川端康成作品おすすめ5選!これを読めば小説がより面白くなる!

更新:2021.11.24

川端康成の『雪国』や『伊豆の踊り子』を読んだものの、どうもピンと来なくて苦手だという方がいるかもしれません。そこで今回は、川端康成の小説がより面白くなる、おすすめの小説を5作ご紹介します。

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川端康成ってどんな人?

川端康成は明治32年に大阪府で生まれ、東京帝国大学在学中に、第6次『新思潮』を発刊します。雑誌に掲載した『招魂祭一景』をきっかけに、芥川龍之介、久米正雄、横光利一の知遇を得るに至り、本格的な文壇デビューを果たします。「新感覚派」の新進作家として世の注目を集めた川端康成は、逗子の仕事部屋で命を絶つまで、多くの作品を後世に残しました。

代表作には、はじめて伊豆を訪れた経験に材をとった『伊豆の踊子』や、「トンネルを抜けるとそこは雪国であった」の冒頭で知られる『雪国』、敗戦の傷跡が色濃い時代を背景に、家族間の葛藤が描き出される『山の音』などが挙げられます。幽冥怪奇風の作品から幼女をヒロインに据えた少女小説まで、多様な作風を発表したことで知られます。

川端康成は後輩の面倒見がよく、新人を発掘する才にも長けており、日本初の本格的なハンセン病文学として知られる北條民雄、芸術家・岡本太郎の母で『老妓抄』などで知られる岡本かの子、また戦後に発表の場を失っていた三島由紀夫を後援するなど、多くの新人作家を世に送りだしています。

昭和43年に、川端康成は日本人作家として初のノーベル文学賞を受賞。わずか四年後、神奈川県逗子市にある仕事部屋で自死を遂げました。享年72。川端康成の死は、未だ謎に包まれています。

まるで伊豆の温泉ソムリエ!? “伊豆愛”にあふれた興趣あふれる一冊『伊豆の旅』

「伊豆は詩の国であると、世の人はいう。」の書き出しで始まる『伊豆序説』を含む、エッセイ18編、小説7編が収録された伊豆の決定本とも言える本です。温泉ソムリエさながらに、当地のおすすめの温泉宿、伊豆の歴史、文士の交流など、当地にまつわる愛情や思い出があふれんばかりに綴られています。

著者
川端 康成
出版日
2015-11-21

川端康成と伊豆と言えば、真っ先に思い浮かぶのは、『伊豆の踊子』ではないでしょうか。この小説は、20歳で初めて伊豆を訪れた筆者が、旅芸人の踊子に出会った経験を下敷きに執筆したものです。川端康成の作品は、温泉宿がたびたび舞台となるように、エッセイと小説が密接につながっているのです。

小説を味わう方法は何も小説を読むことに限りません。作家と土地の関係を知ると、作品世界はより豊かに膨らみます。本書で綴る伊豆の思いを受けとめた後は、せひ『伊豆の踊子』を読んでみてください。いっそう伊豆という土地が身近に感じられ、小説世界により入っていけるのではないでしょうか。

またこの小説は、原稿用紙百枚近くにのぼる『湯ヶ島での思い出』という川端康成の作品が元になっています。残念ながら『湯ヶ島の思い出』作品は現存していないために読むことは叶いませんが、その作品の後半部を収めた『少年』という小説をあわせて読むと、いっそう味わい深く感じられると思います。

伊豆を深く愛し続けた川端康成にとって、当地はまさに第二の故郷でした。まずは本書で、伊豆愛にあふれた川端の思いを受けとめてください。

 

冗談まじりに告げられた「葬式の名人」という不名誉な冠 『葬式の名人』


『葬式の名人』は、『川端康成 ちくま日本文学026』に所収されており、父母を早くに亡くした川端が、3つの葬儀の思い出を、親族の死に絡めて回想していくエッセイです。幼少期におけるほの暗い彼の内面を覗くことができます。なかでも表題に使われたエピソードは、強烈なインパクトを放って読者にせまってきます。

ある時、親類から所用のために葬式に参列することができないと電話が入ります。彼はやむなく代参を頼まれることになりますが、親類はその理由を冗談まじりにこう説明するのです。「葬式の名人やさかい。」、と……。

著者
川端 康成
出版日
2008-10-08

川端康成の小説には、死が重要なテーマとなっていることが少なくありません。たとえば彼自身が最も好意を示した、初期短編『抒情歌』。この作品は、恋人に捨てられた語り手の“私”が、愛を失ったことを契機にもう一度生まれ変わり、アネモネの花に成り替わりたいと願う、彼の死生観が覗く作品です。

川端康成がどのように死をとらえているかを、実生活を記録した日記とフィクションで構成された小説の双方から光をあてると、その姿が浮き彫りとなり、より面白く感じられるのではないでしょうか。

語り手の“私”をそのまま川端と受け取ることは注意が必要ですが、作品の背後に作者のどんな生い立ちが影響しているかを知る上では参考となる2作です。また祖父の病状を記録した日記『十六歳の日記』を読むと、川端康成がいかに幼少期から、死や孤独と隣り合わせに過ごしていたか、お分かりいただけると思います。

不思議なことに、彼の盟友や弟子たちは、師の川端よりも短命に終わっています。戦後、彼が葬儀委員長を務め、また弔辞を読んだ作家の名を挙げても、三島由紀夫、堀辰雄、武田麟太朗、また戦前には弟子の北条民雄、林芙美子と、多くの弟子を亡くしており、川端康成ひとりが世に取り残されるような悲しみを味わうのです。

『葬式の名人』は、親しい人間がつぎつぎと世を去っていく経験が、すでに幼少期の頃から始まっていたことを伝えるエッセイなのです。

自らの芸術観に触れた徒然なる“まえがき” 『末期の眼』 

川端康成が自らの芸術観を明かしたエッセイとして発表されたのが『末期の眼』です。こちらは、岩波文庫の『川端康成随筆集』に所収されています。

当初は親友の死に際して、小説作法について書かれるエッセイだったものが、筆がすべりにすべり、作品内で自らの芸術観を明らかにしています。いわば、徒然なる“まえがきエッセイ”と言えるでしょうか。特に注目したいのは、作品内で芥川龍之介に触れた箇所です。

昭和2年、芥川龍之介は『ある旧友へ送る手記』という遺書をしたため、自宅で死を遂げました。かつてこの手記に、要領の得ない割り切れなさを覚えた川端康成でしたが、ふたたび読み返すと、彼の年齢に近づいたこともあってか、同じように「死に対する近しさ」を感じるようになった、と述べるまでになります。そうして文中の言葉に鋭く反応して、芸術の極意を「末期の眼」に見出すのです。

著者
出版日
2013-12-18

多様な作風で知られた川端康成に、つねにこの眼が底光りしていることを意識すると、小説はまた異なった表情をもって感じられるでしょう。初期の作品『禽獣』に描かれる主人公の男性は、小鳥をこよなく愛しながら、千代子という踊子に目をかけています。いっぽうで小鳥や女へ向ける彼の眼差しの底には、陰影のある虚無的な視線が宿っていることも見てとれます。

上に紹介した二つは、川端康成がもっとも嫌いな作品として挙げるものです。『末期の眼』の語り手の“私”も、『禽獣』の主人公の“彼”も、自らと重ねて読まれることを、ひどく毛嫌いしたからです。これらの作品を嫌う川端康成ではありますが、読者の受けとめ方に制限はありません。毛嫌いしたその理由を頭に置きながら、『末期の眼』と『禽獣』をセットで読んでみると面白いのではないでしょうか。

昭和47年、川端康成は逗子の仕事部屋で自死を遂げますが、芸術の極意を「末期の眼」と称した彼の胸に、後年どんな心境が去来したのでしょうか。

日本人初!ノーベル文学賞を受賞した記念講演のスピーチ原稿!『美しい日本の私』

『美しい日本の私』は、川端康成がノーベル文学賞を受賞した際に、スウェーデンのストックホルムで、記念講演した際のスピーチ原稿です。本書は、明恵上人、道元、良寛、西行などの歌をいくつか引用しながら、その背後に、日本の伝統美や死生観がいかに表れているかを明らかにするものです。それはまた、自らの芸術観を述べていることにもなります。

前項で述べた『末期の眼』にも触れられており、日本の美的世界や禅宗などの仏教に、川端康成がいかに影響を受けたか、本書を読めばお分かりいただけると思います。

著者
川端 康成
出版日
2015-04-25

本書を読んだ後は、川端の代表作のひとつ『雪国』を読んでみてはいかかでしょうか。島村という親のスネを齧る男性が、列車で行き会った葉子と、かつて温泉街で知り合った駒子との3人の関係を中心に展開する、儚い美しさのきわだつ抒情性の強い作品です。

評論家の伊藤整は、この作品を「心理のきびしさの美をつかむという道」と評し、小林秀雄は「作家の虚無感といふものは、ここまで来ないうちは、本物とはいへない」と述べました。まさに『美しい日本の私』の主題に通じる美の特徴が表れているのです。『美しい日本の私』と『雪国』をあわせて手にとってみると、川端作品の本質がより分かりやすく感じられると思います。

ところで、ノーベル文学賞を受賞した大江健三郎が、スウェーデンのストックホルムで『あいまいな日本の私』というスピーチ講演を行いましたが、この講演名は、川端康成を意識して付けられたものです。

村上春樹が、ノーベル文学賞の有力候補者と伝えられて久しいですが、仮に受賞することになったら、その講演名は何と付けられるのでしょうか。そのような文脈からも注目したい一冊です。

生涯にわたって師弟関係を築いた、川端・三島の往復書簡 『川端康成・三島由紀夫 往復書簡』

本書に収録されるのは、川端、三島のふたりが出会う以前の昭和20年3月から、三島が市ヶ谷駐屯地で割腹自殺を遂げる3カ月前、昭和45年7月までの往復書簡集となります。

書簡の内容は多岐にわたり、三島由紀夫の文学的野心や本の感想を交わす初期の書簡、贈り物のお礼や、外国を旅した感想、日々の愚痴など、ふたりの生活の様子が知れる中期、また三島が自衛隊基地に突入する頃の後期の書簡には、事前に死を予告する文面が見えるなど、時代によってふたりの関係が、ゆるやかに変化していることが読み取れるのではないでしょうか。

著者
["川端 康成", "三島 由紀夫"]
出版日
2000-10-30

この書簡集には、『千羽鶴』が各国で翻訳されることになったと記される文面があります。川端康成がノーベル文学賞を受賞したのは昭和43年ですが、それより以前に、ノーベル賞候補者としてリストに挙がっていることが明らかになりました。心理描写に優れた芸術性の高い作品と評価されたのが、この『千羽鶴』だったのです。

しかしながら川端康成の小説は、各国に翻訳された作品が少なかったために、結果的に候補者からはずされることになります。


『千羽鶴』は、かつての不倫相手の息子に惹かれる夫人の愛と死を軸に描く、官能と幻想の入り混じる作風が特徴です。この書簡集には、昭和36年(1961年度)のノーベル文学賞の推薦文を三島由紀夫へ依頼する手紙や、それに応えて執筆した三島の推薦文も収録されており、当時のふたりの貴重なやり取りを読むことができます。

そんな裏事情を頭に入れながら『千羽鶴』を読むと、当時の実情が浮かび上がって、面白く読めるように思います。

川端康成は受賞決定のインタビューで「三島由紀夫君が若すぎるということのおかげです」と答えたとされます。三島も後年ノーベル文学賞の候補にも名を連ねたことが明らかになりますが、文面に現れてこない当時のふたりの心うちを探ってみると、この書簡集がより味わい深く感じられるのではないでしょうか。


以上の5作品を紹介してきました。川端康成の小説世界にどうもピントが合わないと感じる方は、エッセイなどから入ってみてはいかかでしょう。川端自身の人となりが知れて、これまで以上に親近感が湧くかもしれませんよ。

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