『ラブ・ウィッチ』とトランプ時代の魔法熱

更新:2017.4.18 作成:2017.4.18

アナ・ビラー監督によるフェミニスト・ホラーの新作に、ラナ・デル・レイの謎めいたツイート――近頃、なぜか“魔女”ブームがきている?

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人々は魔女を取り巻く神秘性を求める

すべてを飲み込む深い闇に全米が覆われているかのようなこのご時世、突拍子もない反対勢力が出てきても不思議ではありません。先頃、害を振りまき続けるドナルド・トランプを呪いで縛り付けようと、呪術愛好集団が儀式を執り行なったというニュースが世界中を駆け巡りました。

この高波はメインストリーム・カルチャー界にも押し寄せました。きっかけはラナ・デル・レイによる謎のツイート。そこには儀式の具体的な実施日と、呪いに必要な小道具はネットで探せる旨が記されていました。

一方、アナ・ビラー監督の最新フェミニスト・ホラー映画『ラブ・ウィッチ』が現在、カルト映画界を席巻しています。現代の――ただし、美に関しては伝統的様式にこだわる――魔女エレーン(サマンサ・ロビンソン)は愛の魔法とその力に取り憑かれており、男たちを次々に惹きつけ、自分のものにしていく。けれど、彼女は男性優位社会における自らの限界を痛感してもいる。

たしかに、デル・レイも『ラブ・ウィッチ』も、ウィッカ信者やその他魔術信奉者の真摯な姿勢に比べれば、記号的な戯れのようにも見えます。ですが、両者には魔法に対する強い思いが、魔女にすがりたい気持ちが感じられます。トランプ政権が女性とその肉体に嬉々として敵意をむき出しにしているとしか思えない今、人々は魔女を、そして魔女を取り巻く神秘性を求めているのです。

古くから再生をくり返してきた魔女。その最新の姿は「Pussy Grabs Back[女の逆襲]」の心情に集約されていると言えます――報復のための自己強化行動です。映画でエレーンの魔女仲間が口にしているように、彼女たちは昔から強力な危険分子と見なされてきました。何世紀にもわたり、その力を恐れる男たちによって火あぶりの刑に処されたり、愛のない婚姻を強いられ、ただの「召使いや売春婦、おとぎ話の人形」にされてきました。

魔術はもちろん、アーサー・ミラーの『るつぼ』といった作品などを通じ、より広義の寓話的象徴として描かれていました。たとえば「魔女狩り」という言葉は現在、目に見えない脅威の排除を求める狂乱的衝動の総称として使われています。マッカーシー時代に吹き荒れた反共産主義運動「赤狩り」と同じです。ですから、トランプ大統領が自らの状況を表すのに「魔女狩り」と言った可能性もなきにしもあらずですが、「Drain the swamp[ヘドロをかき出せ]」や「bad hombres[メキシコの悪者ども]」を一掃しろといった、彼が執拗にくり返す空虚な号令にその真意がより明確に現れているのは間違いありません。

迫害の犠牲者が女性に限らないのはたしかです。たとえば、悪名高きセイラム魔女裁判では、絞首刑に処された20人のうち女性は14人でしたし、現在も世界各地で、高齢の女性と子どもたちが主ではありますが、あらゆるジェンダーの方が被害にあっています。ですがその一方で、魔術が反抗的な女性への処罰の歴史と分かちがたく結びついているのも事実であり、夫や父親に従わないというだけの理由でヒステリーと診断され、いわゆる精神病院に閉じ込められた女性も少なくありません。

ところが、20世紀前半以降、魔術の実践が徐々に一般にも浸透していくとともに、魔術をポジティブな文化的現象として捉える傾向が強まっています。『奥様は魔女』のサマンサや『サブリナ』、『ハリー・ポッター』のハーマイオニーといった創作/登場人物もこの流れを後押ししました。

それだけではありません。ウィッカ信奉者はフェミニスト運動との結びつきをますます強めていますし、60年代には、ローマ神話のダイアナからエジプト神話のイシスまで、さまざまな女神を崇拝するダイアニック・ウィッカも誕生しました。ウィッカの呪いには、レイプ犯を縛り付ける呪文に代表されるように、男性支配との直接的な戦いを目的とするものが多々あります。

女性らしさを描いた複雑な肖像

ただ、魔術がとりわけ魅力的なのは、女性の権利拡大を訴える他の運動とは異なり、複雑性を内存しているからでもあります。『ラブ・ウィッチ』は恐怖や罰、力といった魔術と不可分のイメージと格闘する映画でもあり、女性のセクシャリティを扱った場面については、とくにそう言えます。

ビラー監督は主役をありきたりなガール・パワー・アイコンとして描いてはいません。映画から伝わってくるのは、女性がセクシャリティを有するということは、必ずしも男性による典型的女性像ほど単純なものではない、という認識です。つい最近も、エマ・ワトソンがヴァニティ・フェア誌上で見せたいわゆる挑発的なポーズが議論を巻き起こしました。自らのセクシャリティに誇りを持つ女性としての尊厳ある行動なのか? それとも、あくまで男性の視線に晒されるだけの演技なのか?

「男にセックスを与えるのは、彼らの愛の潜在力を解き放つ方法(中略)男には夢を与えてやらないとだめ」といった発言をはじめ、『ラブ・ウィッチ』でエレーンが見せるセックス観は、あからさまに反フェミニスト的に映るかもしれません。ですがその一方で、自らをいわば真摯な女神と見なすエレーンの姿勢には、心を揺さぶられる強い何かがあります。自らのセクシャリティは男を支配する莫大な力をくれるけれど、同時にそれがひれ伏す男たちを溺愛するに値する大切な贈り物でもあることに、彼女は気づいています。

さらに複雑なことに、この贈り物が常に快く受け取ってもらえるわけではないことも、エレーンは知っています――現代の女神は崇められるのと同じくらい恐れられてもいると。彼女は女神である前に、男の手によって長きにわたり虐げられてきた、そしてこの先も虐げられる一人の女性です。それは彼女がどれだけ溺愛を試みようとも、逃れようのない現実です。そしてある意味、それこそが魔女の、つまり自らの力の大きさと限界を知る女性の核をなすアイデンティティなのです。

この自覚は有益です。共和党幹部が女性の肉体を支配しようとしている時代には打って付けと言ってもいいでしょう。魔術は古くから多産を願う儀式と深く結びついてきました。『ラブ・ウィッチ』でも、エレーンは自らの尿を入れた瓶と血に染まったタンポンを用いて自衛の魔術をかけます。エレーンがいみじくも語っているように、「ほとんどの男は使用済みのタンポンを見たことがない」。ですから、女性には非常になじみ深いものにこうした力を付与することは単純かつ効果的な抗議行動になりえます。実際、女性の肉体を法律で規制しようとする者たちは汚れたタンポンを、まるで神獣に接するかのように、恐怖と畏敬の入り交じった目で見ることでしょう。

魔術と文化との関わりは表層的でしかないという議論は避けられません。ですが、魔術に備わる美をごく一般的な形――たとえばエレーンの跳ね上げアイラインや、『アメリカン・ホラー・ストーリー:魔女団』の黒装束、『ザ・クラフト』の90年代ゴシックふうなど――の中へと浸透させることによって、その本質である女性らしさがコード化され、大義のために有用となることも考えられます。

私たち女性には形と中身を兼ね備えることができます。自らの内に秘めた力を認めると同時に、その力がいかにして組織的虐待の犠牲になってきたのかに目を向けることもできます。魔女は女性らしさが描かれた複雑な肖像、いえ、女性らしさとは内なる矛盾をすべて包含するものだと気づき、大いなる自由を感じられる存在の象徴です。そう、今はまさしく、魔女の季節なのです。

Photo:(C)WENN / Zeta Image
Text:(C)The Independent / Zeta Image
Translation:Takatsugu Arai

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