ミュージシャンであり、俳優でもあり、詩人でもある町田康。多くの表現方法を模索してきた彼が行き着いたものは、小説でした。独特の文体と奇想天外の展開が一度読んだらクセになる作家、町田康のおすすめ文庫本をご紹介いたします。
1962年に大阪で生まれた町田康は、稀代の表現者でした。中学時代にロック音楽に目覚め、高校から歌手として活動を開始し、まずはバンド「INU」のボーカルとしてメジャーデビューを果たします。破壊的なサウンドとユニークな歌詞で一時熱狂的なファンを生み出しましたが、3か月であえなく解散することに。
その後、音楽活動を続けながらも俳優としてもデビューし、その10年後には詩人としてもデビュー。町田康の作家活動は止まるところを知りません。
そして1996年、町田が34歳の時に『くっすん大黒』で小説家としてデビューを果たします。その後も意欲作を次々と発表し続け、芥川賞をはじめとする多くの文学賞を受賞するに至りました。
彼の特徴はなんといっても独自の文体と語法です。他の作家ではまず考えつかないような語りのリズムは、時にストーリーを超越して読者に訴えてくるものがあります。中には、彼の作品を読むや否や怒り出してしまう文壇もいたという逸話も残っています。音楽、俳優、詩、そして小説と様々なメディアでの「表現」を経験してきた町田康だからこそ描ける世界というのがそこにはあるようです。
主人公は、親のすねをかじりながらぐうたら生活をおくる「俺」。そんなダメ人間の鑑ともいえる俺は芸術家を志すも絵は描かず、ただひたすらに怠惰な人生をおくっています。
そんな日常で起こる、たいしたこともなさそうな出来事を「俺」が独り言をつぶやくように物語が進んでいきます。町田康がこれでもかというくらい、詳細に主人公の情けない部分や心情を独特の文体で描き、それがひしひしと伝わってきて、笑えるのにどこか自分の痛いところを衝かれている気さえします。不思議な読書体験を味わうことができるでしょう。
- 著者
- 町田 康
- 出版日
- 2004-04-07
表題作である「きれぎれ」で町田康は芥川賞を受賞していますが、審査員による評価も割れていたそうです。この文庫本には「人生の聖」も収録されています。
たしかに、独特な文体や言い回しで描かれ、妄想と現実が入り混じるような世界が漂う作風が多いため、理解しがたい方もいるかもしれません。ただそれが好きな人にとってはハマってしまうこと間違いないです。
売れないパンクロッカーの岡倉は、バンド仲間と夜遅くまで酒を飲んで家に帰るのが面倒になったため、近くに住む浜崎という金持ちの友人の家を訪ねます。浜崎は知り合った時から繊細な男でしたが、その夜の彼は明らかに精神的に不安定でした。
浜崎は訳の分からない事を喋りまくった挙句に日本刀を振り回しはじめ、「跋丸をこのままのさばらしておくわけにはいかない」などと口走り、跋丸という人物を一緒に襲撃しに行こうと岡倉を誘います。岡倉は何とか浜崎をなだめて寝るのですが、眼を覚ました時には浜崎の姿はありませんでした。その代わりに帆一という若い男が現れ、岡倉に20万円の現金を渡します。それは浜崎から預かったもので、岡倉に跋丸を懲らしめて欲しいということでした。
岡倉は金を受け取ってしまったこともあり、浜崎と跋丸の間に何があったのかまったく知らないまま、帆一と共に跋丸に対する嫌がらせを実行していきます。最初は帆一に無言電話をかけさせたり、白紙のFAXを長々と送りつけたりするのですが、無言電話には無言で応対し、FAXは受信しないように設定するなど、一向にダメージを受ける様子のない跋丸に対し、2人は次第に嫌がらせの度合いを上げていくのでした。
- 著者
- 町田 康
- 出版日
本作と一緒に収録されている「けものがれ、俺らの猿と」という作品は、仕事のない脚本家が突然現れた映画監督と名乗る老人から脚本の依頼を受け、映画作りのためという名目で老人から指示される場所に行くと、必ず理不尽な暴力や不可解な出来事に遭うという話です。2作とも悲惨な現実とシュールな残酷とが交差する、奇妙な物語です。
主人公の男が住むビルには、いつの間にか管理人室に住み着いて管理人の如く振る舞う謎のおばさんがいます。ある日そのおばさんに「髭剃りの刃がない」と言うと、「権現市に行けば何でも売っている」と言うので、男は権現市に行ってみるのですが、市など出ておらず所々に乞食小屋があるばかりでした。
せめて権現に参拝して帰ろうと思い進んでいくと、中年の女がパンを手に持ち1人で喋っている姿を見かけます。芝居の稽古でもしているのだろうと思い通り過ぎるのですが、ふと振り返ると1人の男がいきなりその女の顔面を殴り、女が落としたパンを拾って食べている所を目撃するのでした。
さらに権現の森の方へと進んでいくと、楽隊が音楽の演奏をしていました。しかし男にはその楽隊の様子がまるで敗北者のように感じられ、不快な気分になるのでした。そこに先ほど女を殴っていた男が現れ、権現市は違う日に行われるので、その時に振る舞う料理の味見をして欲しいと頼まれます。自分のことを「権現市のために遠方から来てくれた裕福な青年」だと勝手に思い込み媚びるように話しかけてくる男に、主人公はますます不快感を募らせていくのでした。
- 著者
- 町田 康
- 出版日
- 2006-04-14
本作には表題作の他に、関わる人間のすべてが自分に含み笑いをしていると思う男を描いた「ふくみ笑い」や、基本や正しい方法を守らず、自分勝手な工夫ばかりしている男を描いた「工夫の源さん」など合計6作の短編が収録されています。それぞれの作品が内包する闇は読み進むほどに暗さを増し、気が付けば暗黒の異次元へと足を踏み入れてしまったかのような感覚にさせられる、怪談のような作品集です。
本作品は短編集で、表題作と「人間の屑」を収録しています。
どちらの作品もダメ人間というか、社会的にどうしようもない人物を描いた物語です。何か思いついたら欲望のままにやってみて、案の定失敗し色々と反省した挙句にまた何かを始めてみる、それでもやっぱりだめ。読めば読むほどに、主人公のダメっぷりがエスカレートしていきます。
それでも「読ませてしまう」のが町田康のすごいところ。彼独自の文体で主人公は二転三転していきますが、気づけばページ数は三ケタに。短編ということもあるので、あっという間に読み終えてしまいます。
- 著者
- 町田 康
- 出版日
- 2001-04-25
また、すごいのは笑えるところ。小説を読んでいて声に出して笑うということはなかなかないと思うのですが、それをこの作品では味わうことができるのです。多くの方が「電車の中では読んではいけない」と口をそろえて語っています。また、心温まる感動のエピソードもあり、全体としてとても情緒的な内容になっています。
文庫本では筒井康隆の解説で結んであるのですが、そこで皮肉交じりに町田を絶賛しているのも一見の価値ありです。
本作は町田康の記念すべきデビュー作として刊行されました。刊行にはちょっとした逸話があって、とある新人賞に『くっすん大黒』で応募してあえなく落選するのですが、選考委員であった筒井康隆の絶大な評価をもらって刊行にこぎついたそうです。
お話としてはこちらも『夫婦茶碗』と同じく、どうしようもないグータラな主人公を描いた作品になっています。デビュー時から、こういう主人公の作品が多いんですね。ちなみに、「もしかすると、この主人公は作者自身のことではないのか」という声もちらほら。
物語は、堕落しきった夫が酒を飲めないことを妻にぐちぐちと文句を垂れるところから始まります。嫌気がさした妻が出て行ってしまった後、部屋を見渡せばそこにあるのは散らかった部屋と、金魚の大黒様が一匹。なにすることもなく大黒様を眺めていた主人公ですが、突然かっかと怒り出し、大黒様を捨てようと外に出て行ってしまいます。大黒様を捨てようとしていると、周りの人とあれこれ騒ぎを起こすことになり、なかなか捨てられなくなってしまいます。さて、主人公は大黒様を捨てることができるのでしょうか、というか主人公はどうなってしまうのでしょうか……。
- 著者
- 町田 康
- 出版日
町田康の文体はデビュー時からのもので、軽快で投げやりな主人公の語り口がなんとも快感。途中で登場する関西のおばちゃんとのやり取りは、夫婦漫才を見ているかのようです。作者が関西出身でなかったら、こんな文章は書けないだろうとさえ思えてくるほどです。
タイトルの『くっすん大黒』の意味も最後には明かされ、一見でたらめなようでいてリズミカルな町田康の物語を読み終わった後は、味わったことのない読了感があります。彼の今後の大きな可能性を示唆してくれる1冊です。
後述の『告白』のあとに刊行された7編からなる短編集です。『告白』が超大作だっただけに、こちらはかなり軽い感じで読めるかもしれません。短編なので様々な町田康ワールドに触れることのできるお得な一冊です。
- 著者
- 町田 康
- 出版日
- 2008-06-13
この本に収録されているお話も町田文学の例にもれず、奇想天外なハチャメチャストーリーばかり。どの話も非常に個性的なのですが、特に印象的なのが「どぶさらえ」という2本目のお話。
「どぶさらえ」は冒頭から頭をガツンとやられてしまいます。少々本文から引用してみますと、「先ほどから、「ビバ!カッパ!」という文言が気に入って、家の中をぐるぐる歩き回りながら「ビバ!カッパ!」「ビバ!カッパ!」と叫んでいる。」という書き出しから始まっています。何の脈絡もなしに、こんな一言で始まる物語って他にないのではないでしょうか。この一見ヘンテコな言葉でも、主人公は確たる意思を持って叫んでいるようです。終盤にもなるとその理由に明らかになるのですが、その頃になると「ビバ!カッパ!」というフレーズが頭から離れなくなって、つい自分でも口ずさんでしまいそうな勢いです。
また、6作目の「一言主の神」は、古代のワカタケルノミコトの前にある神様が現れるお話。この神さまは口に出したものを瞬時に目の前に出現させることができるという能力を持ち、時空を超えて森ビルやらカルパッチョやらボンカレーやらドカベンやら、ありとあらゆるものを出してきます。驚くワカタケルノミコトを前に、最後に口にした言葉は「ボンベイサファイア」。「ボンベイサファイア」とはいったい何なのか、とても気になるところであります。
こんなお話があと5作もあるので、説明が難しいのですが、とにかく読んでみればわかる!という作品です。
「パンクはともかくとして、侍が斬られて候・・・時代小説か」と、時代小説のつもりで読みはじめた人がびっくり仰天するという、読む前から面白い作品です。
時代はタイトルに従って江戸時代なのですが、まず言葉の違和感がたまりません。町田康ならば……と納得できるのですが、江戸時代にもかかわらず現代で使われているようなフレーズが続出します。
例えば単語だけでも、「オリンピック」「フリーランス」「イーメール」「プレゼンテーション」などなど。台詞でも「その方、余をアホだと思ってんの?」「分かりました。みなさーん。間もなく突撃ですよ、とつげきー」と、江戸時代を舞台として扱うには考えられないような言葉がつらつらと並んでいて、これを眺めるだけでもたまりません。
- 著者
- 町田 康
- 出版日
武士たちにはそれぞれキャラクター性があるのですが、サラリーマン武士や最近の若者武士など、なんだか現代の私たちに身近な雰囲気の武士たち。働く意味であるとか、勉強する意味といったものが、武士の社会と町田の変わらぬ奔放な文体によって鮮やかに、そして鋭利に描き出されています。
町田の文章は一見支離滅裂なように見えても、その実中身のあるものが多いのですが、それを強く感じられるのが本作品といえるでしょう。笑いと社会風刺のミックスされたお話です。
「自分は猫が好きである」という一文から始まる本作品。町田康の猫好きを前面に押し出したエッセイ集です。前面にというか、本当に猫のことしか書いてありません。しかし、町田康の筆力に任せればそれだけでも一読の価値があるものです。
本の構成としては、時系列に沿って猫との生活における随想録をまとめたものです。冒頭の「拙宅の猫たち」から町田節が炸裂するのですが、「これから自分は、この場を借り、ココアとゲンゾー(飼い猫の名前)、そしてこれまで自分が交際してきた猫達の行状、交友をここに記すことによって、果たしてココア、ゲンゾーがファンシーか否かについての読者諸賢の判断を仰ぎたいと思う。しばらくの間、おつき合い願いたい。」と締めくくっています。自分の飼い猫のファンシーさを確かめる、という目的がこの本にはあるようで、なんともこの一文だけで笑ってしまいます。
- 著者
- 町田 康
- 出版日
- 2010-04-15
エッセイの内容としては、日常生活における考え事を猫たちに絡めて町田風に料理する、といった感じです。豆と猫について、名前の付け方、拾ってきた猫のいきさつなどなど、猫に対する愛情とその生態を観察する鋭い視点がミックスされています。最後のエッセイでは飼い猫のココアが天寿を全うするという内容で筆をおいており、猫への愛情がこれでもかといわんばかりに詰まった作品です。
エッセイの間には飼い猫たちの写真もカラーできれいに掲載されており、ちょっとした写真集としても楽しめます。猫好きにはたまらない一冊となるでしょう。
猫を飼っていない方であっても、作者の動物愛にはなんとも魅かれるものがあると思います。もちろん、猫のエッセイであっても町田節は健在です。
本作品は実際に起きた大量殺人事件「河内十人斬り」をテーマにした長編小説です。谷崎潤一郎賞を受賞し、朝日新聞では「ゼロ年代の50冊」にも選定され、芥川賞作家の又吉直樹からは「小説の極致やと思います」とコメントされている町田康の記念すべき一冊となっています。
物語の主人公は、城戸熊太郎という自意識の高い思弁的な男。頭では色々と考えているけれども、それはぐるぐると回り続けるだけで、結局何も行動を起こすことの出来ない、やっぱりだめな男です。独りで妄想に耽ってああでもないこうでもないとしているうちに、金も妻も盗られて残ったのは愚かでどうしようもない自分一人。自暴自棄になった熊太郎はある犯罪に手を染めてしまうことになります。
- 著者
- 町田 康
- 出版日
自分の思想と現実の乖離に思い悩む熊太郎の姿は、現代人にも多くあてはまることでしょう。しかし、現代であれば作者の町田康のようにパンクロックをやって、それを形にすることができました。その行為はある意味己をさらけ出す告白のようなものです。熊太郎にはそれができなかったのです。そこで熊太郎は熊太郎なりに、「告白」していくことになります。
この熊太郎が何をどんな形で告白するのか、それがこの作品のすべてであったと作者は語ります。作者自身、最後に熊太郎が何と言葉にするかは最後まで分からなかったそうです。本作品の執筆はとても苦しかったようで、クライマックス部分の執筆は3行ごとにしか進まなかったのだとか。
町田康の描く主人公はどの作品でも「情けない人間の一面」が感じられるものですが、その町田が悩みに悩んで生み出し、言葉を喋らせたのがこの熊太郎という人物でした。そういった意味では、この人物以上に町田のエッセンスが凝縮された人物はいないかもしれません。
以上、町田康のおすすめ文庫本ランキングでした。ここまで色々とご紹介しましたが、彼の魅力はなんといっても他に類を見ない独特のリズムをもった文体です。こればかりは読んでみないと実感できません。ぜひとも一目通してみて下さい。一文目から町田ワールドに引き込まれること間違いないでしょう。