男は夢を語って現実に挑み、現実を無視して現実に敗れ去る。 女は夢を語らず現実に逆らわず、世界を見つめたまま決断し行動する。 凛として、そしてしなやかに。 おそらく、その表情は眉尻がキリリと上がり、口元には少しぎこちない微笑がある。先日、トークイベントで見た凛とした宇田智子さんの姿から、女性たちの「決心」を描いた何冊かの本を思い出した。
宇田智子はジュンク堂池袋店で人文書を担当していた。那覇店の新設を聞いて(なんとなく?)異動を希望。二年後に市内の市場に1.5坪の日本一狭い「市場の古本屋ウララ」を開店を決心する。
知り合いの夫婦の古本屋が閉店するとの情報を得た彼女はメールを打とうとするのを止めて直接電話をする。自分がその本屋を引き継ぐために。
- 著者
- 宇田 智子
- 出版日
- 2015-06-08
「おばあ」になるまで続けるかどうか分からない。
屋号であるウララの由来は山本リンダのヒット曲だが、彼女に「狙い撃ち」の標的はありそうにない。夢から逆算した行動でもなく、使命感も感じられない。
しかし、イベントで見た姿は凛として背筋を伸ばし迷いは感じられない。
我々には見えない何かをしっかりと捕まえている。
誰よりも本を読み、誰よりも本を愛しているなんて言わない。なんという自然体!
そして、この人が実在することの不思議!
「わたし仲平さんはえらい方だと思っていますが、ご亭主にするのは厭でございます」
使者の役目を引き受けた仲平の姉は嫁候補の豊(とよ)に冷たく断られる。30歳になる仲平、後の大儒学者・安井息軒は故郷の宮崎では学問と並んで容姿の醜さが評判だった。
ところが豊の妹・佐代が突然「安井さんへわたくしが参ることは出来ますまいか」と割って入る。16歳の佐代は「岡の小町」と呼ばれた器量好(よ)しで、皆はたいそう驚いた。
- 著者
- 森 鴎外
- 出版日
- 2008-06-10
不思議な小説で、後は歴史的事実が時系列に淡々と記される。もちろん、上記のエピソードも記録に基づく(おそらく)事実である。安井息軒は幕末動乱期の儒学界で頭角を現すが経済的に恵まれたとは言い難い。お佐代さんは懸命に働き続けて一生を終る。
事実のみを語る作者が最後の最後に自分のルールを破って思いを語る。
鴎外のロマンティシズム!
発言する人は現場にいなければならない。安全なる場所から勝手なことを言ってはいけない。
ボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボは多様な宗教と人種を受け入れる華やかな国際都市だった。街を包囲するセルビア軍狙撃兵が無差別に人々を殺し始めるまでは。
著名な評論家であり、作家であり、演出家であるソンタグはそこで不条理劇「ゴドーを待ちながら」を演出することを決心する。
- 著者
- スーザン・ソンタグ
- 出版日
- 2012-08-24
誇り高き住民たちは外出することが死の危険を意味し、水も食物も不足する街で演劇を欲した。俳優たちは飢え、生活に疲労困憊し、それでも演技することを欲した。アメリカはなぜ介入しないのか?国連はなぜ空輸以上の行動に踏み込まないのか?
ソンタグの意見はニューヨークではなく、サラエボから叫ぶことで重さと力を手にした。
アーシュラ・K・グイン『ゲド戦記」。5巻のうち3巻は「腕環のテナー」の物語である。「こわれた腕環」(第2巻)で、世界の命運を担う「腕環」の守護者として若きゲドを翻弄する冷酷怜悧な美少女は、壮絶な逃避行の末に結局は平凡な農夫と結婚する。
「帰還」(第4巻)では未亡人となった彼女が力を失った大魔法使いゲドと再会するが、虐待を受けた少女を救う事件以外は、ヤギを飼い、その毛を紡ぎ、毎日の食事を準備する生活目線から物語は離陸することがない。
- 著者
- アーシュラ・K. ル=グウィン
- 出版日
- 2009-02-17
英雄と美女の恋は成就するのだが、それは質素で無力、不安な田舎暮らしの中でなのだ。
「ゲド戦記」は約20年間、3巻完結と思われていた。その通り、「帰還」はファンタジーではなく日常の物語だ。終わらない日常の中でテナーは長い長い時間をかけて決心をする。
そして、物語の終わりに彼女は再び崩壊の危機にある「世界」と対峙することになる。
本と音楽
バンドマンやソロ・アーティスト、民族楽器奏者や音楽雑誌編集者など音楽に関連するひとびとが、本好きのコンシェルジュとして、おすすめの本を紹介します。小説に漫画、写真集にビジネス書、自然科学書やスピリチュアル本も。幅広い本と出会えます。インタビューも。