「恥の多い生涯を送って来ました」太宰治『人間失格』の一節です。読書が苦手だった私が不思議なくらいスラスラ読めた、太宰の独創的な表現スタイル。今回は、心がぐらりと動いた15作品をご紹介します。
太宰治は明治42年(1909年)6月19日、青森県北津軽郡金木村にて、地元屈指の大地主である津島家の六男として誕生します(本名:津島修治)。
太宰治というペンネームが初めて用いられた作品は、昭和8年(1933年)に発表された『列車』でした。昭和10年(1935年)には、『逆光』が第一回芥川賞候補作となり、選考委員の一人に<芥川式の作風>と評価されたものの、落選しました。
その後、あらゆる苦難の中で『ダス・ゲマネイネ』『HUMAN LOST』など、死に関連する小説を多く発表。結婚を機に『富嶽百景』『皮膚と心』『走れメロス』など、明るい作風へと転換します。
昭和22年(1947年)、太田静子の日記を携えて『斜陽』を発表し、再び世間から注目を浴びるようになるも、翌年『人間失格』を書き上げて、まもなく世を去ります(享年38)。執筆途中の『グッド・バイ』は、未完のままとなりました。
太宰治の死後もなお、作品は色褪せることなく、私達の心を掴んで離しません。
物語は、ある男が役人に自分の師を捕らえてもらいたいと訴えるところから始まります。男は自分の師がいかさま師で、民衆をだましているのだというのです。
主人公の男は師を尊敬し、物心両面にわたり尽くしてきたのですが、師が自分の奉仕を喜ぶことなく、むしろ自分を蔑むような発言ばかりしてきたことに憤りを感じ、師を裏切ることを決意します。現実主義者の男は現世の幸せこそが大事で、師が説く神のことや死後の世界の事などまったく信じていませんでした。しかし自らの利益を欲さず人のために尽くそうとする師の心の美しさだけは理解し、師を愛していたのです。
金銭感覚に優れ現実の世界で上手に生きていける才能がある主人公は、愛する師に対し、危険な布教活動など止めて自分が養ってあげるから一緒に幸せに暮らしたいとさえ願いますが、師はそんな主人公の気持ちをまったく受け入れません。そして主人公にとって他の弟子たちは盲目的に師の言葉を信じるだけで自分の思考を全く持たない愚か者のように見えるのですが、師はむしろそんな弟子たちの方を大事に扱い、主人公は嫉妬するのです。報われない愛は、やがて憎しみへと変化していきます。
- 著者
- 太宰 治
- 出版日
- 2007-07-21
本作は新約聖書のパロディで、イエスを売った裏切り者のユダの話をベースにしているのですが、新約聖書を読んだことのない読者でも本作に込められたメッセージに心を捉えられることでしょう。まるで片思いの恋愛物語のように話は進みますが、本作には現実と理想、精神と物質、聖と俗、目に見えるものと目に見えないものなどの対比が描かれています。
物語は終始主人公が1人で語ることで進み、他の人物は一切登場しませんが見事な描写によって他の全ての人物が鮮やかに想像できます。短編の名手、太宰治の数多くの短編の中でも最上級の作品の1つです。
昭和15年に発表された短編小説で、太宰治中期の作品。作品に用いられている女性の語り手法は、このあと紹介する本にも頻繁に使われますが、太宰が非常に得意としていました。そんな彼のよさが存分に表れた作品。太宰治初心者の方は、この作品から読むのがオススメです!
- 著者
- 太宰 治
- 出版日
- 1974-10-02
作品は、妻「私」が夫に宛てる別れの手紙が主体となっています。無名画家に強く惹かれ、親の反対を押し切って結婚をした「私」は、夫を献身的に支え、充実した新婚生活を送っていました。そんな中、夫の絵が高く評価され、世間に認められるようになると、生活が一変、自分の力を発揮する場所を奪われます。場所を奪われた「私」の生活の中に入ってきたものは、モノやカネ、そして夫の尊大な態度でした。手紙では、「私」が夫に対する不満を一つ一つ丁寧に並べ、別れを決心します。
この作品で私が注目したいポイントは、妻の心の闇です。愛する人へ献身したいのか、独占したいのか。「独占なんて、私にはありえないこと」と当たり前のように思っていても、自分では気付けない心の奥底に圧縮された闇が、存在するかもしれません。
そもそも、なぜこのタイトルなのでしょう?美しすぎる答えは、『きりぎりす』本編で。
母親と二人暮らしの女子生徒「私」は、とにかく感受性が豊かな女の子。朝起きてから夜眠るまで、休むことなく、気持ちがコロコロ動きます。明るい未来を想像したり、海の底まで気分が沈んだり、とにかく忙しい。
- 著者
- 太宰 治
- 出版日
- 2009-05-23
この作品、所々で「私」の妄想スイッチがON!になるところが、最高に面白いです。おいおいそこまで遠くに行っちゃう?と突っ込みを入れたくなりますが、思い当たるふしがあるので、急に恥ずかしくもなります。
現状に絶望することなく、戦争が終わったあとの未来を想像し、一日を大切に生きる主人公の姿には、思わずエールを送りたくなってしまいます。
太宰治の王道作品。語り手「私」から見た富士山の所感と共に、揺れ動く心情を愛らしく描いています。
- 著者
- 太宰 治
- 出版日
- 2009-04-01
こんな場面があります。井伏鱒二氏と山登りをする時に、井伏氏は完璧な登山服を着ていたにも関わらず、「私」はどてら(着物)姿で山を這うように登り、頂上まで登ったものの、濃い霧で景色を全く見ることができません。偶然立ち寄った茶屋で、二人を可哀そうに思った老婆が、霧が晴れた時の富士山の写真を見せながら、必死に説明しているひたむきな姿に、二人は思わず笑ってしまいます。
ただ単に面白いだけではなく、詩的な要素も含まれた奥深い作品なので、言葉や表現の崇高さにも感動できます。小説終盤、思わず笑える「私」のとった行動とは?——お楽しみに。
道化を演じることで、自分を維持している主人公大庭葉蔵の幼少期から青年期、そして、もうお手上げ状態の破滅期(?)までの苦悩を描く三つの手記と、前後にある<はしがき>、<あとがき>から構成されています。
- 著者
- 太宰 治
- 出版日
- 2007-06-23
第一の手記に、私が思わずドキッとしてしまった場面があります。父の東京出張を控えたある夜、子ども達を客間に集め、どんなお土産がいいか一人一人尋ねていく場面です。いざ自分の番になると頭が真っ白になり何も答えられない葉蔵。父はだんだんと不機嫌になり、「獅子舞は?」と葉蔵に尋ねます。それにも答えられず、長兄が「本がいいんじゃないですか?」と助け船を出し、その場は解決。
しかしその夜、父を怒らせたという罪に、葉蔵は震えが止まりません。なんとかして父を笑わせなくては!と思い立った葉蔵は、父の手帳にこっそり「シシマイ」と書きます。父は出張先でそれを見て笑ったという描写に、過去の自分を見るようで、驚きました。私は子供の頃、陰気くさい母を笑わせようと必死になっていた経験があります。
第二の手記、第三の手記と、あまりの陰気さに気分が滅入りそうになってしまいそうですが、ご心配なく。所々ユーモアも含みながらバランスを保つ太宰スタイルは、読者を飽きさせません。物寂しい灰色の空の下で、コメディアンが一人漫才をしているようです。必ずツボにはまる人がいるはず!
この作品を、どう評価していいのか私にはわかりません。ただ、世界で一人、自分を理解してくれる人がいるのだと強く思えるのです。人生を見つめ直したい時、ぜひこの本を開いてみて下さい。
貴族の家で育った、かず子と弟の直治、二人の視点を中心に話が展開されます。終戦後、日本国内に変化が生じ、財産を全て失いながらも、母を懸命に看病しながら生きる道を見つけ出そうする、かず子。母のような貴族の姿に憧れながらも、貴族のプライドを捨て、勇敢に生きていこうとするかず子の姿は、嫉妬してしまう程、ハンサムです。一方、戦地から戻った後、ひどい薬物中毒に苦しみ、社会に不満を抱き続ける直治。二人が持つ気持ちのコントラストに注目して読むと、楽しいかもしれません。
- 著者
- 太宰 治
- 出版日
- 2009-05-23
もう一つ注目したいのが、物語の終盤に登場する「革命」という言葉。「革命」という言葉には、国家や社会の組織の急激な変革を行う、フランス革命のように過激で血を流すような漠然としたイメージがありませんか?『斜陽』に出てくる「革命」は、ひと味違います。「革命」には、壮大な作者の思いが込められていると思えてなりません。
太宰治の不朽の名作と言われた『斜陽』は、昭和22年の発表当時大絶賛を受け「斜陽族」というような流行語を生みだしました。どこかミステリアスな雰囲気を持つ作品を、どうぞ楽しんでみて下さい。
「メロスは激怒した」(『走れメロス』から引用)
この文章から始まるこのお話、『走れメロス』中学生の教科書にも載っているので、その内容をしらない人はいないでしょう。
実は、このお話の元になったと言われているのは、太宰が旅館のツケを払えずに友人を人質にし、自分は井伏鱒二にお金を借りに走ったものの、結局言い出せずに、人質である友人がしびれを切らして追いかけてきたときには、井伏と将棋をうっていた、というエピソードらしいのです。
- 著者
- 太宰 治
- 出版日
メロスはまじめで信頼を裏切らない男ですが、やはり妹や妹婿に別れを告げる前や、山賊に襲われたときなどは、戻る事へのためらいやあきらめの気持ちがよぎります。元ネタを考えると、このメロスの苦悶は太宰自身の言い訳にも思えてきて、滑稽です。
傷ついて全裸のメロスを見て、使いに来た親友の弟子はメロスに走るのをやめさせようとしますが、メロスはこう言います。
「信じられているから走るのだ。間に合う、間に合わぬは問題でないのだ。人の命も問題でないのだ。私は、なんだか、もっと恐ろしく大きいものの為に走っているのだ。」(『走れメロス』から引用)
メロスが立派な男だった一方で、太宰自身は、友の信頼を裏切るが、態度だけは気取ってみせる。自分と対照的なメロスを描くことで、自分はダメな人間なのだ、と自虐的な気分に浸っていたのかもしれません。
太宰治の青春小説は、いつの時代においても若者の心をズバリ表現しています。
『パンドラの匣』は、太宰の元に送られてきた12冊の日記がもとになっていると言われています。日記の主は、太宰と頻繁に文通を交わしていた木村庄助という太宰の読者でした。木村は結核の療養中、病苦のため22歳の若さで自殺しています。
「健康道場」という風変りな結核療養所で過ごす若い主人公とその友人とが交わす、手紙形式で進む物語です。主人公が死と隣り合わせの療養所の中でも、普通の若者と同じように悩み、喜び、苦しみ、ときめきながら過ごしている姿が生き生きと描かれています。
若くして自殺した友を思って書いたのでしょう。いつもは自虐的かつ皮肉的な陰をちらつかせる作品が多い中で、この作品では主人公が未来に希望を持っていたのが印象的です。結核療養所というシリアスな舞台での物語ゆえに、あえて明るさを持たせたのかもしれません。
- 著者
- 太宰 治
- 出版日
- 1973-11-01
この『パンドラの匣』と一緒に収載されている『正義と微笑』でも、青春まっただ中の主人公が、悩みを振り切った姿が描かれています。
「思わせ振りを捨てたならば、人生は、意外にも平坦なところらしい。磐の上に、小さい家を築こう。」(『正義と微笑』から引用)
若いころは、人からこう見られたい、周囲に対してこういう自分を見せたいという思いが強く、それが劣等感を生み、日々生きづらさを感じるものです。「思わせ振り」を捨てることができる、一冊にもなるのではないでしょうか。
物語の舞台となる入江家では、五人兄妹が退屈しのぎにリレー小説を書き始めます。この兄妹はそれぞれ皆個性的で、そのため描かれる物語も、文体から展開から全く違う小説です。それぞれの性格を映し出した物語に並行して、5人兄妹の人間像の描写、祖父母を含めた彼らのやりとりが鮮やかに描かれています。
剛直、感傷的、気障、ナルシスト、自尊心、生真面目、ロマンティスト、ニヒリスト、幼稚さ、甘え、大げさ、自惚れ、コンプレックス・・・人間が心のうちに秘めているあらゆる性格が、5人に見え隠れするのが実に滑稽です。しかしながら、そんな中にもやはり太宰特有の、自己卑下的な陰が、いたるところに見え隠れします。
「もう自分には、ひとに可愛がられる資格が無いという、はっきりした自覚を持っていながらも、ひとは、生きて行かなけれなければならぬものであります。」(『ろまん燈籠』から引用)
自分の暗黒の部分を見せたいような、見せたくないような、気づかれたいような気づかれたくないような。太宰の小説にはみな、どこかそんなところがあります。
- 著者
- 太宰 治
- 出版日
- 1983-03-01
新潮文庫の『ろまん燈籠』には、ある女生徒の一日を描いた『女生徒』も収録されています。ちょっと生意気な主人公ですが、物語の終盤にこんなことが書かれています。
「私たちは、決して刹那主義ではないけれども、あんまり遠くの山を指さして、あそこまで行けば見はらしがいい、と、それは、きっとその通りで、みじんも嘘うそのないことは、わかっているのだけれど、現在こんな烈しい腹痛を起しているのに、その腹痛に対しては、見て見ぬふりをして、ただ、さあさあ、もう少しのがまんだ、あの山の山頂まで行けば、しめたものだ、とただ、そのことばかり教えている。」(『女生徒』から引用)
大人たちは「今」が苦しいのだという事を見ずに、未来ばかりを子供たちに教えがちです。大人のみなさんももう一度、「今」を考えるきっかけに、この作品はなるでしょう。
『ろまん燈籠』も『女生徒』も、なんでもない平凡な日常を切り取って、それをユーモラスに、しかし読み応えのある文学作品に仕上げてしまうのがすごいですね。剛直な青年から生意気な少女まで、あらゆる人格になりきって書けてしまう、太宰の才能を改めて実感する2作品です。
「瘤取り」「浦島さん」「カチカチ山」「舌切雀」の4編が収められています。一般的にも有名な昔話ですが、太宰流にアレンジされているのでもう完全に太宰の作品です。
この作品は第二次世界大戦の罹災中に執筆され、敗戦から2か月後に出版されています。最初の話「瘤取り」は、防空壕の中で作者が原稿を書いているシーンから始まります。防空壕の外に出たがる女の子をなだめるため、父親が話した昔話を本にした、という設定です。
戦時中に描かれたものとは思えない軽快な文章、昔ながらの物語に太宰独特のツッコミを入れるような、ユニークな作品に仕上がっています。ああだこうだとグダグダ屁理屈を述べているように見えて、時にクスリと笑ってしまうような滑稽さも併せ持つ、読者を飽きさせない工夫を凝らした入念で巧みな文章は、いかにも太宰らしいともいえます。
- 著者
- 太宰 治
- 出版日
この作品で題材になった物語は、どれも不条理な結末を迎えるものばかりです。戦争によって日常が脅かされる人々を見て、そこに理不尽さを感じながら、この作品を書いた・・・と思えなくもないですが、そんな優等生っぽい真面目さは、太宰にはちょっと似合いませんね。
「瘤取り」では、誰も悪いことをしていないのに一人の不幸な爺さんを生み出してしまいました。いったいこんな話にどう教訓を読み取ったらいいんだという、作者自らのツッコミの後、その不条理としか言いようのない結末に対し、こう締めくくっています。
「性格の悲喜劇といふものです。人間生活の底には、いつも、この問題が流れてゐます。」(『お伽草紙』から引用)
人間の真理をちらつかせながら、決してあからさまには書かない。理不尽を真正面から理不尽と訴えかけるような正義ぶったことはしない。道化のようにおどけた文章の中に、ちらりと陰のある部分を見せる。そんな太宰らしさが感じられる作品です。
主人公田島には10人ほど愛人がいました。お金稼ぎも一段落し、落ち着きたいと思った田島は愛人たちと別れようと決意します。そこで、田島は絶世の美女キヌ子を妻と偽り、愛人たちに別れを告げていきます。
- 著者
- 太宰 治
- 出版日
先にお伝えしておきたいのがこの物語は完結していません。描きかけのまま太宰治が亡くなってしまったのです。しかもどんどん盛り上がってくるいい場面で途切れているのがとても惜しい。ただ、惜しくはありますが、その続きを自分で想像できるというのもこの作品の楽しみ方かもしれません。
内容はとても読みやすく面白いです。田島はとても女々しい男でナルシスト。美しくありたい、と自分に酔っているような部分があり見ているとむず痒くなってきます。それをガツンと締めるのがキヌ子です。見た目こそ絶世の美女とされていますが、中身は相当お下劣。「おそれいりまめ」なんてしょうもないダジャレも言ってしまうとても魅力的なキャラクターです。この相反する2人の掛け合いはテンポが良く、つい笑ってしまう場面もあります。
1948年に描かれた作品にかかわらず、現代でも十分に通用するユーモラスな内容です。どれだけの月日が経っても楽しめる作品でしょう。太宰治の遺作、ぜひ一度読んでみてはいかがでしょうか。
太宰治の処女作品で、15編の短編から構成されています。作中に「晩年」という作品は、一つもありません。にもかかわらず、『晩年』なんていう暗い題名がついているのは、作者が、この作品集を、自殺前提で、遺書のつもりで書き遺したからでしょうか。
「私はこの本一冊を創るためにのみ生れた」と太宰治自身が書いているように、23、4歳の太宰は、この本に自分の人生を全て刻みつけようと、十数年、命を削るようにして、この短編集の一つ、一つを作り上げていったということです。
- 著者
- 太宰 治
- 出版日
そんな話を聞くと、どんなに重苦しい短編集なのかと思うかもしれませんが、笑える作品も、たくさんあります。
例えば、「ロマネスク」などは、のちに、滑稽作品の名手として鳴らす太宰治の才能を早くも発揮しているような作品で、仙術太郎、喧嘩次郎兵衛、嘘の三郎という名前だけでも、ヘンチクリンな3人の人物に、それぞれ光を当てて、イキイキと描き出した作品です。
その他、幼少期の感傷を克明に描き出した「思い出」。バーの女性と心中自殺をはかりながらも、自分だけ生き延びた心中事件を題材にした「道化の華」など、太宰治自身の人生を投影した作品も多数。多彩な色合いの作品がそろった短編集。太宰治の人生を知った上で読むと、また違う面白さがあるでしょう。
太宰治が津軽半島を3週間かけて旅した際の体験を綴った作品です。太宰には自分の生まれた地方を一度は隅々まで見ておきたかったという思いがあり、出版社の友人からも津軽の事を書いてみないかと言われたことから、津軽旅行を決意します。
- 著者
- 太宰 治
- 出版日
東京と比較して東北の風習は洗練されていないと言う一方で、無骨に見える振る舞いに込められた郷土のおもてなしの精神を高く評価しており、物資の少ない時でも近所から配給の酒を集めてくれるなど様々な手法で歓待してくれる昔なじみの友人たちへの感謝と感動がにじみ出ています。郷土贔屓が過ぎないよう、大袈裟になりすぎないようにと太宰らしいユーモアのある表現で客観性を心がけて描いていますが、郷土に対する溢れる愛情が伝わってくる作品です。
また、郷里に根を下ろし地元の名家である実家を守る兄たちとその家族に対する幼いころからの遠慮と羞恥心、その中に見え隠れする反骨心なども読みとることができ、太宰を太宰治たらしめた心の原点も垣間見ることができます。
旅行中に立ち寄った津軽半島の各地の風物や名産品の紹介などもあるうえ、昭和初期の東北地方の生活や文化も知ることができ、さらには北海道のアイヌと東北のアイヌの相違や、江戸時代から現在まで東北地方を襲った津波や凶作の事なども紹介されており、紀行文としてだけでなく歴史書としても読みごたえのある、素晴らしい作品です。
主人公の男は犬が嫌いで、犬に噛みつかれる事を極度に怖れています。当時は現代と違って野良犬が当たり前のようにいたので、町の中や道端などで危険な犬に遭遇する機会が多かったのです。ある時、犬に噛まれた友人が狂犬病の予防接種をするなど3週間も病院に通う羽目になったことから、主人公はますます犬を怖れるようになるのでした。
主人公は、どうすれば犬に襲われずにすむかと犬の心情などを想像するようになります。そして主人公がたどり着いた方法は、犬に愛想を振りまくことでした。それからは犬を見たら愛想よく微笑みながら静かに通り過ぎていたのですが、そんな態度のせいか逆に犬から好かれ、道を歩けば野良犬がついてくるようになってしまいます。
大抵の犬は歩いているうちに結局どこかに行ってしまうのですが、ある日小さな犬が一匹だけ家までついてきて、そのまま庭に住み着いてしまいます。
主人公は犬を怒らせないように丁重にもてなし、犬が自発的に去ってくれるのを待っていたのですが、犬はいつまでも居座り続け出ていこうとしません。そんな犬に主人公はとうとうポチという名前までつけてしまうのでした。
- 著者
- 太宰 治
- 出版日
- 2016-07-20
人の顔色を見て態度を変える犬に卑屈な自分自身の姿を見るように感じ、主人公はますます犬を不快な存在のように言うのですが、犬を相手に愛想を振りまいたり怒らせないようにしたりする様子は、犬を感情や思考能力のある存在として人間と対等に尊重する優しさを感じさせます。
突然やってきた犬に翻弄される主人公を、過度な真面目さとユーモアを織り交ぜて描いた、太宰治らしい微笑ましい短編です。
太宰治といえば誰もが知る有名な文豪ですが、「破滅的で暗い」などのイメージから読むのをためらってはいませんか。そんな食わず嫌いの人におすすめしたいのがこの作品です。太宰治はとても読みやすくて面白い文章を書く作家なのです。
- 著者
- 太宰 治
- 出版日
- 1950-12-22
『ヴィヨンの妻』はある夫婦の物語を妻が語る形で進んでいきます。夫は毎晩のように酒を飲んで深夜に帰宅するか何日も家に帰らないことがよくあり、発育に問題を抱える幼い一人息子がいるにも関わらず家庭をほとんど顧みません。妻は寂しいながらもその日常を淡々と受け入れて生活をしてきました。
そんなある夜、妻が子供と寝ていると夫が帰ってきて何やら家の中でゴソゴソしており、その後を追うように一組の夫婦がやって来て「盗んだお金を返さないと警察に通報する」と言うのです。夫はその夫婦と言い争い、ついにはナイフを振り回して夫婦を振り切って逃げていきます。妻が夫婦に事情を聞いたところ、夫がこの3年間というもの毎晩のように夫婦が経営する居酒屋に現れ、さんざん飲んでも飲み代を払わないうえ、その夜はとうとう店のお金を勝手につかんで逃げたのを必死で追いかけてきたのだと聞かされます。しかも店で雇っていた女の子に手を付けたこともあるそうです。
ところが妻は、自分が何とかするからと言ってその晩は夫婦に帰ってもらい、翌日にはその夫婦が営む飲み屋を訪れ、夫がお金を持ってくるまで自分が人質になると言って店の手伝いを始めるのです。そこにたまたま夫が女を連れてやってくるのですが、普通なら修羅場になってもおかしくないところを妻は何事もないかのように仕事をこなし、夫も多少驚いたものの何事もなかったかのように酒を飲んで女と一緒に去っていきます。そうして妻はそのまま店で働き続けるのですが、店に来る客に接していくうち、世の中の人間は皆犯罪者で、自分の夫のほうがよほど優しい人間だと思うようになるのです。
タイトルにある「ヴィヨン」とは15世紀のフランスの詩人のことで、女性関係などで様々な問題を起こして投獄され最終的にはパリを追放された人物です。夫はそのヴィヨンについての論文を書いて雑誌に投稿することを職業としているのですが、本作で夫の仕事やヴィヨンについて詳しく語られることはありません。『ヴィヨンの妻』とは何か、太宰治はこの不思議な夫婦を描くことで読者に何を投げかけているのか、ぜひ読んで確かめてみて下さい。
一生を通して読み続け、笑いたいと思える太宰治の作品。ぜひあなたも、太宰作品に触れてみて下さいね。