この「春の雪」冒頭近くに語られるエピソードが、長大な物語「豊饒の海」全体を見通す道標であり要約である。作家・三輪太郎は「憂国者たち」の登場人物を通じて主張する。
夜中に飲んだ清水は本当は髑髏の中の腐った水だった。だが、反対に考えれば、太陽の下の「腐った水」は本当は「清らかな水」なのではないか? 現象と本質は入れ替わり立ち替わり我々の前に現れる。どちらが真実とは言いきれず、恐らく決めるのは自分しかいないのだ。
桜は春の瞬間に咲き乱れる。
花に満ちた平和で華麗な風景が本当の世界なのか? 花が隠す汚物にまみれた世界が本当なのか?
文学上のエピソードも花の様に世界を顕現する。もしくは世界を隠す。
時には一つのエピソードに拘ってみよう。