セピア色でもモノクロでもなく、不鮮明な記憶
幼少期の思い出はいつも色が薄い。セピア色でもモノクロでもなく、ブラウン管のテレビ画面のようにざらざらとしていて不鮮明だ。私の最も古い記憶を辿れば、昔住んでいた町の公園へとつながる。わりと大きな道路に面した公園で、道路沿いには広めの歩道もあった。その歩道に、おじいさんが倒れていたのだ。私は母に抱かれながら、そのおじいさんを見ようとしていた。しかし母は私にその光景を見せまいと、私の顔がおじいさんと逆方向に向くように抱き「見たらあかんよ」と声をかけた。そこへ救急車が近づいてきて、母がここですよ、と合図をするように手を振った瞬間、おじいさんの顔が見えた。たぶんケガをしていたのだと思う。何だかとても怖かった……記憶はここまで。
今母親に聞けば、これは私が2歳になるかならないかぐらいの出来事で、母にとっても初めて救急車を呼んだ経験なのではっきりと覚えているそうだ。おじいさんは酔っぱらって倒れてケガをしていたそうで、顔に「いろんなことが起きていた」のだという。31歳の私にも、恐らくグロテスクだったであろう当時の痛々しさをオブラートに包みながら語る母はさすがだ。
そんな母に連れられて、私はよく祖母の家に遊びに行った。祖母と祖父、そして叔父が暮らす家。私は従妹たちとは年が離れていて、しかも一人っ子だったのでみんなに随分かわいがってもらった。祖母の家では、主に叔父に遊んでもらっていた。何とかごっこをしたり、「保存料は入れてないけど日持ちするように」と砂糖が大量に入った、やたらと固くて甘いクッキーを一緒に作ったり。
2年前に亡くなった祖母はお年寄りには珍しいタイプで、夜遅くまでテレビを見ていて、朝はゆっくりと起きてくる人だった。芸能人やちょっとした流行なんかにも詳しくて(私よりよほど敏感だった)、朗らかによく話し、コロコロと楽しそうに笑い、とても丁寧で美しい字を書き、天ぷらをカラッと揚げるのが上手かった。
中学生のときに亡くなってしまった祖父との思い出はそれほど多くない。思い出すことといえば、ダイニングのお誕生日席に座り、祖母の作った料理を黙々と食べて「美味しかったわぁ。ごちそうさん」と何度も何度も祖母に伝える微笑ましすぎる儀式くらいだった。
しかし、このコラムを書いてみませんかというお話を頂いたとき、真っ先に思い浮かんだのは祖父だ。それこそ色彩がほとんどないくらいの記憶で、果たして自分のそれが正しいものなのかも怪しいくらいだが、何かを思い出すきっかけなんて日々の生活の中にそれほど多く転がっているものでもないので、細くて切れそうな記憶の糸を辿ってみた。
祖父は本を愛する人だった。例のお誕生日席に座り、老眼鏡の奥の目をまんまるにしながら、静かにいつも本を読んでいた。歴史小説を好んで読んでいたそうだが、記憶の中の祖父は辞書とか時刻表みたいな、とにかく分厚くて紙が薄い本のページを折るようにめくっている。子供心に一体何を読んでいるのかいつも不思議だった。