お酒が好きです。と、よく言います。プロフィールや履歴書などの趣味の欄にも、「お酒を飲むこと」とよく書きます。
でも、最近よくわからなくなってきました。私は本当にお酒が好きなのか? いや、好きなんです、好きなんですけど、インフルエンザに罹った時ですらうんうん唸りながらビール舐めてたくらい好きなんですけど(猛烈に体調が悪化しますのでおススメしません)、でも、自分が「お酒」もしくは「お酒を飲むこと」が好きなのか、はたまた、「酔う」という行為が好きなのか、わからないんです、私。
もちろん、お酒の味そのものが好きです。料理との相性を考えるのも楽しいし、ワインや日本酒はものによってもう全然味が違うので、それだけでロマンを感じてわくわくします。でも、それを楽しめるのも最初の2時間。お酒が深くなって、「酔う」と、もう味なんてわかりゃしません。代わりに、凄まじい多幸感が襲ってきます。
「酔う」はすごいです。世界が五割り増しくらいで煌めいて見えるし、今なら大統領になれる!ってくらいの全能感に満ち溢れるし、他人の悪意を受け流せるし、痛覚は物理的にも精神的にも鈍くなるし、平気で愛を語れます。
でもそれ、本当に酔ってないと出来ないことなのでしょうか?
……いや出来るだろ! しらふで出来る人たくさんいるだろ! 大好きなお酒を「手段」にして、普段出来ないことを出来てる気になってふんぞり返ってる私って、なんて小物! 矮小!! 卑劣!!!
そのくせ、飲みすぎた翌日に目覚めると、昨日の自分に置いてけぼりにされたみたいな、もう一人の自分に思考を乗っ取られて好き勝手されたみたいな、妙に寂しい気持ちになるのです。どうしようもありませんね。
今月は、「お酒」と「酔う」ことにまつわる本をご紹介します。もれなくみんな酔っ払いです。お酒でも飲みながら読んでください。私も飲んでます(懲りてない)。
- 著者
- 倉橋 由美子
- 出版日
- 2012-05-08
主人公の慧君(祖父は元首相、仕事は――本人は否定しているが――宗教団体の教祖、という、すごいスペック)がバーテンダーの九鬼さんの不思議なカクテルによって『酔郷』に誘われ、その幻想的な世界で様々な女性と官能的な体験をしていく、という連作短編。
ギリシャ神話や能、絵画などをモチーフにした『酔郷』の世界の表現の美しさにうっとりするのですが、この慧君、とにかく女好き。生粋の女好き。ナチュラルボーン・レディキラー(実際に産みの母親とのそういうシーンもあります)。というか最早性別やジャンルを乗り越え、幽霊、人形、髑髏、果ては植物なんかと心ゆくまで「勧を尽く」します。
慧君が『酔郷』に入っていくときの様子を人に説明するときの描写がすごい。
(以下、引用)
「最初は恐ろしく解像度の高い広角レンズで世界を見るような具合で、何もかにもが細かくにぎやかに見える。口が滑らかに動き、一見才気煥発的になる。それからだんだんと望遠レンズの見え方になって来る。限られた部分だけが拡大されて見える。さらに酔いが進むと、焦点が合いにくくなって、像がぼけはじめる。もっと酩酊が深くなった時に、突然、視野の真ん中に穴が開く。それは桃源郷に通じる穴のようなものに当たる、そこから入っていくと酔郷がある」
この描写にとても共感して、初めて読んだとき思わず「わかる!」と声に出してしまいました。私も、気付いたらぐぐ、と狭くなった視界の中、ハイボールの浮いては消える泡をニヤニヤ笑いながら見つめるだけの数分間を何度も経験したことがあります。しかし、一度もその先の酔郷には行けたことありません。そんな状態の人間は大体、その後すぐテーブルに突っ伏して寝るか、吐くからです。そもそも酔郷には九鬼さんが作ったカクテルを飲まないと行けないのです。残念。何者なんだ九鬼さん。
- 著者
- 二ノ宮 知子
- 出版日
『のだめカンタービレ』でお馴染みの二ノ宮知子先生のコミックエッセイ。す、すごい酒豪っぷり……。描かれたのが90年代半ばなので、もちろん今より景気も良かったでしょうし、お酒を飲む人も今より圧倒的に多かったのだろうと想像はつくのですが、これは。
犯罪スレスレどころか完全にアウトな行為のオンパレード、人に迷惑かけまくり、血ゲロ血便血尿当たり前。ほんとに実話なの!?と疑いたくなるようなエピソードの数々です。二ノ宮さんは小学生の頃から近所のおじさんの晩酌に付き合って日本酒を5、6杯飲んでいたそうです。なんて恐ろしい小学生。
しかし、酒を飲んで大暴れしている二ノ宮さんとその仲間たちの、楽しそうなことよ。『のだめカンタービレ』なんてメじゃないテンションとキャラクターのイカれっぷりは他人事だと思って読めば痛快。しかしひとたび自分に置き換えて読むと、ここまでの振る舞いはしていないと思いつつ、地底に葬り去った忌まわしい過去の記憶が一つ、また一つ……。「あーやめてー!!」と誰にともなしに叫び出したい気持ちになります。
酔っ払い語録も多数飛び出します。
「ビールという名のウーロン茶」
「ドブ川でも笑顔で死ねればそれでいい」
「きのうのわたしはよっぱらいであってわたしじゃないのよ」
「酒はただわたしたちに『バカだった』という思い出を作ってくれただけだった」
アホすぎる、けど、ちょっとわかる。
お酒っていいなぁ、と、やっぱもう酒飲むのやめようかな……、が交互に胸を駆け巡るのでした。
- 著者
- 大道 珠貴
- 出版日
- 2006-09-21
大道珠貴さんって、クラスの中でも、少し気難しそうで、女子同士の馴れ合いには興味ないわって顔で教室の一番端の席で窓の外をつんと見つめてて、でも社交性がないわけじゃなくて、きちんと自分を持ってて、自分が作ったルールに従いながら生きてる、だもんだからどこかみんなから一目置かれてて、クラスの皆ちょっとずつ彼女に憧れてる(でもそれはぜったいに声高には言わない)、仲良くなりたいけど、きっとあたしなんかとは仲良くしてくれないだろうな、くだらないこと言って軽蔑されたくないな、って思ってるうちに、結局三年間まともに話せずに終わっちゃって、あーあ、って皆ちょっとずつ思ってる、そんなイメージの人。
タイトル通り、東京の居酒屋を巡るエッセイです。
導入の部分で書かれていることと、後半の実際に行った居酒屋の感想とが、繋がっているときもあれば、ぶつりと断絶されているときもある、かと思えば、よくよく考えたら繋がっている。
肝心の居酒屋も、店名を書いたり書かなかったり。店名を明かしているところだって別に手放しで褒めるわけじゃなくて、自分のセンサーに反応しなかった者にはきちんと否、と言いながら、飲んだお酒、食べたおつまみについて淡々と描写していく(食べてるときの擬音がまた良いのです)。ときどき、出てきたメニューからふわりと呼び起こされた過去のエピソードなどが綴られていて、ああ、酔っているときの思考ってこういうものだよなあ、と思わせるような文章がなんとも心地よく、また適度に毒も効いていて、「やっぱ珠貴姐さんカッコいいっす!!」と唸りたくなります。
大道さん本人による挿絵が、思いがけず可愛らしい。本文のクールさと、さくらももこ風の優しい線で描かれた料理たち(美味しそう、上手!)とのギャップが、クラスの憧れの女子の意外な一面を見つけたときのような気持ちになって、少し嬉しくなるのでした。