好きなものと嫌いなものなら、確実に嫌いなものの方が多い
私は絵やデザインを生業としている。ボディペイントをしたり、CDジャケットのデザインをしたり、イラストを描いたり漫画を描いたり、そうやって生きている。ただ、そういった職業にありがちな「好きなものを仕事にしている」という他人からの先入観は、あまり当てはまらないのです。絵やデザインは好き。好きだし、なければ生きていけないとも思う。けれど私は、たくさんある選択肢の中から“美術”を選んだわけではありませんでした。
勉強も自分の顔も、世間でいうところの「優秀」からはほど遠かったので、学歴コンプレックスや顔面コンプレックスで自意識はぐしゃぐしゃ。そして虫の息になった私は、ほかにどこか戦える場所はないかと這いずり回ってやっと、美術にたどり着いたのです。私に手を差しのべてくれたのが美術だけだった、というのが真相です。
なので多分、普通の人よりも根性が捻じ曲がっています。基本的に「好き」などのポジティブなエネルギーではなく、「嫌い」や「ふざけんな」を原動力にして動いている。幸せな時はだらだら怠けてしまうし、もうだめだと思えるくらいどん底に突き落とされた方が、必死にもがいて浮上する。好きよりも嫌いが多い。そういう女です。……あっ、チョーヒカルといいます。ふざけた名前ですが本名です。もう24歳。女子高生も女子大生もいつのまにか通り過ぎて、とうとうただの女になってしまいました。
例えば飲み会の席では、主に嫌いな人や思い出について話します。最悪だった昔の恋人や、存在意義のわからない制度への怒りなどを、アルコールに任せてぎゃあぎゃあ喚く。そういう話が楽しくてたまらないのです。かといって、好きなものが無いというわけではないし、「好き」という気持ちが弱いわけでもありません。むしろ、濃い。好きだからこそ軽々しく口には出せないことはたくさんあると思います。
それでいて、好きで仕方がないものって、ちょっとばかり恥ずかしかったり、不便だったり不都合だったり不合理だったり、時には不必要だったりする。だけど、どうしようもなく好き。「嫌い」に支えられてきた人生だったけれど、それでも好きになってしまった大切なものたちを、書き留めていこうと思います。
チョーヒカル