『ONE PIECE』『パイレーツ・オブ・カリビアン』など、海賊は人気ある題材の1つです。一方、不法者集団であることや残酷なイメージからか、オモテの世界史ではほとんど登場しません。ところが、海賊には教科書には載らない真実が多くあるのです。
もともとアメリカ大陸には先住民が住んでおり、「発見」という言葉はヨーロッパからの視点でしかありません。その先住民は、コロンブスがその大陸をインドと勘違いしたことから「インディアン」と呼ばれることになりました。
しかしそれを差し置いても、実はヨーロッパではコロンブスが到達する数百年以上前から、アメリカ大陸の存在はある集団に知られていたという説があります。それを知っていたとされるのが北欧の海賊ヴァイキングです(一般的な海賊は「パイレーツ」と呼ばれ、ヴァイキングとは区別されます)。
幸村誠によるヴァイキングを描いたマンガ作品『ヴィンランド・サガ』は西暦1000年頃を舞台にした作品です。タイトルにある「ヴィンランド」とは、当時ヴァイキングに知られていたという北アメリカ大陸の地域のことです。主人公トルフィンは、ある理由からヴィンランドを目指すことになります。
また主要登場人物の1人であるデンマークの王クヌートは、ヴァイキングでありながらイングランドを制圧してデーン朝を興し、さらにノルウェーまでをも支配下に置いた歴史上の実在の人物です。本作は他にも当時の歴史や文化について細かく調べた上で描かれていると思われる部分が多くあり、2009年に文化庁メディア芸術祭マンガ部門大賞を受賞しています。
- 著者
- 幸村 誠
- 出版日
- 2016-01-22
フィンランドやスウェーデンなどの北欧国家というと福祉が充実した平等な国々というイメージがありますが、これはヴァイキングの海賊文化とは無関係ではないようです。海賊というと、無法者の集まりというイメージがあり、それは間違いではありません。一方で、一度船に乗って洋上に出れば、そこでは秩序なくして安全な航海は不可能であり、航海の目的を達成することもできません。
実は、海賊船にはそれぞれ「海賊憲法」ともいうべき「掟」があり、その決議方法としては現在の意思決定として多く行われている「多数決」よりも厳しい「全員一致」により決定されたといいます。つまり船員全員が1票を持つ非常に民主的な集団でもあったのです。ゆえにその掟は厳密に守られ、裁判官にあたる役割も存在していました。また船上での揉め事や闘いは、船を傷つけるなどの可能性があるため厳しく禁じられ、やむをえず決闘となった場合はあえて陸上で行われました。海賊行為における戦闘で手足を失ったメンバーにも、可能な範囲で船上の仕事が与えられ、船団共有の基金から保険金にあたるものを得ることができたといいます。
航海で得られた財産の分け前は、一般船員と船長との差は約2倍程度とされています。現代の企業で社長と平社員の給与差が2倍しかないということは、あまりないでしょう。もし、このような海賊文化が現代の北欧の高福祉、平等主義につながっているとすると、大変に興味深く思えます。
- 著者
- ピーター・T・リーソン
- 出版日
- 2011-03-22
ところで、人気海賊マンガ『ONE PIECE』に登場するキャラクター名は、実在の海賊から用いられたと思われるものも多くあります。
●ロロノア・ゾロ
フランス海賊 フランソワ・ロロノア(1600頃~1667)。
●モーガン大佐
イギリス海賊 ヘンリー・モーガン(1635~1688)
●バーソロミュー・くま
イギリス海賊 バーソロミュー・ロバーツ(1682~1722)
●黒ひげ(マーシャル・D・ティーチ)
●白ひげ(エドワード・ニューゲート)
イギリス海賊 エドワード・ティーチ、通称黒ひげ(1680~1718)
●トラファルガー・ロー
イギリス海賊 エドワード・ロー(1690頃~1724頃)
●ディエス・ドレーク
イギリス海賊 フランシス・ドレイク(1540~1596)
●ジュエリー・ボニー
イギリス海賊 アン・ボニー(不詳)
上記で紹介した実在の海賊の活動内容の他、古代フェニキア人から日本の村上水軍などを含めて海賊について幅広く解説しているのが『世界の海賊大事典』です。
- 著者
- 尾田 栄一郎
- 出版日
- 2016-07-04
- 著者
- クリエイティブ・スイート
- 出版日
- 2015-02-25
世代により異なるかもしれませんが、筆者が世界史で初めて世界一周の航海をした人物として教えられたのはマゼランでした。しかし実はマゼランは航海途中に死亡しています。ポルトガルから出航して大西洋を渡り、アメリカ大陸を南下して南端の海峡(マゼラン海峡)を通過しましたが、太平洋上で死亡しました。ポルトガルを出港したのは280人、ポルトガルまで戻ることができた船員は18人とされています。
では、指揮官として初めて生還した船乗りは誰かというと、先ほどの項に登場したイギリス海賊のフランシス・ドレイクです。もっとも、最初から世界一周を計画していたわけではなく、結果的に一周してしまったといったほうが正しいようです。
当時のイギリス(イングランド王国)はエリザベス女王の統治下において、その略奪した財産の一部をイギリスに献上することで、特に敵対していたカトリック国であるスペイン、ポルトガルの商船を襲撃することを認めていました。これを「私掠船」といいますが、実際には海賊そのものです。先ほど紹介した『ONE PIECE』のキャラクター名の由来となったと思われる海賊も、多くはイギリス海賊だったことに気付かれたでしょうか。
その中でもドレイクは戦利品として国家予算の3倍の財産を持ち帰り、エリザベス女王からナイトの称号を得ます。その後も実質的にイギリス海軍を指揮しスペインの無敵艦隊(アルマダ)を破りました。ドレイクが世界一周を成し遂げたゴールデン・ハインド号は現在もロンドンのテムズ川に展示されています。
- 著者
- 杉浦 昭典
- 出版日
- 2010-04-12
ところで、ドレイクの世界一周には面白いエピソードがあります。ドレイク船団にはマレー人の奴隷エンリケがいました。ドレイクはマゼランと同じく、大西洋を横断し、南アメリカ大陸南端のマゼラン海峡から太平洋に出ました。その後、数週間の航海の末に辿り着いた島の住民と、奴隷エンリケの言葉が通じたというのです。これによりドレイクは自分たちがマレー諸島に辿り着いたことを知ったといいます。
ここで勘の良い方は気づいたかもしれませんが、エンリケは何らかの経緯でマレー諸島からイギリスに奴隷としてやってきていたことになります。そこからドレイク船団に参加し、出身地のマレー諸島に到達しています。つまりエンリケはドレイクよりも地球半周分ほど先に、世界一周をしたことになるのです。ちなみにエンリケは、マレー諸島に到着するとドレイク船団を抜けたとされておりイギリスには戻っていません。
さらに海賊は世界史上で重要な役割を多く果たしています。ドレイクをはじめとする海賊がイギリスにもたらした利益は膨大で、これが東インド会社の金銭的な原資となります。この東インド会社の当初の執行役員は全員が海賊です。
竹田いさみ『世界史をつくった海賊』(ちくま新書)は、ドレイクの活躍に始まり、海賊による経済活動の他、奴隷貿易や、スパイス、砂糖、コーヒー、紅茶といった貿易で国力をつけていくイギリスの歴史を主に紹介しています。こういった活動がイギリスの国力を増強し、その後の産業革命を生み出しました。一方、上記のような商品の輸入による中国との貿易赤字を埋めるために輸出されたのがアヘンです。これは後にイギリスと中国のアヘン戦争へと繋がります。このように海賊は世界史とは切っても切れない関係にあります。
- 著者
- 竹田 いさみ
- 出版日
- 2011-02-09
ちなみに本書でも紹介されていますが、スペイン無敵艦隊がドレイク率いるイギリス軍に敗れるアルマダの海戦(1588年)までは、海洋権はカトリック国であるスペインとポルトガルによって握られていました。この2つの国による支配地域はローマ教皇により二分され、大西洋を境界として、それより西(アメリカ大陸)はスペインに、東(アフリカ・アジア)はポルトガルに与えられていました(トルデシリャス条約、1494年)。南米の国々がスペイン語を公用語としているのはそのためです。ただしブラジルはポルトガルが占領した(1500年)という経緯がありポルトガルに支配権が認められ、ブラジルの公用語はポルトガル語となっています。
一方、ポルトガル人のヴァスコ・ダ・ガマが東周り航路で1469年にインドへ到達し、日本への鉄砲伝来(1540~1545年頃)もポルトガル人によるとされています。またキリスト教カトリックの宣教師フランシスコ・ザビエル(1549年日本へ渡来)もポルトガル王から派遣されています。これらも大西洋より東の権利がポルトガルに認められたことを考えれば偶然ではなく、むしろ自然な成り行きと言えるでしょう。
ところで海賊は、どのようにして死ぬことが多かったのでしょうか? 嵐や荒波? 軍船や他の海賊との戦闘? 答えは「病気」です。とりわけ「壊血病(かいけつびょう)」と呼ばれる病気が海賊を苦しめました。壊血病になると、患者は疲労感に悩まされ、肌を押すとへこんだまま戻らず、鼻や口から出血し、歯が抜け、衰弱しながら死に至ります。
既に紹介したヴァスコ・ダ・ガマの場合も、ポルトガルを出港して南下しアフリカの南端にある希望峰を回った時点で、160人の船員のうち100人以上が壊血病で死亡していたとされています。また、18世紀のイギリス海軍のうち、4年間で壊血病で死亡したのは1000人以上、一方で戦死者はたったの4名という記録があるそうです。
壊血病の原因は何かというと「ビタミンCの不足」です。陸を離れた海賊の、湿気の多い船上での食事は、固いパンや塩漬け肉などに限られており、野菜などが圧倒的に不足していました。ビタミンCは、プロリンというアミノ酸に酸素を結合させる働きをします。この酸素が結合したプロリン(ヒドロキシプロリン)が、3本のペプチド鎖を螺旋状に絡ませ、タンパク質の一種であるコラーゲンを形づくります。私たちの体の3分の1はコラーゲンでできており、細胞と細胞を貼り合わせたり、骨や腱の主要成分となっています。よってビタミンCがが欠乏した結果、上記のような症状が発生するそうです。
もちろん当時はそのような化学知識は誰にもありませんでしたが、1601年のイギリス艦隊に、壊血病患者にはレモン果汁を補給させるよう指示されていたことなどの痕跡はあるようです。しかし、当時はそれが壊血病の根本的な解決策になるとは考えられていませんでした。そのような中で壊血病を克服したのがジェームズ・クック船長(1728~1779)です。彼はキャベツ等の漬物である「ザワークラウト」を船上でのビタミンC補給のための食糧とし、人類で初めて1人の壊血病患者も出さずに世界一周就航を成し遂げました。そしてハワイ諸島の発見や、ヨーロッパ人発の南極大陸圏到達を果たします。
今回はビタミンCに限って紹介しましたが、佐藤健太郎『世界史を変えた薬』では、アヘンやモルヒネ、ペニシリン、アスピリンといった薬を、世界史と共に紹介しています。
- 著者
- 佐藤 健太郎
- 出版日
- 2015-10-16
そして海賊の物語は、昔話やファンタジーの中だけに存在するのではありません。
既に紹介した『世界史を作った海賊』の著者でもある竹田いさみ氏の『世界を動かす海賊』(ちくま新書)は、著者本来の専門分野である国際政治学の視点から、海洋安全保障上の問題として、現代の海賊を解説した本です。
日本は食料や資源の多くを輸入に頼っており、航海の安全は重要な問題です。しかし本書によると、世界での海賊事件は1996年から2012年まで一貫して年間200件を上回っており、特に2000年から2011年の間に年間400件を超えた年が4度ありました。当然、日本の船も海賊による被害に遭っており、大型原油タンカーの身代金は10億円を超えるといいます。
私たちの何気ない生活は、そういった危険を乗り越えてたどり着いた物資と、それを運ぶ船舶や船員によって成り立っているのです。
- 著者
- 竹田 いさみ
- 出版日
- 2013-05-07
いかがでしたか。どれも『ONE PIECE』や『パイレーツ・オブ・カリビアン』のような「ロマン溢れる海賊」とは違った側面を覗き見ることができる本ばかりですので、ぜひ手にとってみてください。