純文学の新人に与えられる芥川賞は、メディアでも大きく取り上げられます。今回は、2010年代に受賞した作品の中から、個性豊かな5つの作品をご紹介します。きっとお気に入りの作品が見つかるはずです。
メディアでも大きく取り上げられる芥川龍之介賞は、純文学の新人が書く短編・中編に与えられる、名誉ある賞です。芥川龍之介の死後、1935年に『文芸春秋』の菊池寛が創設しました。
以降現在まで続き、若手の登竜門として名高い芥川龍之介賞は、年に2回の授賞式の頃になると、出版業界をあげてのお祭りのような騒ぎとなり、審査会場となっている料亭の「新喜楽」には、たくさんのマスコミが駆けつけます。
受賞者には正賞として懐中時計、副賞として100万円が授与されますが、それ以上に、受賞者がそれ以降様々な文芸誌にコンスタントに作品発表の機会を得られるという点が、受賞者にとって一番大きな点ではないでしょうか。
また受賞した作品は売れ行きが大きく変わるので、各出版社は自社の文芸誌に掲載された作品から芥川賞を出そうと必死になっています。
余談になりますが、村上春樹が芥川賞を受賞していないということは皆さんご存知ですか?どうして日本を代表する作家である春樹が芥川賞を受賞していないのでしょうか。
初期の春樹作品(『風の歌を聴け』と『1973年のピンボール』)が芥川賞の候補にノミネートされることはありましたが、その時には受賞することが出来ませんでした。その後春樹は長編(『羊をめぐる冒険』など)を書きはじめ、作家として認められていきますが、残念ながら芥川賞は長編を対象にしていません。そうしているうちに春樹がもはや「新人」ではなくなってしまい、芥川賞を授与する機会を逸してしまったのです。
2017年現在、芥川賞選考委員をしている島田雅彦などと共に、芥川賞を与えられるべきなのに与えられなかった作家の代表として、春樹は挙げられています。ちなみに島田は当時の芥川賞へのあてつけから、『島田雅彦芥川賞落選作全集』なるものまで出しています。
さて、前置きが長くなりましたが、今回は2010年代に芥川賞を受賞した作品の中から、個性豊かな5作品を紹介します。
赤染晶子の『乙女の密告』は2010年度上半期の芥川賞を受賞しました。「乙女」と呼ばれる外国語大学の生徒たちが中心となる物語です。
スピーチコンテストに力を入れている「乙女」たち。主人公のみか子は、尊敬する先輩の「麗子様」とバッハマン教授との間にある「噂」の真相をたしかめようと、研究室に訪れますが、その姿を他の「乙女」にみられ、今度はみか子が疑いの目を向けられるようになり、「乙女」から疎外されていくこととなります……。
- 著者
- 赤染 晶子
- 出版日
- 2012-12-24
この物語の下地になっているのは「アンネの日記」です。アンネ・フランクの受けていた差別と、無実の罪により追い込まれるみか子の感じる疎外感が、うまくリンクしています。
また、スピーチの課題となっている「アンネの日記」の一節がどうしても覚えられないみか子の焦燥感は、こちらまで伝わってくるようです。この「アンネの日記」のフレーズ一つ一つは、小説内で大きな意味を持っているのですが、果たしてみか子が思い出せない言葉とは、いったいどのような言葉なのでしょうか。ぜひ読んで確かめてみてください。
登場人物も個性豊かで、特に、人形を常に持ち歩くバッハマン教授は特異ではありながらも、「アンネの日記」に対するバッハマンの熱い想いは、読者の身に染みて来ます。最初から最後まで一時も目が離せない作品です。
朝吹真理子の『きことわ』は2010年下半期の芥川賞を受賞しました。葉山の別荘で子供時代の一時期を過ごした貴子(きこ)と永遠子(とわこ)。その別荘の解体をきっかけに、貴子と永遠子は25年ぶりに再会します。久しぶりに出会った二人は、空白の時間を埋めるように語りあい、二人のまた新たな時間が始まります。
- 著者
- 朝吹 真理子
- 出版日
- 2013-07-27
『きことわ』は、何か大きな事件が起きるような話ではありません。日常や思い出が、上品で流麗な文体の中で語られていきます。語りは自在に視点を変え、貴子と永遠子の経験が入れ替わり、過去と未来を行き来し、夢と現実を往来します。
「雨が凍るのが雪なのではない。そうした雪のしくみを永遠子の説明で貴子は知っていた。寒い日に息が白くなるのはちいさなくもをつくっているのと同じであること、あたたかい吐息の水蒸気が瞬時に凝結するからだとも永遠子は言っていた。」(『きことわ』より引用)
永遠子と貴子の視点、氷と水蒸気、境があいまいなものとして提示されます。『きことわ』では、境目という境目が融解し、様々なものが混ざり合っていきます。「真実」がわかりにくいストーリーの中で、もはやそこでは「真実」というものは、意味をもたないのかもしれません。
読んでいる間、夢見心地にさせてくれる、不思議な作品です。
西村賢太の『苦役列車』は2010年下半期の芥川賞を受賞しました。2012年には山下敦弘監督、森山未來主演で映画化もされています。西村は、テレビで出てくるひょうきんなおじさんという印象があるかもしれませんが、実は自分の経験をもとにして書いた私小説の名手として有名なのです。
- 著者
- 西村 賢太
- 出版日
- 2012-04-19
『苦役列車』も、西村の実体験がもとになっているとされています。崩壊した家庭で育った北町貫太は、日雇労働をしてその場しのぎで生きていきます。しかも稼いだお金は酒と風俗に消えていくという、清々しいほどの「クズ」っぷり。そんな中で生まれた友情や恋心(というより下心)も、貫太の暴言などで瓦解していきます。そんな中、読書や小説の執筆に目覚める貫太。川端康成賞の受賞に期待を寄せますが、その夢もかないません。
最初は「貫太はクズだなぁ」と距離感を持って読んでいるのですが、いつの間にか貫太を笑える状況ではないことに気づかされます。ひょんなことから崩れ去る友情関係、一瞬で堕落する生活。いつ自分が貫太の立場になるか分からないと考えると、非常に緊迫感が身に迫ってきます。そうした中で、個人を「クズ」の世界へと貶める不条理なものとどう接していいのか、考えさせられる作品となっています。
森山未來が出演した作品を見たい方は、こちらの記事もおすすめです。
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円城塔さんの『道化師の蝶』は2011年下半期の芥川賞を受賞しました。東北大学理学部物理学科出身の円城の作品は、文系的なものと理系的なものが融合したものが多く、構造を読み解くのが一つの楽しみですが、『道化師の蝶』もそんな作品の一つと言えるでしょう。
- 著者
- 円城 塔
- 出版日
- 2015-01-15
芥川賞を受賞した作品の中で、こんなに筋を捉えにくい作品もなかなかないでしょう。許す限り飛行機に乗って「蝶」を集め続けるエイブラムスと謎の多い多言語作家・友幸友幸(誤植ではありません)が、奇妙に連関しながら話は進んでいきます。何が現実で何が虚構なのか、読めば読むほどに分からなくなっていきます。まるでクラインの壺やメビウスの輪を小説にしたかのような印象を受けるでしょう。
小説とは何か、という問いに、一石を投じているかのようでもあります。あなたなりの作品解釈を、味わいながらじっくり繰り返し読んでほしい作品です。
村田沙耶香の『コンビニ人間』は、2016年度上半期の芥川賞を受賞しました。18年間コンビニで働いている古倉は、子供のころからどこか世間の人々とはズレている女性。けれどもコンビニ店員として働いている時には、社会の正常な部品として自認して安らぎを得ています。そんななか、コンビニに一癖ある男・白羽が入店。まわりから結婚も就職もしていないことを不審に思われる古倉は、白羽と奇妙な共同生活を始めます。
- 著者
- 村田 沙耶香
- 出版日
- 2016-07-27
『コンビニ人間』に登場する、古倉や白羽は、周りにいたらおかしい人だ、と思ってしまう人物でしょう。古倉は社会の「異物」となりかねない自分を認識しています。しかし、古倉の持つ自己肯定感と合理的な理論は、どこか不思議な説得力を帯びます。一例を紹介しましょう。
古倉が幼稚園の頃、公園で小鳥が死んでいました。他の子供たちが子供を囲んで泣いている中、古倉は小鳥を手に乗せて母の元へ持って行き、こう言います。
「お父さん、焼き鳥好きだから、今日、これを焼いて食べよう」
他のお母さんたちと共に母は絶句してしまいます。
『コンビニ人間』でたびたび見受けられる独自に見える古倉の考えは、倫理性を欠いているように感じますが、その考えのどこがいけないのか、理論的に否定するのは非常に難しいものです。合理性のみを追及している現代社会に、警鐘を鳴らしているかのようにも感じられます。
こうした古倉の意識の流れや、御託を並べ続ける白羽の突き抜けた言動もあいまって、『コンビニ人間』を読み進めるに従い、自分の常識が崩れ去りかねない危うさを覚えます。「コンビニ」という一見正常に見える舞台から、逆に人間社会に潜む異常さを発見することが出来るでしょう。
さすが芥川賞受賞作ということもあって、どれも面白い本ばかりです。しかしその「面白さ」は各作品で全く違います。ぜひ実際に手にとって読んでみてください。