ガキ大将は言った。「お前は虫に似ている」
小学校の時、ガキ大将が好きだった。でかくて乱暴で、私のことを「虫に似てる」と言っていた。喧嘩っ早い性格で、クラス全員に嫌われていて、成績も悪くて足も遅い。だけど、「この人だ……!」と思った。彼の失態ひとつひとつに、強く惹かれた。私は、「この人は自分にしか救えない」と思える人のことが、とてつもなく愛おしくなってしまう。
好きな人には意地悪をしてしまうタイプの子供だったので、4年生の時、彼の下駄箱に果たし状をねじ込み決闘を申し込んだ。ラブレターではなく、果たし状である。自分でも思い出しては「なんでだよ」と突っ込むのだけれど、当時はそういう愛情の示し方しか知らなかった。どうにかして、彼とふたりきりの時間を作り出そうとしていたのだ。今であればもう少しスムーズに、LINEで「映画見よう」とでも送ってすませていただろうに。
そして放課後、机と椅子を片付け空っぽになった教室で、私は自分の好きな人と決闘をすることになった。私の得意とする攻撃はもっぱらキック。バレエを3ヶ月習ったという心許ないバックグラウンドを活かし、高い位置までガンガン脚を突き上げて蹴る。彼は避けたり、受けたり、何も反撃をしてこない。
日が陰り始め、鮮やかな夕日が窓から差し込んでいる。決闘にしては無駄にロマンチック。と思ったその刹那、彼の手が私に初めてふれて(パンチ)、全身に衝撃が走った(ものすごく痛い)。頬の内側がガタガタの歯に当たって、唇の端が切れ、口の中に鉄の味が広がった。私は好きな人に顔面を殴られたのだった。初めての痛みについ泣いてしまう。彼は申し訳なさそうに謝ってくれた。
涙が頬を伝うのと同時に、ほんの少し征服感を憶えていた。きっとこの罪悪感によって、私は彼の「忘れられない存在」になれたに違いない、と思ったからだ。申し訳ないという気持ちから、愛してくれるかもしれない。
頬の傷に絆創膏を貼った姿が何とも不良っぽく見えたらしく、私はしばらくの間「番長」と呼ばれることになる。彼は先生に「女の子の顔に傷をつけた」と大層怒られ、後日、親と共に家まで謝りに来るはめになった。当然、私たちのロマンスがそこから発展することはなかった。
中学校では、暗くて口が悪い人が好きだったし、高校では私のことを嫌いな人が好きだった。大学では、童貞を絵に描いたような人(ごめんね……)が好きだった。一度たりとも、クラスの中心的存在でスポーツがうまかったり、勉強に意欲的だったり、授業中、先生の発言に茶々を入れて笑いをとるような人を好きになったことはなかった。「すっぱい葡萄理論」が染み付いていたのかもしれないし、単純に面倒で挑戦する気が起きなかったのかもしれない。私が惹かれるのは、「え、その人? 」と聞き返されるような人。いつでも手強い相手が好きなのだ。
これはサブカルクソ野郎どもによくある「メジャー嫌い」嗜好にかなり似ている。ヒットチャート上位の曲は聴きたくない。ベストセラーはなんとなく読みたくない。平積みされている本より、棚の中から自分だけの感覚で選んだ本を読みたい。保証されていない、予想のできない愛を見つけたい。
結論、万人が愛するものを愛したくないのだ。みんなと一緒はイヤだ! なんていう子供くさい心理。自分が大衆の一人だってことは、もう何年も前に気付いているくせに、まだ自分だけの何かを見つけたいと思ってしまう。特別にはもうなれないかもしれない、でも特別を見つけられる人になりたいと思ってしまう。だって万人に愛されている人は、私の愛を必要としていない。私を必要としていない人を、私は愛せない。