5分でわかる芥川龍之介「南京の基督」ネタバレあらすじレビュー 少女娼婦が出会った基督の正体は?

更新:2023.10.15

短編の名手芥川龍之介の著作の中で、一際純粋な祈りの形を描いた「南京の基督」。梅毒を患った15歳の少女娼婦と、基督に面影を寄せた外国人の一夜の逢瀬は、どんな結末を迎えるのでしょうか。 今回は「南京の基督」のあらすじや魅力をネタバレありで紹介していきます。

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「南京の基督」の簡単なあらすじと登場人物紹介(ネタバレあり)

南京某所の粗末な部屋。そこでは15歳の心優しい娼婦・宋金花が、壁に掛けたみすぼらしいキリスト像を飽かず眺めています。

容貌こそ十人並みなものの、心根の優しさと清らかさで他の追随を許さぬ金花。それは幼い頃に死んだ母が信仰していたキリスト教の影響であり、彼女自身も祈りを欠かしません。

「キリスト教徒のくせに何故こんな商売をしてるんだ」上海見物の帰りに寄った日本人客に問われれば、「老いて働けない父を養うためです」と答えます。

「こんなことをしてたら天国に行けないと思わないか」と聞かれれば、「天国の基督様は、私の心もちを汲み取ってくださると思いますから。そうでなければ警察署のお役人と同じです」と微笑みました。

立派な心がけに感心した日本人客は、土産物の翡翠の耳飾りを譲ります。

後日金花が梅毒に侵されている事実が発覚。友人の娼婦・毛迎春が余った汞藍丸や迦路米を差し入れ、これまた同僚の陳山茶も痛み止めの阿片を分けてくれるものの、日に日に体調が悪化して引きこもりがちに

ある時見舞いに訪れた山茶は、「客に伝染せばあっというまに治っちまうよ、私の姉さんもそうだった」とアドバイスしました。その後金花は壁に掛けたキリストの足元に跪き、「誘惑から守ってください」と一心に祈ります。

貧しい家計を支えるため仕方なく売春しているものの、自分の体が汚れることにさえ目を瞑れば、周囲に迷惑をかけず生きてきたのが彼女の誇りでした。しかし山茶の話を聞き、助かる手立てがそれしかないならと苦悩します。自分が死ねば父が路頭に迷うのです。

執拗に日参する常連を追い立て、それでもなお食い下がる客には病み窶れた体を晒し、毅然たる態度で性交渉を固辞する金花のもとに、ある晩鳥打帽を被った怪しい男が現れました。

ランプの灯に浮かび上がる風貌は西洋人とも東洋人とも判じ難く、神秘的な陰翳に沈んでいます。

初対面にも関わらず、目の前の異邦人に奇妙な懐かしさを覚える金花。ハッとしました。キリストに似ているのです。毎日見慣れた主の顔を忘れるわけがありません。

彼こそキリストの再来だと予感した金花は、男と接吻を交わし、法悦の一夜を共にします。

数時間後……男と添い寝していた金花は、美しい天国の情景を夢に見ます。天国の池の畔にたたずむ、基督の家に招かれていたのです。

広い食卓には燕の巣・鰭・蒸した卵・した鯉・豚の丸煮・海参羹などの豪華料理が並び、食べても食べても尽きません。

次々振る舞われるごちそうに恐縮した金花は、「あなたも此処へいらっしゃいませんか」と基督を誘うも、彼は椅子に掛けたまま首を振り、「お前だけお食べ。それを食べるとお前の病気が、今夜の内によくなるから。」と勧めるのでした。

その頭上には聖なる光輪が輝いていました。

朝起きると男はおらず、金花は「夢だったのかしら」と放心します。その夜を境に病気は快方に向かい、「あれは基督様だったんだわ」と確信するように。

一年後……金花と再会した日本人客は、彼女の身に起きた奇跡を聞かされ、ある知人の顔を思い浮かべます。それは日米混血児のGeorge Murryといい、キリストかぶれの小娘をだまして抱いて逃げてきたと得意がる、鼻持ちならない男でした。

George Murryが発狂するきっかけとなった梅毒は、ことによるとこの娘に伝染されたのかもしれない……。

日本人客は真実を告げるべきか伏せておくべきか迷い、「その後障りはないかい」と聞きます。金花はにっこり笑い、「ええ、一度も」と断言しました。

著者
芥川 龍之介
出版日

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「南京の基督」は1920年に発表された芥川龍之介の短編で、当時の中華民国首都・南京を舞台にしています。日本人には歴史的事件、南京大虐殺で馴染み深い地名でしょうね。

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主人公は薄幸の娼婦・宋金花。敬虔なクリスチャンとして育ち、梅毒を伝染すのを拒んで客を遠ざける、気高く心優しい娘として描かれています。

本作を語る上で思い出してほしいのが「地獄変」の姫君。「地獄変」も「南京の基督」も、娘が父の犠牲になる構図は同じ。良秀が傲慢・強欲・虚栄の罪を背負っているなら、金花の父は娘を食い物にする怠惰を詰られるべきかもしれません。

片や芸術に、片や儚い運命に身を捧げ。

芥川龍之介の小説を代表する自己犠牲ヒロイン二人ですが、平安の姫が名も明かされず焼け死ぬのに比べ、近代の南京で身を立てる金花は、十分「報われた」結末を迎えます。封建社会への考え方や歴史観時代観が反映されているのでしょうか、興味深いです。

若く美しい娘が善性を与えられるのと対照的に、「羅生門」に登場する盗っ人の老婆が、卑しく醜い悪の権化のように描かれているのに風刺を感じます。芥川龍之介は他にも「今昔物語集」「宇治拾遺物語」を材にとり、短編「鼻」を書いています。

著者
芥川 龍之介
出版日
1991-03-20
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ちなみに「梅毒は伝染せば治る」というのは誤り

梅毒は細菌・梅毒トレポネーマが粘膜から感染することによって引き起こされる性感染症の一種で、口・性器・肛門付近、その他粘膜や皮膚の炎症が特徴。肌に生じる赤い瘡が、楊梅(ヤマモモ)の実に似ているのが病名の語源。末期には脳や臓器に深刻な病変が生じ、認知症に似た譫妄状態を呈します。日本では江戸時代に猛威を振るいました。

ヨーロッパには1493年、西インド諸島の原住民と性交渉したコロンブスが持ち込んだとされ、麗人と寝ることで感染する経緯から「ビーナスの病」と呼ばれます。

現代の価値観では信じがたいことに、当時は「美女と懇ろになった証」として、むしろ罹患を誇る傾向さえありました。人によっては2期~3期の潜伏期に治り、感染後も長生きする為、軽んじられてきたのです。

そんな梅毒が娼婦の職業病になるまでに、たいして時間はかかりませんでした。感染予防や避妊の知識も乏しく、徹底されてない時代です。

通常は1期(3週間~)、2期(3か月~)、3期(3年~)、4期(10年~)と段階的に進んでいき、感染から10年以上延命する人間もいるものの、このあたりは個人差があります。2期の潜伏期に自然治癒する例もあるそうです。1943年に治療薬のペニシリンが発明されるまでは難病と恐れられ、患者は隔離されてきました。

特効薬の種痘が発明され根絶に至った天然痘と事情が異なり、現在も世界中で散発的に流行っています。

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ラストの金花が完治したように見えるのは勘違い。梅毒は治療せずに放置しても、一定期間を過ぎれば初期症状が消えます。金花は感染1年目(2期)、潜伏期に入りました。なので今後再発する危険性や、症状が一旦消えた状態で、そうと知らず客に伝染している可能性も否定はできません。

仮に金花が治ったと思い込み、日本人客と再会するまでの約一年に亘り、病原菌を振り撒いていたら……自業自得なGeorge Murryの末路より寝覚めが悪い、バッドエンド一直線ですね。

……が、実際の所はわかりません。「南京の基督」は芥川龍之介が書いた物語、即ちフィクションであり、リアリズムが徹底した実話ではないからです。

世界にはプラシーボ効果で癌が根治した例があります。梅毒に関しては、潜伏期に自然治癒に至る幸運な人間も稀にいます。聖痕(スティグマ)を自己暗示の産物と見なすなら、基督に会った金花の身に、病を克服する奇跡が起きないと言いきれるでしょうか。

George Murryは女遊びが祟り、他の娼婦から梅毒をもらっていた疑いが強いです。なればこそば金花より進行が速く、発狂に至った顛末も頷けます。

「南京の基督」は芥川龍之介版マグダラのマリアだった

「南京の基督」は信じる者が救われる話。

熱心なキリスト教徒である金花は、梅毒を他人に伝染すのを拒否し、独り寂しく飢え死ぬ運命を受け入れました。その尊い精神性は、「天国の基督様は、私の心もちを汲み取ってくださると思いますから。」の言葉に集約されています。

「南京の基督」は芥川龍之介が翻案した、マグダラのマリアのエピソードと言えます。

マグダラのマリア、またはマリヤ・マグダレナは、新約聖書に登場する女性。一説によると罪深い女、娼婦であったとされながら、基督の教えに触れ改心し、彼の遺体に香油を塗る重要な役割を拝命します。

太宰治「駆け込み訴え」は基督の忠実な使徒・ユダが、マグダラのマリアに嫉妬して裏切りを犯す話です。

著者
太宰 治
出版日
5分でわかる太宰治『駆け込み訴え』解説!ユダとキリスト、新約聖書の主従の知られざる確執とは?

5分でわかる太宰治『駆け込み訴え』解説!ユダとキリスト、新約聖書の主従の知られざる確執とは?

『駆け込み訴え』は文豪・太宰治の名作短編です。 タイトルから時代劇を連想するかもしれませんが、本作の舞台は紀元前。登場人物はキリスト、ユダをはじめとする十二使徒、およびマグダラのマリヤなどで皆聖書に名前が出てきます。 今回はユダ視点で語り直される裏切りの真実、『駆け込み訴え』をご紹介します。

カトリック教会はマグダラのマリアを「悔悛した罪深い女」と位置付けると共に、「イエスの死と復活を見届ける証人である」と定めました。

偽基督ことGeorge Murryが翌朝寝床から消え、金花一人残された状況を「復活を見届けた」とたとえるなら、なかなか皮肉が利いてますね。

結論として南京の基督は偽物に過ぎず、金花は娼婦をやめはしません。にもかかわらず神の教えに唾したGeorge Murryは罰され、最後まで神を信じ、他人を害さず耐えた金花は救済されました。

我々は「人に伝染せば治る」というのが無知に端を発する誤解だと知っています。他人を巻き添えにする迷信と自己救済の空想が対となっているのも、「南京の基督」の構成の上手さ。

してみると病が癒えたのはただの偶然でしょうか。無知なる者を愛し、その夢に顕現した、神の意志が介在したのでしょうか。

「南京の基督」のラストを偶然が連鎖した因果応報ととらえるか、本物の基督が授けた福音ととらえるか……それはあなた次第です。

著者
芥川 龍之介
出版日
著者
芥川 龍之介
出版日

「南京の基督」を読んだ人におすすめの本

芥川龍之介「南京の基督」を読んだ人には、柳広司「ジョーカー・ゲーム」をおすすめします。

本作は伝説のスパイ結城中佐率いる精鋭・D機関の面々が、知略を尽くした駆け引きを繰り広げるスパイアクション。アニメ化・映画化・漫画化もされた人気シリーズです。

「南京の基督」と時代が近く、戦火の予感を孕んで揺れ動く、昭和前半のきな臭い空気が堪能できます。

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著者
柳 広司
出版日
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["仁藤すばる", "柳広司"]
出版日

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著者
遠藤 周作
出版日
1981-10-19
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