ミヒャエル・エンデおすすめ作品5選!『モモ』など名ファンタジーの生みの親

更新:2021.11.24

ミヒャエル・エンデの名前は知らなくても『モモ』『はてしない物語』の作品名を耳にした方は多いと思われます。今回はファンタジーの世界に読者を誘い、空想に浸らせてくれる作家、ミヒャエル・エンデとその作品について解説します。

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ファンタジー×哲学で名言も数多く残す、ミヒャエル・エンデとは?

エンデは、1929年にドイツで生まれます。代表作は『モモ』『果てしない物語』です。この2作で、ドイツ屈指のファンタジー作家となりました。メルヘンチックな作品が多く、夢を描き、未来に希望を持たせる結末がほとんどです。また哲学的な要素を含み、現代社会のあり方に警鐘を鳴らす作風も特徴です。

児童向けながら成人も深く考えさせる内容が多く、自身のあり方を見直すきっかけを与えてくれることでしょう。

エンデ代表作!本世界からのSOS?『はてしない物語』

家族とはなにか、本当の友情とはなにかなどのメッセージが含まれる作品です。

主人公のバスチアンは、いじめられっ子。父は母が亡くなってから殻にこもり、家族の中にも居場所がありません。ある日、バスチアンは古本屋であかがね色の絹で装飾された『はてしない物語』を盗みます。誰にも見つからないよう、学校の屋根裏に隠れ、読書に没頭するようになります。

著者
ミヒャエル・エンデ
出版日
1982-06-07


本の舞台は、ファンタージエンと呼ばれる国。ある時から「虚無」と呼ばれる空間がいたるところに現れ、近づいた者や土地を飲み込むようになります。国の滅亡の危機に際し、アトレーユという少年が困難にぶつかりながら謎を解明していきます。物語の中の登場人物は、何度も『はてしない物語』を読むバスチアンに助けを要請します。バスチアンは戸惑いつつもその要請を受け入れ、現実世界を離れ、本の中に吸い込まれていきます。英雄として迎えられた彼は、ファンタージエンの王からなんでも願いを叶えるお守りを授けられますが……。

物語は、一部と二部に大きく分けることができます。一部はアトレーユが冒険し、その様子を読んでいたバスチアンが国を助けたいと思うようになるまでの過程です。二部は、ファンタージエンの救い主となり、権力を自在に使うバスチアンとアトレーユの交流が中心となっています。

本作は、力を手にすると豹変する人の哀しさや、本当に大切なものを見つけることの重要さを訴えてきます。児童書ながら奥が深く、再読するたびに新たな発見があります。また、本自体が物語のキーアイテムとなっていますので、文庫版ではなく絹表紙のハードカバー版で読んでみるといいかもしれません。バスチアンになった気持ちが味わえ、より物語の舞台を身近に感じることができるでしょう。

対象年齢は、子どもから大人まで『モモ』

「忙しい」「時間が無い」が口癖の人、周りにいませんか? いたとしたら、彼らの様子を見てください。あくせくしていて、あなたと向かい合っていてもどこか上の空ではないでしょうか。そうした方々には、ぴったりな本作。

著者
ミヒャエル・エンデ
出版日
2005-06-16


ある時、町の円形劇場に住み着いた浮浪児モモ。物事の真相を見抜く目を持った彼女は、人の話を聴くことがとてもうまく、町の人から愛されて生活しています。モモに話をするために訪れる人々はみな貧しく、時間はゆっくりと流れていました。彼らはモモと話をすると自分の考えがまとまり、幸せでした。しかし「時間どろぼう」である男が、彼らと接触すると人々は余裕をなくし、「モモと話している時間はない」と彼女の前から去っていきます。

時間泥棒は、おしゃべりや効率性のない仕事にいそしむモモの友人に「そんなことは時間の無駄。もっと時間を倹約しろ」と時間の倹約を強制します。彼らは効率性を優先し、仕事の能率は上がり、貧乏生活からは抜け出します。しかし心の余裕をなくし、とげとげとした性格となり、モモへの接し方も変わっていきます。貯蓄したはずの時間なんて、彼らの手元には残りません。すべて時間泥棒が奪ってしまったのです。異変を察したモモは、奪われた時間を皆に開放するために行動を起こしていきます。

本作の「時間とは、生きるという事そのものだ」というメッセージは、心に響きます。現代社会は効率を優先して無駄なものをはぶいたり、スケジュール帳にはぎっしりと予定を書き込んだりしますが、それは必ずしも自分を大切にした精神的にゆとりのある状態とはいえません。今一度、自身のありかたを見直したい方にもおすすめです。

エンデの名言も満載!『魔法のカクテル』

とある年の大晦日の夕暮れ。主人公の黒魔術師イルヴィツァーは「今年の悪事のノルマを半分しか果たしていない」と、執行官から詰め寄られていました。年が変わるまでに環境破壊のノルマが達成できなければ、待っているのは死のみです。

時間がなく危機に瀕した魔術師の元に、仲の悪い叔母の魔女ティラニアがやってきます。彼女も悪事のノルマが達成できず、甥に助けを求めにやってきたのでした。主人公は叔母と手を組み、飲めば一瞬でなんでも願いの叶う「魔法のカクテル」を作り、その力で世界を悪い風に変えようと画策します。

著者
ミヒャエル・エンデ
出版日
1992-11-12


そこに彼らのペット、猫のマウリツィオとカラスのヤーコプが登場します。2匹は世の中で起こる災いの正体を突き止めるため、動物最高評議会からスパイとして派遣されていたのでした。2人の悪者の尻尾を掴んだ彼らは、「魔法のカクテル」作りを止めようと奮闘します。

物語は悪としての魔術師2人、善としての動物2匹の行動が交互に描写されます。見どころは動物達の行動です。

ちょっと見栄っ張りで間抜けなマウリツィオとヤーコプ。当初は喧嘩ばかりしていた彼らでしたが、共に苦境を乗り越えるうちに、無二の親友となっていきます。能力も魔法の力もない彼らが、世界の崩壊を防ぐため、純粋に我が身を投げ打っていく様子は胸を打たれます。一方、魔術師たちは、血は繋がっていてもお互いを全く信用せず、共同作業をしていても出し抜くことばかり考えます。

プロットは単純ですが、所々に奥深いセリフが物語に練りこまれています。たとえばエンデは動物達に「どうしてこの世界ではいつも悪い奴ばかりが力を持っていて、いいやつはもっていないんだろう」という名言を言わせています。また、作中のある人物は「悪も最後の最後は常に善に尽くすものだ」と言います。さてこの言葉の真意とは? 

動物と魔術師の行く末に注目して物語を楽しんでください。

自由ってなんだ?『自由の牢獄』

児童作品が多いエンデ。本作はメルヘンチックでありつつも難解な、8編からなる大人向け短編集です。現実世界への生きづらさや綺麗ごとだけではない作風を好まれる方におすすめです。

登場人物の多くは物質的には豊かです。しかし、彼らの心にはなにをしても満たされない思いがあります。虚無感をなくそうとあがく彼らの人生を「旅」になぞらえて見つめる作品が多くなっています。その中から、牢獄のような生きる世界で生きる人々に焦点を当て、自由とはなにかを問う「ミスライムのカタコンベ」をご紹介します。

著者
ミヒャエル エンデ
出版日
2002-06-18


主人公イヴリィは「影の民」と呼ばれる部族の一員です。出口のない暗闇が支配する洞窟の中、来る日も来る日も労働に明け暮れる彼らは、外に世界が広がっていることを知らず、夢も見ません。目覚めるたびに以前の記憶は消えているため、なにかを創造することができない生物です。「この洞窟の外には何があるんだろう」と思うことすら禁じられています。テレパシーの様に部族全員の頭の中に響くリーダー、ベヒモートの指示に従い、族全体が一枚岩となって秩序を乱さぬよう日々を送っています。

ある日、イヴリィの夢の中に、知るはずのない「外」の世界の情景が現れました。その風景を絵に残そうとするうちに、和を乱す危険人物とみなされ一族を追われます。ボロボロになっていたところを、ベヒモートに反目するグループに拾われ、彼らの役に立つよう仕込まれます。

ベヒモートとレジスタンスのボスはグルであり、元々洞窟の外で暮らしていた「影の民」の記憶および考える力を麻薬によって奪い、奴隷にしていたのでした。それを知った主人公はなんとか一族の元に逃げ、仲間を率いて洞窟の外に脱出しようとしますが……。

すべての決定権を委ね、衣食住は保障された奴隷の「不自由」な生活と、生きる手段を自分の頭で考えなければならない外の「自由」な生活。一族と主人公がどちらを選ぶのかに着目してください。

エンデの短編集!すべての物語が繋がる『鏡の中の鏡』

30話からなる短編集です。最もオリジナリティが高いと言われ、30話すべてで一つの物語が完成することが特徴です。どの作品も夢の中に登場する景色のようにあやふやで、どこか殺伐としています。

空想のような世界でありながら、メルヘンの要素は薄いです。作者の「現代人の内面世界を作品に投影した。食わず嫌いせずにこの世界を体験し、その意味を考え続けてほしい」という言葉通り、一つひとつのメッセージ性が強い作品です。

著者
ミヒャエル エンデ
出版日
2001-01-16


2話「息子は父親でもある師匠の優すぐれた指導のもとで」の主人公は、幸福な者だけが脱出できる迷宮都市に、師匠の言いつけをよく守る従順な息子。翼を自身の体と一体化させた彼は、脱出のための試験を受けることになりました。その内容は、長い網を体にまとい、夕暮れまで恋人の部屋に行かないこと。息子にとっては簡単なことでしたが「もうすぐここから出て幸福になれるのだから、自分の不幸を少し持ってくれ」という乞食が現れます。

従順すぎるということは、自分の意志がないということ。また大切なことを見誤ると、幸運も逃しかねません。他人に対する依存心が強いと、自由を得てもなにも決断できず不幸せなままだという含意があるのかもしれません。


5話「ずっしりとした黒布が、垂直のひだを」
黒布があがったら、決められた通りに踊れと言われたダンサーの男が、複雑な踊りをすぐに始められるようにポーズを決めて幕の間に立っています。しかしいつまでたっても幕はあがりません。あたりは静まり返っていて状況はまったく掴めません。

時の経過と共に、ダンサーは踊りの振り付けを忘れ、自分が何者かも忘れていきます。ただひたすら「幕が上がったら踊り出す」ことのみに意識を集中し、体勢を維持しますが、一向に幕があがる気配もないままに物語は終わります。

「自我の喪失」がテーマでしょうか。目的を忘れてしまうと、なにも考えず無機的に作業をこなすことがあります。日々を生きるために惰性で物事を行い、やりがいや意義を見失った人たちに警鐘をならしているように感じられました。

エンデの作品は、メルヘンチックで読みやすい文体で書かれた作品が多いため、子どもでも読みやすくなっています。しかし大人になってから読み返すと、作者の思惑や登場人物の複雑な心の機微など、何度でも新たな発見が見つかることでしょう。その時のあなたの人生経験によって、見えるものは変わってくるはずです。

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