各回ごとにテーマを設け、「デザイン」という視点で紹介していきます。今回はデザインはもちろん、本を形成する上で欠かせない“文字の文化”について、様々な側面から眺めてみたいと思います。 作家が書き綴るドラマや研究者が残したノンフィクション、もしくは実践的な技術の記述など。それらは全て「文字の文化」の中から生まれたものです。今回は意外と知られていない、文字という発明と世界の変容をおさめたユニークな5冊を紹介します。
本に書かれた文字は元々ことばであり、ことばを扱う文化はもともと声が中心となっていました。音声によって組み立てられていた思考はやがて文字を通したコミュニケーションに移り変わっていきます。本著『声の文化と文字の文化』の主題はそのオラリティー〔ことばの声としての性格、およびそれを中心として形成された文化〕とリテラシー〔文字をつかう能力、およびそれを中心として形成された文化〕の根源的な差異の探求にあります。
声の文化が持っていた性格や、それに伴う生活様式や社会などはとかく限定的なものでした。人々は限られた集団の中でコミュニケーションし、社会は特定の部族間の規模で形成されていました。書くことをまったく知らない人々の声の文化が、どのような思考や表現様式をもっているか、またそれらは書くことに慣れた私たちの文化とどのような違いをもっているか。
当たり前のように文字を読んでいる私たちの思考パターンが、書くという行為によってどのように変質していったかを知る上で、声の文化の理解はとても興味深いものに感じると思います。とりわけ認識についての引用としているA・R・ルリア氏の研究は面白く、書くという文化が、論理的な思考をどのように声の文化と隔てているのか、的確な成果として分かりやすく示しています(この辺りはジェイムズ・グリック著『インフォメーション―情報技術の人類史』でも引用されていますので、興味がある方は是非そちらもどうぞ)。
声の文化が生み出したことばという概念は、書くという技術で「文字」という概念に変えられたのち、一つの碑文が誕生します。今から2000年ほど前に生まれたその碑文から現代まで繋がる物語が生まれますが、それは次の本で見てみることにしましょう。
- 著者
- ウォルター・J. オング
- 出版日
- 1991-10-31
ローマ帝国が最も繁栄していた時代に、ある碑文が作られました。その碑文は、ローマの五賢帝のひとりと言われるトラヤヌス帝の戦勝記念碑として建設された、高さ30メートルほどの記念柱の基壇部分に、現在も、帝を讃える言葉として残されています。
のちにギリシャ語とラテン語をもとに発展していくローマン・アルファベット(ローマの碑文を発祥にもつ文字書体)の礎となる碑文ですが、当時存在しているアルファベットが多数使われていること、さらに世界中の書体デザイナーが感嘆の声をあげる完成度をもってして、「全てのローマン・アルファベットの永遠の源」と呼ばれています。
『欧文書体百花事典』では、書体の歴史をこの碑文から初め、ドイツでグーテンベルクが活版印刷術を発明してから、カルフォルニアで産声をあげた電子活字に至るまで、ラテン・アルファベット(一般的なアルファベットの字体)を中心とした活字書体の撩乱を紡いでいます。
神学や人文学を支え、貿易によって様々な意匠を施された活字書体は、国や文明の隆盛や衰退にどのように関わってきたのか。歴史のメインストリームの影でささやかにその変化を刻んで来た書体の歴史を知ることは、デザイナーのみならず、活字を読む全ての人達の素養とされてもよいのではないでしょうか。
とはいえ、世界を巡る活字の旅を文章中心に伝えていくのも不十分です。実際的に世界を旅して来た「活字」というものはどんなものなのか。次の本では活字とそれが扱われた場所についてご紹介出来ればと思います。
- 著者
- 出版日
本を読む人にとって、書物というフォーマットは建築のようなもので、扉を開いて本の世界に入ってゆき、柱のように並ぶページをめくりながら、余白の間取りや表紙の外装なども楽しみます。ですが、建物自体や内装に目を向ける人は意外と、その建物の基となっている所までは気にしていないもの。著者もそのひとりで、とあるきっかけで本書を手掛けることになったそうです。
『文字の母たち Le Voyage Typographique』は、世界でもっとも古い印刷所のひとつ、パリのフランス国立印刷所の最後の姿から始まり、日本の大日本印刷にある秀英体活字(大日本印刷の前身・秀英舎時代に開発された活字書体)を区切りとし、印刷所の活版印刷に焦点をあてた写真集です。前に紹介した『欧文書体百花事典』は史料としての写真は数あれど、活字の彫刻や組版などの現在を捉えた様子が生き生きと写し出されているという点で、本書は、文字の世界に少し違った視点を加えています。
活版印刷というテクノロジーが絶えようとする姿を真摯に写している本書ですが、そこには憂いも悲しみもなく、ただ過去そうであった様子と、これまでもそうあろうとする姿が、美しく併存しているという、活字書体を扱った書籍の中でも異彩を放つ一冊です。金属を溶かし、型を作り、仕分けた活字から文章を組んで印刷する。その中で生きる人達や、悠久の時間を思わせる印刷所の空間など、文章だけでは分からない活字の温もりが存分に溢れています。
活版印刷によって多くの人が本に触れることになりましたが、それは海を渡り、形を変え、アルファベットから漢字まで変容を遂げます。そこでは何が起こっていたのか。次は、日本に活字が伝わったとき、重要な役割を担った人達のことを紹介しなくてはなりません。
- 著者
- 港 千尋
- 出版日
- 2007-03-23
少しだけ内容と逸れるかもしれませんが、クリエイティブディレクターとアートディレクターと呼ばれている職業(?)があります。おおむねデザイン関係の業界で使われる職層です。前者は主にソリューションの提示、後者はそれを実現するための監督役というイメージでしょうか。映画で言う製作総指揮と監督あたりの位置付けでもよいかもしれません(間違ってたらごめんなさい)。
日本の近代活字印刷の祖と言えば、本著のタイトル通り本木昌造その人です。おそらくどの印刷文化誌にもこのように紹介されているかと思いますが、本書はそんな本木昌造の人物史はもちろん、時代背景を含めた評伝となっております。前述でいうクリエイティブディレクターの役割を担った人ですね。
本木昌造を中心とした日本の印刷文化は中々にドラマティックですが、同時に多難を被った本木昌造の半生も中々に過酷だったようです。オランダ通詞の職を努めながら、時には牢獄に入れられ、時には海を漂流し、生死の狭間で揺り動くような経験をしながらも、鎖国から開国へと移り変わる中、活版印刷との縁を深めていくことになります。
またここにはもうひとり、非常に重要な役割を担うことになる平野富二という人物が出てきますが、冒頭のくだりでいうアートディレクターとしての働きをすることになる人物。つまり製作総指揮を努めたのが本木昌造で、監督が平野富二という流れですが、この辺りも静かながらドラスティックな展開があり、教科書的な歴史にはない読み応えがあります。
日本の和文がどのように成長していったのか、またその後の発展や、現在にいたる印刷文化の流れをつかむ一冊として必見です。
- 著者
- 島屋 政一
- 出版日
- 2001-08-20
『真性活字中毒者読本―版面考証/活字書体史遊覧』はタイトルからしてかなりアウトサイダーな一冊なのですが、それ以上に内容の濃い本で、まさに「真性」の活字中毒者がどのようなものか、読みながらも目眩を覚える思いです。
著者の府川充男氏は印刷史や書体史の著作や論稿を数多く手掛けており、資料の構成から研究など、本書で展開されている書体論は和文印刷文化を理解する上で十分過ぎる内容となっております。
にも関わらず、本書の構成はリラックスした講演や対談、肩の力を抜いた小論文などの選録だというので驚きです。まだまだ「仮性」の領域にしかいない小僧であるのだと思い知らされますが、どちらかといえば「仮性」がほぼ全ての社会なので、「真性」の人達が和文印刷史をどのように牽引してきたのかを覗くいいきっかけとなるのではないでしょうか。
- 著者
- ["小宮山 博史", "小池 和夫", "府川 充男"]
- 出版日
西洋から東洋にいたる世界の文字文化に触れることで、次に読む一冊の印象が少しでも変わっていたら幸いです。