人が昨日と今日で違うように、人が作るものも成長する
一皿すべて食べ切れたのかは覚えていない。途中で音を上げたような気もする(満腹だという理由で)。鮮烈なカレーデビュー。直接の原因かは不明だが、実はその直後、唇の上に大きめの出来物もできた。もう外でカレーは食べるまい。そう誓ったのだったが、また同じ店に行く機会が訪れてしまった。二度目は違うメニューを注文した。そっちは随分辛さが控えめだった。
それからも数回、自分の意思に反して修行に出向くうちに、だんだんと味が分かるようになってきた。味が分かるというよりかは、辛さに慣れて香りやらカレーの中にある、ひとつひとつの素材を楽しめるようになってきた。そこには酸味があったり、甘さがあったり、様々な食感があった。そして、おなかいっぱいカレーを食べたというのに、店を出た後の、何とも清々しく健康になったような気持ちに気付くことのできた頃から、私は一人でもその店に通うようになる。
その店のカレーを食べた数時間後にはもう同じものが食べたいと思っているし、朝起きたとき、吹く風が気持ち良かったとき、そのカレーを欲するようになった。そして私のカレーの旅は始まった。世の中にはもっと美味しいカレーがあるのではないかと、あちこち探し回っているが、十数年経った今でもその店のカレーを越えるものには出会えていない。旅は続いている。
しかし大好きなカレー店はたくさんできた。大阪には4~5年くらい前からスパイスカレーブームというものが訪れていて、個性的なカレー店が次々に出来ている。もちろん、ずっと昔から続く名店もある。そしてブームには変化もあって、あいがけカレーが流行ったり、盛り付けの美しいものが出てきたり、スリランカスタイルのプレートが注目されたりしている。大阪以外にも広がっていて、関西のどこに行っても美味しいカレーに出会えるようになった。そもそも、スパイスカレーなんて言葉が生まれたのも革命的だった。カレーの旅を始めた頃、「カレーが好きです」と話すと、やはり「じゃがいも、たまねぎ、にーんじんっ」のカレーを連想され、自分が好きなカレーを説明するのに骨を折った(あのカレーも大好きだけど)。
カレーは文化だ。同じ「カレー」と呼ぶには勿体ないくらいに、いろんなカレーがある。一皿に作った人の人生が盛り付けられている。十人十色。十皿も十色。そして日々成長もしている。以前食べてあんまりだなと思った店のカレーでも、時を経て訪れると、とんでもなく美味しくなっていたりする(自分の味覚が変わっていくせいでもあるかもしれないが)。人が昨日と今日では少しずつ違っているように、人が作り出すものも成長していく。だからカレーはやめられない。「カレーを食べること」は、私にとってはただの食事ではなく、特別な時間になった。
……あ、うっかり本の話をするのを忘れていた。カレー店は行列ができていることも多い。そして手間暇かけて作っている店がほとんどなので回転はあまり早くない。そんなときに本は必需品だ。私は行列に並ぶときに本を読むことが多い。理由はスマホをいじっているより格好よく見えるから。空腹すぎて物語に集中できていないことも多いが、どこまでも格好をつけたがるアホなのだ。